第4章 『ついに明かされる第二のトリック』全20話。その16。

            16。



「くたばれ、この、羊のくそぉぉ女あぁぁぁぁ!」


 梅塚幸子の手に持つ大木槌が目の前にいる羊野瞑子に目がけて振り下ろされる。その狂気に満ちた荒々しい姿は正に狂っているとしか言いようがない程に異様な姿だ。そんな鬼気迫る状況にも関わらず、特に全く気にする様子もない羊野は、暗闇の中で振り下ろされる大木槌に注意を払いながらその荒々しくも素人じみたお粗末な攻撃を巧みにかわしながら難なく避けていく。

 それもそのはず、攻撃している当の梅塚幸子は勘太郎や関根孝が持つ懐中電灯の明かりの光を頼りに攻撃していたので、例え暗闇でも特に迷うこと無く難なく相手を攻撃する事ができたが、相手が羊野では話が別だ。何故なら羊野は暗視装置内蔵型の羊のマスクを被っているので、例え回りが明かりの無い場所であっても特に問題は無いのだ。

 しかも羊野の身体能力はまるでネコ科の猛獣のように俊敏で力強く、その異常な攻撃性と卑劣さは数々の修羅場をくぐり抜けて来た猛者たる狂人だけが持つその道のプロとも言うべき特別な力なので、ただ狂気の赴くままに大木槌を振るうだけの素人同然の梅塚幸子には本来勝てる勝機は全くないのだ。

 だが当然の事ながら当の梅塚幸子はそんな事を考える余裕も冷静さも全くないので、感情と狂気の赴くままに大木槌で攻撃を繰り返す。


「くそぉぉぉ、当たらない、当たらないわ、なぜよ、何故当たらないのよ。こんなんじゃあの羊の女の頭に、この大木槌の一撃を叩き込む事が出来ないじゃない。もう何度もあの羊のマスクを被っている女の体に目がけて大木槌を振り回しているのに一向に当てる事が出来ないわ……本当に猫のようにすばしっこい奴め!」


「ほほほほ、いくら暗闇に目がなれているとは言え、あなたと私とでは見えている視界の広さと視野の感度が違いますわ。その限られた数々の条件下の中で、あなたはどこまでこの私と対等に戦えますかね。これは中々に面白い展開になって来ましたわ。これから私もほんの少しだけ徐々に本気を出したいと思いますので、どうか私を退屈させないように是非とも頑張って下さいね。事誤って勝手に死ぬのだけは勘弁して下さいよ。そんな事になったらまた私が黒鉄さんに疑われますからね」


 そう言いながら羊野は、打ち刃物の包丁を梅塚幸子に目がけて一閃する。

 暗闇の中から繰り出される羊野の包丁による素早い攻撃を何とか大木槌の長い柄で防いだ梅塚幸子は、冷や汗を掻きながら目の前にいる羊野を見る。


「何なのよこいつは、こんな状況になっていると言うのにまさかこの戦いを心の底から楽しんでいると言うの? この転がる人の死体の山の数々を見た黒服の探偵と専務の関根孝は酷く驚き、更には心なしか怯えているようだったけど、この羊の女は特に驚きも怯えもしなかった。しかも私が死体の中に隠れて機会を伺っていると言う事ももう既にお見通しとばかりに簡単に言い当てるだなんて、あなたは一体何者なのよ!」


 そんな梅塚幸子の素朴な疑問に応える為、羊野はその不気味な白い羊のマスクを梅塚幸子の眼前に向ける。


「ほほほほ、あなたが殺しを依頼した水瓶人間の……元同僚ですよ。つまりはあの殺人鬼と同類です。元円卓の星座の狂人が一人、白い腹黒羊とは私のことですわ。どうぞお見知りおきを!」


 そう言うと羊野は両手に持った二双の包丁を互いに交差させながら金属音を鳴らし。酷く困惑している梅塚幸子を見下ろしながら激しく威嚇をするのだった。


            *


 一方悪魔の水瓶もどきこと、海月光子と抗戦している勘太郎は思わぬ苦戦を強いられていた。何故ならこの暗闇の中で暗視装置内蔵型の水瓶のマスクを被っている海月光子に対し勘太郎の視界は手に持つか細い光を放つ懐中電灯の明かりだけだからだ。だが、だからといってここで弱音を吐いていてもどうしようもない。勘太郎は懐中電灯の明かりを常に悪魔の水瓶に向けながら相手の出方を探る。


「海月光子さん、もうこんな事はやめて下さい。仮に俺達をここで殺す事ができたとしてもあなたの息子さんが無事に帰ってくると言う保証はどこにもありません。そもそもあなたを脅迫している梅塚幸子さんは西条ケミカル化学会社に関わる人達を率先して襲っているみたいですから、近い内に用済みとなる幸子さんやそのお子さんをそのまま見逃すとはどうしても俺には思えないです!」


 必死に逃げ惑いながらも何とか黒服の上着を悪魔の水瓶の頭に被せる事に成功した勘太郎は、相手の視界を奪ったその数秒間の間に……百円ショップコーナーの店内へと逃げ込む事に成功する。


 羊野瞑子や関根孝ともちりぢりになった事でかなりの心細さを感じていた勘太郎だったが、これから悪魔の水瓶を迎え撃つにあたり、一人の方が都合がいいと直ぐに考えを改める。

 何故なら勘太郎は、暗闇の中から近づいて来る、悪魔の水瓶の接近を探る簡単な方法を即席で思いついたからだ。


 そんな事とはつゆ知らず悪魔の水瓶は闇に紛れながらも静かに何かの物陰に隠れるが、勘太郎はそんな悪魔の水瓶の闇討ちを警戒しながらも食器類が並ぶ細い通路の真ん中付近で足を止める。

 両方に大きな棚が並ぶこの直線の通路なら例え悪魔の水瓶がその通路の手前から入って来たとしてもその反対側の裏手から逃げる事が可能だからだ。

 そんな時間稼ぎのような手でただひたすらにこのフロアー内を逃げ惑うとも考えられたが、どうやら勘太郎の考えは違うようだ。勘太郎は手探りの指で棚の(骨組み)フレームやその棚の上にある食器類を触りながら思い切った事を実行する。


 その思い切った事とは、棚の上にある商品とも言うべき割れそうな様々な食器を次々とフローリングの床へと叩き落とす事だった。


「でやあぁぁあぁー、割れろ! 割れろ! もっと前と後ろの両通路に散らばるように割れた食器類を投げつけるんだ!」


 ガシャン! パリン! バリン! ダッシャン! ゴロン!


 勘太郎が投げつけた皿や茶碗類が割れるその豪快な音に緊迫と恐怖に静まり変えっていたその場の空気が見事に破れ、その事で勘太郎の不安や追い詰められていた緊張感もいつの間にか大きな自信へと変わる。何故ならその周りにまき散らかした陶器やガラスの割れ物によってこの即席の結界は完成したからだ。

 そうまさに悪魔の水瓶を探知する為に作られた簡単な結界である。


 勘太郎の周りにまき散らかした細かく割れた陶器やガラスの類いの物を、接近者が足で踏みつける事によって音が鳴り、悪魔の水瓶がどこから忍び寄り接近して来るのかを先に読む事が出来るのだ。


 勘太郎は耳を澄ませながら闇に隠れている悪魔の水瓶の接近をただひたすらに待つ。


 どこだ、どっちの通路から攻めて来るんだ。後ろか……それとも前からか?


 静まり返った通路の闇に勘太郎は緊張しながらも頻りに懐中電灯の光を何度も照らす。


 懐中電灯を握り締めながら勘太郎が身構えていると、正面側の通路入り口に海月光子こと悪魔の水瓶が何かを引きずりながらその姿をゆっくりと現す。


 そう言えばさっきも何かを引きずっていたようだが、一体何を引きずって来たんだ?


 そう思いながら勘太郎はその悪魔の水瓶の後ろにある引きずってきた物体に懐中電灯の光を当てて見ると、そこには人一人くらいは入れるくらいの大きな布袋がその場に置いてあるのが見えた。


 なんだあの大きな布袋は? 中で何かが動いているのを見ると、まさかあの中に人が入っていると言う事なのか。


 そんな勘太郎の疑問に応えるかのように悪魔の水瓶はその引っ張ってきた布袋の紐の結び目を直ぐに緩め解き放つと、その袋の中から一人の人物を羽交い締めにしながら目の前にいる勘太郎の顔面に目がけてその姿を見せつける。その布袋に入れられていた人物は、口にねじりの手拭いで作られた猿ぐつわを噛まされている西条ケミカル化学会社の社長……西条貴文その人だった。

 そんな西条貴文社長は大口を開けた状態で猿ぐつわを噛まされているせいかダラダラと涎を垂らし、その目と鼻からは涙と鼻水が流れ出ていた。


 目頭に掛けられている汗と涙で濡れた黒縁の眼鏡が怪しく光る。


 当然のように後ろ手に縛られた状態の西条社長を助ける為、勘太郎は涙と汗で酷い顔になっている西条社長の顔を見ながらある疑問点に気がつく。


「今までそんな事には気にも止めなかったし、当然気にすることもなかったが……まさか……そう言う事なのか。円卓の星座……悪魔の水瓶からパクったそのトリックの仕掛けは……そう言う事だったのか」


 そう何気に呟いた勘太郎は羽交い締めにされている西条社長と悪魔の水瓶を交互に見つめながら、静かに話しかける。


「海月光子さん……もうこんな事はやめるんだ。もうこれ以上無駄な罪を重ねるんじゃない。もしその人を殺してしまったら本当に罪人になってしまうぞ!」


「ポポポポーッ」


「そうなれば今は何処かに監禁されている海月リク君が助け出されたとしても、その母親が人殺しになってしまったら非常に悲しむはずだ。そうだろう!」


「ポポポポーッ」


「ポポポポーッじゃ分からないよ。何とか言ったらどうだ!」


「ポポポポーッ」


「駄目だ、話が通じない。一体どうなっているんだ? まさか話が出来ないように口を封じられているのか。俺達のような部外者と話が出来ないように強制的に何かを口に仕込まれているようだな。くそー梅塚幸子め、一体海月光子さんに何をしたんだ」


 目の前にいる悪魔の水瓶に対し勘太郎の説得が尚も続く。


「今からそっちに行きますから、西条社長を放して、その大木槌を床に捨てて下さい」


 そう言いながらゆっくりと悪魔の水瓶に歩み寄ろうとした勘太郎だったが、悪魔の水瓶が放つ全方向に噴射する霧状の汚染水エアーの攻撃によって勘太郎は後ろへと後退を余儀なくされる。そんな勘太郎を見つめる西条社長の目からは助けを求める思いが嫌でも伝わってくる。


「くそー、どうしても悪魔の水瓶の元に近づけない。一体どうしたらいいんだ?」


 その時、行き成り勘太郎のズボンのポケットの中に入っている柄系の携帯電話がブルブルと音を立てて鳴り響く。音楽では無く振動音で告げるバイブレーション機能の為、ブルブルと勘太郎の履いてあるダークスーツのズボンが揺れているのだ。」


「誰かから電話が掛かってきたようなので、電話に出てもいいですか」


「ポポポポーッ」


 勘太郎はこれ妙がしに目の前にいる悪魔の水瓶に電話に出ていいかと同意を求めると、バイブレーション機能で震えるズボンのポケットの中から携帯電話を取り出す。


「では失礼して……今から電話にでますね」


 何故か電話に出る事を強く強調すると、勘太郎は悪魔の水瓶に携帯電話を見せつけながらまるで会話を聞かせるかのように大きな声で電話の相手と話し出す。


「あ、もしもし……はい、勘太郎です。どうしました……はい、へえ~そうですか、見つかりましたか。海月リク君が見つかりましたか。やりましたね。これで取りあえずは一安心ですね。はい、分かりました。あ、ちょっと待っていて下さい。今母親が近くにいるんで……今母親に電話を代わりますから……」


 そんな勘太郎の携帯電話から聞こえる話の内容に西条社長を羽交い締めにしていた悪魔の水瓶の体が大きく震えだす。


「海月光子さん……関根孝が話していたように俺達の仲間が拉致されていた海月リク君をもう既に見つけた見たいですよ。その電話が今俺に掛かってきました!」


「ポポポポポポポポポポポポーッ!」


 その勘太郎の言葉に悪魔の水瓶は酷く動揺し、まだ信じられないとばかりに羽交い締めにしている西条社長の首元に思わず力が隠る。だがその熱い視線は確実に勘太郎の方に向けられているようだ。

 勘太郎はここに勝機があるとばかりに更に話を進める。


「俺の話が信じられませんか。ならご自身の耳でお子さんの声を聞いて下さい。俺の携帯電話は通話状態のまま……ここに置いて下がりますから」


 そう言うと勘太郎は自分の柄系の携帯電話を下のフローリングに置くと、ゆっくりとそして静かに後ろへと下がる。

 

 後ろに下がる度に足で踏みつけた食器の破片がパリバリ……ミシミシと音を立てて鳴るが、そんな勘太郎の後退を確認した悪魔の水瓶は西条社長を床に投げ捨てると直ぐに携帯電話がある床まで走り寄り、勘太郎が置いた携帯電話を直ぐに拾い上げる。


 悪魔の水瓶は「ポポポポーッ」と奇声を上げながら息を整えると、その手に持つ勘太郎の携帯電話を水瓶マスク越しに耳に当てて見る。だが顔全体を覆うヘルメット型のマスクを被ってある為か、通話の音が中々拾いにくい悪魔の水瓶はその全ての注意をその携帯電話から聞こえる音へと向ける。

 だが、そんな一瞬の隙を見逃さなかった勘太郎は棚を支えている枠に両手を掛けると、そのまま勢いよくその食器類が置いてある棚を豪快に押し倒す。


「すいません、光子さん。その動きを封じさせて貰いますよ!」


 ガッタン! パリン! ダリン! バキバリン! ガラガラガラァァァーァ!


 その倒れて来た棚に押し倒されるような形で悪魔の水瓶は倒れ込むと、その食器棚の下敷きになった悪魔の水瓶のマスクの顔に目がけて勘太郎は腰ベルトに隠し持っていたある物を吹き付ける。目の前の視界が行き成り真っ暗になった事で悪魔の水瓶は大パニックを起こし酷く暴れたが、もう既に勘太郎により横から倒された棚の重みとその疲弊しきった体の疲れにより、悪魔の水瓶は身動きが全く出来ないでいるようだった。


「よし、これで完全に体の動きと視界を奪ったぞ。もうこれで終わりにしましょう。海月光子さん」


 そう言いながら勘太郎の手にあったのはブラックカラーのペイントスプレーだった。恐らく四階フロアーにある日用大工の道具を扱うペンキコーナーでこのペイントスプレー缶を手に入れたのだろう。いつかこのアイテムが必ず役に立つ時が来ると信じて……。


 藻掻く力すらも無いのか体の上にのしかかっている大きな棚を退かす力は今の海月光子にはもうないようだ。だが、だからと言ってそのまま近づいたらあの全方位に飛び散り噴射する霧状の汚染水を再び撒き散らす恐れもあるので、勘太郎は細心の注意を払いながら悪魔の水瓶に近づく。


 闇夜を照らす、勘太郎が持つ懐中電灯の光が悪魔の水瓶のマスクに向けられる。


「今倒れている大きな横棚は、地震対策で床と棚が強く固定されているからもしかしたら上手く倒れないんじゃないかと本気で心配したんだが、勢い良く上手く倒れてくれて本当に良かったよ。もし上手く倒れなかったらどうしようかと本気で心配したからな。そんな訳で海月光子さん、あなたには中々に手こずらされました。でももうこれで終わりです。これからあなたの傍まで行って、その被ってある水瓶のマスクを外しますが、無駄な抵抗はしないで下さい。もうこれ以上無駄な時間をかける訳にはいきませんから」


」そう言うと勘太郎は悪魔の水瓶が被ってあるマスクとそのマスクとを繋ぐロングスカートまで伸びているサスペンダーを数本外すと、ゆっくりと水瓶型のマスクをその顔から剥がす。そのマスクから見えた素顔はやはり睨んだ通りに海月光子で、その顔は汗と涙と鼻水で酷く汚れきっていた。そんな彼女の口元には話が出来いないようにと猿ぐつわが噛まされ、息を大きく吐いたり吸ったりする事で「ポポポポーッ。」と言う奇っ怪な音がその猿ぐつわから鳴り響く仕組みになっていた。


 そうか……この猿ぐつわのせいで海月光子さんは助けも呼べずに、言葉を発することすらも出来ないでいる状態にいたのか。


 勘太郎は海月光子が加えさせられている猿ぐつわを外してやると、自分のことはどうでもいいとばかりにいの一番であることを聞く。


「り、リクは……私の息子のリクは……本当に助かって……救助されているのですか?」


「ええ、勿論助かっていますよ。ここにはいない他の仲間達が既に海月リク君を見つけ出して、何処か隠れた所で保護していると言っていましたからね。残念ながらもう既に通話は切れて折り返しても電波が悪いせいか中々電話が繋がりませんが、もう大丈夫だと思いますよ。光子さんの体力が戻って確実な安全を確保できたら改めてリク君に会いに行きましょう」


「うううぅぅー、リク……良かった……良かった。あの狂った恐ろしい女からリクを救い出してくれたのね。本当にありがとうございます。私が犯した罪は警察に自首して一生を掛けて償いますから、どうかあの恐ろしい女だけは必ず逮捕して下さい。そうしないとまたいつうちのリクがあの狂った女に襲われるか分かりませんから!」


「大丈夫です。あの梅塚幸子は俺達が必ず捕まえてみせます。だから海月光子さんはここでしばらく休んでいて下さい。まだ梅塚幸子はこのフロアー内をうろついていて、捕まってはいませんから。今から上にのしかかっている棚をどかしますが、その前に西条社長の安否も気になりますので、そちらの方も確認しに行きますね」


 そう言うと勘太郎は今度は布袋の前にへたり込んでいる西条貴文社長の元へと足を運ぶ。


「西条社長、大丈夫ですか? しっかりして下さい!」


 体を揺すりながら西条社長の顔を間近で見た時、羊野がこのトリックを見破ったという言葉を思い出し、勘太郎も改めてその言葉の意味に納得をする。


「なるほどな……やはりそう言う事だったのか。この仕掛けは落ち着いて間近で見ないと気付かないか。ましてやあの緊縛した緊張化の中じゃ当然気付きにくいだろうからな。それに俺の知る限りじゃ西条社長は眼鏡なんかしていなかったからな。わかりやすかったぜ」


 そう言うと勘太郎は何故か黒縁の眼鏡を掛けている西条社長の眼鏡をゆっくりと外す。するとその眼鏡は何故か鼻へと繋がっており、その眼鏡と鼻は一つで一対の物へとなっていた。そう敢えて例えるならば眼鏡と鼻が一体となった玩具によく似ている。ただしその眼鏡にくっついている鼻は本物そっくりに作られた本当の鼻の皮膚のように見えた。

しかもその眼鏡の黒縁のフレームは空洞になっており、その中には鼻腔に入るくらいの細いカテーテルが眼鏡をフレームの中を通ってそのまま西条社長の鼻穴へと突き入れられていた。そしてそのカテーテルが入った鼻穴を覆い隠すようにそのシリコン樹脂の皮膚で出来た偽物の鼻を本物の鼻の上に被せ、カテーテルが入っている鼻穴を覆い隠していたのだ。だから鼻穴に差し込まれている細いカテーテルの管は見えず。宛も口から大量の汚染水を吐き続けているように見えていたのだ。そしてその汚染水は被害者の腰にかかっている二リットルほど入っているベットボトル型のタンクから長いカテーテルへと伸び。背中から後頭部へと上がり、そのまま両耳に掛かってある眼鏡のフレームの中を通って、鼻穴に差し込まれているカテーテルへと行き着き、汚染水を小型のポンプ機で流し込む仕組みになっているようだった。


「そうか、だから最初の被害者はみんな口を閉じられないように猿ぐつわを噛まされ、喉の奥にカテーテルを無理矢理に突っ込まされて汚染水を流し込まれていたのか。だからあれだけの水を口から吐き続ける事が出来たんだな。だがその第一の猿ぐつわを使ったトリックに疑問を抱いた人達の目を更に欺く為に次に考え出された第二のトリックが、この眼鏡と付け鼻を使ったトリックと言う訳だな。鼻穴から極細のカテーテルを喉の奥まで突き入れられ。そして眼鏡のフレームの中を通したカテーテルから汚染水を流す事によってその被害者を見事に溺死させていたんだな。その被害者の鼻には二重に本物そっくりの偽の鼻を被せてあるから、鼻穴に差し込まれているカテーテルには誰も気付かない。そして極度の緊張で気が仰天している人の注目は汚染水を吐き続ける口にどうしても注目が行くので、特に異常が無い事を確認した鼻には誰も注目はしない……そんな人の心理をついたトリックと言う訳だな。人は一度その人の顔を見て鼻には何も細工はしていないと決断してしまえばその見た認識を疑う事はもうしなくなる傾向があるからな。そんな思い込みを利用したトリックと言う事か。ネタが分かってしまえばなんとも簡単且つ単純なトリックなんだが、そこをバレないように見せるのがこのトリックを操る人の腕と言った所か。このトリックを本家本元の悪魔の水瓶が使っていたのなら、もしかしたらまだバレることはなかったのかも知れないが。だが、相手はこのトリックの仕掛けを教えて貰ったただの素人だからな。その汚染水を操るトリックの仕掛けに何となく理解ができていたとしても、その仕掛けを人に見せて信じ込ませる駆け引きや、いきなりのアクシデントに臨機応変に対応しながら仕掛けを操る事は、恐らく梅塚幸子には出来なかったんじゃないかな。だからこんなにも早く、羊野や俺にそのトリックの全貌を見透かされてしまった。まあ、梅塚幸子は汚染水を使ったトリックで人を溺死させるよりも大木槌で人を叩き殺す事の方が多かったから、その汚染水を使ったトリックの仕掛けを隠そうとする努力が足りなかったようにも感じられる。当の梅塚幸子にしてみたら、この汚染水を使うトリックは相手をビビらせる為に使うただの見せしめの為の予行であり、特に汚染水を使ったトリックにこだわっていた訳ではないからな。ただ相手を恐がらせて殺害できればなんでもいいとさえ彼女は考えていたはずだ。だからこそこの汚染水を使ったトリックは、俺達に難なくバレてしまったんだ」


 極細のカテーテルを鼻穴の中に突っ込まされている西条社長の顔をマジマジと見つめながらそう見解を呟いた勘太郎は、懐中電灯を照らしながら二つの心配ことを考える。


 一つ目の心配ごとは海月光子についた大きな嘘である。本当は海月リク君の行方は未だに行方が知れず、まだ助け出されてはいないのだ。そうあの勘太郎に掛かって来たあの電話は全くのフェイクであり嘘なのだ。


 予め勘太郎が時間差で仕掛けて置いた目覚まし時計の知らせに使うバイブレーション機能を使って、着信が来たと嘘をついてそのまま電話に出ていたのだ。勿論通話の相手と電話をしているように見せかけて会話をしていたのは勘太郎の一人芝居である。


 そして二つ目の心配ごとは、今現在行方不明となっている我が黒鉄探偵事務所の臨時のバイト人にして、車の運転担当でもある緑川章子の行方である。一体彼女は何処で何をしているのかと言う素朴な疑問である。


 い、今はとにかく目の前にいる西条社長を助けないと……この二つの心配ごとはその後にでもゆっくりと考えよう。


「ええ、それでは西条社長、これから鼻穴に差し込まれているカテーテルや猿ぐつわを外しますから動かずにじっとしていて下さい。下手に動いて暴れたりすると、鼻穴の中から喉の奥に差し込まれているカテーテルを上手く引っこ抜く事が出来ませんから」


 そう言葉を掛けると勘太郎は、西条社長に仕掛けられているカテーテルや猿ぐつわをゆっくりと外しながら、今もこのフロアー内の何処かで戦っているであろう羊野の元へと加勢に行く事を考えるのだった。

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