第4章 『ついに明かされる水瓶人間の正体』全20話。その14。

           14。



「くそ、電話に出ないどころか、スマートフォンの電源を切ってやがる。緑川の奴は一体どこに消えてしまったんだ? まさか電話に出られない状況にいるんじゃないだろうな」



 時刻は十九時五十分。


 エスカレーターの階段を上がり六階フロアーに入ろうとしていた勘太郎と羊野は、五階の荷物倉庫内でたまたま見つけた切断用の大型ペンチを手に取ると、その大型ペンチで六階のフロアーとを隔てる金網式のシャッターの金網を一つずつ切断し切り取っていく。

 その数分後、何とかひと一人がようやく通り抜けられるくらいの穴を開ける事に成功した勘太郎はその開けた穴にしゃがみ込みながら素早く通り抜けると、続いて羊野がその金網式のシャッターの穴の角に白い衣服を引っかけないように器用に抜けて見せる。


 そんな危険極まりない場所に勘太郎と羊野は堂々と降り立つ。


 暗闇と静寂が辺りを包む六階フロアーの雰囲気は限りなく不気味で、何か得体の知れない不安と恐怖が勘太郎の全身を駆け巡る。そんな危険極まりない殺人鬼が待ち受ける六階フロアーの入り口の前についに足を踏み入れた勘太郎と羊野は、たった今通り抜けた穴をマジマジと見つめながら考える。


 本当なら今まで使用してきた社員専用の裏階段を使って階段を上がってきても良かったのだが、ドアの入り口の前で悪魔の水瓶が大金槌を構えながら静かに待ち伏せしているかも知れないので、大型ペンチを見つけた時点で例え数分時間が掛かろうとも金網式のシャッターを切り取って前に進む事に決めていたようだ。


 勘太郎の言い分では、余計な奇襲を避けるためにこの見通しのいい金網式のシャッターに穴を開けて、そこから通った方が絶対に安全だと頑なに言い張っていたが、本当はただ純粋にあの隠し階段を使い六階フロアーに上がりたくはないと言う思いと嫌な予感が心の中に渦巻いていたからだ。

 勿論そんな勘太郎の小心な心の機微を当然羊野は知っていたが敢えて口には出さない。何故なら羊野は、勘太郎が一体どんな行動を取り決断するのかを見ているからだ。恐らくは勘太郎の卑屈な小心さを面白がっているからだろう。


 そんな思惑溢れる二人の後ろに金網式のシャッターの穴を掻い潜って来た関根孝が現れる。ゆっくりとその場から立ち上がった関根孝は何やら覚悟決めたような顔をしながら闇が広がる六階フロアーの中をマジマジと見つめる。


「とらわれの身となっている西条社長は本当に大丈夫なのだろうか?」


 そんな事を小声で呟きながら関根孝は、その生死が分からず捕らわれの身となっている西条社長の安否や、無差別に人を襲い、殺し回っている水瓶人間の正体を確かめるために最後の最後まで勘太郎と羊野の二人について行くようだ。


 一方五階フロアーに残った甕島佳子と水谷里子の二人は自販機の明かりがある休憩所で待機をし。そんな彼女らの護衛のためにその場に残った木戸警備員と長瀬警備員の二人は回りに注意を払いながら五階フロアーの出入り口の警備を更に固める。


 勘太郎は5階フロアーに残して来た四人の男女をしばらく心配していたが、『六階フロアーにいるはずの悪魔の水瓶は五階フロアーには絶対に現れない』と自分に言い聞かせながら覚悟を決める。


「よし、羊野、それに関根孝さん、そろそろ前に進みましょうか!」


「黒鉄さん、分かっているとは思いますがこの六階のフロアーが悪魔の水瓶との最後の決戦の場所になると思いますので気を引き締めて事にあたって下さい。恐らくもう後のない彼女も必死で私達を殺しに来るでしょうから。それと関根孝さん」


 その羊野の思わぬ呼び掛けに何事かとはっとした関根孝だったが、そんな彼に羊野は何気にその不気味な白い羊のマスクを向けながら落ち着いた声で話し出す。


「恐らく西条社長はまだ殺されてはいませんわ。なぜなら最後のターゲットでもあるあなたがまだ生きていますからね。多分あなたをおびき出す為の人質としてまだ殺してはいないはずです」


「やはりあの水瓶人間は、俺を殺すつもりですか」


「まあ、悪魔の水瓶がどうこうというよりはその殺人鬼を操っている闇の依頼人の方があなたを殺したがっているのだと思いますよ」


「闇の依頼人ですか。それは一体誰なのでしょうか?」


 その不安を隠せない関根孝の質問に羊野は小さく笑いながら呟く。


「まあ、それはこの六階フロアーで待ち構えている悪魔の水瓶に会ったら全てが分かると思いますよ」


「全てが……分かるですか。あの緑川章子さんが水瓶人間を雇った張本人なのでしょうか。だから敢えて俺達の前では忘れたふりをしているのでしょうか。でもあの雰囲気からしてそんな風には見えなかった」


「フフフ、その答えも彼女に会えば分かりますよ」


「そうだな。だが俺は緑川の奴を信じているがな」


 羊野と関根孝の会話に割り込んで来た勘太郎は真面目な顔をしながらさも当然のように呟く。


 六階のフロア内は明かりがついていないので勘太郎と関根孝が五階フロアーから見つけてきた懐中電灯の明かりだけが頼りなのだが、そのか細い光によってこの六階フロアーが一体どんな所なのかが少しずつ分かってくる。どうやらここはいろんな駄菓子や玩具、それに日用大工に使う材料や生活雑貨などの小物と言った品物が売っている百円ショップのようだ。両側の通路の端に備え付けられている棚の上には数々の商品が綺麗に並び、その通路をゆっくりと突き進むと三人は中央の広場の辺りで何かに阻まれたかのように直ぐに立ち止まる。

 中央から先は飲食店の店が幾つも並んでおり、人がいない静けさに輪を掛けて不気味な雰囲気を漂わせていた。だがさっきまで順調に歩いていた三人がその歩みを止めたのはそんな理由からではない。何故ならその待ち合わせに使われているその広場には、思わず顔を背けたくなるような恐ろしい光景が広がっていたからだ。

 三人が立ち止まった広場には、一般のお客さんだと思われる死体が幾つも転がっていた。


「ひぃ、人がいっぱい倒れているぞ。でも、これは……」


 周りを見た限りでは、異様な死体の数はざっと十数人はいるようだ。だが暗闇の中で辺りに倒れている人の数を手に持つ懐中電灯の明かりだけでは確認する事が出来ないので、勘太郎は一番近くに倒れている被害者にゆっくりと近づく。


「この死体は……まさか……」


 行き成り出会ってしまった死体に、勘太郎と関根孝は思わずお互いに顔を見合わせる。


「この人は確か、ついさっき悪魔の水瓶に溺死させられて殺された、軋おさむさんだよな。死体はここに放置されていたのか。しかもご丁寧に、大木槌で頭を潰してトドメを刺してやがる。こいつは殺しに徹底しているぜ」


 それから勘太郎は更に倒れている人達を懐中電灯で照らしながらざっと見る。


「他にはスーツを着たおじさんや女性が多いな。いずれの被害者達も皆水瓶人間の大木槌による攻撃を体中に受けて絶命したと言う事なのかな。まあ皆頭から大量の血を流して倒れているみたいだから恐らくは皆死んでいるだろう。恐ろしい……本当に恐ろしい光景だぜ!」


 まるで糸の切れた人形のように回りに転がる幾つもの死体に勘太郎と関根孝はかなりびっくりし、そして動揺しているようだったが、そんな勘太郎と関根孝を守るかのように羊野が既に冷たい死体となっている軋おさむ部長の亡骸をマジマジと見る。


「なるほど、そう言うことでしたか。これはすっかり騙されてしまいましたね」


「なんだよ、何か分かったのか?」


「と言うか、もうそれしか考えられないと言う事です。今ここで確認できたから分かった事ですが、得に注意も無く意識していなかったら、恐らくは分からなかったでしょうね」


「一体なんなんだよ、それは?」


 勘太郎がそう話しかけた時、行き成り奥の廊下の方から何かを引きずるような音と共に誰かの足音がコツコツと聞こえて来る。


 ぎっしいぃぃぃ……ぎっしいぃぃぃ……ぎっしいぃぃぃ……。


「な、なんだ、この音は?」


「この足音は……どうやら彼女が来たようですね」


 暗闇が広がる廊下からその姿を現したのは、何かの物体を引きずりながら現れた悪魔の水瓶、その人だった。

 だがかなり疲れているのか、その足取りは遅く。水瓶型のフルフェイスヘルメットの中から漏れる荒い息遣いが彼女の疲弊を物語っていた。


 何だ、もしかして疲れているのか? なら今があの狂人を捕まえる絶好のチャンスなのかも知れないな。


 そう考えた勘太郎はいつでも突進できる体勢を取るが、そんな勘太郎の動きに悪魔の水瓶はその不気味な視線を向けながら必死に威嚇をする。


「ポポポポーッ……」


「くそー、無闇に近づけん!」


 勘太郎の動きに注意をしながらここまで有る物を引きずってきた悪魔の水瓶は、大きなリュックサックと一緒に背負ってきた大木槌を背中から取り外すと、勘太郎と羊野、そして最後に関根孝にその殺意ある視線を向けながら三人の出方をじっくりと待つ。その証拠に悪魔の水瓶は「ポポポポーッ」と小さな声を上げながらその不気味な水瓶のフェイスヘルメットを三人に向ける。その体からは覚悟を決めた人間が放つ必死のオーラがメラメラと立ち上っていた。

 恐らくは彼女にも譲れない何かがあるのだろう。


「ついに現れたな、狂人・悪魔の水瓶! お前が何故ここにわざわざ現れたのかは分かっているぞ。人質を取りながら最後のターゲットでもある関根孝さんを殺すつもりだな。だがそうはさせないぞ。悪魔の水瓶、お前のその謎のトリックもその正体も今ここで暴いてやるぜ!」


 そうすごんで見せると勘太郎は迷わず隣にいる羊野の後ろへと隠れる。


「あの~黒鉄さん……あそこまで格好良く啖呵を切っておきながら、早々と私の後ろに隠れますか。相変わらず情けないですね」


「仕方がないだろう、今回は黒鉄の拳銃は持ってきてはいないんだから俺に有効な攻撃手段はないんだぞ。なら後のことは戦いが担当のお前に全てを任せる以外に方法はないじゃないか。と言うわけで後は頼んだぞ羊野、肉弾戦担当はお前の仕事だからな!」


「それ、女性の背中に隠れて堂々と言う台詞ですか。本当に情けない」


「いいからいけ。あいつが疲れて隙を見せたら俺もあの水瓶人間を押さえに飛びかかるからよ」


「そうですか……でも戦う事はいつでも出来ますわ。それに戦う相手はあの水瓶人間ではない見たいですからね。ここは慎重に事を運ばないと本当の悪意を持った人物に後ろを取られるかも知れませんよ」


「なんだよ、その、本当の悪意って。あの目の前にいる悪魔の水瓶は俺達を何度も襲った、あの悪魔の水瓶じゃないのかよ?」


「その悪魔の水瓶で間違いは無いとは思うのですが、もしかしたらあの目の前にいる悪魔の水瓶は本当は人を誰一人として殺してはいないのかも知れませんよ」


「誰一人として殺してはいないだと……いやいやちょっと待てよ。このデパート内を各階から順番に上がってきたから分かると思うけどその道中あんなに人が殺されているじゃないか。実際にあの悪魔の水瓶がその怪しげな汚染水を使ったトリックで人を殺している姿もちゃんと見たし、その光景はお前も間近で直接見ていたはずだ。そして今現在もこの死体の山が溢れる現場に俺達は立たされているじゃないか。なのにあの悪魔の水瓶は誰一人として人を殺してはいないだと。言っている意味が流石に分からないんだが?」


「なら聞きますけど、あの悪魔の水瓶が実際に人を殺している所を黒鉄さんは見ましたか」


「いいや、見てはいないが、この場所にあの水瓶人間が待ち構えているのならもう奴の仕業に間違いは無いだろう!」


「フフフフ、そう思って近づいたら私はともかくとして、黒鉄さんと関根孝さんは間違いなくここで死ぬ事になるでしょうね。だからこそ私はまだあの水瓶人間には近づかない様にしているのですよ」


「なんだって、それは一体どう言う事だよ。羊野、もっと分かるように説明しろよ」


 詳しい説明を求める勘太郎と無言で羊野を見る関根孝に、羊野は目の前に立つ悪魔の水瓶に注意を払いながら、大きな声で今回の事件についての説明をする。


「なぜこの目の前にいる水瓶人間が人を一人も殺してはいないのか。あなたは私達が一番最初に三階フロアーで出会った、あの水瓶人間ですね」


「ああ、あの電化製品コーナーで初めて攻撃してきたあの水瓶人間か。でも逃げ惑う俺と西条社長を追いかけて来て、殺す気満々だったけどな」


「ホホホ、それは黒鉄さんがもう既に水瓶人間は自分達を見つけたら殺しに来る物だと勝手に思っていたからじゃありませんか。まあ、実際に襲っては来ましたけど、どうやら彼女にもそうせざるに負えない事情があったのだと思いますよ。そうでなきゃあんな怯えと迷いのある動きはしませんからね」


「そうか、結構ガンガンと攻撃して来たように見えたがな」


「もしあれが本当の悪魔の水瓶なら黒鉄さんはもう既に何回も死んでいますよ。その証拠に黒鉄さんはあの悪魔の水瓶と三度も遭遇しているのに、黒鉄さんがその攻撃をまともに貰っていないと言うのが既に可笑しいのですよ」


「いや、四階フロアーで、二回目に水瓶人間に遭遇した時に腹部に大木槌の木の棒から伸びる柄の一撃を貰っているんだがな。まあ、服の中に分厚い雑誌を忍ばせておいていたから何とか助かったがな」


「フフフフ、四階のフロアーに黒鉄さん・木戸警備員・甕島佳子さんの三人で出かけて、そこで遭遇した悪魔の水瓶の事ですね。それは後ろから飛びかかろうとした黒鉄さんを避ける為に悪魔の水瓶が手に持つ大木槌を動かしたから、たまたま腹部に当たってしまっただけの事ですよ。それにあの盲目の馬鹿女の甕島佳子さんが何やら怪しげなひそひそ話を水瓶人間に話したら彼女はかなり動揺しながらあっさりと退散したそうじゃないですか。つまり彼女もまた、この状況からあの水瓶人間の正体に薄々は感づいていたと言う事です。全く目も見えないのにいったいどこからそんな情報を仕入れてくるのか……そっちの方がハッキリ言って謎ですわ」


「馬鹿女ってお前……お前ら本当に仲が悪いんだな。もっと仲良くしろよ」


「それは無理な話ですわ。あの澄ました顔で全てを見透かしているあの態度がどうしても鼻につくんですよ」


 それはお前も同じだろ……と思いながらも勘太郎はその言葉を心の中でそっと飲み込む。


「か、感づいていた。いったい甕島佳子さんは悪魔の水瓶の何に感づいていたんだよ?」


「恐らくはその正体についてです。でも三度目に五階フロアーで黒鉄さんを襲った、あの悪魔の水瓶は違いますよ。恐らくあの水瓶人間は、今目の前にいる彼女ではないと思われます。恐らく五階フロアーに現れたあの水瓶人間は、闇の依頼人がその姿に扮した者の様ですからね。どうやらこのデパート内で繰り広げられていた惨たらしい殺人は、全てその闇の依頼人の彼女が一人で行っていた犯行のようですからね。全くご苦労な事です」


 まるで見ていたかのように話す羊野の話に勘太郎は目を見開きながら驚愕するが、そんな話を聞かされた関根孝もまた黙ってはいない。関根孝は険しい顔をしながら羊野に歩み寄る。


「あの目の前にいる水瓶人間が人を殺した犯人では無いと言うのなら彼女は一体何者なんだ。そして俺達の命を狙っている闇の依頼人とは一体誰なんだ?」


「その闇の依頼人の正体を明かす前に少し昔話を語りましょうか」


「昔話だって……」


「ええ、この事件に大きく関わりのあるお話なので、よ~く聞いてて下さい」


 羊野は目の前で立ち尽くしている悪魔の水瓶を見つめながら昔話を語りだす。


「その闇の依頼人には昔、小学生低学年くらいの男の子がいたそうです。高校を卒業してから彼女は直ぐに好きだった同じ同学年の男子の子供を身ごもってしまい、できちゃった婚と言う形で十八歳と言う若さで相手の男と結婚をしたそうですが。それでも幼い時から家族が無く施設で育った彼女には新しい家族を持つことは絶対に叶えたい夢であり、そしてその家族と共に生きる事がなによりの幸せだと、彼女が書いた高校の卒業論文にはそんな将来の夢が書かれていたそうです。元々母性が強く気の強い彼女はお金を稼ぐためにいろんなバイトを掛け持ちしながら子供のために頑張っていたそうですが、同じくお金を稼ぐために働いていた旦那さんが行き成り不幸な交通事故で亡くなってしまい。一人残された彼女は悲しみに打ちのめされながらも残された一人息子を育てる為に必死に一人で頑張っていたそうです。回りに頼る親も親戚もいない彼女は常にお金が無く、欲しいものも満足に買えないほどに毎日が苦しい生活だったとの事ですが、愛する旦那さんが残してくれた唯一の家族でもある自分のお子さんの成長を静かに見守る事だけが唯一の楽しみだったとの事です。そんな一人息子の身に起きた事件が今から五年前に起きた、あの痛ましい川辺での堤防決壊事故です。そうです、あの被害者の中に彼女の息子さんも混ざっていたのですよ。まだ小学生の一年生だったその息子は母親の留守をいいことに友達に誘われるがままにあの川べて水遊びをしていたそうですが、夢中で遊んでいるうちに天気がどんどん悪くなり、気付いた時にはもう既に川の水かさが増して中州に閉じ込められていたとの事です。その後雨が降り、激しく水かさが増したその中州に、誰かの通報で現場に駆けつけた西条ケミカル化学会社の関係者達や、たまたま通りかかった緑川章子さんが子供達を助けるためにかなり奮闘していたそうですが、その努力も虚しく堤防が決壊し、中州にいた子供達は皆次々と荒れ狂う川の水に流されて行ったとの事です。当然その中には、あの依頼人の子供もいたとのことなので西条ケミカル化学会社の関係者達が彼女に恨まれても決して可笑しくはないと言う事です。そんなお話を私の友人でもある警察関係者の方から聞きましたわ。まあ、その女性の刑事さんに私が、その人の過去や西条ケミカル化学会社との関係性を調べてくれとお願いしたんですけどね」


「そうか、それでその母親は今も俺達のことを恨んでいるのか。あの水瓶人間を雇うくらいに。それでその闇の依頼人とは一体誰なんだ?」


「五年前に唯一の家族でもある一人息子を失ったその女性は、物凄い悲しみの余りに徐々に精神がおかしくなり、完全に狂ってしまったと、過去に彼女を診察した医師はそう話してくれたそうです。酷い被害妄想と憎しみが今の彼女を動かす生きる原動力であり、西条ケミカル化学会社に関わる人達を一人でも多く殺す事が彼女の望みだとの事です」


「まじか、その話は……」


「そんな激しい復讐心を持つ、彼女が住むアパートを刑事さん達が調べていたら、そんな思いを書き連ねた復讐のノートが多数見つかったとのことです。つまり今の彼女は人を無差別に殺せるくらいに悪化した心の病気を持ち。そして物凄い復讐心と狂気をその身に携えて今ここにいると言う事になりますわ。まだ幼い可哀想な人質まで利用してね。そうではありませんか。今現在はしがない洋服のチラシのモデルをしていると言う『梅塚幸子さん。』いいえ、あの悪魔の水瓶を雇った闇の依頼人とでもお呼びした方がよろしいでしょうか!」


 羊野の口から出た思いもしなかった闇の依頼人の正体に勘太郎は思わず羊野を顔見し。関根孝は直ぐさま羊野に反論する。


「な、な、何を言っているんだ。あの水瓶人間に捕まった梅塚幸子は、俺と長瀬警備員、それにあんたの見ている前で、大量の汚染水を口から吐きながら溺死してしまったじゃないか。あんたはその時の光景を間近で見ていただろ!」


「確かに見てはいましたが、あの下手な演技で私は彼女があの水瓶人間を雇った闇の依頼人である事が分かったのですよ。でもまだ証拠としては薄かったのでまだ泳がせて起きましたがね」


「あの時から既に彼女が依頼人だと気付いていたのか」


「いいえもっと前から気付いていましたよ。最初に私達が三階フロアーを調べようとした時のことを覚えていますか」


 その質問に今度は勘太郎が答える。


「三階フロアーだと。確かあの時は、俺と羊野……それに梅塚幸子さんに関根孝さん……それに木戸警備員と長瀬警備員も一緒だったよな。それがどうかしたのか?」


「気付きませんでしたか。皆さんが手に持つ武器を確認している時に、あの梅塚幸子さんは武器となるフライパンだけでは無く本来掛けている眼鏡の下に競技用の水中眼鏡を掛けていたと言う事を」


「ああ、確かに掛けていたな

だがそれが何か問題があるというのか。あの水瓶人間が噴射する汚染水から目を守る為に掛けた事前の処置だろう」


「まだ分かりませんか。あの段階ではまだ悪魔の水瓶が腰の辺りから汚染水の水を霧状に噴射することなど誰にも分からなかったはずです。あれはもしもの為の切り札ですからね。でもあの段階では誰一人としてあの噴射する汚染水のことは知らなかった。だからこそみんなあの汚染水を顔にまともに受けてしまったのではありませんか」


「た、確かに……そうだな」


「でもあの汚染水を操る悪魔の水瓶の攻撃方法を最初から知っている人物なら無意識に目を守る行動を取るとは思いませんか。例え演技でも、あの汚れた汚染水を目には入れたくはないと言う心理がどうしても働きますからね。でもその事前に目を守る行為が、こいつは悪魔の水瓶の秘密を知っている人間だと疑うことが出来たのですよ。その証拠に悪魔の水瓶に捕まった時に口から吐いた茶色い液体が床にこぼれていましたから、その液体をハンカチに漬けて匂いを嗅いで見たのですが、私達が普段飲み慣れているある物と臭いが類似していましたわ。恐らく梅塚幸子さんが口から吐き続けた液体の正体は多分コーヒーだと思われます。その吐いたコーヒーの液体にさりげなく汚染水を上から混ぜ掛ければ、先ず有耶無耶に出来ると考えたのでしょうね」


「梅塚幸子さんが口から吐き続けたのが仮にコーヒーだったとしてだ、なぜ梅塚幸子さんはその溢れ出るコーヒーの液体で窒息死をしなかったんだ。そんなに吐き続けたら喉の軌道が塞がって溺死してしまうかもしれないだろう」


「いいえ、死にはしませんわ。恐らく彼女は、鼻うがいが出来る人なのかも知れませんからね」


「鼻うがい……だと。鼻うがいって……あの花粉や風邪防止の為に鼻から塩水を入れて口から出すというあのうがい方法の事か。俺も昔は何回か試した時があるが、あれは未だに出来ないんだよな。鼻の奥がツーンとしてどうしても慣れないからな。だが梅塚幸子さんはそれが出来ると言うのか……確かにあの液体を鼻から流していたなら、訓練次第では大量の水を口から吐き続けているようにみせる事も理論的には可能だからな。だがそうなると、あの液体を使うトリックは鼻穴から水を送って被害者達を溺死させていると言う事になるぞ。あの鼻うがいができる梅塚幸子さんは平気でも、行き成り鼻穴から水を強制的に送られた被害者達はパニックを起こして溺れて溺死してしまうと言う仕組みか。しかも被害者の鼻穴に流し込まれるのはコーヒーではなく本物の汚染水だからな。そのヘドロのような悪臭に人は耐えられないと言う事か」


「ええ、そう言う事ですわ。恐らくはあの猿ぐつわから水を口の中に送るトリックと二十構えで行っていたのでしょうね。猿ぐつわのトリックは私や黒鉄さんでも簡単に見抜けましたからね」


「なら鼻から水を送っているかも知れないと言うトリックの方は一体どう説明してくれるんだよ。鼻うがいをしているという梅塚幸子さんの鼻穴にも……そして更にはこの六階フロアーで亡くなっている軋おさむ部長の鼻穴にもチューブ管の様な物は一切差し込まれてはいなかったんだぞ! まさかとは思うがハリウッドばりの特殊メイクでもして鼻に刺し込まれているチューブ管を隠していたんじゃないだろうな」


「流石にそんな手間や時間の掛かる事は出来ないと思いますが。でも、それこそがこのトリックの要のような物である事だけは確かなようですわ。ハリウッドばりの特殊メイクをする事は無いのですよ。ただ一点だけを隠せればこのトリックは完成するのですから」


「ただ一点だけだとう。それは一体何処だよ。羊野!」


「その答えが知りたいのなら、黒鉄さん、あなたがあの目の前にいる悪魔の水瓶にたった一人で挑まなければなりませんね。あの悪魔の水瓶もどきは最後のターゲットでもある関根孝さんを殺すために最後の力を振り絞って死に物狂いで襲って来るのでしょうが、黒鉄さんが相手なら少しは躊躇してその力を弱めてくれるはずです。そこに彼女を倒すチャンスを見いだして下さい」


「して、お前は一体どうするんだ?」


「当然私は、人を殺す事しか考えてはいない、復讐心に狂った本当の殺人鬼の方を黙らせて来ますわ。恐らくはこちらの方が危険ですからね。丸腰の黒鉄さんには少し荷が重いかと……」


「悪魔の水瓶を雇った闇の依頼人……梅塚幸子さんか。でもあの目の前にいる悪魔の水瓶が真っ赤な偽物だったとして、本物の悪魔の水瓶は一体何処に消えてしまったんだ。まさか何処かに隠れているのか?」


「いいえ、恐らくこのデパート内で繰り広げられている狂人ゲームには最初から悪魔の水瓶はいなかったのだと思いますよ。そうでなかったら目の前にいるあの悪魔の水瓶は余りにも非力で、弱すぎますからね」


「弱いってお前……これから俺が戦うのに……適当なことを言うなよ」


「あれは悪魔の水瓶のコスプレをしたただの偽物なのですから、恐らくは黒鉄さん一人でも大丈夫ですわ。それでも負けてしまったのなら……それはもう鼻で笑うしかないですわね。黒鉄さん、弱すぎますよと」


「ふざけるな、いいだろう、俺の力を見せてやるぜ。後で吠え面を掻くなよ。でもそうなると本来依頼したはずの悪魔の水瓶は一体何処に消えてしまったんだ。その事はあの壊れた天秤も了承しているんだよな。でなければ狂人ゲームを開いたり、悪魔の水瓶のトリックの謎を依頼人に教えたりはしないだろうからな」


「そうですね……私が考えるに、悪魔の水瓶は何らかの理由でこのデパート内で繰り広げられている狂人ゲームを自分から降りたと言う事です。もっと厳密に言うのなら梅塚幸子さんの依頼その物を降りたと言う事でしょうか」


「なぜ降りたんだろうか?」


「さあ、それは私にも分かりませんが、あの一週間前に別荘地で起きた十二人殺しの依頼の件で、何か承諾しがたいトラブルでも起きたのだと思いますよ。例えば今回の依頼人はどうやら子供を人質にして何処かに監禁している様ですからね」


「子供を監禁か、その情報をくれたのはあくまでも五階に隠れていた水谷里子さんの情報だから本当かどうかは分からないぞ」


「私が知っている本来の悪魔の水瓶は小さな子供を傷つける事は絶対にしないのですよ。例え何が起きてもです。なぜそうなのかは分かりませんがそのルールをあの悪魔の水瓶は今も頑なに守っています」


「子供は襲わないか……この前会ったあの断罪の切断蟹になんだか似ているな。まあ、こいつは子供以外は何の容赦も無く無慈悲に殺すんだろうけどな。なら一週間前に悪魔の水瓶があの別荘を襲った後に、梅塚幸子さんに何故皆殺しにしなかったんだと厳しく攻められたのかもしれないな。あの事件では小学生の男のお子さんとその母親が助かっているからな。あの悪魔の水瓶が行為に親子を見逃したと言う事か。でもそんな行為を依頼人でもある梅塚幸子さんは良しとはしなかったから……だから悪魔の水瓶は梅塚幸子さんに嫌気が差して……ん、小学生の男子とその母親だと」


 その自分が呟いた言葉に思わずはっとした勘太郎は目の前にいる水瓶人間に目を合わせる。体を震わせながら手に持つ大木槌を構える悪魔の水瓶に勘太郎は後ろに移動した羊野瞑子に声を掛ける。


「羊野、まさかとは思うが、あの目の前にいる水瓶人間の正体って……まさか!」


 その有り得ない憶測を口にしようとした勘太郎に羊野は、その心をまるで見透かしたかのようにはっきりと答える。


 あの水瓶人間の方は任せましたよ……と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る