第4章 『勘太郎と羊野、色々と話し合う』 全20話。その13。

            13。



 時刻は十九時〇二分。


「山田茂雄、四十八歳。西条ケミカル化学会社、宣伝部長代理補佐ですか。確かに彼が持つ名刺にはそう書かれていますね。後で関根孝さんにも確認して貰いますが、このおじさんが持つお財布には彼の免許証が入っていましたから本人で先ず間違いは無いでしょう。死因は何らかの液体を喉に詰まらせての溺死。恐らくは彼も丘の上で溺れたのでしょうが、悪魔の水瓶の操る謎のトリックによる物と思われます」



 そう言いながら羊野は段ボールの中に入れられている山田茂雄の死体の具合や身につけていた遺留品などを丹念に調べる。その後ろでは勘太郎が羊野の仕事ぶりを見ながら何か物思いにふけっていた。


 五階に登り、直ぐにまた悪魔の水瓶が現れた事を知った関根孝と長瀬警備員は、突然の停電による襲撃に居合わせた木戸警備員と水谷里子、そして甕島佳子にこれまでの事情を聞き。探偵と探偵助手である勘太郎と羊野は、段ボールの中から溺死体として見つかった山田茂雄の死体を改めて調べる。


 そんな二人の様子を勘太郎が改めて見てみると、羊野は山田茂雄の顔がかなり汚れているとでも思ったのか、持参してあるもう一つのハンカチで汚れを拭いながらその死に顔をマジマジと見つめていた。


 そんな状況下の中、勘太郎は頃合いを見ながら今自分が気になっている幾つかの疑問を羊野に聞く。


「あの悪魔の水瓶が使うトリックの事なんだが、被害者達が口に咥えさせられていたあの猿ぐつわがトリックの仕掛けの種じゃないのなら一体どうやって被害者達は口の中に水を入れられているんだ? 口や鼻には何もチューブらしき物は一切差し込まれていないじゃないか。たった今見せつけられた軋おさむ部長の死に方を見てもそれは明らかだ。お前の話だと三階で死んだと言う梅塚幸子さんもそんな感じなんだろ!」


「死んだかどうかはまだ梅塚幸子さんの死体を見つけていないのでまだ分かりませんが、彼女のあの何も無い状態から行き成り大量の水を吐いて倒れた所を私と関根孝さんと長瀬警備員が目撃しています」


「まあ、確かに軋おさむ部長の死体もまだ見つかってはいないからまだ死んだと断定はできないが、あれはほぼ確実に溺死しているだろう。苦しみ方が半端じゃなかったからな。それで、本当に奴のトリックの正体は分からないのかよ」


「ええ、今の段階ではなんとも……」


「梅塚幸子さんや軋おさむ部長はいずれも眼鏡を掛けていたからその眼鏡のフレームに細いチューブでも這わせればチューブを鼻に通せるんじゃないのか」


「でもその鼻穴の中にチューブは通ってはいなかったでしょ。それは梅塚幸子さんや軋おさむ部長が水を吐いて溺れるのを間近で見た私達が誰よりもその事をよ~く知っているじゃないですか。少なくともあの二人の鼻や口には水を送り込むチューブのような物は何もありませんでしたわ」


「ならあの二人の被害者は一体なぜあんなにも大量の水を吐き続ける事が出来るんだよ! まさか俺達の前に現れる前に、大量の水を強制的に飲まされている訳じゃないだろうな」


「それは流石にないと思いますよ。あれは飲み過ぎて胃から嘔吐をすると言うよりは、次から次へと胃の中に水を送り込まれて強制的に水を吐き続けるといった感じでしたからね」


「それで、段ボールの中に入っていた山田茂雄の死体の事で他に分かったことはないのか」


「とくには何も。ただ余程苦しかったのか、後ろ手に縛られていた両腕首には索状痕の跡があり、その爪は段ボールの底を必死でかきむしったのか爪が割れて出血した跡がありましたわ。そして足首より下は汚染水で満たされていました」


「そうか、この段ボールの中で溺死させられたと言う事か」


そう溜息交じりに言うと勘太郎は今度は悪魔の水瓶と謎の依頼人の正体について話し出す。


「次はあの悪魔の水瓶とその殺人鬼を雇った謎の依頼人の正体についてだ。先ずは悪魔の水瓶からだ。あの殺人鬼の正体に心当たりはあるか……とは言ってもあの悪魔の水瓶にはあの場にいたみんなが同じく遭遇しているんだから、みんな犯人ではないよな。恐らく悪魔の水瓶はあの社員専用の裏階段を使って逃げ隠れして俺達の前に現れているに決まっているんだ。つまり犯人は俺達がまだ遭遇すらもしていない人物の誰かだ。そうだろう羊野」


「でも悪魔の水瓶が現れた、あの三階と四階の現場にいずれもいなかった人物がいますよ。それはその頃地下一階にいたと主張している緑川章子さんと、五階で隠れていたという水谷里子さんの二人です」


「確かにそうだが、この五階では水谷里子はちゃんとあの水瓶人間と遭遇しているじゃないか。あの停電の中電気を点けにブレーカーを上げに行ってもくれていたしな」


「でも彼女があの悪魔の水瓶を操っている謎の依頼人と言う線も考えられますわ。聞いた話では黒鉄さんとあの甕島佳子さんはこの死体のある広場に二人でいて。他の木戸警備員と水谷里子さんはそれぞれ単独で離れて回りを見張っていたそうじゃないですか。ならこのデパート内の事を知っている木戸警備員か水谷里子さんが密かに電源のブレーカーを落としに行く事も出来るじゃないですか。出なければ停電してから直ぐに黒鉄さんの背後を突くことは先ず出来ませんからね」


「確かに、あれはかなりびっくりしたからな。柄系の電源を開いて明かりを点けたら後ろに水瓶人間がいやがったからな。あれは流石にビビったよ。もしあの時、甕島佳子さんが俺に声を掛けて、尚且つ椅子を投げつけてくれなかったら、今頃俺はどうなっていた事か分かったもんじゃないぜ。本当に彼女には助けられたからな」


「いや、最終的に黒鉄さんを助けたのはこの私ですから、そこは忘れないで下さいね。でもその甕島佳子さんの話では、あの時暗闇の中でもう一人の誰かに襲われたとそう証言していますが、その話は本当なのですか。もしかしたら彼女こそがあの悪魔の水瓶を操る謎の依頼人なのかも知れませんよ。あの時黒鉄さんを助けたのは自分が謎の依頼人である事を隠すために敢えて助けて見せたのかも知れませんよ。つまり黒鉄さんの信頼を得ようと近づいたと言う事です」


「いやいやそれは流石に考え過ぎだろ。彼女はあの黄木田店長の知り合いの甕島直美さんの娘さんだぞ。そんな人物がそう都合良く実は犯人の仲間でしたなんてことはないだろう。もし彼女が謎の依頼人の正体なら俺達が今日この場に来る事を知っていただろうから、こんな日に狂人ゲームは開かないだろう。それだけ自分の正体を探られる可能性が増すと言う事だからな。それに彼女は関根孝さんが働く西条ケミカル化学会社とはなんの関わりもないみたいだし、更には盲目で目だって見えないんだぞ」


「へえ~、目が見えないのに随分といろんな状況に順応して辺りを動き回りますよね。もしかしたら彼女の傍に近づいただけで、その人の気配が分かるのでしょうか。いいえ、もしかしたら目が見えないからこそそんな夜行性の猛禽類のような事が出来るのかも知れませんね。ふふふ、それはそれで面白い人物のようですね。一体彼女は何者なのでしょうか?」


「何者も何も、黄木田店長の知り合いの甕島直美さんの娘さんだろ」


「確かにそうなのですが……なんかもの凄く危険でミステリアスな人だな~と思った物で」


「危険って、何が危険なんだよ。彼女は自分の友人や名も知れない子供の為に危険を帰り見ず、人を助けに行くような人だぞ。十分にいい人じゃないか!」


「まあ、確かにそうなのですが……自らも目が見えないのに随分と狂気じみた勇敢さを持つ女性だなと思いましてね。このデパート内に正体不明の殺人鬼が徘徊していると聞いたら普通の人間はその絶望的な状況に焦り恐怖し、そして助けに行くのを躊躇う物ではないでしょうか。でもこの甕島佳子さんと言う人物はこの危険な状況をとくに気にすること無く友人や子供を助けるためにここまで来ている。しかも目が見えないというハンデがあるにも関わらずです。その状況がなんだか異常だと、そう思ったまでのことですわ。そして最後の可能性は緑川章子さんです。緑川さんはあの悪魔の水瓶にいずれもまだ遭遇してはいませんから、彼女も一応容疑者候補には入るのですが、これはどうした物ですかね」


「どうした物ですかねって、お前まさか仲間を疑うのかよ。それにあいつは一階で悪魔の水瓶に襲われたとちゃんと証言をしているじゃないか」


「でもそれは緑川さんただ一人の証言であって私達は誰一人としてその現場を見てはいませんよね。つまりは彼女にはアリバイがないと言う事です。彼女の自作自演による嘘の証言という可能性だってありますからね」


「あの緑川が俺達に嘘をつくわけがないだろう。いい加減な事を言うな。何度も言うが仲間を疑うなんてどうかしているぞ」


「さあ果たして、それはどうでしょうかね」


「それはどう言う意味だよ?」


「フフフフ、女性には幾つもの秘密と謎があると言う事ですわ」


「なんだそれぁ~、意味が分からないよ」


「関根孝さんの話では、西条ケミカル化学会社が手がけたと言う堤防がある川辺で、あの五年前の大雨の際に堤防が壊れて決壊したその現場に緑川さんも居合わせていたみたいなんですよ」


「な、なんだって、そんな事は俺は二人の口からは一言も聞いてはいないぞ。関根孝さんだけでは無く緑川もそんな事は言ってはいなかったからな」


「関根孝さんの話では、どうやら緑川章子さんはその事を既に忘れていて全く覚えてはいなかったらしいですよ」


「忘れていたって……いくら五年前の出来事とは言え、そんな苦い経験をしたのにそう簡単に忘れられる物なのか。ただ単に忘れたふりをしていただけじゃないのか?」


「それは分かりませんが、少なくとも緑川章子さんはそんな不可思議な事を言っていたと言う事です。そこで黒鉄さんにお聞きしたいのですが、あの緑川章子さんは黒鉄さんの高校時代の一つ違いの後輩だと言う話ですが、この五年間、ずーと黒鉄さんとはお付き合いはあるのですか」


「そんなのはないよ。お前も知っての通り、お前が二年前に我が黒鉄探偵事務所に来てその直ぐ後に緑川の奴が黄木田喫茶店にアルバイトとして働き始めたんだよ。その時以来の知り合いだよ。まあ、高校時代もそんなに話したことは無いしそんなに知り合いでもなかったから、俺が高校を卒業してからはもう二度と会う事はないと思っていたんだが、二年前に黄木田喫茶店で再会してからは何故か向こうの方から俺達に気さくに話しかけて来たよな。だから俺の経営する黒鉄探偵事務所の方もたまに臨時の運転係として手伝ってくれているんじゃないか。まあ、あいつは臆病な性格だから手伝う際はいろいろと文句を言っては来るけどな」


「それで……高校時代の彼女と今の彼女とでは何か変わった事はありますか」


「何か変わった事だって……そうだな、昔の彼女はもっと陰気で内気で頑なで、人との付き合いが苦手な人と言う印象を受けていたけど、今の彼女は明るく陽気で親しみのある性格に変わったよな。人間って月日が経つと性格もがらりと変わる物なんだな~と思ったよ。今は誰にでも気さくに話しかけているみたいだし、人が変わったように優しくなったからな」


「昔は違ったのですか」


「ああ、高校時代は俺が話しかけてももっとツンケンしていたような気がするよ」


「そうですか……彼女に双子の姉妹はいますか」


「どうだったかな……緑川の家族構成の事なんて今まで聞いたことがなかったからな。でも確かいなかったと記憶しているが、でもそれが一体どうかしたのかよ?」


「いいえ、とくに何も……」


「そうか、可笑しな事を聞く奴だな。とにかくだ、緑川は五年前に川辺の堤防決壊時に近所の子供を助けた関係者ではあるが、その事で人を殺すような人じゃ決してないぞ。大体堤防が決壊して数十名の子供達が死んだからといって、この五年間の月日を経て行き成り人殺しはしないだろう。しかもなんの罪のない人を無差別に巻き込んでだ。先ずあの緑川の性格からしてそんな事は絶対にしないだろう!」


「この世に絶対なんて言う言葉はありませんわ。私はその人が犯罪を起こすかも知れないと言う可能性の話をしているのですよ」


「だから緑川は人を殺してはいないと何度も言っているだろう。いい加減にしつこいぞ!」


 後輩でもある緑川章子を疑う言葉を投げかける羊野に対し勘太郎は向きになってその可能性を否定するが、彼女にはちゃんとしたアリバイが無い事は確かだ。それに今現在緑川章子は行方不明になっているので、この話はいったん保留にし、別の話に切り替えることにした。


「もしも水瓶人間かも知れないと言う疑う人物を上げろと言われたら、やはり水谷里子が一番怪しいかな。何せ彼女とは四階に逃げ込んで来るまでは一度もその姿を見てはいないからな。しかも右腕にはあの悪魔の水瓶が負傷した右腕と同じ場所に切り傷を負ったみたいだしな」


「ええ、私もついさっき水谷里子さんからその右腕にある傷口を見せて貰いましたが。今は行方不明の緑川さんも同じ右腕付近に切り傷がちゃんとありましたからね。そこまで犯人と同じ共通点を見せられて彼女を疑わない方がどうかしていますよ。確かに随分と遅い後半から黒鉄さんの前に現れた水谷里子さんも十分に怪しいのですが、はてさて、どうした物ですかね。今現在赤城文子刑事に頼んでこのデパート内にいる全ての人の身元と、過去に西条ケミカル化学会社に関わりのある人物かどうかを調べて貰っている所なのですが、何か面白い情報が出て来るといいですわね」


「いいですわねって、お前。お前も赤城先輩に電話していたのか」


「当然ですわ。警察で人の身元や過去の出来事を調べてくれるのなら、それを利用しない手はないですからね。警察はこのデパート内にはそのルール上入れませんが、私達の情報で調べ物をさせるくらいならルール違反にはならないでしょうからね」


「そうか、なら今は赤城先輩から新たな連絡を待つだけだな」


 不可思議な謎や疑問の残る話に一応は区切りがついた所に、床を調べるように杖を突きながら現れた甕島佳子がこちらの方に歩いて来る。

 そこに勘太郎達と羊野がいるのを分かっているかのように甕島佳子は二人の前まで来ると勘太郎と羊野に笑顔で話しかける。


「どうですか、黒鉄さん。悪魔の水瓶の使うトリックについて、何か分かりましたか」


「あ、佳子さん。いいえ、まだ得には何も。そんな事より佳子さんの方は大丈夫ですか。あの暗闇の中、犯人らしき人に抑え込まれて数十メートルほど廊下を引きずられたそうですが、怪我はしてはいませんか」


「ええ、私は大丈夫です。でも黒鉄さんは危なかったそうですね。でも良かったですね。何事も無くて」


「ええ、運良くこの場に羊野の奴が駆けつけてくれましたからね」


「へえ~、あの相棒さんがですか。それは危機一髪でしたね」


「おい、羊野、お前も挨拶をしろ。彼女とちゃんと面倒を向かって話すのはこれが初めてだろ」


 そう勘太郎に促された羊野は、被ってある羊のマスクを脱ぎながら近くにいる甕島佳子に目を合わせる。

 酷くくすんだ瞳を閉じながら和やかに微笑む甕島佳子に対し、羊野も負けずと万遍の笑顔をみせながら彼女に近づく。


「こんにちは、甕島佳子さん。どうやらうちの上司がすっかりお世話になったみたいで、大変申し訳ありません」


「いえいえ、黒鉄さんにはいろいろと助けられてばかりですわ。私が廊下で転ばないようにとさりげなく物を避けてくれますし。大変助かっています。しかも私のわがままを聞いてくれて一緒に同行まで許してくれるだなんて、感謝しても仕切れないくらいですよ」


「そうですか……ではお互い様と言う事ですか」


「まあ、そういう事ですわね」


「でもこのままでは私としては大変心苦しいので、ここはちゃんとお礼をしないといけませんよね」


「いえいえ、お礼だなんて、そんな気は使わないで下さい。」


 ニコニコしながら羊野が甕島佳子に近づくと、羊野は行き成り目をギラギラとさせながら身につけている厚手の白いロングスカートの下から両太股に装備してある右側の打ち刃物の包丁を一振り取り出すと、目にも止まらない凄まじい早さで甕島佳子の左首元に包丁を叩き込む。


「な、お前……羊野。佳子さんに一体何をするんだ!」


 羊野の突然の思わぬ行動に焦りながらも叫ぶ勘太郎は刃を突き立てられた甕島佳子を本気で心配するが、当の甕島佳子は羊野が放った包丁を持つ右手を首に当たる寸前の所でがっしりと止めると、羊野の右手首を物凄い力でひねり上げる。


「フフフフ、これはまた随分と過激な挨拶ですわね。羊野さん、これが貴方が言うお礼とやらですか」


「黙りなさい、この狐女が! あなたからは嫌な臭いがさっきからプンプンとしますわ。あなたは一体何者ですか。静かに澄ました顔をしていてもあなたの体から漂う嫌な殺気は隠し切れてはいませんわよ!」


「嫌な臭い? 殺気? 一体あなたが何を言っているのかは分かりませんが、この服の臭いはあの悪魔の水瓶に汚染水を吹き付けられた時に衣服に付着したにおいですから、別に私が臭い訳ではありませんよ。それに私から殺気が見え隠れしていると言っていましたが、つい先ほどまで危険な目に遭っていたのですから、アドレナリンが大量に分泌していてまだ興奮状態にあっても別におかしくはない事だと思うのですがね……そうは思いませんか、白い羊の狂人さん!」


 そう皮肉を言いながら甕島佳子は物凄い腕力で羊野の右手首を力強くねじり上げる。


 グリグリ……グ・グ・グ・グ!


「羊野さん、あなたの力はそんな物ですか」


「こ、この女、よくも!」


「フフフフ、あなたがなぜ私に行き成り攻撃をして来たのかは分かりませんが、来るのなら受けて立ちますよ。それで、これからどうするのですか。このまま先頭に突入ですか……それとも私に降参をしますか」


「あなた……かなり面白いですわね。今決めましたわ。あなたは今ここで確実に殺す!」


「フフフ、私を殺すですって。中々に面白い冗談ですわね。あなたごときにそれが出来るといいのですが!」


 その甕島佳子の挑発の言葉を合図に、羊野は左の太股に装備してある包丁を素早くぬくとその包丁を甕島佳子に向けて叩き込もうと直ぐさま身構えるが、応戦する甕島佳子の方も右手に持つ木の杖の先を羊野に向けながら腹部に叩き込む体勢を取る。

 そんな殺気溢れる二人の間に勘太郎がすかさず割って入る。


「お前らちょっと待て。出会ってそうそう行き成り殺し合いさながらの喧嘩を始めるだなんて、一体何を考えているんだ!」


 あたふたしながらも必死で止める勘太郎の声を聞きながら、甕島佳子はねじり上げていた羊野瞑子の右手首を仕方が無いといった感じで放す。


「羊野さんどうやらあなたとは気が合わないみたいですね。この喧嘩の続きはまた今度にしましょう。ですから今はあの水瓶人間『もどき』を先に何とかして来て下さい。それまであなたとの勝負はお預けです」


「ふん、あなたに言われなくたってそんな事は分かっていますわ!」


「フフフ、そうですか、なら安心しましたわ。どうやらそろそろ最終ステージの様ですからね。しっかりと仕事をして事件を解決して来て下さい。では私は水谷里子さんの方に行っていますね。それと黒鉄さん、あの犯人に捕らえられている子供のことはどうかよろしくお願いしますね」


「子供って……そんな人質が本当にいるのかよ」


「ええ、必ずいますわ。それと……水瓶人間の方もよろしくお願いしますね」


「任せて下さい。水瓶人間は俺達が必ず捕まえて見せます!」


「う~ん、そういう事ではないのですが、でもまあいいか。ではよろしくお願いしますね」


 何かを言いかけたようだったが、甕島佳子は勘太郎にお辞儀をしながらその場から離れていく。そんな甕島佳子を警戒しながら羊野は厳しい眼差しで睨みつける。


「一体どうしたと言うんだ、羊野。俺を何かと助けてくれた佳子さんに対して失礼じゃないか」


「黒鉄さん、一つ警告します。あの人はいろんな意味でとても危険な気がします。何を考えているかまだよく分からない人には出来るだけ近づかない方がいいと思いますよ。さっきも言ったように彼女からはとても嫌な臭いがします」


「まさかそれは、甕島佳子さんがあの水瓶人間かも知れないと、そう言っているのか。それは流石にあり得ないだろう。確かにお前の早業とも言える包丁の一撃を冷静且つ見事に防いだばかりか、更には相手の右手首を凄い力でねじり上げて見せるとは、それだけでも恐ろしい超感覚と凄まじい力を持った驚異の人物だと言う事は十分に理解はできる。だがそれでも、だからこそ彼女があの悪魔の水瓶になるのは先ず絶対に無理なんだよ」


「絶対に無理とは一体どう言う事ですか」


「決まっているだろう、彼女は目が見えないんだぞ。このデパート内の内部を歩いて全てを調べ尽くしているこの建屋の中ならともかく。一週間前に起きた十二人殺しを起こしたという痛ましい惨劇があったあの別荘や、悪魔の水瓶が起こした他の犯行現場とか、他の事件であの水瓶人間が関わっている様々な場所で犯行を繰り返す事は甕島佳子さんには先ず出来ないと言っているんだよ。目が見えているのならともかく、目が見えないのは甕島佳子さんにとっては恐らくは最大のハンデだろうからな。その知らない場所で隠れている人を捜し出す為に走り回ったり、更には逃げ惑う人を追いかけて殺すことなど先ず絶対に出来ないと言っているんだよ」

「確かに……目が見えなくても自由にいろんな場所を動き回れるその仕掛けや疑問を解かない限り、彼女が水瓶人間であると言う疑惑を追求する事は先ず出来ませんからね。そこの所が本当にもどかしい所ですわ」


 もしかしたら甕島佳子が悪魔の水瓶かも知れないと羊野はさも当然のように考えているようだが、これと言った証拠がないのでこれ以上は彼女の疑惑を追求する事は出来ない。昔円卓の星座の中で犯罪を行っていた経験者の立場から察するに、羊野はあの独特の雰囲気を持つ甕島佳子に必要以上の警戒と危機感を抱いているようだった。


「甕島佳子さんの事は今は置いといてだ、ついにこのデパートの最上階の六階に今から向かう訳だが、そろそろその六階が恐らくは最後の最終ステージとなるようだな」


「多分そういう事になりますわね」


「今も行方不明になっている緑川の事や、西条社長やその子供の安否もかなり心配だが、その答えも恐らくはこの上に行けば全てが分かる事だろう。と言うわけで俺達も準備が整い次第に上へと向かうぞ」


「ええ、分かりましたわ、黒鉄さん」


 そう羊野が答えたその時、行き成り羊野が持っているスマートフォンの携帯電話の着信音が高らかになる。


 プルルルル……プルルルル……プルルルル!


「あ、赤城文子刑事さんから電話が来たのでちょっと席を外しますね」


 そう言うと羊野はそそくさと勘太郎の前から離れていく。


 何だよ赤城先輩からの電話ならここで話せよ……と思いながら、勘太郎は遠くで電話に出る羊野を静かに見守るのだった。

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