第3話 『高田傲蔵和尚と勘太郎の戦い』  全29話。その24。


            3


 時刻は深夜の二時〇五分。

 東側の鳥居から伸びる木の板に沿いながら真っ直ぐに歩いてきた勘太郎はついに天馬寺にたどり着く。


 玄関先まで来ると勘太郎は決意が決まらずこれからどうしようかと5分ほど迷ったが、仕方なく引き戸の横にある呼び鈴を鳴らす。


「夜分にすいません、黒鉄ですけど、高田傲蔵和尚はご在宅でしょうか」


 呼び鈴を鳴らしながら勘太郎が引き戸の前で呼びかけると、いつの間にか引き戸の前まで来ていた一人の信者らしき中年女性が静かに引き戸を開ける。そのいきなりの出来事に勘太郎は内心かなりびびっていたが、その女性信者は生気の無い笑みを浮かべながら小さな声で話出す。


「あなたが黒鉄さんですね。話は高田傲蔵和尚から聞いております。高田傲蔵和尚は二階の自室にてお待ちかねです」


 青白い顔をしながらふらふらと歩くその女性信者はまるで絵に描いたかのような和風の幽霊の姿を連想させるが、勘太郎はそんな怪しさ漂う中年女性の後ろに仕方なくついて行く。


 薄暗い廊下を歩く度に軋むその木の板の音が勘太郎の恐怖心を更に上昇させていたが、途中ある部屋の前まで来るとその独特な気配と不気味な光景につい目が行ってしまう。

 その光景とは、四十数名もの信者達がテレビしかない真っ暗な部屋の中で座禅をしながら独り言を言っている、そんな光景だった。


 何も放送されてはいない砂嵐の画面をじっと見つめながら、信者達は皆一斉に笑顔で天馬様を称える言葉を語り、そして繰り返す。

 勿論各部屋の引き戸の窓ガラス部分から中の様子を見る事が出来るのだが、やはりかなりやばい疑惑付きの宗教団体なだけの事はあり、どの信者も自分の意思を持たないただの盲目的な信者に成り果てていた。


「天馬様好きです。天馬様信じています。天馬様ありがとう御座います。天馬様だけが真実です。天馬様の言う事は全て本当です! 天馬様万歳! 天馬様万歳! 天馬様万歳!信じる者は救われます。どうか神のご加護を。この素晴らしい教えを下界に住む可哀想な人達にも教えてあげましょう。一人でも多くの人達を救い、この属せで汚れてしまった迷える者達を直ぐにでも救済して上げましょう!」


 まるで洗脳教育のような修行の部屋を勘太郎は不気味に思いながらも何とか通り過ぎたが、残念な事にその廊下の先にも当然のごとく幾つもの特殊な教育部屋が続く。

 そんな奇っ怪な出来事を見てしまった勘太郎は何とか冷静さを装うが、まるで心の弱さを見透かされたかのように誰もいないと思われていた天馬寺の本堂の方から何十人もの信者達のお経を読む声が一斉に聞こえてくる。


「ほ、本堂の方に人がいたのか? 俺が外から本堂の方を見た時は人の気配は微塵も感じなかったし明かりだって全部消えていたぞ。それなのに本堂の方から数十人ものお経を読む声が聞こえて来る。くそ、まさか俺をビビらせて密かに楽しんでいるんじゃないだろうな。一体この寺はどうなっているんだ!」


 異様な恐怖に包まれる自らの心を誤魔化すかの用に勘太郎が声を上げると、その女性信者は勘太郎の方を向きながらただ怪しげにクスクスと笑う。

 そんな中年女性の信者と一緒に階段を登り二階のある部屋まで案内された勘太郎は、きらびやかな豪華な襖で飾られた高田傲蔵和尚の自室の前へと立つ。


「すげ~え! なんだこれは」


 目の前には金と銀の細工を施した豪華絢爛の大きな襖絵が勘太郎の眼前に広がる。

 ここで暮らすほとんどの信者達は皆全ての財産をこの天馬寺に寄付し、時間も行動も自由も全て制限され、質素な衣食住だけで今この宿舎の中で暮らしている。なのにこの寺の主でもある高田傲蔵和尚だけは人目にはばかること無くその信者達から集めた多額なお金で天馬寺の見栄えを良くする為に建物の外壁や装飾品につぎ込み、その主権力で贅沢三昧を謳歌しているようだ。そのせいもあり、この高田傲蔵和尚の自前の部屋だけは他の部屋とは違い特に豪勢な作りになっていた。

 そんな襖絵のきらびやかさを見て勘太郎の心にふつふつと高田傲蔵和尚に対する言いしれぬ怒りが込み上げて来る。


 天馬様の言う奇跡の力とやらで散々信者達を騙し、その信者達から巻き上げた資産や信用で私腹を肥やしていようとは断じて許される事ではない。

 しかもその体制に疑問を抱き脱退しようとする信者達には、見せしめとばかりに死の制裁を加えてその罪を正当化するなど決してあってはならない事だ。

 そんな正義の怒りに掻き立てられた勘太郎は、中で待ち受ける高田傲蔵和尚に会う為、その豪華な襖をゆっくりと開ける。


「失礼します。黒鉄です」


「黒鉄……? ああ、黒鉄の探偵か。いいぞ、中に入りなさい」


 そう高田傲蔵和尚に言われ部屋の中に入った勘太郎は更に驚かされる。

 広間のように大きな畳部屋に置かれた右側の棚には純金で造られていると思われる様々な仏像の置物が何十個も並び。左側の棚には高そうな伊万里焼の皿や掛け軸と言った、いろんな値打ちのありそうな骨董品が綺麗に置かれている。

 勘太郎はその高価そうな品々を横目で見ながら歩き出すと一番奥の上座の椅子に座る高田傲蔵和尚の三メートル前に立つ。


 勘太郎は真剣な顔をしながら目の前にいる高田傲蔵和尚をにらみつける。


「高田傲蔵和尚、俺が何故ここに来たのか、もう分かっていますよね」


「ふん、何をしにここへ乗り込んできたのかは知らんが、黒鉄の探偵、お前の言っている事がイマイチわからんのだが?」


「しらばっくれるんじゃない。あなたが崇める天馬様を使った天空落下トリックの謎も、そしてその身勝手な殺人やその動機も、もう全ての悪事はお見通しなんだ。だからもういい加減に無駄な抵抗はやめて全ての罪を認めるんだ。そしてあんたがこの寺の何処かに監禁している春ノ瀬桃花を無事に返して貰うぞ!」


「うぬぬぬぬ……こ、こやつ……このワシにあくまでもたてつこう言うのか」


「当然だ、罪を犯したなら当然あんたは日本の法律に乗っ取って裁かれなけねばならない!」


「ふん、この神の代弁者たるワシをその地位から引きずり下ろそうと言うのか。おぬしは神をも恐れぬか、この不届き者が! だがまあいい、ハハハハ、ワシは知っているぞ。人間の本来の欲の強さをな。どんなに立派なことを言っている人間でも、その大きな強欲と言う利権を掲示されたら人はその誘惑には決して逆らえないのだよ。当然黒鉄の探偵、お前も本当はそれが目的なのだろう。ほ~れ受け取れや、これくらいで足りるかな!」


 目の前にいる勘太郎と対峙した高田傲蔵和尚は後ろにある大きく頑丈な鉄の金庫から数え切れないほどの札束を取り出すと、その中の5~6個の万札の束を無造作に勘太郎に投げつける。その姿はまさに絵に描いた様な悪徳の強欲ぶりだった。


「カカカカカーッ、黒鉄の探偵よ、ここはその金でお互いに手打ちにしないか。我々もいい大人なのだから、ここは互いにいい引き際と言う物があるだろう。狂人ゲームの参加者でもあるお前達が引けば自ずと他の警察達もこれ以上この事件には無闇に介入する事は出来ないからな。それで全てが上手く収まるのだよ。そうすればワシも天馬様に頼んで春ノ瀬達郎さんの娘の命だけは何とかしてみせようぞ」


「やはりあなたと円卓の星座の狂人・強欲なる天馬とは繋がっていたのか。それでこの金は一体なんだ。まさかその札の束で俺を買収でもするつもりか。見損なうなよ、俺はそんな汚れた金は受け取らないし、いくら金を積まれたって人殺しの罪を帳消しには出来ないぞ。お前は牢獄で自分の罪を懺悔するんだ!」


「カカカカカッ、無理をする物ではないぞい若いの。知っているぞ。今お前の探偵事務所は財政難でひもじい思いをしている事をな。かっこつけてないで大人しくこの金を受け取ってこの町から離れればそれでいいのだよ。勢い勇んで天馬寺に来てはみたが結局は事件を解決する事はできなかったと言えば皆が納得するのだからな!」


「俺は依頼人でもある春ノ瀬桃花と約束したんだ。必ず君のお父さんをこの天馬寺から解放すると。そしてこれまでに人を何十人も死に追いやってきたその不可思議な天空落下現象の謎を解き明かし、その驚異のトリックを操る狂人・強欲なる天馬の正体をつかんで見せるとな!」


「フン、高々一人の小娘の為に底までやるとはな、非効率すぎだぞ。あの親子がお前に十分な依頼料など払えないことはもう分かっている事ではないか。なら話は簡単だ。仮にもお前も会社を経営しているのなら私が出した札束を受け取ってこの事件とあの親子から手を引いた方がいいのではないかな」


「ふざけるな。仮にも二代目・黒鉄の探偵を名乗るこの俺が悪党との取引に応じる訳がないだろう。金の力で人の決意を、覚悟を変えられるとは思うなよ!」


「はぁ~っ、そうか。世間の常識と照らし合わせながら、自分の正しさや思いを胸に正義を振りかざす、そう言う類いの人間がたまにいるんだよな。全く何を考えているかは分からんが、お前もその口か。この勘違い野郎が! 世の中は金と欲に満ちているのだ。その世間の荒波に揉まれながらも空気を読む事も出来ず賢く振る舞えない奴は例えどんな死に方をしても文句は言えんぞ!」


 交渉に失敗した高田傲蔵和尚は殺意に満ちた目を勘太郎に向けるが、負けずと勘太郎も勇気を出して声を凄ませる。


「単刀直入に言おう。春ノ瀬桃花と春ノ瀬達郎の二人を大人しく帰して貰うぞ。そして貴方は大人しく誘拐罪・監禁罪・詐欺罪・恐喝罪・脅迫罪・横領罪・殺人罪その他諸々の罪を認めるんだ!」


「クククク、高々民間の小さな事務所の一探偵が、警察の真似事だとう。面白い事を言うではないか。当然ワシを捕まえると豪語するのなら証拠は見つかっているのだろうな。このワシが天馬様と結託して人を騙し悪事を働いたと言う証拠がのう」


「ここまであからさまに俺を買収しといて、今更逃げられると本気で思っているのか」


「逃げられるも何もワシは天馬様のご神託を告げるだけのただの神の代行者だよ。春ノ瀬桃花の事だって何処かに失踪した事は聞いてはいるが、我が天馬様の力を借りれば無事にその居場所がわかると申しているだけだ。その失踪事件に我らが関与しているなどとは一言も言ってはいないぞ」


「失踪直前にその春ノ瀬桃花がこの天馬寺にいると告げているんだがな。それにその数分後に春ノ瀬達郎さんからも天馬寺にいる娘を助けてくれと言う連絡だって貰っている。だからそんな言い逃れは出来ないぞ!」


「春ノ瀬達郎修行僧がこの夜が深まる時刻に密告だと……ありえん、そんな事がある訳がないだろう。このワシをハッタリで揺さぶりを掛けるつもりだな。そうは行かんぞ!」


 勘太郎が出した春ノ瀬達郎の名前が以外だったのか、高田傲蔵和尚はそんな事はあり得ないと一蹴するが、勘太郎は思う。なんだ、この春ノ瀬達郎に対する絶対的な信頼感はと。普通に考えたら春ノ瀬桃花がこの天馬寺に監禁されている事を知ったら高田傲蔵和尚の意に反して警察に通報する事くらいは分かるはずなのだが、彼はそんな事は絶対にしないという信頼と確信がこの高田傲蔵和尚には確かにある。だから俺の証拠となる言葉も高田傲蔵和尚にはただのハッタリに映ったのかも知れない。


 そんな二人がこの事件の罪に対しての問答をしていると「なら私が貴方が行った全ての罪となる証拠を提示して見せましょうか」と言う声がこの大部屋に響き渡る。部屋の襖の入口から堂々と現れた羊野瞑子である。


 羊野は被っている不気味な白い羊のマスクの赤い眼光を高田傲蔵和尚に向けると真っ直ぐに勘太郎の隣まで歩いてくる。


「以外と早かったじゃないか、羊野。それでお前の用とやらはもう済んだのか」


「ええ、バッチリですわ。その証拠となる品物も何とか回収出来ましたし」


 そう言うと羊野は小さな声でクスクスと意味ありげに笑う。


「高田傲蔵和尚、貴方が知っているか知らないかは分かりませんが、黒鉄の探偵を名乗る者は謎の秘密組織・円卓の星座の狂人が絡む事件に関しては自由に日本中を捜査が出来る権限と逮捕状無しに相手を逮捕する権利が認められているのですよ。だから何も出来ない一民間人の探偵なんかと馬鹿にしていたら足下をすくわれますよ。伊達に狂人ゲームを生き抜いて来た探偵では無いのですから。この黒鉄の探偵は」


「羊野瞑子……元円卓の星座の狂人にして白い腹黒羊と呼ばれていた狂人か。噂は聞いているぞ。物凄く凶悪で狡猾な狂人だと言う話ではないか。だが、そんな輩がなぜ円卓の星座の狂人をやめてこの探偵とつるんでいるのだ。その理由がさっぱり分からん?」


「そう言う個人的な私の話はどうでもいいですわ。今は春ノ瀬桃花さんの行方と、今夜の夜の二十三時四十分頃に天空落下現象でまたも死亡した長野県警の刑事さんの事ですわ!」


「そう言えばお前今、証拠となる品物も回収出来ましたし、とか言っていたな。それは一体どう言う代物なんだ?」


 その思わぬ転回と唐突な話に高田傲蔵和尚は怪訝な表情を浮かべながら否定の言葉を叫ぶ。


「フン、そんなはったりがこのワシに通じるとでも思っているのか。バカバカしい。ワシを余り愚弄するとお前達にも天馬様の天罰がくだる事になるぞぉぉ!」


「フフフッ、天罰ですか。どうやらあなたはまだ気付いてはいない用ですわね。もはや天空落下トリックの仕掛けのカラクリは既に見破られているということに。このトリックを見破れたのは、ある意味全てあなたのお陰なのですよ。高田傲蔵和尚さん」


「な、なんだと、ワ、ワシのお陰だと、一体どういう事だ。ちゃんと説明しろ?」


 羊野の言葉に流石に面食らった高田傲蔵和尚は直ぐさま説明を求める。


「この天空落下トリックには本当に驚かされましたわ。まさか本当に何も無いお空から何の前触れも無く人を落とす事が出来るだなんて一体誰が想像出来たでしょうか。普通の人なら空から人が落ちて来た瞬間を目撃しても高い木の上や高い高層ビルから落ちたのでは無いかと先ず思うでしょうからね。だからこそ何も無いお空から人が落ちてきたとわかると人は不可思議だとパニック状態に陥る訳です。これはテレビで見たあの高田傲蔵和尚が言っていたように神の仕業では無いかと疑心暗鬼となり。そして当然お空から落ちてきたその被害者の体には犯人と繋がる証拠は何一つとしてなく、一体どんな方法で人が空から落ちて来たのかが分からないのでこれが本当に殺人事件であるかどうかすら分からなかった事でしょう。なにせ前もって人の死の予言を言っていたのは高田傲蔵和尚さんくらいですからね。だから彼が一番怪しいと警察は常日頃からマークをしていたのですが、宗教法人と言う厚い壁に阻まれて今まではろくに天馬寺の中を捜査する事が出来なかった。だからいくら死体が落ちた現場を検証しても現場からは犯人に繋がる証拠……つまり高田傲蔵和尚と繋がる証拠は何も見つからなかったのです。分かったのは被害者が地面に落ちた際にその死体の損傷からどの方角から落ちてきたかと言う事と、その事件にもしかしたらこの天馬寺が深く関わっているのでは無いかと言う事だけでした。なにせその天空落下現象で死亡した人の半分がこの天馬寺の信者達ですからね。それは疑うなと言う方が無理と言う物でしょう。ですがそれが人の殺人では無いと否定せしめたのが天馬様と言う馬の神様の存在です。このいるかいないのかよく分からない神様のせいでこの殺人事件の犯人やその犯行はあやふやにされてきた訳です。でも今回この天馬寺に家宅捜査に入る事が出来た事で天馬寺の天空落下現象の謎を解き明かす事が出来ましたから、その謎を今からお話しますわ」


「一つはあの東側鳥居のマンホールで見つけた遠距離用の天空落下トリックの事だな」


 勘太郎はさっき東側鳥居のマンホールで見てきた事を言うと、羊野は勘太郎に一瞥しながら直ぐに続きを話出す。


「遠距離用の天空落下トリック殺人の長所は時間に関係なく人を殺せると言う点です。例えば殺された山本拓也さんとその三人の被害者達を例に上げれば、山本拓也さんの天空落下トリックの証拠をつかんだぞと言うハッタリに疑心暗鬼になった貴方は、その数時間後の夜の二十時に山本拓也さんとその三人の会員達を誘拐しましたね。赤城刑事にその死体を調べて貰った結果、その体からは僅かですが睡眠薬の成分が検出された見たいですから、恐らくは十九時に一緒に夕ご飯を食べた時にでも、同じくその事務所にいたスパイの原田げんに睡眠薬を盛られた物と思われます。その後天馬様に賛同する過激な思想を持った一部の信者達はその先導者でもある馬人間に導かれながら、眠っている山本拓也さんとその三人の会員達を密かに誘拐し天馬寺へと連れ帰り。そして天馬寺の東側鳥居のあるマンホールの穴からその者達を突き落として彼らを殺害したのですよ。そうではありませんか、高田傲蔵和尚。全ては貴方の命令で!」


「知らんな。お前がさっきから何を話ているのか、ワシには一向に理解できんぞ」


「その証拠となる東側鳥居のマンホールの穴から人を落とすトリックの仕掛けはとうに見破られているのですから、もう言い逃れは出来ませんわよ。その後どうやってその死体を現場まで運んだのかはもう既に赤城刑事が知っていますから、後の詳しい話は警察との取り調べで話てくれると思いますよ」


「それで、もう一つの短距離用の天空落下トリックとは一体どんな物なんだ? この二つのトリックが合わさっていたからこそ長野県警の警察やこの町に住む人々の目を今まで欺けたのだろう」


「そうですわね。その答えはそろそろ高田傲蔵和尚自身が教えてくれると思いますよ。そうではありませんか。高田傲蔵和尚。なにせ人を殺したと言う証拠がバレてしまった貴方としては是が非でも私達をここから返す訳には行かないでしょうからね。だからもう既に人を殺す覚悟と決意は固まっている事でしょう。だから最後はその自慢の短距離用の天空落下トリックで私達に脅しと揺さぶりを掛けてくる……そうではありませんか」


 天空落下トリックの殺人の証拠となる一端を話した事でこれから高田傲蔵和尚がどのような行動に移るのか予測が出来た羊野は更なる決定的が証拠を突きつける。そんな羊野に高田傲蔵和尚はこれが最後の質問とばかりに一つ聞き返す。


「フン、最後に一つだけどうしても腑に落ちん事がある。その答えを聞かせてくれんかの?」


「あら、一体なんの話でしょうか」


「お前、いつから我が犯人かも知れないと確かな確証を得たのだ」


「まあ、最初から疑ってはいましたが、それが確信に変わったのはあなたとの事情聴取の時でしょうか。同じく事情聴取を行っていた有田道雄さんや早見時彦さんらは、私が話の途中に馬人間から強欲なる天馬と言う名前をそれとなく変えたその言葉に何を言っているのだと直ぐに反応が返って来ましたが、貴方は馬人間と言う言葉のフレーズから強欲なる天馬と名前を差し替えても特にこれと言った反応はなかった。つまり有田道雄さんや早見時彦さんは円卓の星座の狂人の事は知らないからそんな反応が返って来ましたが、貴方は強欲なる天馬の事を……その二つ名を最初から知っていたから何の抵抗もなくスムーズに私の会話を聞く事が出来た。そうですよね」


「なるほどな。あの事情聴取の会話の中にそんな小賢しいギミックが隠されていたのか。これは抜かったわ。確かに他の信者達は皆天馬様の事を馬人間と呼ぶが、誰も強欲なる天馬とは呼ばないからな。そしてワシとお前達との会話の中にお前がさりげなく忍ばせた、このワシしか知り得ない強欲なる天馬と言う呼び名をついワシはなんの疑問も抱くこと無くつい聞き入れてしまった。だからお前はワシと円卓の星座との関わりを疑い出したのだな、そう言う事だろう。だからこそお前はあの春ノ瀬桃花をワザと言葉で不安にさせ、更にはたきつけるかのような遠回しの言葉で、我らがいるこの天馬寺に彼女が潜入出来るように仕向けたのだな。勿論春ノ瀬桃花の生死はいとわずにだ。全く無慈悲で恐ろしい事を考える羊の化け物だよ。お前は」


「ホホホホッそんなに褒めてもなにも出ませんわよ。でもそんな私の話を聞いてあなたはこう思っているのではありませんか。なら証拠となる品物とは一体何なのかと? 私達に電話を掛けていた春ノ瀬桃花さんの証拠となる会話を辛くも寸前の所で阻止し。更にはその証拠となる物の持ち物検査までしたのですから、証拠となる物などは何一つとして見つかるはずが無いと貴方は考えている。そして後はその証拠を目撃していると思われる春ノ瀬桃花さんと私達の口を封じるだけですからね。でもあなたはもう一つ肝心な事を見落としているのではありませんか」


「何だと、それは一体どう言う事だ?」


「この天馬寺に私の言葉で導かれたのは、何も春ノ瀬桃花さん一人だけでは無いと言う事ですよ。もう一人いましたよね。この天馬寺に潜入していたある人物が」


 その羊野の言葉に勘太郎と高田傲蔵和尚は何かを思い出したかのように直ぐさま反応する。


「あの天馬寺に潜入していた長野県警の刑事は、お前の差し金だったのか」


「ちょっとまて高田傲蔵和尚、あの長野県警の刑事は家宅捜査の途中にあんたらが誘拐し、監禁したのでは無いのかよ」


「いいや、違うあの刑事が勝手に潜入して天馬寺周辺をスマホで撮影していたのだ。その時たまたまその長野県警の刑事は東側鳥居のマンホールのトリックに気付いたから我々としてはそのまま返す事が出来なくなって、彼には天空落下トリックの犠牲になって貰ったのだが。あの刑事を天馬寺に潜入させて、東側鳥居のマンホールの事を教えたのも白い羊、お前だな!」


「ホホホホッ私はただあの東側鳥居のマンホールの仕掛けのことをそれとなくその刑事さんに教えてあげただけのことですわ。何でもその刑事さんはエリートの野心家でどうしても上に出世したかったみたいでしたから、この天馬寺の天空落下事件をあなた一人の手で解決で来たら直ぐに出世は間違いないでしょうねと持ち上げたら私の制止を押し切って勝手にこの天馬寺にとどまったみたいなんですよ。私もついうっかり彼の向上心に火が付くような言葉を言ってしまった事には多いに反省はしますが、その言葉を聞いて勝手にあの場に残ったのはその刑事さん自身の責任なのですから捕まってしまったのはいわば自業自得と言う物ですわ。でも結果的にはその名も知れない長野県警の刑事さんのお陰で短距離用の天空落下トリックの正体が分かったのですから彼も本望だと言った所でしょうか」


 羊野のその非常な言葉に勘太郎は直ぐさま言い返す。


「何が本望だ。お前がその長野県警の刑事さんをそう行動するようにたきつけたんじゃないか。あの春ノ瀬桃花だけに飽き足らず、まさか地元の刑事さんまで利用するとは、お前は一体何を考えているんだ!」


「私はその刑事さんに天馬寺に行けとは一言も言ってはいませんよ。ただ今回の天空落下トリックの仮説と証拠を少し話して、この事件を解決にいたる証拠を誰かが見つける事が出来たら直ぐに出世は間違いないでしょうねと独り言を言っただけの事ですわ。だから私は何もしてはいませんし、避難されるのはお門違いと言う物ですわ」


「よくもぬけぬけとそんなでまかせが言えるな。お前のことだ。ただ闇雲にその刑事さんを天馬寺に誘導した訳ではないだろう。あの春ノ瀬桃花とセットでその天空落下トリックを見破ったんだな」


 その勘太郎の言葉に、今度はその答えを高田傲蔵和尚が言ってのける。


「つまりだ、家宅捜査中に天馬寺に潜入したあの長野県警の刑事が後に捕まるのは想定済みで、その後天馬寺に潜入した春ノ瀬桃花にその天空落下トリックで殺害する現場を見せつける事が本当の目的だったと言う事か」


「はい、ですから私はあの東側鳥居のマンホールの仕掛けを見つけた時に、その証拠となる仕掛けを(囮となる長野県警の一人の刑事さんと春ノ瀬桃花さんは例外として)誰にも教えずにちょっとした罠を家宅捜査中の最後の時刻に仕掛けていたのですよ。その罠とは、その長野県警の刑事さんが本来持っていた捜査状況を映す為に使われていたデジタルカメラですわ。そのデジタルカメラをお借りして東側鳥居のマンホールが見える木々の中にわざわざセットして隠していたのですよ。勿論時間指定のタイマー式ですから、もしも今夜にでもその刑事さんが不幸にも捕まって、その謎のトリックが起動する瞬間を映す事が出来たら、東側鳥居のマンホールのある所からその刑事さんが殺される所を撮影できると思ったまでの事ですわ。まあ、その山勘が当たって良かったと言った所でしょうか」


「白々しい、なにが山勘だ。なら夜の二十二時頃に天馬寺に侵入者がいると謎の密告が公衆電話からあったのはお前の仕業だったのか。白い羊」


「さあ、一体なんの事でしょうか。私にはさっぱり分かりませんわ」


「トリックの正体を探るためとはいえ、事件を解決する為だったら手段を選ばないその非人道的な狡猾ぶり、ワシが言うのも何だが恐ろしい奴よ。黒鉄の探偵、分かっているのか。お前はこんな恐ろしい狂人とタックを組んで我らに挑んでいるのだぞ。この小娘に人助けとか、情なんて物は一切無い。ただ我々とのゲームを楽しんでいるだけに過ぎないのだからのう。そしてその為ならその捜査方法は一切厭わないだろうよ」


「羊野と高田傲蔵和尚、あんたらの話はよ~く分かったが、詰まるところ短距離用の天空落下トリックの正体は一体何なんだ? 電話を掛けてくれた春ノ瀬桃花の話から推測するに、その長野県警の刑事は山本拓也さんの時のように東側鳥居のマンホールから下に落とされたのではなく、何らかの方法で直接空に飛ばされているみたいだな。それがもう一つの短距離用の天空落下トリックと言う事か。そしてそのトリックによって飛ばされるその瞬間を羊野が事前に草木に仕掛けていたデジタルカメラでしっかりと撮影できていたと言う事か。そしてその近くに春ノ瀬桃花がいた事も勿論偶然では無い。何故なら強欲なる天馬が探していた春ノ瀬桃花を捕まえる事によってあんたらには僅かな安心感が生まれたはずだ。どうやってなんの目的で一人で潜入して来たかは考えただろうが、彼女を捕まえた安心感から、本来の羊野が仕掛けたもう一つの罠の糸が見破れなかったと言った所か。恐らく羊野の考えでは、春ノ瀬桃花と長野県警の刑事さん、どちらが飛ばされても構わないと思っていたのだろうが、出かける前に春ノ瀬桃花には事前にあの東鳥居の傍で待機するようにと命じていたのではないのか。そうでなかったらあの場所で春ノ瀬桃花は捕まらなかっただろうし、あの長野県警の刑事さんが殺される瞬間を目撃する事もなかったのだからな。だがそんな春ノ瀬桃花があの場所で捕まる事には意味があった。なぜならあの東側鳥居のマンホールがあるこの場所で高田傲蔵和尚には犯行を起こして欲しかったからだ。なにせその隠しカメラが仕掛けてある場所は、アングル的にその東側鳥居のマンホールが見える草木の中だからだ。その決定的証拠が撮影出来たからこそ羊野は強気なのだな」


「そんな証拠が本当にあるものか。信じぬぞワシは。お前はただ単にハッタリを噛ましているだけに過ぎないのだ。そうだろう、白い羊の狂人!」


「……。」


「く、くそ……おのれ……おのれ……本当にバレているのか。だがここでその真実を漏らさなければいいのだ。問題ない。まだ何とか出来る。あいつらさえどうにかすれば!」


 慌てふためきながら叫ぶ高田傲蔵和尚の言葉に羊野が溜息交じりに無言で応えると、まるでその悪の本性を現すかのように高田傲蔵和尚は狂ったように大きな声で笑いだす。


「カカカカカッ、よくぞここまでワシを追い詰めたな。さすがはあの円卓の星座の狂人・壊れた天秤も認めた物達だぞい! ならその奮闘ぶりに応えて我も天空落下現象のその答えをお見せするとしよう。ワシの大切な金のなる木とも言える天馬寺を結果的には潰す切っ掛けを作った、あの春ノ瀬桃花の命と引き換えにな! クククク、天馬様のお告げはもう下っているのだ。お前達の後ろにある部屋のカーテンを開けて窓ガラスのサッシの縁に置いてある双眼鏡を覗いて見るがよい。面白い物が見えるぞい」


「面白い物だとう?」


 そう言うと勘太郎と羊野は高田傲蔵和尚に言われるがままに部屋のカーテンの所まで来ると大きなカーテンを開けて傍にある双眼鏡を覗き込む。距離にして200メートル離れた北側にある石階段や橋桁がある鳥居の辺りには馬のマスクを被った修行僧の姿をした強欲なる天馬とその地面の下で仰向けに寝そべる春ノ瀬桃花の姿があった。


 スポットライトの光に照らされている春ノ瀬桃花はまるで死んでいるかのようにピクリとも動かないが、そんな彼女の元にいる強欲なる天馬は天馬寺の方に視線を向けながらこちらをにらんでいるように勘太郎には見えた。


「桃花。あれは本当に春ノ瀬桃花なのか! ちゃんと生きているんだろうな?」


「勿論生きているとも。だが天馬様は気まぐれだからのう。もしかしたらもう既に春ノ瀬桃花を天空へと飛ばす準備が出来上がっているかもしれんぞ」


「お前が声を掛けてあの強欲なる天馬を止めてくれよ!」


「ああなってはもう誰であろうとあの天馬様の行動を止める事はできんよ。我らの栄光ある計画を阻んでくれたお前達に対しての天馬様なりの見せしめなのだろうよ。だがわずかながらもまだ望みはあるぞい。今から急いで行って天馬様と対峙をすれば、もしかしたら春ノ瀬桃花を助けられるかも知れんぞい」


「くそーっ、桃花、今から俺が助けに行ってやるぞ!」


 焦りながら部屋を出ようとする勘太郎を羊野が咄嗟に止める。


「なんだよ羊野、放せよ。桃花の命が掛かってるんだぞ。早く北側の橋桁まで行かないと」


「本当にそれでいいのですか、黒鉄さん。このままこの場を去ってしまったら恐らくはあの高田傲蔵和尚の思うつぼですよ」


「それはどういう事だよ」


「恐らくはこのまま助けに行っても黒鉄さんは春ノ瀬桃花さんを助ける事は出来ないと思いますよ。なぜならあなたが桃花さんの所へ駆け付けた瞬間、ここにいる高田傲蔵和尚が春ノ瀬桃花さんを空へと飛ばすスイッチを押してしまうからですわ」


「なに~ぃ、空へと飛ばすスイッチだとう!」


 その羊野の言葉に勘太郎は咄嗟に高田傲蔵和尚の方を見ると、高田傲蔵和尚は「チィ」と言いながらいやな顔で舌打ちをする。


「黒鉄さん、この天馬寺から北側にある橋桁までは200メートルの距離があるので暗いし見にくいかも知れませんが、その双眼鏡でしっかりと見て下さい。地面に倒れている春ノ瀬桃花さんは一体何の上に倒れているのか想像が出来ますか」


「想像も何もここからよ~く見ると春ノ瀬桃花は地面ではなく何かの底が浅い正方形の箱の中に入れられているみたいだな。そしてその長方形の箱はある長い棒の柱に連なって何かと接続されている。あれは一体なんだ?」


「フフフ、よく見て下さいな。電話であの時春ノ瀬桃花さんは何と言っていましたか」


「何って、鳥居がどうとか……あ、まさか!」


「そうです、春ノ瀬桃花さんを乗せているあの長方形の箱はまるでスプーンのように長い木の棒にジョイントされてその長さを維持し。鳥居の上の先端と合体しているのですわ」


「合体している……そうか。つまりあの鳥居を支える二つの柱は折り曲げが可能で、手動式か自動式で地面へと倒す事が出来るんだな。簡単に言ってしまえばあの鳥居自体が大きな力を生み出すトリガー、つまりは引き金なんだな。そしてこの形は……」


「そうです。この強力なバネや重りを利用した昔ながらの兵器の形は、恐らくは投石機の類いの形ですわ!」


「と、投石機だと。なんだそれは?」


「物を何かの動力で投げるカタパルトの事を日本では投石機と呼びますが、投石機にはゴムや紐状の物を使うスリング式と重りとテコの原理を使う釣り鐘型の投石機があります。古代中国や欧州のシチリア、古代ギリシャなどでも昔は広く戦争に使われていた物を遠くに投げつける古代兵器の一つです。この投石機なら細かい機械や現代エネルギーとなる灯油や電力は必要ないですからね。本来鳥居の亀腹から出て支えているあの二つの柱のある部分は普段は見えないように亀腹とその地面の地中に隠されているみたいですが、このバネと重りを使った投石機のトリックを使う時は鳥居の立つ柱の底を亀腹から1メートルほど突き出るように作られているみたいですね。当然その鳥居を支える二つの柱の下の部分は強力なバネとゼンマイ式になっていて、人を飛ばす仕掛けを使用する時だけ(手動か自動で)二つの柱を根元から折り曲げる事が出来る部分が亀腹から見えるまで柱を上昇される事が出来るみたいですね。そしてその鳥居事態を天馬寺のある方角に倒して地面へと密着させ、留め金を掛けてセットする。当然二つの柱を支える強力なバネをゼンマイで無理矢理動かしながら地面へとセットする訳ですから、その反動と反発の力は凄い物があると思われますが、人一人を飛ばすだけならその力は十分でしょう」


「そして地面に倒した鳥居の上に春ノ瀬桃花が乗る長方形の箱とその箱に繋がっている先端の棒をその倒れている鳥居の島木と笠木の上にジョイントさせているから、十分な高さも稼げて、石階段の周りだけでは無く麓に並ぶ町の下にも落とす事が出来るのか。それが短距離用の天空落下トリックの仕掛けであり答えと言う訳だな」


「ホホホッ、まるでネズミ取り機のような仕掛けと例えた方が覚えやすいでしょうか」


「そうか、だから数時間前、天馬寺の橋桁付近で川口警部らがいくら証拠を探してもこの鳥居の柱の事には気付かなかったのか。普段この二つの鳥居の柱は亀腹のある地面へと隠れていて、その柱の構造を確かめる事は出来ないからな。もし本格的に鳥居を調べるつもりなら、その地面を掘って鳥居その物を取り壊さないといけないからな。そんな度胸、なんの確証もないあの段階では流石に出来なかったからな」


「そして私達が推察したその鳥居の仕掛けのバネと重りを使って今から春ノ瀬桃花さんを麓の町まで飛ばすみたいですが、もし体重が20キロ代か30キロ代くらいしかない軽い春ノ瀬桃花さんが飛んだら恐らくは400か500メートル以上は軽く飛ぶのではないかと推察されます。しかもこの230メートルの標高のある山の上から飛ばすのですから、町にいる人からしてみたらまるで空から人が本当に降ってきたように見えてしまうでしょうね。そして当然この仕掛けは他の東西南北の鳥居でも実行が可能と思われます。だからこそその投石機で飛ばされた信者達は皆この天馬寺の範囲から約400メートルくらいの範囲内で死んでいるのですよ」


「そうか、仮に一人の人物の体重が五十キロだったら、約五トンの重りを落としたら400メートルは飛ぶと何かの雑誌で読んだ事がある。しかもそのバネや重りの加速具合によっては人を落とす範囲を微妙に調整する事も強弱も可能だからな。それと同じか。全くこんな奇想天外なトリックを本当に作り上げ、しかも実行までしてしまうとは、全く恐ろしい馬の狂人だぜ。そして東方面の鳥居に偽装した投石機からその長野県警の刑事さんが飛ばされる瞬間を、同じく天馬寺に潜入していた春ノ瀬桃花が目撃し。その一部始終をお前が仕掛けたデジタルカメラがハッキリとその瞬間を捉えていたと言う事か」


「まあ、そう言う事ですわ。それに補足を付け加えるなら、鳥居の上の部分にある島木や笠木は、木の棒を取り付けるジョイントが丁度真ん中の一番上にありますから、鳥居に登ったり鳥居の柱を切り落とさない限り、この笠木と島木の上に空いてある穴が見つかる事は先ずないと思いますよ」


「切り落とす事は流石に無いだろうな。何せ捜査のためにあの神聖な鳥居の柱を切り落とすだなんて。日本人だったら先ず思いもつかない発想だからな」


「フフフ、まあ私なら躊躇無く切り落としますがね」


「やめろよ、そんな神をも恐れぬ不届きな発言は……本当に祟られるだろう。それでお前の読みでは、春ノ瀬桃花に仕掛けてあるあの投石機の発射スイッチをこの部屋にいる高田傲蔵和尚が持っているとの事だが、普通に考えて北側の橋桁にいる強欲なる天馬が投石機の留め金を外す発射スイッチを持っていると思うのだがな」


「もし高田傲蔵和尚の言う用にあの強欲なる天馬を止められないのなら、もうとっくの昔に投石機の発射スイッチを押しているとは思いませんか。でも我々が来るのをただじいっと律儀に待っていると言う事は、やはり高田傲蔵和尚が発射のスイッチを持っているから単純に春ノ瀬桃花さんを飛ばせないと言う事になりますわ。それに傲慢でサディストのあの高田傲蔵和尚が、黒鉄さんが桃花さんを助け出そうとしているその瞬間を見計らって、人を飛ばすその大役を他の人に譲るとは到底思えませんわ」


 そう言うと羊野は高田傲蔵和尚に照準を合わせながら勘太郎の前へと立つ。


「まあ、いいのではありませんか。春ノ瀬桃花さんは充分に役に立ったのですから、もう見捨ててもいい頃合いでは無いでしょうか。何も黒鉄さんが自ら進んで死にに行く必要は無いですよ。おそらく高田傲蔵和尚の計算では、春ノ瀬桃花さんを助けられずにショックを受けている所をあの強欲なる天馬に始末してもらうつもりなのでしょうね。通常の戦いでは私達が強欲なる天馬に勝てない事を高田傲蔵和尚は知っていますからね」


 羊野の情け容赦の無い無情な言葉に動揺する天馬和尚は、あたふたしながら大声で叫ぶ。


「いいのか、あのいたいけな子供が死んでも。依頼人を見捨ててお前は心が痛まないのか!」


「特に何とも思いませんわ。むしろ今ここであなたを殺しちゃった方が効率が良さそうですしね」


「な、なんだとう、白い腹黒羊では話にならん。黒鉄の探偵、お前はどう思っているんだ。まさか本当にあの春ノ瀬桃花を見捨てるつもりじゃないだろうな!」


 震え上がる高田傲蔵和尚に羊野は邪悪な笑みをこぼしながら住職の元に歩み寄ろうとするが、そんな羊野の行為を勘太郎が真剣な顔で止める。


「羊野瞑子。俺と初めて合った時に交わした契約を……あの三つの誓いの言葉を覚えているか。その契約の誓いの言葉を今ここで今一度言ってみろ!」



 その勘太郎の言葉に神妙になった羊野は、淡々とした声で二年前に勘太郎と交わした誓いの言葉を暗唱する。


「契約その一、 白い羊こと・羊野瞑子は、黒鉄志郎の認めた黒鉄の探偵・二代目・黒鉄勘太郎の指示無く人間を殺してはならない。


 契約その二、 白い羊こと・羊野瞑子は、黒鉄志郎の認めた黒鉄の探偵・二代目・黒鉄勘太郎の命令には絶対に従わなくてはならない。


 契約その三、 白い羊こと・羊野瞑子は、黒鉄志郎の認めた黒鉄の探偵・二代目・黒鉄勘太郎の命を全力で護らなくてはならない。」



 羊野が言い終えた時、勘太郎はまるで諭すかのように優しく言う。


「そうだ、その誓いの言葉を……契約を守っている限り、俺はお前を絶対に見捨てたりはしない。そうだろう、羊野!」


「……。」


「事件を解決する為とは言え間接的に人を騙し結果的には死に追いやっていると言う疑惑がお前にはあるが、二年前俺と知り会ってからはまだ直接的に人を殺してはいないのだから俺との約束はギリギリ及第点は守られていると言った所かな。まあ本当に疑惑が絶えないグレーゾーンだがな。お前のやり方には正直憤りも感じるし当然賛同も出来ないが、それでもお前を警察の保護観察付で預かった以上今後もお前と手を組んでいくつもりだ。なにせお前は我が黒鉄探偵事務所の優秀な助手にして俺を毎回困らせる厄介な部下でもあり、そしてそれと同時に最も頼れる相棒だからな!」

「そこまで言われては仕方がありませんわね。ええ、私は黒鉄さんの指示に従いますわ。でも本当に高田傲蔵和尚の方は黒鉄さんにお任せしてもよろしいのですね。高田傲蔵和尚はあの恰幅のいい見た目に反して一応この天馬寺で棒術の武術を広めた棒術の上段者ですからね。黒鉄さんが生身で普通に挑んだなら先ず絶対に勝てる相手ではありませんが」


「ああ、問題ない。この場は俺に任せろ!」


「分かりましたわ黒鉄さん、余り無理はしないで下さいね」


 数秒の沈黙の後、勘太郎は羊野に向けて声を張り上げながら叫ぶ。


「春ノ瀬桃花は俺達の大事な依頼人であり、そして大切な友人だ。だからお前に上司命令を下す。黒鉄の探偵助手こと羊野瞑子よ。お前は速やかに春ノ瀬桃花の元へさせ参じて、待ち受ける狂人・強欲なる天馬の手から何としてでも春ノ瀬桃花を守るんだ。その為ならどんな手を使ってもかまわん。手段は選ぶな。行け、白い羊よ!」


「了解しましたわ、黒鉄さん。ホホホホホホッ、ついに黒鉄さんから殺しの命令が出ましたわ。お馬ちゃん、待ってて下さいね。今すぐに今度こそ馬肉にして差し上げますから!」


「あ、お前、俺は一言も人を殺していいとは言ってないからな。ただ春ノ瀬桃花と自分の身を守る為にはあらゆる手段で回避しろと言う事だ。おい、当然俺が言わんとしている事が分かっているんだろうな?」


 何やら必死に弁解する勘太郎の言葉を無視しながら羊野はある気になる言葉を口にする。


「あ、それと黒鉄さん、こちらも一つ面白い仕掛けをご用意しておりますから、くれぐれも死なないで下さいね」


「死なないで下さいねって、お前それは一体どう言う意味だよ。おい羊野……羊野さん!」


 勘太郎の叫びも空しく何やら意味ありげな事を口走ると羊野は白いロングスカートの両太股の辺りにあるファスナーを開くと、両太股に装備してある長く大きな二双の打ち刃物の包丁を両足の鞘から勢いよく引っこ抜く。

 興奮に震えながらこれから始まる戦いの高揚感に毒された羊野は、高笑いをしながら風のように軽やかに強欲なる天馬の元へと走って行く。

 その姿は何とも不気味で、とても人を助けに行く正義のヒロインには到底思えない程にその狂気をはらんでいた。


 勘太郎はそんな羊野を送り出しながら高田傲蔵和尚の行動を注意深く確認する。


 強欲なる天馬は長い木の棒を巧みに使う棒術の達人だ。加えて力や体力もあり、敏捷性と素早さが自慢の羊野としてはその力の差はどうしても否めない。そんな力自慢の相手と対等に戦うには羊野が持つ全ての力と地の利を生かした咄嗟の機転、そしてそれを補うプラスアルファの何かで対抗しなければ到底あの強欲なる天馬に勝つ事は出来ないだろう。

 まあ、だからと言って人を殺していいと勘太郎は一言も言ってはいないのだが。


 天馬寺を出て北側の橋桁の方へと走り去る羊野の足音を耳で聞きながら勘太郎は、奥の上座の椅子から立ち上がる高田傲蔵和尚の元へ一歩一歩畳を踏み締めながら歩み寄る。その距離は高田傲蔵和尚から三メートルの距離を維持していた。

 勘太郎は高田傲蔵和尚が少しでも変な動きをしないかと見張りながら注意深く牽制をする。


「この状況で今更言うまでも無い事だが、春ノ瀬桃花を助けるまで高田傲蔵和尚、貴方は絶対にその場から動くんじゃないぞ。もし動いたらかなり後悔する事になるぞ!」


「黒鉄の探偵、お前は行かなくていいのか」


「知れた事だ。あんたが人間投石機の発射スイッチを持っているかも知れないと言う疑惑がある以上俺はここへ踏みとどまるぜ。そして高田傲蔵和尚、あんたの暴挙は俺が絶対に止めてみせる!」


「このワシを止めるだと。白い羊ならいざ知らず、お前ごときがこのワシをか。面白い冗談だ」


 左手に長い木の棒を持ちながらあざけり笑う高田傲蔵和尚に、勘太郎は咄嗟に思いついたはったりを噛まして見る。


「それに今し方羊野が何やら意味ありげに言っていた言葉の意味だが、あの投石機の発射スイッチが無線式であれ有線式であれ、もう発射は出来ない仕掛けを施して来たとも言っていたから、俺はここであんたの足止めを後数分していたら、あんたが投石機の発射スイッチを押しても起動しなくなると言う事だ。無線の電波を狂わせる妨害電波を出す機械でも設置したのか、はたまた有線に繋がるコンセントとプラグの線でも見つけたのかは知らないが、いずれにしてももうあんたの逮捕は目前と言う事だけは確かなようだぜ!」


「そ、そんなハッタリにこのワシがだまされると本気で思っているのか。ハッタリだ、絶対にお前のハッタリに決まっている!」


「なら、自分で発射スイッチを押して確認して見たらどうだ」


 その勘太郎の言葉に高田傲蔵和尚は思わず自分の後ろに垂れ下がる、天井から不自然に伸びた厚い紐をチラリと見る。その瞬間を見逃さなかった勘太郎は、してやったりと言った顔をしながら冷静に言い放つ。


「その紐が、そうなのか」


「く、くそう。言葉による不安を誘う誘導とそれに伴う無意識な人の条件反射でついつまらんはったりに引っかかってしまったわい。じゃがまあいいだろう。そうじゃ、この紐こそが天馬様の天罰を下す有難い起動スイッチじゃよ。この紐を引くと優先で繋がっている地下を通ってあの北側の投石機に繋がる仕組みになっているのだよ。いや北側だけでは無いぞい、ワシの気分によっては東西南北から鳥居に偽装した人間投石機を使い、重りを生かしたテコの原理と強力なバネの反発力から繰り出される力で人を発射する事が可能だ。どうかな、これが天馬様がワシに授けて下さった天空落下トリックの仕組みじゃよ。あの鳥居に偽装した東西南北の投石機の発射台や東側のマンホールの穴を230メートルもある穴に作り替えるには大がかりな地面の土台工事が必要だったが、あやつが土木と建築士の技術を使って設計図を作ってくれたから、この途方も無い計画を速やかに実行し作り上げる事が出来たのだよ」


「土木と建築士の技術だと……」


「ククククーッ!」


 自慢げに言う高田傲蔵和尚に勘太郎はここが正念場とばかりに覚悟を決める。


「高田傲蔵和尚、あんたは人に天罰を落とせる神の力があると豪語しているみたいだが、俺もここで一つ予言と言うか、忠告をしてやろう。その紐に少しでも触れたらその右手は見事に吹っ飛び、骨が折れると予言してやろう」


「ハハハハハハ~っ、何を馬鹿な事を言っているのだ。そんなハッタリがこのワシに利くはずが無いだろう。トリックの仕掛けも話した事だしそろそろお前らにはこのワシを舐めた代償を払って貰うとするかのう。先ずは手始めにあの春ノ瀬桃花の小娘の息の根を止めてお前達の出鼻を崩してやるわい!」


 高笑いをしながら垂れ下がる紐に右手をかけようとした瞬間『ズギュウーウゥゥウゥ!』と言う銃声にも似た大きな電動音が鳴り響き、その音と共に高田傲蔵和尚の右手が後ろへと大きく吹き飛ばされる。


「ぐっわああーぁぁっ手が、ワシの右手が……い、痛い。な、なんじゃ一体?」


 震えながら自分の右手の指を見た時、高田傲蔵和尚の右手の人差し指と中指の骨が完全に折れていることに気づく。

 その後ろの壁にはゴルフボールくらいの風穴が一つ見え、指を破壊した直線状の位置をその穴は示していた。


「ぐわあああぁぁーぁぁ! ど、どういう事じゃああーぁぁ、ただの探偵がぁぁ! お前まさか、銃を、銃を持っているのか。その銃は一体なんじゃ?」


 その痛みと恐怖を隠すことなく大袈裟に騒ぐ高田傲蔵和尚に、勘太郎は素早く後ろの腰ベルトから抜いた黒い鉄の塊を持ち直しながら再び構える。


「これは幾多の狂人達を制する為に狂人ゲーム内でのみその使用が認められている、黒鉄の探偵が唯一持つことが許された武器にして玩具の改造電動銃。その名も黒鉄の拳銃だ!」


「黒鉄の拳銃だと、そんな危険な武器の玩具を持つことを日本の警察の上層部と円卓の星座の創設者でもあるあの狂人・壊れた天秤が公認で認めていると言うのか。そんな馬鹿なぁぁぁぁぁっ!」


 まだ信じられないという顔で怪我をした右手を押さえる高田傲蔵和尚の顔からは明らかに怯えにも似た表情が垣間見られる。

 それも当然だろう。デザートイーグルのレプリカ型改造電動銃から放たれたゴルフボール並みに大きい強化ゴム弾の玉が物凄いスピードと破壊力で飛んで行き、高田傲蔵和尚の右手の人差し指と中指の骨を完全にへし折る程のダメージを受けたのだからその衝撃は大きいだろう。

 だがそんな痛みに負けぬとばかりに高田傲蔵和尚は笑いながら黒鉄の拳銃を構える勘太郎に向けて言い放つ。


「カカカッ、中々威勢がいいようだが、実際に追い詰められているのはむしろお前の方だぞい。天馬寺の外から聞こえるこのワシを援護する信者達のお経を読む声が聞こえないかね」


「お経を読む信者達の声だと?」


 その高田傲蔵和尚の言葉を聞きながら勘太郎が耳を澄ましていると、天馬寺の周りを囲むような形で外にいる信者達は皆一斉にお経を読んでいるようだ。その一斉に読み上げるお経はなんとも異様で、高田傲蔵和尚に銃を構える勘太郎の注意力の妨げにもなっていた。


「フフフッ、もしワシが今から大きな声で天馬寺の外にいる信者達に助けを求めたら外にいる信者達は皆一斉に津波のようにここに押し寄せるだろうよ。その時お前はその玩具の拳銃でどこまで耐えられるかな?」


 そんな事をされたら数の多い高田傲蔵和尚側の勢力の方が圧倒的に有利と言う事になる。それだけは何としても避けなけねばならない。


 勘太郎は内心焦りながらそんな事を思っていると、行き成り天馬寺の周りから大きな爆発音と大きな煙、そして建屋が壊れる程の衝撃音が燃え上がる炎と共に勘太郎と高田傲蔵和尚の耳へと届く。


「な、なんだ、なんの音だ。何かが爆発して天馬寺が燃えているのか。まさかこれが羊野の言っていたパーティーの出し物の準備という奴なのか。あいつめ、信者達が高田傲蔵和尚を救う為に皆一斉にこの天馬寺の中に乗り込んだ時の事を想定して、天馬寺の電力の燃料でもある灯油を持ち出して天馬寺の周りに自動発火で燃えるような細工を施していたようだな。だが、この調子じゃ今俺達のいる天馬寺の建屋は確実に炎で全焼してしまうだろうし、ここにいる容疑者の高田傲蔵和尚だけでは無くこの俺まで一緒に丸焼けになって仕舞うと言う事か。もしそうなれば流石に脱出は困難だぞ!」


 建屋の外では火を消そうと奮闘する者やパニック状態となり逃げ惑う信者達の声が嫌でも聞こえてくる。その緊迫感を何かが焦げる臭いと何かが燃えて炎が迫って来る爆発音で感じながら、勘太郎は高田傲蔵和尚の行動だけは何とか見逃さないようにと黒鉄の拳銃の標準をターゲットに合わせる。

 火災が発生してからその五分後。ついに天馬寺の一階にある台所付近で大爆発が起こった事を爆発音で感じ取った勘太郎は、その爆発はどうやら寺の裏側に設置してある灯油管に火が引火した事が原因だと軽く想像ができたようだ。


 外では「火事だあああーっ、火事だぞ。みんな石階段のある橋桁の方に避難するんだぁ。恐らく橋桁の鍵は早見時彦修行僧が持っているだろうから、もう彼も橋桁に向かっているやもしれんぞ!」

 そう言って必死に叫ぶ名も無き信者達の声が外から二階にあるこの部屋の中へと聞こえて来る。


 そんな信者達の声を聞きながら高田傲蔵和尚はこのあり得ない状況に絶句しながら恨みがましく勘太郎を見る。


「燃える、ワシの集めた最も価値のある全ての美術品や札束と言った財産がこのままでは全て消えてしまう。この火事も、もしや貴様らの仕業か、黒鉄の探偵。あの悪魔的な白い羊を操ってこの建屋にまさか火までかけるとは、なんて卑劣な奴なんだ。この悪党共が!」


「あんたにだけは言われたくないよ」と叫びながら勘太郎は、別れ際に羊野の発した言葉の意味を思い返す。


 この天馬寺に行く前にふらりと何処かに消えたかと思ったら、こんな恐ろしい仕掛けを天馬寺の周りに仕掛けていたのか。あの裏倉庫のエレベーターで上げた灯油を持ち出して細工をしたと言った所か。だが羊野……お前いくら何でも、これは少しやり過ぎだよ!」とつい言葉が口から思わず出てしまう。

 勘太郎はこのやばい状況から一刻も早く逃れたいが為に、手に持っている黒鉄の拳銃のグリップを更に強く握り締める。


「こ、この距離なら絶対に外さないぜ!」


 そう言ってプレッシャーをかける勘太郎に、木の長い棒を左手で持ちながら身構える高田傲蔵和尚は息を整えると強欲なる天馬の事について話出す。


「なるほどのう、黒鉄の探偵。その探偵としての闇深い特殊な異名は伊達では無いと言った所か。どうやら少しお前を甘く見ていた用だな。いいだろう、そんなお前に敬意を表して一つあの強欲なる天馬に出会った経緯でも話してやろうかのう」


 徐々に迫り来る炎と逃げ惑う信者達の声で外が騒がしくなる中、勘太郎と高田傲蔵和尚の時間だけがまるで止まっているかのようにその場から一歩も動く事が出来ない。

 それだけ二人は緊張し、そして集中力を高め合っているのだ。互いに一瞬の隙を探り合い、やがて訪れると思われる絶好のチャンスを掴む為に。

 そんな思考をお互いに巡らす中、最初に話し出したのは高田傲蔵和尚の方からだった。


「ワシが天馬様に出会ったのは五年前の時だ。その当時ワシはしがないこの寺の住職をしていたのだが、大学時代に医大で精神科の授業を少しかじった事のある経験から心に何らかの病やトラウマがある人達に対してカウンセリングをしながらワシの住職としての教えを広める為の活動も広くしていたのだよ。だが、そこにある時面白い悩みを持つ男がワシの元に訪ねて来たのだよ。何でもその者の悩みと言うのは、自分の知らないところで他の人格達が勝手に現れて主人格である自分が全く彼らを抑えられないと言う奇妙な話だった。そんな人には到底理解がされない紛らわしい悩みを持つその男は、妻を亡くした一~二年前までは一人娘のために建築士として必死に働いていたみたいだがいつの頃からか夜になると自分の記憶がないのに勝手に町を徘徊するようになったらしく、その時間が最初は三十分や一時間程度だったのが日が経つ内に日増しにその別人格の行動する時間が少しずつ伸びて行ったとの事だ。そしてその人格達はとても凶暴で、時には夜の町でその男の意識が無い時に勝手に喧嘩をして来て、本人は何故自分が怪我をしているのか全く分からないと言う経験も幾度もしたそうだ。そしてその男の人格達は必ず日が沈む夜に発現し、その男の意思に関係なく勝手な行動を来る広げていたとのことだ。勿論近くの精神科にも行って精神を安定させる薬を飲んだり頻繁に治療にも行ったらしいのだが全然良くはならず、それどころか日増しに悪くなる一方だと当時その男はそう話していたよ。そんな自分のあずかり知らない狂気が他人だけでは無くいつかは必ず自分の一人娘にも、もしかしたら危害を加えてしまうかも知れない。その事を恐れたその男は藁にもすがる思いでワシの天馬寺を訪れたみたいなのだが、それがワシと天馬様の衝撃的で運命的な出会いになるとは夢にも思わなかったがのう。ククククッ!」


「その男とは、まさか多重人格者なのか。その男の人って……まさか」


「話を続けるぞい。ワシも最初は真剣にその男の精神的な病気を治そうといろんな事に取り組んだのだが、その夜だけ現れるその凶暴な人格は逆にこのワシに協力を申し出て来たのだよ。まあもっと正確に言うのならビジネス的な取引だな。その男のもう一つの人格が言うには、もしこの我をこの男の主人格から解き放つ手助けをしてくれたらお前を神のくらいまでのし上げて地位や名誉のみならず金や物や人の命までもお前の自由にさせてやろうと言って来たのだよ。最初は別人格が勝手に夢物語を言っている事と話を鵜呑みにしてはいなかったのだが、ある日謎の秘密組織・不可能犯罪を掲げる円卓の星座の壊れた天秤の使いから直接ワシに会いに来たのだよ。なんでもこの夜の別人格の男は既に壊れた天秤に認められてあの円卓の星座の狂人候補生として仮の所属をしているとの事だった。その彼を完全な狂人に作り上げてその別人格の化け物を作り上げる事が出来るなら、これからその別人格の男が考えついた途方も無い天空落下トリックの仕掛けを実現させられるだけの資金をいくらでも提供しようと行ってきたのが始まりだよ。そして信頼を勝ち取ったワシはその主人格の昼の優しい男の方には裏の人格を抑える為の修行を今から行うと称してこの天馬寺に入信をさせ。夜に現れる凶暴な幾多の人格の者達にはその肉体から出現できる精神的な修行を施して今に至ると言う訳だよ。ワシの厳しい修行のかいもあって三年前に正式な円卓の星座の狂人の一人になったのだが、その時に狂人・強欲なる天馬は生まれたのだよ。だが円卓の星座の創設者でもある壊れた天秤すらも知らないだろうが、あの強欲なる天馬にはまだまだ隠された人格とそれに伴った様々な能力があるのだ。なあ、その人格に合わせてこのワシが一から様々な教えを学習させたのだがな。あの強欲なる天馬には、色欲に狂った人格と、凶暴な野生の動物のような人格が絶えず共存している。つまりは昼のあの優しい優男の主人格を合わせた四人の人格が絶えず入り乱れていると言う事だ!」


「強欲なる天馬に続き俺が遭遇した、不浄なる天馬と野生なる天馬の事か。まあ、どちらも昨日俺が勝手に付けた呼び名だがな」


「ここまで言えば流石にその強欲なる天馬の正体に気付いたのでは無いかな。そう昼の主人格を持つその男こそがあの……っ」


「つまり春ノ瀬達郎が、あの強欲なる天馬の正体と言う事か。信じられない、とても信じられない話だが、その事実を認めざる終えないぜ。じゃなにか、父親でもある春ノ瀬達郎はその自分の意思に関係なく、娘でもある春ノ瀬桃花さんの命を奪うためにその他の人格達が皆結束して殺しに来ているのか。そんなにわかには信じられない残酷な事実を一体どうやってあのお父さんが大好きな春ノ瀬桃花に告げたらいいんだ」


 その思いも寄らない残酷な真実に勘太郎が考え込んでいると、その一瞬の隙を高田傲蔵和尚は見逃さなかった。


 高田傲蔵和尚は素早く間合いを詰めると射程距離内に入った勘太郎に目がけて渾身の突きを左手から繰り出すが、その棒の突きが勘太郎に当たる事はなかった。

 後ろに素早く飛び退いた勘太郎が強化ゴム弾の2発目の玉を、中段突きを繰り出す高田傲蔵和尚の左手を目がけて撃ち出したからだ。


 当然前に突き出していた左手は凄まじい衝撃と激痛とで吹き飛ばされ。持っていた木の棒は激しく下の畳へと叩き付けられる。


「ぐわああぁぁぁぁーっ、今度はワシの大事な左手がああぁぁぁっ! ゆ、許さん、許さんぞ。黒鉄の探偵ぇぇ! 殺す、貴様は絶対に殺してやる。私の最高傑作の強欲なる天馬があの白い羊を始末して帰ってきたらお前は間違いなく終わりなのだからな。その時は覚悟しておくのだぞい!」


「あの時、初めて春ノ瀬達郎に会った時、何故自分の娘を遠のけて一緒にこの天馬寺から逃げなかったのか、その理由が今やっと分かったよ。春ノ瀬達郎はここに残りたかったんじゃない。一緒に逃げれなかったんだ。もしそんな事をしたらあの強欲なる天馬が春ノ瀬桃花を殺すかも知れないから。そして春ノ瀬桃花が強欲なる天馬の姿を見ていた事を知った時、春ノ瀬達郎は心底その事を恐れたはずなんだ。何故なら自分の殺しの現場を見た目撃者をあの強欲なる天馬は必ず殺すと知っていたからだ。そしてその見られていたと言う情報は当然あの別人格の強欲なる天馬にも知られる事になる。だから春ノ瀬達郎は仕切りに日が暮れる前に何とか山を降りろとあんなにしつこく言っていたのか。そう考えるとなんともやるせない気持ちになるぜ」


「フフフッあの春ノ瀬達郎修行僧は自分の娘でもある春ノ瀬桃花に自分は本当は人殺しの多重人格者であると言う事実がばれる事を異常な程に恐れていたからな。だから今まで誰にも言えずにこのワシに協力していたのだよ。このまま正体がばれてしまったら犯罪者の娘としてこの先一生不幸な人生を歩む事になるのだからな。それは親としてはそんな事は口が裂けても言えんよな」


「そう言ってお前があの春ノ瀬達郎を精神的に追い込んで、何も言えないようにしたのだろうが!」


「人聞きの悪いことを言う物ではないぞい。ワシはあの物達に自由を与えたのだ。何事にも自由に好き勝手に人を殺せる自由をな。そしてあの強欲なる天馬を……否、天馬様を作り上げたのは紛れもなくこのワシだ! そうだワシは神すら作り上げる事が出来る特別な人間なのだ。このワシの知識と経験を持ってしてならばまた新たな強欲なる天馬を作り上げる事も可能だ。そうワシこそが唯一の神となる男なのだ!」


「狂っている、あんたは本当に考え方が狂ってるよ。強欲なる天馬の天空落下トリックが上手く行き過ぎて周りを見る目が盲目になっているんじゃないのか」


「カカカッ、ワシは神だ。唯一、神になり得る事の出来る、選ばれた男なのだぁぁぁ!」


「なるほどな、あのいろんな性格を持つ各地の狂人達を束ねるあの壊れた天秤がなぜ今回のこの事件に限って全く介入しないのか、何となく分かった気がするぜ。高田傲蔵和尚、あんたがいるからだ。あんたは壊れた天秤に取ってはただ邪魔なだけの存在だ」


「あの壊れた天秤が何だと言うのだ。ただ部下達の陰に隠れて一向に表には出て来ないただの臆病な爺ではないか! だがワシは違う。ワシは神になる男なのだあぁぁ!」


 両手が使えない高田傲蔵和尚は大きく口お開けながら最後の悪あがきとばかりに後ろに垂れ下がる紐に食らいつこうとするが、勘太郎が放つ三発目の強化ゴム弾の玉が高田傲蔵和尚の背中に命中し、高田傲蔵和尚は大きな悲鳴を上げながらついには倒れ込む。


 ズッギュウウウウウウウーン!


「ぎゃあああぁぁーぁぁっ、背中が、ワシの背中が……息が……息が……出来な……いぃ」


「言ったはずだぜ。少しでも動いたら酷い目に遭うかも知れないとな。どうだ俺の予言は当たっただろう」


「ああぁ~。か、金を、金を拾い集めてくれ。このままでは全てが燃えてしまう。お願いだ黒鉄の探偵!」


「そんな暇はないぞ。火がもうそこまで来ているんだ。このまま下に降りるぞ」


 そう言うと勘太郎は、高田傲蔵和尚が勘太郎への買収の際に投げつけた札束を踏みつけながら戸口へと急ぐ。


「あぁぁぁぁぁ~っ、嫌じゃぁぁ~嫌じゃぁぁ……ワシの金が……様々なカードが通帳が……様々な土地の権利書が……カモとなる信者達のリストが……ワシの株券が……債券が……苦労して集めた美術品が、豪華絢爛の寺が全部燃えてしまうぅぅぅぅ~っ!」


「もういい加減に諦めろよ。このままじゃ本当に死ぬぞ!」


 勘太郎は上着のポケットから出した紐で素早く高田傲蔵和尚の両腕を後ろ手に縛り上げると、半狂乱で泣き叫ぶ高田傲蔵和尚を引きずりながら火の手が迫る豪華絢爛の部屋を後にする。


「う、もう一階は火の海じゃないか、これじゃ下には降りられない。一体どうすれば?」


 最初は火の勢いにたじろぐ勘太郎だったが、二階の階段の脇に数本の消火器と水の入ったバケツがある事に気付いた勘太郎は、これは羊野が二階に駆け付けて来た時にわざわざ準備をしてくれた物だと瞬時に理解する。


「羊野の奴、わざわざ水と消火器を用意してくれたんだな。ありがとう。捕まえた高田傲蔵和尚をつれて今そっちに加勢に行くからな、待っていろよ!」


 その場にある水の入ったバケツを頭からそのまま被り、手に持った消火器を吹き付けながら何とか高田傲蔵和尚を連れ出した勘太郎は、白い羊こと羊野瞑子と、強欲なる天馬こと春ノ瀬達郎とが繰り広げる最後の決戦の場へと急ぎ向かうのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る