第2話 『容疑者、田中友男の証言』 全25話。その16。
*
「おお、寒い~っ。今日は昼飯を買うのに随分と時間が掛かってしまったな。昼休みが終わってしまう前に早く用務員室に戻って昼飯を頂かないと」
この寒空の中やたらと休憩時間を気にしている用務員の田中友男は、スマホの画面を見つめながら時間を確認する。
時刻は昼の十二時十五分。既にお昼休みの時間から三十分も過ぎてしまっている事に焦りを感じている様子の田中友男はスマホで時間を確認しながら大きく溜息をつく。何故ならいつもはすいているはずの弁当屋が何故か今日に限って激混みになっており、弁当を買うのに時間が掛かってしまったからだ。
先に並んでいた赤いジャケットを来たボブカットの髪型の女が田中友男の好物の焼肉弁当を三つも買って行ってしまったので既に売り切れになってしまった焼肉弁当は諦め、仕方なくまだ残っていたハンバーグ弁当を買い校舎へと急ぐ。
途中外を歩く警官を田中友男は怪訝な眼差しで見ていたが、直ぐに気を取り直してスマホの画面を指先のクリックで閉じようとする。そんな田中友男の後ろから突然「何を見ているのですか?」と言う若々しい女性の声が耳元に届く。
その声にふと田中友男が振り返って見ると、そこには白い羊のマスクを被り白一色の服装をした不気味な羊人間と、髪型をオールバックに掻き上げた黒いダークスーツを着こなすへっぽこ探偵の姿があった。
そう言うまでも無く自ずと知れた羊野瞑子と黒鉄勘太郎の二人である。
そんな予期せぬ二人の出現にびっくりした田中友男は持っていたスマホをジャンパーのポケットの中に仕舞うと、にっこりと微笑みを向けながら勘太郎と羊野に丁寧なお辞儀をする。
「あ、探偵のお二人さん、お疲れ様です。今日は一体どうしたんですか。やはり昨夜お亡くなりになられた谷口先生の事を調べているのですか?」
「まあ、それもあるのですが、今は昨日校舎内に現れた絶望王子について調べている最中です」
「絶望王子ですか。ああ、あの黒い防空頭巾を被ったマント姿の男子学生のことですか。確か頭巾の上には段ボールで出来た汚らしい王冠を被っていて、顔は黒いネットで覆われているから素顔を確認する事もできないとか。あの内田慎吾君とか言う男子生徒がそんな格好でよく校舎内を歩いているからてっきり彼が犯人だと思っていたのですが、どうやら違う用ですね」
「それはまだちゃんと調べて見ないと何とも言えませんが、昨日俺達の指示で外の非常階段の一階で見張りをして貰いましたから、そんな田中友男さんにも一応アリバイの一つでも聞いておこうと思いましてね。たまたま姿も見かけたんでこうして声を掛けて見たんですよ」
「分かりました。要するに昨夜の私のアリバイが聞きたい訳ですね」
「ハッキリ言ってしまえばそう言う事です」
「分かりました。自分の濡れ衣を晴らす為です何でも答えますよ」
「では昨日の夜の二十三時から一時までの間、貴方は何処にいましたか?」
その勘太郎の質問に持っている弁当を気にしながら田中友男が淡々と応える。
「昨夜は二十一時から深夜の一時まで家の近くの居酒屋で二人で酒を飲んでいたかな。飲み仲間の友人と一緒にな」
「その友人とは一体何処の誰ですか」
「やっさんと言う近くの橋の下でテント暮らしをしているホームレスの叔父さんだよ。二年前にひょんな事から意気投合してな。俺が誘うとよく飲みに付き合ってくれるんだよ」
「ホームレスって、つまり貴方がそのやっさんとか言うホームレスに飲食を奢っていると言う事ですか」
「そうだよ、何か問題でもあるのかな」
「いえいえ、特にそういう訳では無いですけど貴方が一方的にお金を払う事になってしまうのではありませんか」
「まあ、そうなるだろうけどかまやぁしないよ。代わりに為になる面白い話を聞ける事出しな」
「そのやっさんとか言うホームレスとは一体どんな話をしているのですか」
「いろんな話をしているよ。やっさんが若い頃に経験した仕事や遊びの話とか。他のホームレスの体験談の話とか。この地域で起きた事件の話とか。それはいろいろだよ。聞いてるといろんな事が学べて案外楽しいぞ。何せ酒数杯とお摘まみを奢るだけでいろんな面白い話が聞けるんだからな」
「そうですか。俺にはとてもじゃないけどそんな付き合い方は出来ないですね。よく知らない人とはお酒は飲めませんからね」
「はははっ、案外根性無しだな、黒服の探偵さんは。あんたがもしまだ探偵を職業にしていくつもりなら、いろんな人との繋がりはとても大切な事ですよ。何故ならいろんな角度から人の話を収集しそして知識にする事が出来ますからね。そんな何気ない人やその会話からヒントに繋がる事もあるのですよ」
「そうですか。俺にとっては耳が痛い話です。それでその友人の他に目撃者はいないのですか」
「いるよ。その居酒屋の女将と定員達がな」
「そうですか。そんなに田中さんのアリバイを証明してくれる人達がいるのなら田中友男さんは白ですね」
そう応えた勘太郎に羊野は思いっきり足を踏んでこれに抗議する。
「痛ってえぇぇーっ、何するんだよ、羊野! お前上司の足を踏みつけるだなんてパワハラものだぞ!」
「それ普通は部下でもある私の台詞なのですけどね。でも余りに黒鉄さんが早々と勝手に納得して引き下がるから悪いのですわ。もっと正確に話を聞かないと駄目じゃ無いですか」
「一体他に何を聞けと言うんだよ。アリバイを証明してくれる人が少なくとも三人以上はいると言う事だぜ。どう見ても田中さんのアリバイは崩せないだろう!」
そんな勘太郎に代わり羊野瞑子が代わり田中友男に質問をする。
「やっさんとか言うホームレスと一緒にお酒を飲んだのはカウンターでですか。それもテーブルとかでですか。それともまさか個室とかがある居酒屋じゃないでしょうね」
「ああ、昨日はちょっと前々から話をしていた約束事の話があったから奮発して個室を借りる事にしたんだよ」
その田中友男の話に勘太郎が反発する。
「個室だって。だってさっき話を聞いた時にはそんな事は一言も言っていなかったじゃないか!」
「だって探偵さんが個室のことは聞かなかったからな。だから私も応えなかっただけだよ。そこは羊の女探偵さんの言う通りだ。黒服の探偵さん、貴方は勝手に全ての話や状況を理解した気になって決断を急いでしまった。羊のお姉さんがこのまま個室の事を聞かなければ特に言う事もなかった情報だからな」
「だ、だけどこの後その居酒屋に行って店の中を見れば直ぐに思い違いは分かる事だろう」
「でも今の時点で私とやっさんが個室ではなくテーブルやカウンターで飲食したと思い違いをしていますから、店にわざわざ聞くに行く事は無いでしょうし。例え店に行ったとしてももう既にみんなの見ている前でお酒を飲んだと勝手に思い違いをしている以上、本当に私が居酒屋に来店したかと言う事だけに着目して、私が友人と個室を使っていたと言う事実には永遠にたどり着けなかったかも知れませんよ」
ううう~余りにもっとも過ぎて言い返せない。
まるで答え合わせの用に話す田中友男の話を聞いて勘太郎は勿論グ~の根も出ない。そんな勘太郎を見下ろしていた田中友男だったが、今度は白い羊のマスクを被る羊野の方にその視線を向ける。
「では何故個室を借りてまでお酒を飲んでいたのかをこれから話しますね。昨日はそのやっさんから若かりし頃ムショに入った時の体験談を聞く約束をしていましたから個室を予約したんですよ。やっさんとは静かな所でゆっくりと語り合いたかったですからね」
「やっさんとか言うホームレスの事や個室を提供した女将さんの事は分かりましたわ。では後で赤城刑事にでも頼んで本当に田中さんとそのやっさんとか言うホームレスがお酒を飲んだかどうかを調べて貰う事にしますわ。あ、因みに何のお酒を飲んだのですか?」
「ん、ビールだよ。俺はそれしか飲まないからな」
「ビールですか……でも調べでは田中さんは生まれは九州の熊本県だと聞いたのですが焼酎とかは飲まれないのですか? やはり九州男児と言ったら焼酎を飲まれるイメージがありますからね」
「いや、俺は確かに九州出身だが何故か焼酎が体に合わないんだよ。だからビールかカクテル類ばかりを飲んでる」
「そうですか。まあ、アルコールにも人の好みや好き嫌いはありますからね。九州男児の全てが焼酎好きと言うのは私の浅はかな偏見ですか。すいません余談が過ぎました。では次は、昨日十八時十分頃に校舎の外の非常階段を見張って貰った事についてです。見張っていた時、本当に人は誰も降りては来なかったのですか」
「ああ、誰も降りては来なかったな。ず~と見張っていたから間違いないです」
「そうですか。でも裏階段の一階に現れた絶望王子は外に出た時、非常階段のある方に逃げたと記憶しているのですがね」
「そうなんですか。でも私はその絶望王子を見ていませんね。きっと私を避けて何処かに逃げたのでしょう。ではもういいですか。私もそろそろ戻らないとお昼休みが終わってしまいますので」
そう言うと田中友男は持っていた弁当を更に気にしながら立ち去る素振りをみせる。どうやら昼休みの残りの時間と弁当の温もりが気になるらしい。そんな田中友男を羊野は強引に止める。
「あ、後二つ程話を聞かせて貰っていいですか」
「後二つって……もうそろそろ私も時間が無いんだが」
「直ぐに済みますから。小枝愛子さんに作ってあげた吹き矢の針が入った小型ケース箱の事です」
「ああ、確かにあれは私が作ってあげた物です。それで、その小型のケース箱がどうかしたのですか」
「いえいえ、見事な作りだったんで感心している所なんですよ。あんな器用な細工が作れるだなんて凄いなあ~と思って」
「そうかな、あんなのはちょっと手先が器用で知識のある人なら誰でも作れるよ」
「何でもあの佐藤彦也君にも作ってあげたとか」
「あのダーツの針を入れるケース箱の事だな。小枝さんが佐藤彦也君の分も何とか作ってくれと直接頼みに来たから作ってあげたんだよ。でも聞いた感じでは大事に使ってくれている用で良かったよ」
「あのボタンを押すと留め金が外れて独りでにケースの蓋が開く仕掛けは、バネで開く傘を参考にした物ですか」
「ああ、そうだよ。片手でワンタッチの方が出しやすいからな」
「それに人づてに聞いた話だと貴方は小枝さんに吹き矢の技術を教えるほどの上級者らしいじゃないですか。一体何処でそんな特技を思えたんですか」
「昔吹き矢同好会という中年の叔父さん達の集まるマイナーな団体があって、それに参加していたんだよ。前に科学部の部室の中を掃除している時に小枝さんに会って、その時にたまたま吹き矢を披露して見せた時があるんだよ。そしたら彼女がその吹き矢の技術を覚えたいと言うから教えてやったんだが……それ以来の仲だな」
「つまりは師弟関係と言う事ですね」
「はははっ、そんな仰々しい物じゃないよ。ただ趣味で私の特技を教えてあげただけだよ。私としても女子高校生に何かを頼まれるのは決して悪い気はしないからな」
少し照れながら田中友男は豪快に笑う。
「そうですか。では最後に一つ。昨日綾川エリカさんがスマホを無くされたそうなのですが、田中さんはそのスマホを見たことはありますか」
「そう言えば昨日、あの不良学生達がそんな事を言っていたな。済まないが見た事は無いな。もし校舎内の何処かでそれらしい物を見かけたら職員室に届けるとするよ」
「ええ、お願いしますわ」
羊の被り物の奥から響く可愛らしい声を聞きながら田中友男は、校舎内にある四階の用務員室へといそいそと走り出すのだった。
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