恋しい人 第30話

「葵、元気がない理由を聞いてもいいか?」

 部屋に戻るなりドアノブに手を掛けたまま尋ねてくる虎君の言葉に僕は力なく笑う。やっぱり分かっちゃった? と。

 頑張っていつも通り振る舞ってるつもりだったけど、虎君にはバレちゃうよね。

「俺だけじゃなくて、茂さん達も気づいてたぞ」

「! でも、何も言われなかったよ?」

「俺が止めた。俺に任せて欲しいって言って」

 驚きながらも僕がベッドに腰を下ろすと、虎君は漸くドアノブから手を放しゆっくりと近づいてくる。

 僕の前で立ち止まると虎君は隣に座ることなくそのまま跪き、僕の手を取った。

「虎君……?」

「ずっと元気なかったよな? 何かあった?」

 校舎を出てきてからずっと無理をしていただろう?

 そう尋ねてくる虎君は心配そうに眉を下げ、何かあったのかと静かな声で質問を重ねた。

 身体の奥に響くような低い声は聴いていて心地良い。

 心の底から安心できるその音をずっと聞いていたいと思いながら僕は虎君の手を握り返し、「何もないよ」と薄く笑った。

「本当に?」

「うん。本当に」

「なら、元気がないのはどうして?」

 掌を擽るように動く虎君の手に応えながらも、僕は口籠ってしまう。だって『自分に自信がないから落ち込んでいる』なんて言ったら、虎君は絶対に僕を慰めてくれるって分かっているから。

 僕が自信を取り戻すよう沢山言葉をくれるって分かってるから、言い辛い……。

「俺には言えない?」

「言ったら虎君、僕のこと甘やかすもん……」

 本当ならこんなことも言わない方が良いって分かってる。けど、優しい声に無性に甘えたくてどうしようもなくて、結局我慢できなかった。

 拗ねるように唇を尖らせ虎君の視線から逃げる僕。でも僕の顔を覗き込む虎君からは逃げることなんてできない。

「何言ってるんだよ。言わなくても俺は葵を甘やかすぞ?」

 こっちを向いてと頬に触れ促してくる虎君。僕はその手に、その声に抗うことができない。

(甘えちゃダメだって分かってるのに……分かって、るのに……)

 僕をジッと見つめる虎君の瞳に囚われてしまう。

「ほら……、言いたくなってきただろ……?」

 甘い声と心臓の音に支配される聴覚。僕は息をすることを忘れてしまいそうになる。

 唇に触れてくる指は問いかけの答えを知っている。

 僕はちゅっとキスを落とすと、話す前に抱きしめて欲しいと手を広げる。

 虎君は僕の望みを叶えるため立ち上がり、僕の隣に腰を下ろしておいでと抱き寄せてくれた。

「何があったか教えて……?」

 僕を安心させるため背中を優しく擦りながら言葉を促してくる虎君。

 髪に落とされるキスに顔を上げれば、今度は額にキスが落ちてきた。

「口にはしてくれないの……?」

「それは葵の心が軽くなってから。さぁ、何があったか話して?」

 僕を見つめる虎君の眼差しに一度小さく頷くと、その肩に身を委ねて元気がない理由を話し始めた。

 帰り際に斗弛弥さんに会ったこと。斗弛弥さんから僕はまだ子供だと指摘されて落ち込んだこと。そして、落ち込んでいたところに虎君と姉さんの様子を見て二人の想いを疑ってしまったこと、全部話した。

 虎君の想いを疑ってしまった自分がとても嫌い。自分に自信がないからといって一番信じるべき人を疑ってしまったなんて、僕は僕をどうしても許すことができない。

 だから甘やかさずに怒って欲しいと訴える。僕を好きでいてくれるなら許さないで。と。

「可愛い顔でそんな意地悪なこと言わないでくれよ」

「だって、甘やかされてばっかりじゃ僕はずっと子供のままだよ……」

「葵が早く大人になりたいって気持ちは分かるよ。本当に。俺も早く大人になりたくて必死だったから」

 困ったような笑い顔。僕は虎君の言葉に「嘘だ」と驚いてしまう。だって虎君はいつだって大人の男の人だったから。

 驚く僕に虎君はなんで驚くんだと笑った。中高生にはよくある大人への憧れだぞ。と。

「大人だって言ってくれる葵には悪いけど、俺もまだまだ子供だよ」

「そんなことないよ? 虎君はいつだって―――」

「葵より5年も早く生まれたから、大人に見えるだけさ。本当に俺が大人だったら、みっともない嫉妬なんてしないはずだろ?」

 心を律することができないことがある。自分を抑えることができないことが。

 虎君は僕を見下ろして微笑むと、目尻にチュッとキスを落としてきた。

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