大切な人 第33話

「こら、そんな顔しない」

「だって……」

 額を小突き合わせてくる虎君は、自分も我慢してるんだからと苦笑を漏らす。

 僕は我慢して欲しいなんて言ってないのにって頬っぺたをぷくっと膨らませるんだけど、虎君は「ダメだよ」って頬っぺたを突っついてきた。

「可愛い顔は俺の前だけにして?」

「! 僕可愛くないもんっ……」

「それ、分かってて言ってるな?」

 優しい笑顔を見せるなんて狡い。

 その笑い顔に膨れっ面が保てなくて、僕は虎君に導かれるがまま破顔した。

「よし。良い子だ」

「もうっ、子ども扱いしないでよ!」

「ごめんごめん」

 怒ってみせる僕に向けられる眼差しの奥には、確かな『愛』があって安心する。

 おかげでさっきまで僕の中にあったモヤモヤはスーッと消えて無くなって、いつもの僕で姉さんに向き合うことができた。

「姉さん、ごめんなさい」

 家のことを考えたら、誰が見てるか分からないバルコニーで虎君と仲良くするべきじゃないことは理解できる。

 だから怒ってくれたんだよね?

 そう姉さんを見上げれば、姉さんは言葉を詰まらせ、泣きそうな顔をした。

「姉さん?」

まもる、そんなに虎が好きなの? お姉ちゃんより、私よりっ、虎君が大事なのっ!?」

 どうしたの? と顔を覗き込んだら、涙目の姉さんに抱きつかれた。

 ぎゅーっと力任せに僕を抱きしめる姉さんの力は相変わらず強い。おかげで息苦しくて敵わないんだけど、でも姉さんの気が済むならと我慢する僕。

 でも、僕が我慢しても虎君は我慢できなかったみたいで……。

「おい、離れろ」

 さっきまでと全然違う声色で姉さんと僕を引き離そうとする虎君。

 今までは『葵が困ってるだろうが』って僕を気遣う言葉で姉さんを制してた虎君だけど、今日は、今日からは違うみたい。

「葵を抱きしめていいのは俺だけだ」

「! はぁ? 何その独占欲! 私は葵の姉よ!?」

「姉貴だからなんだよ。俺は恋人だ。分かったら離れろ」

 割と強めの力で僕と姉さんを引き離すと、虎君は僕を抱きしめてくる。

 姉さんとは違って力強いけど優しい虎君の腕の中、僕は姉さんの時とは違って安心して身をゆだねる。

「何よっ! 横暴すぎない!?」

「お前が力任せに抱きしめるからだろうが。その馬鹿力、コントロールできるようになってから出直してこい」

「あんた、さっきと言ってること違い過ぎでしょ!」

(うん。そうだね。僕もちょっと思った)

 姉さんの怒りの声に僕も同感。

 虎君、ついさっきまで姉さんの肩を持っていたのに、今度は姉さんと言い合いを始めちゃってる。

 でも、その理由、ちゃんと分かってるよ。

(僕が不安に思わないように。僕だけが『特別』だって伝えてくれるためだよね?)

 実の姉相手でもじゃれ合うのは許せない。

 そんな独占欲を僕のために見せてくれる虎君が、堪らなく愛しい。

「姉さん、姉さん」

「何!?」

「静かにしないと母さんに怒られるよ?」

 夜遅い時間にこんな風に怒鳴り声を響かせていたら、怒られるのは僕じゃなくて姉さん。

 そう言って、静かにしよ? とお願いしたら姉さんは意気消沈したのか悲し気な表情で俯いてしまった。

 流石に姉さんが可哀想になって、僕は虎君の腕から抜け出し姉さんの手を握る。

「僕、姉さんのこと大好きだよ」

「……でも、虎の方が大事なんでしょ?」

「そんなの比べられないよ。姉さんは大切な家族。虎君は大切な恋人。二人とも僕の大切な人だよ?」

 だからそんな悲しい顔をしないで?

 そう言って顔を覗き込んだら、また抱きしめられる。

 でも今度はさっきとは違って力任せじゃない抱擁。

 僕も姉さんの背中に手を回し、伝える。姉さんが大好きだよ。と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る