大切な人 第17話

「それじゃ、夕方にまた来るから。……樹里斗きりとさん達が帰ってきたら、そう伝えておいて?」

「分かった……。ありがとう、虎君」

「もし夕方まで我慢できなかったら、その時は連絡するな?」

「! うんっ……!」

 なるべく我慢するけど。

 そう悪戯に笑う虎君の笑い顔に胸がぎゅっとなる僕。

 思わず抱き着きたくなったけど我慢しないと慶史けいしがまた不機嫌になっちゃうから頑張って我慢した。

「俺は虎のおもりしてくるから、凪のことは頼んだからな!」

「! 分かった。海音かいと君、虎君のこと、よろしくお願いします」

 仲良しな二人の姿に顔を出す嫉妬心。

 僕はそれもグッと我慢して、笑顔で頭を下げた。本当は『僕の虎君』って言いたかったけど我慢した自分を褒めてあげたいって思った。

「可愛い嫁だなぁ、おい」

「嫁扱いするな」

 しみじみと言ってくる海音君の言葉に僕が反応を返す前に虎君が不機嫌な声で海音君を窘め、威圧する。

 虎君の反応にビックリしてるのは海音君で、褒めたつもりだったんだけど……って戸惑いを見せた。

 僕は虎君が怒った理由が分かったから、『僕は大丈夫だよ』って意味を込めて虎君を呼んだ。

「ごめんな。知ってる通り海音は馬鹿な上デリカシーが全くないから……」

「うん。知ってる。だからそんなに怒らないであげて?」

 眉を下げて僕の髪を撫でてくる虎君の頼りない表情が可愛い。

 僕だけが見ることのできる表情に覚えるのは優越感だ。

「え、なんで俺そこまで貶されてるの? まもるもさり気にひでぇな?」

「酷くないよ? むしろ酷いのは海音君でしょ? 男の僕を虎君のお嫁さん扱いするんだもん」

 不機嫌を装って頬を膨らませて見せたら、海音君も虎君が怒った理由が分かったみたいで、『しまった』って顔をして見せた。

「ほら、行くぞ海音」

「! え? あ、おう! ……ごめんな、葵」

 さっさと歩け。って海音君の腰めがけて蹴りを入れる虎君。

 海音君は促されるがまま玄関へと歩き出して、蹴られた腰を擦りながら自分の失言を反省してるみたいだった。

「行ってくるな」

「! い、いってらっしゃいっ!」

 海音君を追いかける前に虎君は身を屈めると、一秒にも満たない僅かな時間、僕の唇を奪って笑う。

 大好きメーターがあったら一気に振り切れたと思うぐらい、心臓がドキドキして煩い。

 僕は優しい笑顔で手を振る虎君に手を振り返して、夢見心地なまま虎君と海音君を見送った。

(うぅ……。もう! 本当、大好きだよぉ……!)

 夕方、虎君が戻ってきたら一杯大好きって言わなくちゃ溢れてくる『好き』で身体がいっぱいになってしまいそうだ。

 マンガで見る恋する女の子みたいな表情を自分がしていそうだと頬っぺたを引っ張って何とか緩みを引き締める僕。

 でも、慶史達を振り返る僕の目の前には、今のやり取りを見ていただろう三人の何とも言えない顔が連なってあって……。

「……初めてじゃない?」

「え? な、何が?」

 気まずいと思いながらも虎君が海音君と出かけたと伝えたら、慶史は眉を顰め、不貞腐れながら口を開いた。

 何が『初めて』なのか分からない僕は、今のキスのことだろうかと顔が赤くなる。でも、慶史はそんなことを聞いたわけじゃなかった。

「あの人が自分から葵の傍を離れるの、初めてじゃない? 必要に駆られない限り葵から離れたことなんてないでしょ?」

「そ、そんなことないよ? 確かにいつも一緒に居るように見えるかもしれないけど、全然違うからね?」

 付き合い始めてマジで変わり過ぎ。

 そう不機嫌な面持ちで吐き捨てる慶史には、本当のことは言えない。慶史の言った通りかもしれないだなんて、絶対に。

「あいつに嫉妬丸出しで威嚇されるのもムカついたけど、こんな余裕見せつけらるのはもっとムカつく……」

「お前、それじゃ先輩どうすりゃいいんだよ」

「そんなの分かんないし!」

 痛みが引いて元気が回復した悠栖ゆずの突っ込みに、慶史は泣きそうな顔をして声を荒げる。

 いつになく不安定になっている慶史。

 僕はそんな慶史を宥めるために足を踏み出し、そのまま慶史を抱きしめた。

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