My Everlasting Dear... 第4話

「っ、分かったよ。起きるよ。起きるから!」

 虎の黒い笑顔に気圧された茂斗しげとは起き上がるとベッドから降り、そのまま文句を言いながら部屋を出て行った。

 無事に茂斗を起床させた虎は手にしていた布団をベッドに戻すと、主のいなくなった部屋を後にし、本来の目的に戻る。

 部屋を出ると廊下を歩き、まだ眠っているだろう葵の部屋に向かう虎。時間を確認しながらきっと今もまだ幸せな夢の世界にいるまもるの寝顔を思い浮かべると、無意識に笑みが零れてしまう。

「! っ」

 鏡で確認したわけじゃないが、今盛大に顔が緩んでいる気がした。

 虎は表情を戻すために咳払いをして平静を装って、辿り着いた葵の部屋のドアをノックした。

「葵、入るよ?」

 返事がないと知りながらもマナーとして一応声を掛けて、ドアを開ける。

 茂斗の部屋とは反対に雑貨が多くて小学生らしい空間。好きな本やゲームが棚に並べられ、壁には一生懸命完成させたパズルやポスターが飾られていて健やかに育っていることが部屋からも分かる。

 虎がベッドに歩み寄ると犬のクッションを抱きしめ丸くなって眠る幼い男の子の姿が其処にあって、そのあまりの可愛さに、起こさずこのまま眠らせてあげたいと思ってしまう。

(本当に葵は可愛いなぁ)

 こみ上げてくるのは愛しさで、虎は起こすために伸ばした手でその頬に触れてしまう。

 柔らかくてすべすべな肌は昔と変わらなくて、今朝見た夢が重なる。でも目の前にいるのは小さな小さな赤ちゃんではなく、小学三年生の子供。

 あの日からもう八年も経過しているのかと改めて時の流れを感じる虎は、頬を掠める自分の指がこそばゆいのか僅かに身じろぐ葵を見つめ、目を細めた。

(何があっても俺が守ってやるからな……?)

 八年前に芽吹いた想いは強くなる一方で、今はもう受け入れているとはいえ、一時は随分悩んだものだ。

 この想いは『異質』で『間違っている』と自分を恥じたりもした。他者に知られる前に『想い』を殺さなければと努力したこともあった。だが、虎の努力とは裏腹に『異様』な『想い』は消えることはなく、むしろ育つ一方で、三年前に決定的な出来事が起こってしまった。

 その出来事は虎を絶望させ、死にたいと思わせた。まぁ実際に楽になるための行動を起こすことはなかったが、自棄になりかけていたのは事実だ。

 だが虎は自棄になってすべてを失う前に、最後の理性を手繰り集め、葵の為にもこのまま傍にいるべきではないと別の行動を起こした。そしてその行動によって虎は心を救われ、今もまだ葵の傍にいることができている。

(大丈夫。俺は葵の幸せの邪魔はしない)

 大切だから、心から葵が大事だから、ただただ葵の幸せを願う。葵の幸せには、自分の想いが邪魔だと、虎は理解していたのだ。

「んっ……」

 顔を出しかけていた秘めた想いに身を任せていた虎の耳に届くのは葵の小さな声。頬に触れていた手を反射的に引っ込めたのは、想いが知られる可能性を摘むためだ。

 葵に触れていた手を握り締め、もう一度触れたいと願う衝動と戦う虎。これ以上触れてはいけない。と警鐘を鳴らす理性に意識を傾け、何とか手を引っ込めることができた。

 だが、必死に押し込めた衝動が次の瞬間また暴れだす。

「とら、く……」

「!!」

 衝動を抑えられて安堵していたせいなのか、突然の出来事をうまく処理できない。

 今、葵は自分の名を口にしなかっただろうか?

 心臓の鼓動が早くなっていると体感しながら、虎はベッドで眠る葵を覗き込む。もしかしたら葵はもう起きているのかもしれない。と。

 しかし、恐る恐る名前を呼んで反応を伺うも、返ってくるのは寝息だけ。愛しさを殺せず触れていたと知られなくてよかったとホッと息を吐くものの、冷静になった頭に思い出す。葵が口にしていた言葉を。

(っ、ヤバいっ)

 葵は自分の名を呼んでくれた。眠りながらも、自分の名前を。

 その事実は虎の顔を一瞬で赤面させ、目の前を極上色に染め上げる。葵が可愛くて愛しくて、もう頭がどうにかなりそうだった……。

 想いが溢れ、暴れ、抑えつけたはずの衝動に身体が支配されそうになる。だが、衝動が全身を駆け巡った先にあったのは『記憶』で、それが再び理性を呼び戻して衝動を檻に閉じ込めてくれた。

(っぶなかった……)

 荒く呼吸を繰り返し、平静を思い出す。

 虎は天井を仰ぐと何度も自分に言い聞かせた。俺は葵の理想の『兄』だ。と。

「―――、葵、朝だぞ」

 冷えてゆく頭に、仮面を被る。虎は眠る葵の肩に手を添えると、「遅刻するぞ」と身体を揺さぶった。

「んんっ……。……とら、くん、……あと、ごふん……」

「だーめ。そう言って前三〇分も起きなかっただろう? 目覚ましも用意できてるし、早く起きろ」

 目を閉ざしたまま顔を顰めて、『もう少しだけ寝かせて』とぐずる葵。そんな葵に虎は今日は甘やかさないぞと言わんばかりの態度で挑むと、茂斗の時と同じく葵を包み込む布団に手を伸ばすと、そのまま奪い取った。

 朝でも寒さを感じない季節ではあるが、こんな風に突然布団を奪われたら誰だって寒いと身震いしてしまうもの。葵も逃げる熱に抱きしめていた犬のクッションを一層強く抱きしめて、唸り声をあげていた。

「ほら、葵起きて」

「やぁ……、まだねるぅ……」

「ダメだって。今日は葵の好きなキャラメルカフェオレ作ってあるから、な?」

 良い子だから起きてくれと苦笑いを浮かべ、もう一度身体を揺さぶった。すると漸く頑なに閉ざしていた目を開く葵。姿を見せる瞳の輝きはやっぱり昔のままだった。

「ほんと……?」

「ああ、本当。でもさっき桔梗が狙ってたから、早く起きないと取られるぞ?」

 嘘じゃないかと尋ねてくる葵が可愛い。虎は愛しさが滲まないよう気を付けながらも笑い、覚醒を促した。

「! ダメっ! ぼくのカフェオレ!」

「なら、急いで起きないとな」

 勢いよく身体を起こす葵は虎の言葉に素直に従ってベッドを降りると、カフェオレを死守するために階下に降りようと部屋を出る。

 だが、部屋を出る直前、葵は何かを思い出したように「あ!」と声を上げ、もう一度部屋の中へ戻ってきてしまった。

 布団をベッドに戻していた虎は、そんな葵に「二度寝はさせないぞ?」と笑いかける。

「大丈夫。忘れてたから戻ってきただけ」

「? 何を?」

「『おはよう』の挨拶」

 葵は虎の前に立つと、「しゃがんでよ」とお願いしてくる。

 虎が言われるがまま身を屈めると、葵はその頬にチュッとキスを落としてきた。

「おはよう、虎君!」

 無邪気な笑顔で告げられる朝の挨拶。眩しすぎるその笑顔に虎は破顔すると同じように葵の頬に唇を寄せた。

「おはよう、葵」

 虎からの『挨拶』に葵は一層幸せそうに笑うと、笑顔のまま「カフェオレ!」と踵を返して部屋を出て行った。一人部屋に残された虎はその場にしゃがみ込み、頭を抱える。

「はぁ……、なんだあの生き物は……」

 日毎可愛くなる葵に、愛おしさは深まるばかり。

 虎はどうかこれ以上可愛くならないで欲しいと思いながら、階下から聞こえる「虎君どうしたのー?」と自分を呼ぶ葵の声に立ち上がり、愛しい人が成長する空間を後にした。

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