第202話

「かかってきた……。ねぇまもる茂斗しげとに何があったか全部話すよ? それはいいよね?」

 程なくして手の中で振動し始めた携帯に一度視線を落とした後、慶史けいしは僕に断ってくる。茂斗は何も知らないんでしょ? って。

 その言葉に、茂斗は僕が失恋したことを知ってると思いながらも口に出すのが億劫に感じて頷きだけを返して顔を背けた。

 電話に出た慶史は、また怒鳴っている茂斗にうんざりした声を返しながらまたバスルームへと消えて行った。

「兄貴はマモが先輩のこと好きだって知らないのか?」

「知ってるよ……。茂斗に言われて自覚したようなところもあるし……」

 僕の肩を抱いて気持ちの高ぶりを抑えてくれていた朋喜ともきにもう大丈夫だと伝えその手から逃げる。

 優しさに救われるものの、罪悪感と自己嫌悪で死そうだった。

 二人から逃げるようにベッドの隅に座って蹲る僕に、二人はお手上げだと諦めたのか口を閉ざして慶史がバスルームから出てくるのを待った。

 防音設備は整っている寮の部屋。

 それなのに聞こえる慶史の声。

 部屋が静かだからか、それとも慶史の怒鳴り声が大きかったからか、そのどちらもなのかは分からない。

 ハッキリとした言葉は分からないけど言い争っているって事だけは伝わってきた。

(家に帰りたくない……。帰りたくないよ……)

 家には虎君と姉さんがいる。

 付き合い始めたばかりの二人を間近で見るのは絶対に耐えられない。

 そして僕が家に帰りたくない理由は今さっき増えてしまった。

(茂斗と凪ちゃんも、父さんと母さんも、見たくない……)

 僕を憐れむだろうみんなの視線に耐えることはできる。

 でも、みんなが大好きな人と幸せそうに笑い合っている姿を見ることは、どうしても堪えられない。

 家に帰りたくない。だって、僕の居場所は無くなってしまったんだから……。

(けど、今夜には帰らないとダメなんだよね……)

 みんなの前で大泣きして、虎君の幸せを壊したくない。

 そのためにも家に帰りたくないんだけど、タイムリミットは刻一刻と迫っていて……。

 後数時間の間に覚悟を決めないとダメだと自分に言い聞かせて膝を抱えた時、バスルームから聞こえていた怒鳴り声が止んだ。

 そして程なくして開いたドアから出てきたのは疲れ果てた慶史だった。

「ど、どうだった?」

「説明の途中から怒鳴るわ喚くわで全然話進まなくて参ったよ。……茂斗の奴、寝耳に水だったみたいだよ、葵」

 遠慮がちに状況を尋ねた悠栖ゆずに応えを返した後、慶史は僕が座るベッドに腰を下ろすと、何も知らない茂斗相手にどうしてさっき電話口で怒り出したのかと聞いてきた。

 心配してくれる友達に、『実はただの被害妄想でした』と言えるほど僕の心臓は強くない。

 そんな僕を見越してか、慶史は髪を撫でて僕の気持ちの昂ぶりが治まるのを待ってくれる。

「……家、帰りたくない……」

「どうして? 葵、家大好きでしょ?」

 先輩と会い辛いことは分かってる。でも、家族に心配かけたくないでしょ?

 そう言葉を続ける慶史に、僕は首を振って否定を示した。

 いや、心配を掛けたいわけじゃない。でも、自分の心がこれ以上醜くなるのは辛すぎる。

「茂斗が言ってたよ。みんな心配してる。って」

「それでも、ヤダ……。みんな幸せなのに、それなのに、僕だけ……。僕だけっ……」

 幸せだと見せつけられている気持ちになってしまう。

 そして、そんな自分がどうしようもないほど嫌だ。

 声を小さく伝えると、慶史も小さく「そっか……」って息を吐いた。

「悠栖、申請書貰ってきて」

「! なんの?」

「部外者用の滞在申請書。葵の滞在申請は今日の昼までしか出してないし」

 僕から手を離した慶史は悠栖と朋喜を振り返ると寮長が帰省していたら寮父からもらってきてと指示を出した。

 慶史が何を考えているのか分からなくて顔を上げたら、慶史の後ろ姿と困惑した悠栖と朋喜の顔があった。

「慶史、なんで―――」

「家に帰りたくないんでしょ? なら気が済むまで此処に居たらいいよ」

 真意がわからなくて思わず名前を呼べば、慶史は振り返って笑った。

 いつもの人を小馬鹿にしたような笑い方じゃなくて、優しさに満ちた笑い顔で。

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