第183話

 泣くだけ泣いて何とか落ち着きを取り戻した僕は、梃子でも動かないとベッドの傍に鎮座していた茂斗しげとにもう大丈夫だからと告げて半ば強引に部屋から出て行ってもらった。

 追い出された形になった茂斗は随分な扱いを受けたにもかかわらず部屋を出て行く直前まで僕の心配をしてくれていて、何処までも頼りになる双子の片割れだと思った。

 部屋に一人になった僕は失恋の恋の痛みに身を切られる思いをしながら、この想いを忘れる努力をしなければならないと考えていた。

 できることなら忘れたくない想い。でもこの想いは虎君には迷惑でしかない。

 だから早く忘れて今まで通りに戻らないと。

 そんな風に考えることはできるけど、前向きになろうと心を偽る僕を嘲笑うのは深層心理に潜む僕だった。

(『今まで通り』なんて、無理に決まってる。僕は虎君が好きだから、どんなに取り繕っても昔に戻れるわけないよね……)

 きっと今ここで記憶喪失にでもなって虎君への想いを忘れてしまえば、『昔』に戻れるだろう。

 でもそんな都合のいい展開なんて起りえない。

 僕はこの先ずっと虎君への想いを抱えて生きていかなければならない。

 たとえ焦がれる想いが薄れたとしても、虎君を想った心は無くなったりしない。

 そこまで考えて、僕はもう以前のように虎君の傍にいることができないんだと理解した。

 理解して、気持ちは落ち込んだ。

 ずっと一緒に居られると思っていた大切な人に恋心なんて抱いたせいで、僕はその人を永遠に失ってしまう。

 それはんて悲劇なんだろう。

「やだな……。僕、物語は絶対にハッピーエンドじゃないと嫌なのに……」

 それなのに僕の物語はあまりにもひどい結末で、笑うしかない。

 僕は涙を堪えて独り笑った。笑わないとまた同じことの繰り返しのような気がしたから。

「……次の物語はハッピーエンドじゃないと恨むよ、神様」

 仰向きだった体勢から身を捩って横を向くと、勉強机の上に飾った写真立てが目に入る。

 数えきれないほど撮った写真の中で一番のお気に入りは二年前の春に家の庭で取った思い出。

 確かあの日、虎君は大学の入学式の前日でお父さんとお母さんもサプライズで日本に帰って来てて大騒ぎしてたっけ。

 たかが大学の入学祝いをするためにわざわざイギリスから帰って来なくてもよかったのにって悪態をついていた虎君。でも、聞けば夏に新しいアルバムをリリースする予定の虎君のお父さんとお母さんのバンドはレコーディング作業が佳境だったみたいで、次の日には日本を発つタイトスケジュール。虎君の悪態の理由は、両親の身体を心配してのことだった。

 僕はそれを知って優しい虎君がますます大好きになって、照れ隠しをする虎君を可愛いと思った。

 写真に写っているのは、その時の僕と虎君。カッコいいのに可愛い虎君を茶化して笑う僕と、そんな僕に困ったような笑い顔を見せる虎君の姿……。

「ふっ……うぅ……」

 視界が歪んで写真に写る僕の姿も虎君の姿もぼやけてしまう。

 僕は写真から目を逸らし、枕に顔を埋めて必死に涙を堪えた。

 でも、我慢しても嗚咽は漏れてしまって、自分のその声に悲壮感が余計に増してまた涙がボロボロと零れてきた。

「だ、めだ……、はぁ……、しっかりしないと……」

 混み上がってくる熱いものを必死に飲み込み、ごしごしと目を擦って涙を引っ込める。

 感傷に浸っていたらいつまでたっても決心できなくなってしまいそうだ。

 僕は勢いをつけて体を起こすともう一度目を擦って涙の痕を誤魔化した。

(……虎君、もう帰ったかな……)

 掛け時計が示す時間は、いつもなら家に帰っているだろう時間。

 でも、脳裏に過るのは姉さんと虎君の姿で、僕は慌てて首を振って悪いイメージを追い出した。

(ダメだ……、こんなんじゃ明日も部屋に閉じこもらないと泣いちゃいそう……)

 そんなことになったら、今日は放っておいてくれた母さん達が煩そうだ。

 僕は気持ちを切り替えられないならいっそ何も考えないようにすればやり過ごせるかもしれないとか無謀な事を考える。まぁ自分の性格的に無理だって分かってるんだけど。

「いっぱい泣いたからかな、ちょっとだけ元気かも……」

 自分の突拍子ない考えに無意識に笑っていた自分に安堵する。

 僕は少しだけ持ち直した気分に、今のうちにお風呂に入ってついでに何か飲み物をとってこようとベッドを降りた。

 鍵を外してドアを開け、顔を出して廊下の様子を窺う自分に馬鹿だなと自嘲が零れる。

(虎君がいるわけないのに、何期待してるんだか……)

 帰っていて欲しいと思っていたくせに『もしかして』を期待するなんて、浅はかにも程がある。

 僕は深呼吸を数回繰り返して別の事を考えるよう心掛けた。

 でも、祈る思いで階下に降りた僕は廊下に響く声に身体が竦んでしまった。

 数歩先にはリビングのドアがあって、ドアはちゃんと閉まってる。けど、それでもよく通る声はドアをすり抜け僕の耳に届いてくれる。

「ちょっととらぁ! あたしのはらし、ちゃーんときぃてるぅ!?」

 舌足らずな喋り方はいつもの凛とした雰囲気とは似つかわしくない。でも、それでもこれは姉さんの声だ。

 呂律の回らない喋りはとても素面とは思えなかったけど、かろうじて聞き取れた名前に僕は全てがどうでもよくなってしまった……。

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