第69話

「ほら、車に乗って」

「うん。ありがとう、虎君」

 わざわざ助手席のドアを開けてくれる虎君。流石にそれぐらい自分でできるよ? って言うけど、病人なんだからって聞いてもらえなかった。

(病人じゃないんだけどなぁ……)

 でもそれを口にしたらまた心配かけちゃいそうで、言い辛い。けどやっぱり虎君を騙すことはしたくないし、ちゃんと言わないとって思い直した。

 お待たせって運転席に乗り込む虎君。僕はエンジンをかける虎君に病人じゃないと伝えようと向き直った。でも……。

「言い辛かったら言わなくていいけど、殴られる前、何かあった?」

 僕が説明するより先に虎君が尋ねてくる。吐いた理由は殴られたせい? って。

「なんでそう思うの……?」

「いや、なんとなく。脳震盪のせいだって斗弛弥としやさんからは連絡来てたけど、それだけじゃない気がしたから」

 もともと気分が悪かったんじゃないか?

 そう心配してくれる虎君は、僕が吐くなんて珍しいからって言う。

「実はね、気分が悪くてトイレ行こうとしてたの」

 軽音部の人たちに絡まれる前から気分が悪かったって言ったら、虎君はやっぱり眉を下げる。それは体調を心配してなのか、それとも別の心配をしてなのか、分からない。

 僕は虎君の表情が見ていられなくて視線を太ももに落としてしまう。元々体調が悪かったって嘘を吐いたら虎君は朝気付かなかった自分を責めそうだし、本当の事を話したら僕が虎君を責めてるように聞こえてしまいそうで怖かった。

 嘘を吐くべきか本当の事を話すべきか、僕は分からず言葉を探す。

 でも、僕が話をしているのは生まれた時からずっと一緒にいる虎君。誰よりも、家族よりも僕を理解してくれている大切な『お兄ちゃん』。僕が黙った理由なんて、すぐに見破ってしまう。

「何があった? ……誰かがまもるを傷つけるようなことを言ったのか?」

 体調が悪いから吐いたわけじゃないって察した虎君は、それ以外で僕が吐くに至る唯一の原因を心配してくれた。

「最近大丈夫そうだったから安心してたのに……」

 虎君が言うのは、急激な気分の落ち込みの事。極度の不安を覚えたりすると身体が異物を排除するように拒絶反応を起こしてしまう体質に、虎君は「ここ数年落ち着いてたのに……」って僕の手を握ってきた。

 そして、改めて尋ねられる。誰が心無い言葉を浴びせたのか。って。

「違うの。ちょっと悲しいことがあっただけで、そういうんじゃないから……」

「何が悲しかったんだ?」

 誰にも傷つけられてないって笑うんだけど、無理に笑わなくていいってそれを止められてしまう。僕が二度と悲しい想いをしないようにするからって、言ってくれる……。

 僕はその言葉に虎君へと視線を向けると、本当に? って尋ねた。その言葉は嘘じゃない? って。

「ああ、勿論。俺が葵との約束破ったことある?」

「ううん。ない……。虎君、いつもちゃんと僕との約束守ってくれてる……」

「だろ? ……だから、安心して話して?」

 何があっても、俺が葵のことを守るから。

 そう真剣に告げてくれる虎君に、僕は意を決して口を開いた。きっと虎君は話を逸らしたって思うだろうけど、ちゃんと分かってもらうために最初から話すことにした。

「虎君は、慶史けいしや僕の他の友達の事、好きじゃない?」

「え? なんで?」

 案の定、虎君は『なんで今その話?』って顔をする。

「実はね、お昼休みに慶史達と喋ってたんだけど、その時に言われたの。虎君は怖い印象が強いって……」

「! そっか……。辛い思いさせてごめんな?」

 少し話しただけなのに虎君は何かを察したのか、僕の髪を撫でて謝ってくる。まっすぐ僕を見つめて「葵のことが心配でついやりすぎたみたいだ」って苦笑いを浮かべる虎君。

 僕はその笑い顔に力ない笑みを返して、僕こそごめんって謝った。そもそもの原因は僕自身なんだから。

「なんで葵が謝るんだよ? 警戒心丸出しで牽制したのは俺だぞ?」

「違うよ。僕がしっかりしてたらそもそも虎君に心配かけることもなかったし、僕のせいだよ……」

 虎君が僕を守るために過敏になってしまってる原因。それは僕が頼りないからだ。僕が人を疑わないから、虎君が僕の代わりに人を疑ってくれる。僕が虎君を悪者にしちゃってる……。

「葵、自分を責めないで?」

「でも―――」

「俺はたとえ葵がしっかり者でも茂斗以上に人を疑う性格でも、今と変わらず葵に近づく連中を牽制するよ? 俺の知らない誰かに葵が傷つけられるぐらいなら、俺は喜んで悪者になるよ」

 僕を見つめる虎君の眼差しはこの上ないほど優しくて、泣きそうになる。でもこれ以上虎君に迷惑をかけたくなくて、グッと堪えた。泣くもんか。って。

 けど、虎君はそんな僕の努力を無にする。

「葵が大事なんだ。……本当に、この上ないほど葵が大切なんだ……」

 目尻を下げて笑ってくれる虎君は僕の手を握って伝えてくれる。俺にとって大事なのは葵だけだよ。って。

 僕の心を守ってくれる虎君の言葉は優しすぎて、我慢できなくなる。

 ぽろって右目から涙が零れるのを感じる。でも、それ以上は零れなかった。虎君の指が涙を拭ってくれるから……。

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