二十一章 目覚めた龍(3)

「ぎいいいっ、ちょん!」


 耳もとでいきなりヒヨドリが鳴いたので、若様はびっくりして跳ね起きました。


「朝だ。朝だ。起きろ。ギーチョン!」


 夜が白々と明けて、竜宮島の森を包んでいた靄がゆっくりと晴れてゆくところでした。金木犀の花が一段とかんばしく香っています。


「ギーチョンじゃないか!」


 若様が呼ぶより早く、ヒヨドリはバサバサと羽ばたきして若様の肩に留まりました。


「ここが龍宮島さ」


 ここまで道案内してきた顔でヒヨドリが胸を張ったので若様は吹き出しました。


「ギーチョンさんだ。おはよう」


 若様にくっついて眠っていた虎千代も目を覚ましました。


「ギーチョンでいいさ」


 ヒヨドリは虎千代の頭に飛びうつるとクチバシで小さな耳をつつきました。


「くすぐったいよう」


 頭をプルプル振った虎千代は、辺りを見回しました。


「わかさま。龍はどこですか?」


「あれ? しまった。どこ、いったろう?」


 そっと泉をのぞくと、豆粒のような龍は、小枝につかまってまだ眠っていました。


「なんだ、それ。うまそうだな」


 ヒヨドリが目をキラリと輝かせました。


「ダメ! 食べちゃだめ!」


 とめる間もなく、食いしん坊のギーチョンはクチバシから泉に突っこもうとしました。そのとき。ひらりと茶色い疾風が、みんなの目の前を掠めました。


「ギュウ?」


 ギーチョンがクチバシに枯れ枝を咥えて目を白黒させています。たったいま誰かが素早くクチバシに突っ込んでいったのです。


「なにするんだ。ギーチョン!」


 ギーチョンは枯れ枝を吐き出して、羽をバタバタさせました。


「愚か者。口をつつしめ!」


 小柄なチョウゲンボウが素速い羽ばたきで中空に留まっていました。茶色の翼には黒い縁取りがあるので羽織を着ているようです。油断のない面差しが、どこか家老に似ていました。


「腹が焼けただれて死んでも良いのか。おぬしが喰おうとしたのは素羽鷹の龍ぞ」


「ギイイイー! 助けてえ!」


 ギーチョンは悲鳴を上げながら、遠くへ飛び去りました。


「素羽鷹の龍を千年の眠りより目覚めさせたのはそなただな。七法師」


 チョウゲンボウの黒い瞳が、ひたと若様をとらえました。


「そうです。どうして、僕の名を御存知なのですか」


 若様は目を丸くしました。


「龍の千年ここに尽きたり。七法師は犬護法に従いて龍宮島を尋ねよ」


 チョウゲンボウは朗々と古文書にあった言葉を唱えました。


「なぜ、それを?」


「我らの一族は古より龍の目付役。龍のことならばすべて心得ている」


 チョウゲンボウは空からひらりと舞いおりて、祠の石の屋根に留まりました。ハヤブサの不動丸より小柄ですが、よく似た鉤型かぎがたのクチバシをしていました。


「わたしの名は狭霧丸さぎりまるだ」


「そうだったのか。狭霧丸さん、よろしくお願いします」


「心得た」


 狭霧丸がいかめしくうなずきました。


「狭霧丸さん。龍の目付役って、なんですか」


 虎千代が首を傾げて訊きました。


「千年を生きた龍は、年経た蛇のようにその身を脱いで千年を眠るのだ。目覚めた龍は卵から孵ったごとくに新たな龍の千年を生きはじめる」


 狭霧丸は豆粒ほどの竜に猛禽類らしからぬあたたかな眼差しを注ぎました。


「生まれたての龍は、見てのとおりまだ何の力もないし何も知らない。その世話役が我らというわけだ」


「えっ? それじゃあ、雷に打たれて千切れたのは――」


「脱いだ皮だ」


「死んじゃったんじゃ、なかったんですね」


「龍は眠っただけだ」


「良かったあ!」


 若様と虎千代は抱き合って喜びました。


「龍が元の大きさに育つまで、どれくらいかかるんですか?」


 若様が尋ねました。


「三百年ほどだろう」


「三百年?」


 若様は力が抜けて、がくりと地面に膝をつきました。


「そしたら、間に合わない」


 涙がぽろぽろと頬を伝って地面にしたたりました。


「父上も家老も元に戻れない。戦になって素羽鷹がみんな焼け野原になっちゃう。僕も虎千代もお城に帰れないよ」


 若様が声をあげて泣きだすと、虎千代の舌が濡れた頬を舐めました。すると狭霧丸が鋭く鳴きました。


「泣くな、七法師。忘れたか、古文書に記された約束を」


「約束って?」


 若様が顔をあげました。


「龍の三宝は龍に帰きすべし。龍の三宝を探しだし、幼き龍に返したならば、直ぐにも千年前の元の姿に戻るだろう」


 チョウゲンボウはその美しい斑紋の翼を広げました。

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