十五章 怪物の頼み(3)

「それで、どうやって助けるのですか?」


 虎千代が困った顔で若様を見あげました。


「そうだね。ええっと」


 真っ暗な井戸は見るからに恐しい場所でした。ここを下りていくのかと思うと背筋がゾクゾクします。でも下から聞こえてくる泣き声は一刻も早く助けにいかなければと若様をせかすのでした。試しに井戸の縁に腰掛けてみると、石を積み重ねた壁は思ったよりでこぼこしていて、手掛かり足掛かりになるものはありそうです。


「これなら下りられるよ。角権現の崖より簡単そうだもの」


 虎千代が泣きそうな顔でじっと見つめてくるので、若様はわざと平気そうに言いました。


「だって深そうですよ。帰りは坊やを連れて戻ってくるんですよ」


 小さい虎千代は若様のひざに登って言いました。


「おんぶしてくるよ」


 若様はなんでもないように笑ってみせました。そういえば帰りは考えていませんでした。


「あのお母さんの坊やなんですよ。ものすごく重いかも知れませんよ」


 虎千代の鼻面が若様に迫ってきました。


「なんだよ、もう。せっかく我慢してるのに!」


 とうとう若様がふくれっ面で大声を出しました。


「なんで恐いことばっかり言うんだよ! 虎千代のバカ!」


 驚いた狼の子はびくんと跳ねて、若様の膝からずり落ちました。


「ごめんなさい。わかさま」


 つぶらな目がみるみる涙で潤んでゆきます。虎千代のふかふかした毛並みがションボリしぼんでしまいました。尻尾は股の間に挟んでいます。


「ごめん、ごめん。虎ちゃん。今のはウソ!」


 若様はあわてて虎千代を胸に抱きしめました。


「ごめんね。虎千代。ごめんね。もう怒らないからね」


 くんと鼻を鳴らした虎千代の尻尾が嬉しげにパタパタと動きました。


「わかさま。大好きです」


 笑顔で登ってきた虎千代は若様の鼻をぺろぺろ舐めました。


「そうだ。家老が何か役に立つものを持たせてくれたかも知れないぞ」


 背負ってきた行李を開けると、まず炒り豆が一袋、それに手拭い、着替えの下帯したおび、火打ち石とほくち、白たすき。矢立やたてに紙、縄が一束、紐に通した銭。


「縄があったよ、虎ちゃん。これで下まで降りられるぞ。それから、このたすきでぼうやをおんぶしてくればいいよね」


「さすがは御家老様ですね」


 すっかり元気になった虎千代は、さっそく縄の端をくわえました。


「これで虎千代がわかさまを、よいしょって引っ張りあげますよ」


 その仕草が可愛いらしくて、若様は笑いながら丸い頭を撫でました。


「虎ちゃん、ありがとう。でも引っ張るのはイノシシさんに頼もうよ」


 虎千代に縄の片端をくわえさせたまま、若様は反対の端を持って大イノシシの待つ石段の下まで走ってゆきました。


「虎千代が合図をしたら、この縄を引っ張ってください」


 若様は大イノシシの片方の後足に縄の先を結びつけました。


「かしこまりました。どうかお気をつけて」


 イノシシが毛深い鼻面を若様の頬にそっと寄せると、お乳の甘い匂いがしました。


「大丈夫です」


 若様は顔を赤くして井戸端に戻ると、手早く白たすきをかけました。もう恐くはありませんでした。


「わかさま。ほんとうに気をつけてくださいね」


 緊張した虎千代が舌をたらして若様を見上げています。


「うん。頑張るよ!」


 邪魔になる刀は井戸端に立てかけると、縄の端を腰に二重に巻いて結びました。


「僕が上げてって言ったら、イノシシさんに引っ張ってもらってね。行ってきます!」


「かしこまりました。いってらっしゃい!」


 こうして若様は古井戸の中へ下りていったのでした。

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