三章 辰の年辰の日辰の刻(1)

 お堀端の山門から森のなかの細道を登ってゆくと、見通しの良い台地がひらけます。その縁に沿って逆虎落さかもがりという尖らせた竹や痛いトゲだらけの木の枝を組み合わせた柵がずっと続いていました。若様たちが冠木門かぶきもんをくぐろうとすると、紅葉まみれになって柵の掃除をしていた門番たちが、竹箒たけぼうきを放りだしてあたふたと駆けつけてきました。


「御家老様。持ち場を離れまして、申しわけありません!」


「御家老様、お許し下さいませ!」


「油断大敵じゃ! 以後は気をつけるように」


 家老がひとわたり睨みつけただけで通り過ぎると、門番たちは冷や汗をぬぐいました。みんなも僕と同じに家老が恐いんだなと思うと、若様は愉快になりました。門をくぐると、ぷんと馬糞の匂いがしました。ここはもう素羽鷹城の中です。板葺いたぶき屋根の大きな馬屋では御家来衆の乗る元気な馬が飼われています。若様は馬とも馬番とも大の仲良しでしたが、馬番が飼っているサルの大納言だいなごんだけは苦手でした。気が荒くて、すぐ飛びかかってくるのです。虎千代は一度大納言につかまってシッポの毛を抜かれてからは決して寄りつきません。


 馬屋の角を曲がると八日に一度の市の立つ広場があります。広場を囲んで鍛冶屋さんや大工さんたちのお家が立ち並びます。そこを突っ切って短い石段をのぼり、木戸のある門をくぐると、坂道の両側に御家来衆の家屋敷が並んでいます。この坂道の一番高いところにあるのが「二の丸舘にのまるやかた」です。


 二の丸舘は名主さんの家より部屋数が四つ多いだけの普通の屋敷でした。お殿様がみんなから相談事を聞く「一の間」や「二の間」、家老が仕事を取り仕切る「お役所の間」、御家来衆がみんなで評定ひょうじょうをする「大広間」、順番を待つ人が控える「詰め所」、御飯を食べる「三の間」、調理場と井戸のある「台所」、お殿様のくつろぐ居間などがありました。お殿様と若様の住まいである「本丸舘ほんまるやかた」は、広い中庭の築山つきやまの向こう側にあります。それから中庭にはお殿様が乗る大切な馬の馬屋と和真先生の暮らす四阿あずまやと鷹と鷹匠たかじょうたちの住まいがありました。



 二の丸舘の玄関では、ひょろりと背の高いおさむらいがももを高く上げて足踏みをしていました。細身に仕立てた褐色かちいろ直垂ひたたれは袖口と裾を結んで弓籠手ゆごてをつければ、いつでも狩りに行ける格好で、鷹狩りが大好きなお殿様の普段着でした。


「あ、父上だ!」


 若様が嬉しそうに叫ぶと、虎千代も喜んで尻尾を振りました。


「七法師。遅いぞ。何をしておった!」


 素羽鷹城の第十一代当主、素羽鷹そばたか右馬之助うまのすけ龍恩たつおき様は、真っ黒いヒゲの隙間から白い歯を見せて、にっと笑いました。


「じきに辰の刻ではないか!」


「あれ。でも、こどもはだめって……」


 まごまごしている若様を肩にひっかつぐなり、お殿様はわらじを蹴飛ばして式台しきだいに飛びのると、暴れ馬のように長廊下を駆けだしました。


「大椎。度会。俺につづけ!」


「ははあ!」


 家老はすぐさま身軽く走りだします。虎千代を小脇に抱えた先生も、みんなの後を追いかけました。三人の足音が二の丸舘に響きわたります。


「父上。僕も天守閣に登ってよくなったのですか」


 お殿様の骨張った背中で上下に揺さぶられながら、若様が尋ねました。


「よくない!」


 お盆を捧げて廊下の真ん中で固まっている御女中おじょちゅうの頭上を、お殿様は、えいやとばかりに跳び越えました。


「よくはないが許す! 見たいものは見ろ!」


 お殿様が高笑いしたので、若様は歓声をあげました。


 お殿様の大きな目玉はいつでも何かを待ち受けるように輝いています。ひげを蓄えた大きな口は誰よりも大きな声で笑います。若様はいつも陽気な父上が大好きでした。その間に和真先生はお殿様が跳び越えた御女中に、若様の着替えを天守の間まで届けてくれるように頼みました。

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