3 単語を覚えよう

 それから何日か一緒に生活して、簡単な単語のやり取りくらいならできるようになってきた。

 全く言葉が通じないわけではなく、わたしがウルの言葉を理解できて、向こうができないだけだから、異文化交流のなかでも難易度は低めだとウルは言っていた。わたし、あなた、彼ら、ここ、そこ、あれ、それ、女、男、研究、研究所、本、本棚、料理、かまど、火、薪、手枷、足枷、壁、ろうそく、見る、知る、読む、話す、生きる、死ぬ、跳ぶ、飛ぶ、渡す……。とにかくたくさんの言葉を、ウルに乞われるまま教えていった。


 ウルはわたしが手や体の動きでゾンビ語――彼がそう呼ぶのでわたしもそう呼ぶことにした――を操っている間、じっと見てくる。とにかく穴が開くくらいじっと。なんだか知らないけどそのあいだ、少しだけそわそわする。

 いろいろな紙の載った机を間に挟み、教えている今も、とにかくじいっと胸のあたりを見てくる。もちろんそれはそこで手を動かしているからなんだけど。それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。

「(見過ぎ)」

「見る……量が多い……そうかな?」

「(恥ずかしいからほどほどにしろ)」

「恥ずかしい? 初めて教えてもらったときもびっくりしたけど、やっぱり見られると恥ずかしいなんて感情がゾンビにもあるのは不思議だなあ」


「(ウルってけっこうゾンビ見下してるよね。一回殴っていい?)」

「あ、待って、ちょっとわからなかった。ウルとゾンビのあいだは何て言ったの? 動きや物?」

「(違う)」

「名詞、動詞以外ね。それはゾンビについて表した言葉?」

「(違う。ゾンビのあとの言葉にかかってる)」

「ふーん。形容詞でもないのかな。そのあとはなんて言ったの?」

「(見る、下に)」

「えっ! 僕、ゾンビのことを下に見てた?」

「(うん)」

「申し訳ない。そういえば、恥ずかしいなんて感情がゾンビにもあるのか、って言った気がする。もしかしてそれかな?」

「(そう)」


「じゃあ、(けっこう)は、僕が見下していると感じた、程度を表しているの?」

「(当たり)」

「それは十段階でどのくらい?」

「(数字、苦手)」

「ごめんごめん。じゃあそうだな」

 ウルはきょろきょろと部屋を見回して、左奥の部屋に行き、本をたくさん持って戻ってきた。


 机の上に置いてある紙の上に本を一冊置く。次の場所にもう一冊高くする。もう一冊、もう一冊……。

「一がいちばん小さくて、こっちの」

 机の端に一冊だけ置いてある本に手を置いたあと、ウルは歩いて反対側の端に行き、たくさん積んである本の上に手を置いた。

「六が最大だとすると、どれくらい?」

「(これ)」

 最大の隣の隣に手を置いた。

「よかった。最大じゃなかったかー。けっこうとか、わりと、ぐらいだね」

 ウルは心から安堵したように見えた。

 わたしから信頼を失ったら、ゾンビ研究ができなくなるからだろう。

 言葉を教わるのもいちいち楽しそうだけれど、何がそんなにおもしろいのかわからない。話が通じにくい相手との会話なんて、めんどうなだけだ。牢屋に残ったゾンビたちさえ元気なら……。


「で、ゾンビをけっこう下に見ている、の次は、一回殴っていい? だよね」

「(なんでわかったの?)」

「身振りがそれっぽかったから」

「(ジェスチャークイズやってるみたい)」

「(クイズ)? それなに?」

「(ああもうめんどくさいなあ。いったん休憩)」

 わたしはここ数日の質問攻めでいい加減疲れてきたので、返事を待たずに椅子から立ち上がった。

 心配そうにウルが見上げてくる。親に置いて行かれる子供みたいな目で。

「(その辺散歩するだけ。逃げないから待ってて)」


 外に出ると、あたりはもう暗くなっていた。ウルに付き合っていると時間の感覚がおかしくなってくる。

 常に薄暗い地底界とは違い、ここには昼夜というサイクルが存在するようだ。昼はまぶしく、風景も心を奪われるほど美しいが、わたしたちゾンビは薄暗い環境に適応した種族なので、落ち着くのはこっちだ。ウルは『ごちそうでも毎食同じものを食べると飽きるみたいなものかな』とよくわからないたとえをしていた。

 わたしが家を出ると、ちょうど、隣の研究所からも人が出てくるところだった。鉢合わせになったら、また吐かれるのだろう。においに慣れたウルでさえいまだに吐くくらいだ。

 仕方なく家の中に戻った。


「散歩もう終わり? ずいぶん早いね」

「(なわけないだろバカ)」

「ちょっとした冗談だよ。人と鉢合わせしそうになったのかな」

「(うん)」

「でも僕らの事はみんな知ってるから、こそこそする必要はないんだよ。それに外なんだからいくら吐いたってかまわないじゃないか」

「(それはそうだけど……)」


 真後ろの扉からこんこん、とノックする音が聞こえた。

「どうぞー!」

 どうぞじゃねえよ!

 わたしは慌てて離れようとしたが間に合わなかった。

「こんばん……えっ、ゥウウウ……なにこのにお……あ、だめ、オエエエエエエーッ!」

 このパターンきたよ。地味に傷つくんだよな。

 あーあー。玄関先で派手にぶちまけちゃって。押さえようとしたから服の袖口も汚れちゃってるよ。

 しかも若い女の子だよかわいそうに。


「(わたしがいるんだから外で出迎えてあげてよ!)」

「うわっ、そうか! ごめん。なんだかレダがいるのが普通になってて。アルゼもごめん」

「うっ……うぅ……。うえっ……おえええぇー……息が、息ができない……!」

 アルゼと呼ばれた彼女は這いつくばりながら家の外に脱出した。

 わたしが行って処理を手伝ってあげたいけれど、そんなことをしたら吐くのが止まらなくなる。


 ウルに目をやると、椅子から立ち上がりかけた中途半端な姿勢のまま、なめくじのように外へ這っていくアルゼを眺めている。

「(眺めるな! 介抱!)」

 わたしが合図すると、ウルは慌てて椅子を弾き飛ばし、玄関先に向かった。

 鈍いというかなんというか。研究以外、まるでダメなタイプかもしれない。もし研究者としてもダメだったらどうするんだろうか。

 このままウルの研究に協力していていいのかなあ……。

 でもまあ、なんとかなるか。

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地底界のゾンビだけど、人間の研究に協力してたら告白されました SET @yatouwo

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