序章 第3話
「…やっぱり闇影にでもやられた?」
「…え。」
まさか一発で見破られると予想していなかったノアは、咄嗟に表情を繕えなかった。それと同時に、やっぱりと言う単語に疑念が湧く。
「ほら、これ。」
青年は、小指の長さ程度しかない小瓶に入れられた黒い物体を目の前に出した。中で鈍く、でも確かに蠢いているそれは、何やら触手を伸ばして辺りを探っている様にも見える。そしてその姿に、既視感が湧いた。
「これ…まさか…。」
「そう、そのまさか。君を襲った闇影の欠片…シャドウメントだね。さっきまで魘されてたのは、これに寄生されてたからじゃない?」
闇影は稀に、自身を形成する負の感情と同調する人間に、シャドウメントと呼ばれる欠片を埋め込む事がある。しかし先程の夢は、全く身に覚えのないものだった。もしかしたら忘れる位幼い頃の記憶や小さな嫉妬だったのかもしれないが、どうにも腑に落ちない。答えが見つからないこのもやもやに首を捻らせるが、さり気なく語られた為に見落としかけていた事実にはたと気付く。
「って、お前どうやってそれ…。」
「……ま、僕も魔術知識と魔力は割とある方だから。」
「割とって…。」
確かにシャドウメントを摘出する魔術自体は四属性に縛られず誰でも扱える可能性はある。だが、あくまで可能性だ。
「確かに、この世に決まった魔術の公式なんてものはないし、人によって魔力の込め方やコツも全然違うから、会得者が少ないけど。だから君が驚くのも理解は出来る。でも…そんな人じゃないものを見るような目を向けられるのは好きじゃない。」
…そんな目。その言葉を聞いた瞬間、思わず息を呑む。込める意味合いは違えど、つい今しがた自分が“嫌だ”と感じた事だったからだ。
「…悪い、そういうつもりじゃなかったんだ。ただ、滅多に居ないから驚いたっつーか…。」
「別に、謝る事じゃないよ。今言ったばかりだけど、その気持ちも理解は出来るから。」
それでも何処か浮かない表情をしている彼の心境は、容易に想像出来る…いや、痛い程に分かってしまった。相手側の思考にも納得出来てしまう、だからこそ辛いのだ。
「いや、やっぱり悪かったよ。これからは気を付ける。」
「…変なやつ。」
ぷいっと顔を背けた青年の顔は、先程と余り変わってない様にも思えるが、何となく…少しだけ雰囲気が柔らかくなった気がした。その様子が段々と猫に見えてきて、不覚にも笑みが零れる。
…いかん、何故男相手に可愛いなんて思ってんだ俺。
しかし、空気が和んだと感じたのも束の間、次の彼の一言に一瞬で背中が凍り付く。
「それで、影狩りさんが何でこんな不覚を取ったのかな?ここ数週間高レベル認定の闇影は近辺に居なかった筈だけど。」
「…え、おまっ!な、何で俺が…っあぐ…っ!」
その余りの衝撃に体を勢い良く起こしかけて…背に激痛が走り、ベッドに突っ伏す。同時に冷たい汗が皮膚から吹き上げてくる感覚がした。
「ああほら、何してんの!自分が大怪我負ってる事なんて分かりきってるのにいきなり起き上がるから…。」
「あ…ああ…っ…わる…い…。」
男にしては細身の両腕に支えられながら、再び身体を横たわらせ毛布に包まれる。正直痛みが酷すぎて暑いのだが、何となく言いづらい。自身の熱が周りに籠り始めているのを感じながら、ノアは疑問を口にした。
「…んで、何でお前…。」
確かに怪我の原因が闇影なら影狩りの可能性も疑うだろうが、彼は自信を持って断定してみせたのだ。何を根拠に?それが一番問題だった。
「君の体からシャドウメントを摘出したのは僕だよ?なのにわざわざ怪我の理由を聞いたのは何でだと思う?」
「あ…。」
確かに、自分が目覚めた時には既に摘出済みだったのだ。それならば原因はとうに分かっているはず。ならば何故質問を投げかけたか…。答えは単純、対象の反応を窺うためだ。
あの時俺は怪我の理由を言わなかった。闇影に襲われた事実を明言しないのはそれこそ影狩りくらいだろう。
「一般人が生還してそれが事実証明された場合、関係者には多額の援助金が支給されるはず。そんな命の危機に晒されてまで得たチャンスをみすみす逃す人間なんて居ないよね。」
つまりはまんまと彼の術中にハマった訳だ。もし自由に身体が動かせたなら、思い切り四つん這いになって項垂れていた事だろう。情けない自分の姿を想像していると、彼に呆れ顔を向けられた。
「…別に、怒ってる訳じゃないけど隠す必要ないんじゃない?一応人の命を救う存在なんだし。」
…一応、ねえ…。
別に他意はないのだろう。しかし、その何気ない一言にノアは一瞬憂いの表情をせずには居られなかった。
「それで、君は…って、ずっと名前知らないのも何か不便だな…。」
「…あ、そう言えばまだ名乗ってないよな…。俺はノア。ノア・サジュリー。お前は?」
「ルウ・レマール。それじゃあ早速聞くけど、ノアは何処で闇影と戦ってたの?さっきの通り、最近はここら辺に高レベルの闇影目撃情報は出ていないんだけど。」
そう言えばそんな事言っていた様な気がする。しかし妙だ。確か先程の討伐対象は、近辺に被害を出していると報告書にも明記されていた筈。話の食い違いに首を捻って記憶を掘り起こしていると、やがて自分が気を失う直前の現象を思い出した。同時に、やっとこの状況の不自然さに気付く。何故すぐ近くにいたリナではなく、誰とも分からないルウに助けられたのか。
まさか…。いやいや、そうだとしたら俺はどうすれば…?
導き出した嫌な予感に鼓動が一つ、大きく脈打った。
「はは…一つ聞きたいんだが…此処って、何処?」
「…?何処って、シネマだよ。スガノウス地方の。」
…何故、こうも悪い時だけ第六感は働くのだろうか。
今自分が居るのは…闇影と戦っていたローエン地方の王都クロセルスから実に三百リルも離れた、一番西に位置する辺境の地だった。
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