第33章 解放へのカウントダウン

「さて……」


 空になった紙コップを机に置き、俺は小さく伸びをする。肩や腰の辺りから、ポキポキと小気味の良い音が響く。


「どうしようか。まだ岬は食事も食べられないだろうから、昼食の時間ってことはないと思うんだけど……」

「うん、もうちょっと時間が経ってからの方が良いと思う。私たちがお昼食べてないって知ったら、絶対にちーちゃん、早く食べに行けって言うもん」


 岬は背こそ小さいが、そういう気配りはよく出来る。世間一般で言う、姉御肌あねごはだ、いや母親気質というべきだろうか。それはともかく、俺たちが無理してここに来ている、などと誤解されでもすれば追い出されかねない。それでまた体調を崩してしまっては本末転倒なのだ。


 もちろん、昨日の米村の電話については、今の岬に伝える気などない。伝えられるとしたら、ある程度まで彼女の精神面が安定した頃だろう。すでに、森谷にそのタイミングを計るよう話はしてある。


 ……まぁ、俺が死ぬことになれば否が応でも知ってしまうだろうけれど。こんな俺だが、彼女にとっては一応、大事な親友の一人だと自負している。そんな俺の不在を、不審に思わないはずがない。

それに、万が一そうなった場合、恐らく目の前にいる宮尾は平静を保てないだろう。そうなれば、最悪の形で彼女に伝わってしまう。それは、絶対に避けておきたいことだ。


「そうだよね、何かそう言いそうだもん。……三人って、本当に仲が良いんだなぁって、つくづく思うよ。私には少し羨ましいかな」


 もう随分と親しくなったはずの胡桃だが、やはりどこか距離感のようなものを感じているらしい。年上ということもあるが、裏の顔を持つ人の多い芸能界を生きてきた胡桃にとっては、俺たちのような関係性は新鮮であり羨望せんぼうするものなのだろう。


「だーかーらー、三人じゃなくって四人! あ、中原さんも入れたら五人か。もうお友達なんだから、そんなにかしこまんなくたっていいじゃん!」


 ぷくっと頬を膨らませ、胡桃に詰め寄る宮尾。ひっそりと中原を友達として認定するのはどうかと思うが、まぁ、おおむね彼女の言う通りだ。今さら何の壁を感じる必要がある。


「そうだよ、胡桃。付き合いの長さなんて関係ないんだ。お互いがどれだけ大事か……それが重要なんじゃないかな。友達の少ない俺が言うのもおかしいけどね」

「ふふ……そうだね、ごめん。いい加減、私も素直な気持ちで生きられるようにしないと」


 よっと、と掛け声を上げて椅子から降りる胡桃。


「それじゃ、お昼を食べてからにしようか。どこがいい?」

「うーん、そうだねぇ……」


 正午に差し迫る時間帯ではあるが、まだ俺に食欲はない。むしろ今日一日、何かを食べる気分にはなれそうもない。とはいえ、そんな俺の我がままに二人を巻き込むなんて無粋にもほどがある。宮尾や胡桃が一緒なら、多少は食べられそうだし、それにせっかくなら精が付くものを食べておきたい。


「ああ、そう言えば……結局あのあと行けなかったよな、代々木駅の近くのハンバーグ店。あそこにするか?」


 俺の脳裏に浮かんだのは、奥村の事件の時に行く予定を立てていたハンバーグ店だ。あの遺体を見てしまった俺たちは、警察署に連れていかれてしまい行くことが出来なかったのだ。気にはなっていたし、どうせなら行ってみたかった。

 しかし、宮尾は少し複雑な表情を浮かべ、俺を見つめる。


「……そこはさ、ちーちゃんが元気になったら行こ? だから、ハルも絶対に戻ってきて。お願いだから、ね?」

「……そう、だな……」


 その店自体に、何か思い入れがあるという訳ではない。しかし……何というか、そこに岬、宮尾、そして俺の三人で行くことで、ようやく世界が元に戻ったかのような、そんな気になれそうな気がした。振り出しに戻れそうな、そんな妙な気持ちだった。


「じゃあ、いつものあのカフェはどうです? 今度は味わって食べてみたいの、あそこのタマゴサンド」


 胡桃が代案を示す。

 あのカフェ……レストリアのことか。米村と決着を付けに行くというのに、彼との思い出の店をチョイスするというのは何というか、胡桃らしい。


「ああ……そう言えば胡桃と初めて会ったのも、あのカフェだったな。それに、中原さんともあそこで会ったんだったっけ。確かに、色々と踏ん切りをつけるには丁度いいかもな」


 過去との決別、そして未来への一歩のために。出会いの詰まったあの店で英気を養うというのは、なるほど詩的ではある。それに、色々とお世話になったマスターの大野にも、一言声を掛けておきたい。

 でも、今度はピクルスを抜いてもらおう。そもそも、タマゴサンドの付け合わせにピクルスっておかしいじゃないか。


「え、なに? あそこお昼ご飯食べられるの?」

「あはは、中原さんと同じこと言ってる!」


 珍しく声を上げて笑う胡桃。中原がその失言をしたのは、あの薄汚い記者……田中と言ったな、アイツが来た時のことだ。胡桃にとっては辛い状況だったはずだが、こうして笑っているところを見ると、もう大丈夫なのだろう。


「あ、そういえば……もういいのか、その……あの記者を警戒しなくても」

「え? ああ、うん」


 そう言うと、また笑顔を浮かべる胡桃。しかし今度は少し意地の悪いような笑みだった。


「そのことはレストリアで話すよ。藤花ちゃんは知らない話だし、あんまり人気のないところの方が話しやすいからね」


 そして、軽く親指を立てる胡桃。よほど良いことがあったのだろう、こんな彼女を見るのは初めてな気がする。こんな時になってようやく、というのも皮肉な話だが。

 そんな俺と胡桃のやり取りを、宮尾は首をかしげながら見つめている。


「う? なんだか分かんないけど、じゃあレストリアに行こ? ここからだと15分くらいかな?」

「そうだな、往復してもそんなに時間はかからないし……よし、行こう。それで、昼過ぎにでも戻ってくれば時間的にも問題はないから」


 問題があるとすれば、あのカフェが開いているかどうか。空いてはいるだろうけど、不定期休業だったはずだ、そうでないことを祈ろう。

 そんな俺の心配をよそに、胡桃と宮尾は歩き始める。それに続いて、やれやれ、と頭を掻きつつ俺も歩き始めた。









 カレンダーではすでに秋となっているが、まだ晩夏だということを思い起こさせるような暑さだった。予報では、夕方にゲリラ雷雨の可能性が示唆しさされているのだという。

 そんな情報を、胡桃はスマホを見ながら読み上げる。


「ということは、少なくとも春来くんがその家に行く頃は少し危ない、かな。傘でも買っていく? いざとなれば、武器にも使えるし」


 随分と呑気に言っているように聞こえるが、胡桃の場合は本気で言っていることが多い。確かに武器になることは否定しないが、それで米村に勝てる訳がない。


「いや、行くときにでも考えるよ……それに、ゲリラ雷雨だったら空を見た方が分かりやすいし……」


 急に吹く、ぞわっとするような風。大きくなる黒雲。それだけ見れば、ある程度の予測は出来るものだ。


「そういうものかなぁ? 私にはわかんないや。……あ、着いたよ」


 相変わらず急に人気の消える路地に、レストリアの看板がひっそりと見える。ドアの文字は……営業中とある。幸運にも、営業しているようだ。しかし、窓越しに見てもはっきりと分かるくらいに、客はいない。それも相変わらずだった。


「本当に人が来ないよな、ここ」

「うん、私たち以外のお客さんがいたところ、ほとんど見たことないよ」


 そんな有様で、しかもあのマスターの様子で、一体どうやってここまで食いつないでいるのか。改めて疑問に思うところではあったが、今はそんなことはどうでもいい。それに、その人気のなさに助けられてきたのだ、文句を言うことではない。


「じゃあ、入るか」

「うん」



 ギイィ……



「あれ?」


 俺は入店してすぐに、カフェの異変に気付いた。いつものレトロな鐘の音が聞こえてこない。ドアの上部を見ると、鐘を下げる留め具のようなものはあるが、肝心の鐘がなかった。


「いらっしゃ……ああ、みなさん。ようこそ……どうかされましたか、そんな上を見て」

「あ、大野さん……鐘はどうしたんですか?」


 俺は、スッとドアの上部を指さす。


「ああ、それですか……あなたもあの時にいたはずですが、あの野蛮な記者の方が出ていった際に、落としていったじゃないですか」


 あの野蛮な記者……それは恐らく、『毎秋文芸』の田中のことだ。確かにあの時、勢いよくドアを閉めたせいで鐘が落下したのは覚えている。しかし、大野はすぐに直していたはずだったが。


「ええ、でもその後は普通に使えていたじゃないですか。まさか、また?」

「ああいや、あの方は来ていませんよ。でも、あれ以来少しずつ音がおかしくなっていきましてね? それでちょっと外そうと思ったんです」


 徐々に音がおかしくなる、というのも不思議なものだが、そういうこともあるのだろう。あの音を毎日聞いている大野が言うのだから、恐らくは間違いない。


「そうでしたか……ああ、すみません。ええと、席はどこでもいいですか?」

「ええ、見ての通りですから、ご自由に」


 それは自分で言ってはいけないことだと思うのだが、事実であることは確かだ。余計なことは言わずに、黙って席に着くとしよう。


 一通り注文を済ませた後、胡桃はおもむろに口を開いた。


「藤花ちゃんのいなかった時なんだけどね、ここに雑誌の記者が来たの」

「雑誌の?」


 キョトンとした顔を見せる宮尾に、胡桃はあの時の話を始めた。





 空になった皿を前にして、あの時の話を終えた胡桃は、やはりまた少し涙ぐんでいる。東野 遥の話は、どうも彼女のトラウマになってしまっているようだ。

 そんなトラウマを堂々と抉って来たあの記者に対しては、未だに怒りが収まらない。やはり一発、殴っておけばよかったのかもしれない。

 その気持ちは、宮尾も同じようだった。明らかに怒りをあらわにした彼女は、顔を赤くして立ち上がる。


「何それ、ひっどい話だね! そんな人のせいで胡桃ちゃん、家にも帰れなくされて……頭来た、その会社に今から……」

「ま、待って待って! それはもういいの。終わったことだから……」


 本当に駆け出して行きそうになった宮尾の腕を引き、必死に止める胡桃。

 終わったこと? それはあの時の話が終わったということなのか、それとも……


「あの記者はね、謹慎になったんだって。昨日、品川さんに送ってもらった後……スマホに留守電が入ってるのに気づいて。相手は、『毎秋文芸』の編集長さんだった。とっても謝っていたし、もうあの人とは合わせません、って話してくれたの。だから、それでおしまい」


 胡桃の、先ほどのちょっと意地の悪い笑顔は、そういう意味だったのか。しかしそれで済ませてしまうとは、どうにもお人好し過ぎると思うのだが。

 すると、店の奥で小さく笑う声が聞こえた。その声の方向へ振り返ると、大野がにっこりと、こちらを見て笑っている。


「ああ、すみません……実はですね、その『毎秋文芸』の編集長ですけどね、私の知り合いなのですよ。それでですね、あの経緯を全部話したのですが、彼はとても憤慨した様でして」


 まさか、裏で大野が手を回しているとは思わなかった。あの時、確かに問い合わせる、というような話を聞いていたが、まさか編集長と知り合いだったとは。


「そうだったんですね……お手数をおかけしました。でも、お陰で助かりました、ありがとうございます」

「いえいえ、店の方も少なからず損害を受けましたので、それも兼ねてますので」


 温和な印象の強い大野だが、実は意外と怖い人なのかもしれない。警察の人たちとも繋がっていることもあり、あまり敵に回してはいけない人なのだろう。

 そこまで考えたところで、俺には一つ、思い出したことがあった。ここを利用していた警察官……米村のことについて。


「……大野さん。昨日の夕方くらいでしょうか、米村さんがここに来ませんでしたか?」


 そうだ、俺の記憶が正しければ、あの電話で……事情を詳しく知りたいから、このカフェに来てくれ、というようなことを米村は言っていた。彼が指定するカフェなんて、ここしか考えられない。そうであれば、昨日彼はここに来ていたはずなのだ。


「米村さん? ああ、来ていましたよ。彼にしては、何だか妙に焦っている、というのでしょうか……とにかく、今まで見たことのないような様子でしたね」


 やはり、ここに米村は来ていた。顔の見間違いはあり得ないだろうし、大野の言うことは恐らく正しい。となれば、あの電話の後の様子も、彼ならば知っているはずだ。


「米村さん、電話を掛けていたと思いますが、その電話の後、彼はどうしましたか?」

「え? そうですね……あまり顧客の情報を漏らすのは良くないのですが……彼、随分とおかしかったですよ。何でしょうね、こう……情緒不安定、と言いますか……とにかく、明らかにおかしかったことは記憶しています。店を出た後の彼については、さすがに」


 大野の目から見ても、明らかにおかしかった。ということは、もう脳へのダメージが相当に蓄積しているということになる。記憶の混乱、性格の変貌……彼がマインドコントロールを受けているということは、これで証明されたと言えるだろう。


 彼が、ただ信仰心のみでこの事件を起こしていたのなら、ずっと平静でいられるはずなのだ。それが、彼にとっての常識であり、日常なのだから。しかし、誰が見てもおかしな状態に陥っているということは、自発的な行動ではないということになる。いや、自発であったとしても、意思を伴うものではない。


 そうだとすれば、今回の事件は米村一人の起こしたものではないと断定できる。推測通り、彼の言うあの方……そいつが黒幕ということだ。そして、そいつはあの組織の一員である可能性が非常に高い。

 だとすると、やはり俺は米村の指定した時刻に、あの家へと向かわなければならない。俺の決断は、悲しいことに全く間違いではなかったのだ。


「……やっぱり、行くしかないんだな……」


 一度固めた決意だったとはいえ、改めて現実を突きつけられるとなかなかこたえるものがある。それに、米村は恐らく言葉が通じないほどに錯乱状態にあると考えて良い。交渉はできないだろう。

 その話を聞いた宮尾も、ようやく俺の決断を理解したようだった。悲しい目をしつつも強い力で、そっと俺の手を握る。少し痛いくらいに。


「本当に、本当に生きて帰ることだけ考えて……それだけは、絶対に……」

「うん、もちろんそうしたいよ。でも、確約はできないから……そのつもりで」


 さて、時計を見るともう13時になろうというところまで来ている。思いのほか長居をしてしまったようだ。

 そんな俺の様子に気付いたのか、胡桃も自身の腕時計を見る。そして急いで立ち上がった。


「大変、もうこんな時間……また病院に戻らないと!」


 その声に、宮尾も握った手をほどき、同じく慌てて飛び上がる。


「え!? あ、ほんとだ……ごめんね、ハル。貴重な時間だったのに……」

「いや、それはいいよ。どっちにしろ、この店には来ておきたかったんだし。それじゃ、行きますか」


 最後はややバタバタとしてしまったが、やはりもう一度ここに来られてよかったと思う。出来ることなら、もし生きて帰れたとしたら……またみんなと一緒に来よう。


「ありがとうございました、大野さん。また、いずれ……」

「ええ、こちらこそ。行ってらっしゃい」



 ギイィ……



 俺たちが出ていく様子を、微笑ほほえみを浮かべつつも、どこか全てを知っているかのように、少しだけ憂いを帯びたような目で見送る大野であった。









 東京総合国際病院、六〇三号室。もうすでに時刻は13時半……約束の時間まで、もうあまり猶予ゆうよはなかった。

 約束の場所……つまり俺の生家であるが、祐天寺ゆうてんじ駅の付近にある。駅だけの移動であればそう時間はかからないのだが、何しろ10年も経過しているのだ。自宅周辺の景観はかなり大きな変化を遂げていることだろう。そうだとすれば、最低でも一時間前には祐天寺駅に着いておきたい。

 それを含めると、残された時間はあと三時間程度。それまでの間に、岬と一言でも会話ができればいいのだが。


「看護師さんに聞いたけど、もうしばらく訪室する予定はないんだって。それに、状態自体はかなり安定してるって」

「そうか……それなら安心だ。じゃあ、入るぞ」


 病室のドアを軽くノックする。返事は聞こえないが、昨日の様子を考えればそれは当たり前のことだ。応答を待たず、俺たちは部屋へと踏み入れる。


「あ、ちょっと待って」


 すると、宮尾が不意に呼び止める。


「うん? どうしたんだ?」

「あのさ、面会って確か……二人までにしてくれって言われてたと思うんだけど……」


 そうだった。考えることが多かったこともあり、そのことをすっかり失念していた。しかし、それは昨日の話だ。もしかしたら今日は大丈夫かもしれない。やはり、専門のスタッフに声を掛けた方がよいだろう。


「心配は要らないよ。彼女の脳波は、驚くくらいに回復傾向だ。さっきだって、自分で少し起き上がったりしたところだったんだ。それに、君たち相手ならむしろ喜ぶだろう」


 突然、背後から現れた森谷は、笑顔で俺たちに向かって言った。あまり寝ていないのか、相変わらず身だしなみはしっかりと整えているものの、目の下にある隈は隠せていない。


「びっくりした、森谷さん……せめて挨拶くらいしてくださいよ、心臓に悪い」

「ははは、すまないね。とにかく、まぁ事件の話とかそういうのは避けてもらうけど……雑談とか、そういうのであれば問題ない。ただし、あの件だけは絶対に話さないこと。いいですね?」


 森谷は、真剣な目つきで俺に確認をする。

 分かっている。あの件とは、これから俺がやること……米村との決着のことだ。言われるまでもなく、話すつもりなど微塵みじんもない。


「……よし、では……」

「それに、私も加わることは可能だろうか?」


 また、さらに森谷の背後から声が聞こえてくる。彼の影に隠れていて見えなかったが、あれは、岬 一雪……岬の父親も、昨日と同じく娘の見舞いに来たようだ。

 昨日のことがなければ、俺たちはその来訪者に対して最大限の警戒をしたことだろう。しかし、昨日の彼の話、そして岬本人の反応……あれを見る限り、容体ようだいの落ち着いてきている岬に会わせることに、何ら支障はない。


「おっと、あなたでしたか……挨拶くらいしてくださいよ」

「いや、人のことを言える立場ですか……」


 思わずツッコみを入れてしまった俺。そしてそれが、宮尾たちへ笑いを生む。またこうして、意図した訳ではないと思うのだが、その場の空気を和ませる森谷の存在は、無くてはならないものだと改めて感じるのだった。


「それで、私は入ってもよろしいので?」


 この雰囲気にやや困惑しつつも、一雪は再度森谷へと確認を促す。


「ああ、大丈夫だと思いますよ。ただ……そうですね、人数が多くなるので、やはりまだ二人ずつくらいにしてください。一応、男女は分かれて」


 不承不承ふしょうぶしょうではあったが、何しろ主治医の見解であるのだ、ないがしろにするなんてもっての外だ。結局、また二手に分かれることにした俺たちは、まず俺と胡桃が入室することとなった。一雪と宮尾の組み合わせは、やや不安であるが……岬と幼馴染である宮尾なのだ、一雪のこともある程度は知っているはずだ。


「じゃあ、お先に」


 そう宮尾たちへと言い、改めてドアをノックして入室する。





 病室は、昨日とさほど大きな変化が無いように思われた。変化があるとすれば、岬に繋がれた管の数が少し減っただろうか。それでも、痛々しくはある。


「岬……起きてるか? 俺だよ、高島だ」

「私もいます、安藤……あ、いや、胡桃です。どうかな、調子は」


 岬へと声を掛ける俺たちだったが、少しだけピクリ、と瞼が動いただけで、反応は無かった。昨日、あれだけはっきりと喋れていたはずなのに……いや、昨日無理して喋ったせいなのかもしれない。


「寝てる、か……」

「しょうがないよ、私が午前中に少しだけ入っていた時もこんな感じで。薬が切れると動き出すみたいなんだけど、そうすると涙を流してうめくんだって。……私、それを見るよりはこっちの方が全然いい、かな」


 状態は良好、という話だけ聞いて安心していたが……重い状態であることは変わりないのだろう。それだけ、脳へダメージを与えるということの重大さを、改めて思い知らされた。


「……彼の脳も、もしかしたらこんな風に……いや、もしかしたら……」

「うん、人格まで影響しているのなら……もう戻らないんじゃないのかな……」


 万が一、岬が起きていたことを想定して、米村とあえて言わなかったが、その意図を胡桃はよく理解しているようだ。


 こうして、死んだように眠る岬を前にすると、どうしても後悔してしまう。

 事件の捜査をしようと言い出した時、ちゃんと引き留めていれば。

 『エンドラーゼ』の話を、もっと詳しく話しておけば。

 それに、岬の家族のこと、彼女の生きてきた人生をもっと理解していれば……。


「ごめんな、岬……守ってやれなくて、ごめん……止められなくて……」


 滾々こんこんと湧き出る、後悔と謝罪の念。事件の発端は俺が原因だった訳ではない。でも、俺を巻き込むための事件だったという仮説は、随分と前に立てていたのだ。その時点で、無関係の岬たちを解放しておけばよかった。その結果が、これなのだ。


「春来くんのせいじゃないよ。だって、友達のことを助けるのが友達、なんでしょ? 私たちは、巻き込まれたんじゃない。春来くんを助けるために動いた。ただ、それだけ。だから、自分を責めないで」


 それは、いつだったか。胡桃に俺が言ったことだった。それを、逆にさとされるとは……なんて俺は愚かで、愛されているんだろう。


「……ありがとう、胡桃。そうだな、悔しい気持ちはみんな一緒なんだ。俺だけが、だなんて……ダメだな、ほんと」

「ほんとにね。友達はお互いを思いやって初めて成り立つものだと思うから……多分、今岬ちゃんが起きていたら、全力で殴られていたと思うよ」


 ああ、岬ならやりかねない。点滴台を振り回して襲ってきそうだ。もちろん、それは誇張だが、それくらいに激高されるだろう。


「……でも、そんなに岬ちゃんのことを想うって……もしかして、春来くん……」

「え、ああいや、そういうのじゃないな。岬は、何というか……お姉さんみたいな、引っ張ってくれるけど、ちょっと抜けてて、みたいな感じで……家族の一員、という方が近いかな。一緒にいて、すごく楽しいんだけど……でも、そういう感情では見ていない、かな」


 寝ている本人を前にして、こんなことを言わされるとは思ってもみなかったが……でも、こうして本音を言えたのは、俺にとって大きなことだ。感謝の気持ちとはまた違う、岬に対する想い。恋愛感情とはまた違うが、この想いを曝け出せたのだ。


「そうなんだ……家族、ね……」


 妙に納得したような顔で頷く胡桃。胡桃にとっての安藤 理佐も、もしかしたらそういう存在だったのかもしれない、そんなことを考えている時だった。



コンコン



 病室のドアを叩く音が聞こえる。面会の交代時間だろうか、俺は足早にドアへと近寄ってゆく。


「もう時間か? 早いもんだ……」

「た、大変なの! ちょっと、電話!」


 ドアを開けるや否や、宮尾が焦った様子で俺にスマホを手渡す。その様子に戸惑いつつ、画面表示を見る。

 中原さん……彼女からの着信のようだ。彼女から緊急の連絡とは、どうにも胸騒ぎがする。まさか、米村の遺体でも見つかったのだろうか!?

 急いで病室のドアを閉め、保留ボタンを解除し、スマホを耳に当てる。電話の向こうでは、中原が息を切らせて走っているようだ。


「も、もしもし!? 高島です! 何があった―――――」

「ああ、高島くん!? 大変なの、米村さんと思われる人物が、子どもを人質にして立てこもっている!」


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