第12章 生者の妄執は死者を喚び起こす

 8月31日午前0時5分、代々木警察署。そこの一室に、俺は中原、そして中年の男性警察官と一緒にいる。俺は、その中年男性に見覚えがあった。奥村の事件の際、俺を事情聴取したのが彼だった。そして、その時一緒に部屋にいたのが中原であった。彼女は、その中年男性を村田先輩、と呼んでいた。村田……カフェ・レストリアに、米村と来ていたという、あの警察官だ。


「まぁなんていうかな、嫌な因果だねぇ、全く」


 俺とちょうど机を挟んで向かい合うように座り、タバコを吸う村田。俺はタバコを吸わないし、その煙が嫌いだったので、村田とはあまり一緒に居たくなかった。しかし、彼の方が俺に興味を持っており、今に至っている。


「するってぇと、お前の両親は霊身教れいしんきょうの信徒で、しかも幹部候補。そんで吉岡、えーと、拓馬か。お前の父親が、新薬の承認審査を行う立場にいた、と」

「はい……そういうことだと思います。米村さんの話では」


 はぁー、と長い溜息をく村田。だいぶ頭皮が目立つようになっている頭を、ガシガシ掻いている。ガサツな男、そんな印象を強く受けるものの、あの米村が慕う人物なのだ、恐らく頭の切れる人なのだろう。


「ああ、自己紹介がまだだったな。俺は村田むらた 宗一郎そういちろう、ここの刑事だ。米村には新人時代から色々と世話してんだ。よろしくな」


 村田 宗一郎、彼はそう言った。米村の先輩、というか年齢を考えると大先輩に当たるだろう。そうか、米村は彼と行動を共にしていたのか。

 そこで、俺はこの部屋に米村の存在が無いことに気が付いた。


「ええと、米村さんは?」

「先輩は今、君の住むアパートの周辺の監視カメラを調査しているよ。君があのカフェに出かけるまでは、郵便受けに針はなかったんだよね?」


 記憶を掘り起こすも、その時は本当に頭が回っておらず、郵便受けの中なんて確認したかどうかは全く覚えていなかった。一睡もできないまま塞ぎ込んで、約束の時間を思い出して、急いで出てきたのだから。それどころか、あのカフェまでどうやって行ったのかすら、全く覚えていないのだ。


「すみません……全然、記憶にないんです。でも、さすがにあんなものを入れられたら、多分気づくんじゃないかな、とは思いますが……」

「お前が襲われたって話が本当なら、そもそもその時点で警察に電話すればよかったんだがな。それができないくらいに、お前はパニックに陥っていた、そう俺は解釈している。だとすれば、郵便受けから変な音がしたって気づけやしねぇと、俺は思うんだがよ」


 その指摘は正しかった。あの時、あの女性に襲われた恐怖感と、大家の話を聞いて、正直気が動転していた。早く警察に電話すればよかった、そう思ったのは、レストリアに着いてからだった。しかも、米村の姿を見たときに思い出したくらいだ。普通の精神状態では全くなかった。


「……そんな状態でも、お前は友達にチャットして相談を持ち掛けてんだから、よっぽど信頼してるんだろうな、そいつらを。ある意味、羨ましいというか何というか」


 苦笑いを浮かべる村田。そう、だな。それだけあいつら……特に岬と、宮尾、あの二人には信頼を寄せている。それは、頭がおかしくなくても、そう思っていることだから。


「でもまぁ、警察ごっこをやるには、年取りすぎだよなぁ。もう善悪の分別は付いてるはずなんだがな。ちなみに、この場合の善悪ってのは、法律上の、って意味だぞ」


 笑みを消し、ギロリと村田が睨む。規制線を越えて現場に入ったり、刑事から情報を聞こうとしたり。そんなことがが許されることだとは、さすがに俺も思ってはいない。


「……はい、すみませんでした。何らかの処罰は受けるつもりです。でも、どうしてでしょうか……好奇心、ではなく、何か運命的なものを感じていたんです。元々、事件を追うことになった動機とは違いますが、少しずつ、その……関わらなければいけない、そんな気がしてきて、それで……」


 なかなか自分の中に渦巻く思いを表現できなかったが、そんな俺に村田は真顔になり、言った。


「結果的に、それは正しかった。お前がそもそも、奥村の事件に巻き込まれなければ、米村も、もちろん俺も、霊身教れいしんきょうの関与だとかに気づくのが遅れただろう。それと、もうお前は完全に関係者だからな、今さら過去のことは言わねぇよ」


 また少し笑みを浮かべる村田。しかし、先ほどとは違い、さっぱりとした笑顔だった。


「ちょっと前までは、被害者が望んだ形で殺されてるんじゃねぇか、なんて思ってたりしたんだぜ? かなり見当外れだったよなぁ。な、中原?」

「ええっ!? わ、私なんてそもそも、何が何だかだったので……!」


 慌てる中原。それはそれでどうなんだよ、と村田は笑い飛ばした。しかし俺は、村田の推測……被害者が望む形で死んだ……その言葉が引っかかった。松山、安藤、奥村、そして渡辺……いや、あり得ない話ではない。しかし、それでは……?


「すみません、俺なんかが意見することじゃないとは思うんですけど、いいですか?」

「うん?」


 俺の方に視線を戻す村田。俺が意見することに対し、何らかの拒否反応は見られなかった。そこで俺は、村田の推測について確認をした。


「被害者が望む形、そう思われたのはなぜですか? 焼かれたり、首を切断されたりしたいと願っていた、ということですか?」


 さすがにそんな荒唐無稽こうとうむけいなことを推測してはいない、そんなことは分かっている。でも、何故そんな推測に至ったのか、それが知りたかった。


「いんや、そうじゃない。誰だって、あんな風には死にたかないだろ。そうだな……俺個人の推測だ、あんまり真面目に聞くなよ?」


 村田は、そんな前置きをした上で話を続けようとした。すると、また慌てたように中原が口を挟んだ。


「ちょ、ちょっと村田先輩……良いんですか? 米村さんといい、一般人にする話じゃないですよ!」


 それは、言うまでもなく真っ当な意見だった。しかし村田は、捜査情報でもない、一個人の推測だ、と念を押した。中原は、その言葉を受けて閉口する。


「悪いな、ええと、松山の事件……遺体の発見自体は安藤より遅いんだが、今回の事件は松山が最初だと、俺は考えている。いいか、松山は、自分の描いた絵と同じ構図で死んでいた。売れねぇ画家が、自分の絵と同じような死に方をした、それがどういう意味かは、ネットとかでも散々書かれていただろ?」


 そう、彼は自分の絵の付加価値を高めるため、自ら焼死したのではないかと話題になっていた。『家計の助けになったね』と揶揄やゆされるほどに。


「そんで、安藤。あのマネージャー、伊藤っつったかな、そいつが言うには、安藤はもうグラビアしか生きる道がなかったんだと。んで、そういうことを書いたファンレター……結局それも伊藤の偽造だったんだが、それを読んだ安藤は、自分は体で勝負するって決めたらしい。ま、全部脱ぐほどまでは落ちてなかったようだがな。」


 安藤 理佐については、その妹の胡桃から色々と情報を得ていた。体で勝負する、というような話は聞いていなかったが、水着撮影に気合を入れていたという話があったと思う。ということは、彼の言う通りということだろう。


「そして、奥村だが……これは、俺としてもちょっとこじつけた感が強ぇんだけどな。飲み仲間と集まれるような店を開きたかった。つまり、開店させたかったんだと。そんで何で回転してたのか、ダジャレなのかは知らねぇが……一応、共通はしていたと考えた」


 確かに、開店と回転をかけるのは無理があるが……俺の予想が正しければ、これも大きなヒントになる。要は、『かいてんさせたい』と思わせることが目的だったとしたら?


「で、渡辺に関しては、俺の推測は崩れた。渡辺は、貰った栄養ドリンクすら飲まないほど、栄養管理にうるさかったらしい。そんな奴が15本もの点滴を受けたいと思うか? あり得ねぇ。だから、望んだ死に方をしたってのは間違いだった、そう結論付けたんだよ」


 村田はそう言い終えると、またタバコをふかし始めた。やはり、おかしい。彼の意見を聞き、推測が確信へと変化しするのを感じた。


「……俺は、村田さんの推測は間違っていないと思います」

「……あん? お世辞を言おうってわけじゃねぇだろうな。そういうことなのか言ってみろ」


 少し機嫌を悪くしたのか、眉間にしわを寄せる村田。こんなときにお世辞なんて言うはずがない。俺には、それなりの根拠があった。


「聞いていることだとは思いますが、彼らの脳には異常が認められたと。そして、脳神経のプロである森谷医師から聞いた話をまとめると、ええと、簡単に言えば、痛みを感じる脳の部分が萎縮いしゅくしていた、つまりは、痛みを感じにくい状態になっていた、そう考えられます」

「ああ、米村はそんなことを言っていたな。頭頂葉とうちょうよう付近の細胞がどうとか。あと、どこだったか、確か、前帯状皮質ぜんたいじょうひしつの細胞増殖、そうだったな」


 そう、前帯状皮質ぜんたいじょうひしつ……情動じょうどう性、つまりは欲望とか、そういった感情をつかさどる脳の部分。それが未成熟のまま、無秩序に増殖していたと聞いた。


「そうです。それを今回の被害者に当てはめると、彼らは、自らの殺人に協力していた可能性がある、そう思うんです」


 ポトリ、と村田のタバコが床に落ちた。慌てて足で火を消す村田。しかし、目線は俺の方を向いたままだ。


「安藤は、モデル体型で背は高いものの、華奢きゃしゃな女性です。やろうと思えば、誰でも彼女の首を切ることくらいはできます。問題は、松山と奥村。松山は、画家として全く大成していませんでしたが、肥満体型でした。あれをはりつけにし、火をけるのは容易ではないでしょう。それに、奥村に至っては、口に杭を刺し、さらに腹部を貫通させなければならない。これは、恐らく普通の女性、もしくは小柄な男性では不可能だと思うんです」

「それで、脳に異常を来すような毒物を飲ませ異常な状態下にした後、はりつけや串刺しにした、そういうことか?」


 そう、被害者が自分でやったことを、ただ補助するだけ……それなら、小柄な女性にでも犯行可能なのだ。俺が頷くのを見て、村田は小さく呟いた。


「……松山の脳を壊し、絵にが売れるからとそそのかして、自分で自分の体を縛り付けさせた。奥村には、かいてん、という単語で誘導した。そもそも脳が著しく破壊されていれば、語感だけでも問題はない、そういうことか……」

「そ、それだと渡辺の件は説明がつかないのでは? 彼は栄養ドリンクすら飲まなかった、そんな人が、点滴を受けたいと思うように誘導できるんですか?」


 中原も、いつの間にか議論に加わっていた。そう、俺はその言葉を待っていた。渡辺が自ら点滴を受けたい、栄養を摂りたいと願っていない、それは一番のヒントとなる。


「逆に考えてください。どうして渡辺だけ、願っていない方法で殺されたのか。彼の脳には、一連の事件と同じ異常が認められたというのに」


 少しの沈黙。外の大通りから、車のクラクションが響く。そして、ハッとした表情を浮かべた村田。彼は行きついたようだ、俺の推測に。


「……渡辺の殺害が、犯人の大きな動機……」

「そう、ええと、こう言うのはおかしいことですけど……松山、安藤、奥村の三人は、あくまでも事件を一連のものと思わせるブラフ。犯人の狙いは、渡辺を殺害することにあった、そう思うと辻褄が合うんです」


 霊身教れいしんきょうの信徒、もしくはCMなどでつながりのあった人物を殺す、そういう関連性はもちろんあった。でも、渡辺の存在はその関連性を否定する。そもそも彼は霊身教れいしんきょうの信徒ではないし、あのエンドルパワーを貰っていたとしても飲んですらいないのだ。そんな彼を、霊身教れいしんきょうへの怨恨目的で殺害するにはおかしい。


「……10年前の『エンドラーゼ』によるとされる医療事故、あれの主治医が渡辺だった。そして、彼が霊身教れいしんきょうの信者しか買えないという栄養ドリンクを持っていた。だから、俺たちは奴らが渡辺を通じて、15人の殺人を行ったと、そう睨んでいた。そして、お前の父親……『エンドラーゼ』の承認を却下した奴が、霊身教れいしんきょうの信徒だった。だからこの事件は、霊身教れいしんきょうの信徒と10年前の医療事故の関係者を狙ったもの……そう考えていたのだが……」


 ブツブツと呟く村田。どうやら、俺の推測は彼に大きな影響を与えたらしい。


「加えるのであれば、情動じょうどう性が異常になる毒物を前もって摂取していたら、渡辺は点滴なんか全部引きちぎっていたでしょう。人工的な栄養が嫌いで有名だったんですから。でも、彼はそうしていない。……ということは、彼が死んだ後に点滴の針を15本も、執拗しつように刺した、そう言えると思うんです」


 村田は、静かに頭を抱えて黙り込んでしまった。時折、古い車のエンジン音のような低いうなり声をあげた。


「それを考えると、10年前の医療事故の被害者遺族を調べるのが先決ですね……米村さんの言っていた通りだ。私、また捜査に行ってきます!」


 中原は急いで部屋を飛び出していった。部屋には、黙ったままの村田と、持てる限りの思考力をすべて使い切った俺が残されていた。


「……なぁ、そうなるとだぞ? 渡辺に強い恨みを持つのは当然だとして……あとは、もう誰も狙われないという可能性もあると思うか?」


 村田は、絞り出したかのような声を出した。何故だろう、先ほどまでの雰囲気とは異なる。まるで、これ以降も事件が起こると思っているかのように……それに、彼の言葉から感じるもの……これは、恐怖?


「え、ええと……そこまでは分かりません。まだ、霊身教れいしんきょうが渡辺とグルだったという可能性は高いままですから、霊身教れいしんきょうの信徒を狙った事件は起こるのかもしれないです。でも、あの三件と渡辺の件は、まったく同一と考えるのは危険かもしれないですね」

「ああ、そうだな。まずは渡辺が奴らとつながっているかどうか、それが問題だな。証拠が、あのエンドルパワーだけだからな……せめて、何か振り込みがあったとか、そういうのがあればいいんだが……」


 そして、村田はまた黙り込んでしまった。彼は一体、何に恐怖したのか……考えようとした俺だったが、自然とまぶたが重たくなってきていた。気が付けば、時刻は午前3時。昨晩は一睡もしていないので、もう限界だったのだ。そのまま、気を失ったかのように、俺は夢の世界へ旅立った。









 翌朝、6時30分。夏も終わり掛けているが、もうすでに陽が昇っている時間。男の影が、警察署の部屋に入っていった。そして、椅子に座ったまま寝ている俺に、彼は呼びかけた。


「おい、起きろ」


 誰かに体を揺さぶられている。俺は、訳の分からぬまま目を覚ました。ここは……ああそうだ、警察署の部屋。目の前には村田が……あれ、誰もいない。

 横を見ると、米村が立っていた。


「……あ、あれ、すみません、こんなところで寝てしまって」


 まだ半分夢見心地ではあるが、睡眠の姿勢が悪かったのか、体のあちこちが痛んだ。ボキボキ、と骨が鳴る。


「ちゃんと仮眠室を空けておいたのにな……どうせ村田先輩に捉まっていたんだろう? 同情はするが……今さら仮眠室に行くのは無理だからな?」


 ふっ、と軽く笑いかけた米村。しかし、すぐにいつもの無表情へと戻っていた。


「ああそうだ、君の住むアパート周辺でのあの女性の目撃情報と、店内の監視カメラを含むすべてを確認したよ。それで、一か所の監視カメラにだけ、あの女性が映っていた」


 あの女性……寝ぼけ気味の俺の脳は、その言葉に強く反応した。あの女性、俺を襲った、ロングコートの!


「は、え、本当ですか!?」


 思わず椅子から立ち上がる俺。腕と指先に負った傷が小さくうずく。俺の立ち上がる勢いで、パイプ椅子の崩れ去る音が部屋に響いた。


「ああ……といっても、あの病院の映像は、俺くらいしか観ていないからな。君にも確認してもらうことになるが……大丈夫か?」


 米村は心配そうにこちらを見つめている。夜道に襲ってきた人の映像なんて、観たいと思わないだろう、そう彼は考えているようだ。しかし、俺にはもう恐怖心はなかった。無い、というのは言い過ぎかもしれないが……でも、そんな気持ちよりも、犯人を捕まえてやる、その気持ちが大きく勝っていたのだ。


「大丈夫です、是非観せてください」

「……少し眠れたのが良かったのかもな……よし、付いてきてくれ」


 そう言うと、米村は部屋のドアへと向かって行く。俺は持ってきた着替えを置いたまま、彼の後を追った。すぐ隣の部屋のドアの前で、米村は止まった。ドアをノックし、入る米村。


「失礼します、被害者を連れてきました」

「おう、もういいのか?」


 中に入る俺を出迎えたのは、村田だった。すでに監視カメラの映像をチェックしているようだった。


「あ、ええと、おかげさまで」


 俺はふと、村田に持論を展開したことを思い出した。よく考えれば、彼はベテランの刑事だ。そんな彼に、一般的な知能の大学生があんなに偉そうに意見してしまったのだ。途端に、自分の過去の発言が恐ろしくなった。


「す、すみません、昨日は」


 村田は、はぁ? と返答しただけで何も言わなかった。どうやら、特に気分を害してはいないようだ。


「んなことより、早くこっちに来い。この女で間違いねぇんだよな?」


 手招きする村田。彼の指示に従い、モニター画面をのぞき込む。どこかの店内からの映像のようだ、この角度……恐らく、近くのパン屋だろうか。薄暗くなりつつある外の景色に、数秒だけ、あのロングコートの女性が映り込んでいた。


「っ……! こ、この人、だと思います。顔は良く見えないですけど……同じ色のロングコートですし……でも、あれ? なんで足を引きずっているんでしょうか……」


 俺の記憶が確かならば、この女性で間違いはない。でも、あの時、あの女性は特にどこかを痛めていなかったはず……?


「うん、確かに何か足を引きずるような仕草だな。そういえば、君はこの女に殴りかかったんだよな? もしかして、その時に足を捻挫ねんざでもしたんじゃないのか?」


 米村は映像を観ながら分析した。確かに、殴ったのは右肩の辺りだが……そのあと、あの女性はよろけただけで、走って逃げる俺を追うこともしなかったような。


「そう、なんでしょうか。だとしたら、今後は街で出会っても逃げられるかも……」

「馬鹿を言うな、待ち伏せされたらどうにもならんだろう。しかも捻挫ねんざ程度なら、少し我慢すれば走れるぞ」


 米村に一喝された俺。それはそうだ、あの時、むしろ殴って逃げられたことの方が奇跡的だったのかもしれない。……そう考えると、改めて恐ろしくなってくる。


「んで? もう確認取れたんだしよ、あとはこいつをどこか安全なところにやって、顔写真を配れば問題ねぇな?」


 村田が米村に質問をした。


「……顔写真は、ここからだと難しそうですが……針を仕掛ける時ですら、ロングコートを着ているんですからね、どこかしらから情報は得られるでしょう」

「よし、それで決まりだな。そんでこいつをどこに預けるんだ? 自宅は嫌だってんだろ?」


 村田は俺を指さした。こいつ呼ばわりとは随分と雑な扱いだが……あの親戚の家に帰りたくない、という情報共有はされているようだ。米村は昨日、アパートの大家と話したことを村田に告げた。自分の部屋ではなく、同じアパートの管理人室に隠れる、いわば灯台下暗し作戦、とでも言おうか。


「……まあ、理には適っているようですが。それに彼の小さい頃のことも、あの大家は知っているそうですし、何より一階なので、緊急時には対応しやすいかと」

「賭けにしては随分と荒っぽいやり方だが……しょうがねぇ、それで様子を見るか。ただし、誰かの監視下には置いておけ。ペア組んだ中原もいるだろう?それに、こいつには警察よりも信頼できる友達がいるみたいだしな」


 嫌味な笑いを浮かべる村田。米村とは異なるが、どっちにしても敵にしたくないタイプだなと感じた。


「では、大家に連絡しておきます」

「おう、じゃあ俺は中原をこっちに呼ぶわ。二人で送ってやれ」


 そう言うと、米村はスマホ、村田は携帯電話を取り出し、それぞれ電話を始めた。その間、俺はただ停止した監視カメラの映像を観ていた。あの女性の横顔が目に焼き付く。

 しかし、不思議なのは誰一人、アパート周辺であの女性を見ていないということだ。それに、街頭の監視カメラには全く映っておらず、ようやく画質の悪い個人店の監視カメラに映るくらいなのだ。例の15人の被害者遺族が、徒党を組んで周辺を閉鎖している……なんてそんなことはあり得ないだろうし、監視カメラの映像を加工するにしても、公的機関の映像まで操作できるような人がいるのだろうか……?


「……はい、それでは」


 米村の方は話が着いたようだ。まあ、その前から管理人室で預かる、と言い出していたのは大家だったし、今さら拒否はしないだろう。認知症だという話も聞いたことはないし。あとは中原の方だが……。


「おい、今すぐ戻れ。……は? メシ食ってる場合じゃねぇだろうが、さっさと来い!」


 そのまま力強く電話を切る村田。中原は朝食を摂っていたのだろうか……15人の被害者遺族の件を調べると言って出ていったが、もしかしてそのまま家に帰っていたのか?


「……なかなか独特な方ですね……」


 俺は米村に話しかけた。相変わらずの無表情だが、どちらかと言うと、無の表情に見えた。ああ、多分胃が痛くなっているのかな。村田は米村を睨んでいるし。


「お前、再教育したほうが良くねぇか、あいつに」

「……先輩、あいつに関しては、俺はもう新人時代から諦めていますよ」


 米村の言葉に白目を剥く村田。その様子に、俺は笑いが込み上げてきた。ああ、警察官でもやっぱり、俺たちと同じ人間なんだな、そんなことを感じた。


 十数分後、中原が部屋に到着した。食パンでも口に咥えていれば、体を張ったギャグとして申し分なかったが……どうやら髪のセットまでしていたようだった。綺麗に巻かれた髪を見て、また無になっている米村。


「遅れてすみません、それで、何の御用でしょうか?」

「来たか。こいつをアパートまで送ってやってくれ」


 村田はそれだけ言うと、そのまま部屋を去っていった。多分、あんまり言葉を交わすと殴ってしまいそうだからかもしれない……。


「え、それだけ?」


 中原はキョトンとしている。ああ、大変そうだな……。米村に思わず同情をした。


「……では、行こうか」


 特に会話することもなく、米村は部屋を後にする。俺は黙ってその後に付いていった。


「え、ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」


 中原は、去っていく俺たちを見て慌てながら付いてきた。


「大変そうですね、色々と」

「……言うな」









 俺たちはそのまま車に乗り込み、俺の下宿先のアパートまで移動し始めた。しかし、移動中の車内、米村が何かを思い出したように声を上げた。


「うん? 待てよ……あれは……」


 急に眉間の辺りにしわを寄せ、こめかみに手を持っていく米村。その様子に、中原は異常性を感じて路肩に車を止めた。


「ど、どうしました? 頭痛ですか?」

「……いや……しかし、まさか……」


 心配する中原の言葉が届いていないように、目をつむり、俯く米村。俺と中原は目を合わせた。そして、俺が今までに見たことのない表情で、米村は、ある女性の名前を口にした。それは、10年前に亡くなったと聞いていた……吉岡家の庭に、社員証を落としていった女性。


「鈴石……初穂……」

「え?」


 俺は米村に聞き返した。訳が分からなかったのだ。なんで今、その名が出るのだろう。しかも、あの監視カメラの映像を観た後で。


「鈴石って……俺の両親を殺した!? も、もしかして、あの女性は鈴石の姉、とかでしょうか? だとすれば……」


 俺が言いかけた言葉を、米村は制した。まるで、その推測は違うことが分かっているかのようだった。


「……鈴石には兄弟はいない。夫もいないし、子どももいない。両親は、彼女の死の後、心中しているのが見つかっている。今彼女と親しい親族は、少なくともこの世にはいない」


 誰もいない? それでは、何故鈴石の名前を出したのか……俺には全く見当が付かなかった。また少しの静寂の後、米村は脂汗を顔に光らせ、俺の方へ振り返って言った。



「……よく聞いてくれ。あれは、鈴石 初穂、本人だ」

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