花婿の試練

「行くよ? あおいちゃん。――蒼炎寺拳法そうえんじけんぽう、〈虚影掌握きょえいしょうあく〉」


 陸翔りくとが拳を握ると葵のペンダントについていた宝石のお守りにひびが入る。


「は? え? 嘘でしょう?」


 陸翔がさらに念を込めると緑色のお守りは粉々に砕け散り、葵の身体を覆っていた不思議な霊圧が消え去った。


禹歩うほ〉で宙を蹴り、すかさず距離を詰める。


 葵は慌てて迎撃するも、椿つばきの作った紅のお守りによって宝石の砲弾は全て弾かれてしまう。新しいお守りを身に着けようとポケットに手を入れるが、手にしたものを取り出す前に腕を陸翔に掴まれて、叶わなかった。

 二本の脚で立つ陸翔は葵よりもずっと背が高く、見上げたその顔は悲しみと痛みで歪み、辛そうに震えていた。


 腹部を突き上げる衝撃が走り、葵の意識は刈り取られる。

 浮遊していた宝石が光と力を失って地面に落下し、葵の身体は陸翔にもたれかかって倒れ、それを受け止めた陸翔は足がもつれて一緒に崩れ落ちた。


「り、陸翔さん!」


 静夜が車椅子を押して駆け寄る。結界を壊された時の攻撃で多少の傷が付いてしまったが、幸い壊れてはいなかった。


「大丈夫ですか?」


「あ、ああ。……やっぱり〈禹歩〉まで使うのはちょっと無茶しすぎたかな?」


 抱え上げた陸翔の体はずっしりと重く、足は完全に力を失ってだらんと伸び切っている。加持祈禱の術が解けたようだ。


 これは静夜の想像でしかないが、おそらく陸翔が行使した京天門の術は本来、術者本人が自身を対象にして行使するようなものではない。


 脳と体に暗示を掛けて身体の感覚を疑似的に戻すということは、他人に騙してもらった方が思い込みを維持しやすい。

 自分の足がもう動かない、もう治らないと分かっているのに、それを自らの念だけで騙しきり、以前と同じように活動させるのにはやはり無理がある。自己暗示だけでは限界があるのだ。

 この様子だと戦えるのはせいぜい一、二分が限度だろう。


「まったく、私たちに任せておけばいいものを……」


 静夜の後ろからゆっくり歩いてきた舞桜は呆れたため息をついて陸翔を見下ろす。


「そういうわけにもいかないさ。これは俺たちの問題なんだから……」


 静夜に抱えられて車椅子に戻った陸翔は強がりを言って笑って見せる。


「それはもう今更だろう? あの双子が京天門に捕まったとなれば、《陰陽師協会》が一枚噛んでいることも既にバレている。……で、これからどうするつもりだ?」


 問われた静夜は、倒れた京天門葵と路上に捨てられた萌依めいのスマホを見て腹をくくった。


「……こうなったら一か八か、直接乗り込んでみるしかないだろうね……」


 湿った南風が流れて来る。

 雨雲は押しのけられて、夜空には初夏の月が顔を覗かせていた。



 京天門邸は、まさに要塞と化していた。

 見た目に変化があるわけではない。

 だが、多種多様な結界が幾重にも展開されたそこは、外部からの侵入はもちろん、あらゆる干渉、工作、果ては接近すらも拒んで寄せ付けない、鉄壁の城塞へと変貌していた。


 総会や呼び出しなどで訪れた時とはわけが違う。

 これこそまさに、京天門家本家の本気。全力の警戒態勢に違いなかった。


 いつも威厳たっぷりに出迎えてくれる門構えからは、絶対的な拒絶と心臓を鷲掴みにされるほどの張り詰めた威圧感しか感じない。

 壁や生垣に囲われた敷地内からは、中に踏み入れば最期、決して生きて帰ることはできないだろうと覚悟させるだけの底知れない恐怖が漂ってきて、無意識のうちに足が震えた。


(……萌依めい萌枝もえは、コレに飛び込んで行ったのか……?)


 部下に偵察を命じた自分の愚かさを呪う。

 あの双子は間違いなくコレに飲み込まれたのだ。戻ってこないのも無理はない。


「……どうする、静夜? ネズミが入り込む隙間もなさそうだぞ?」


「分かってるよ でも、これじゃあ……」


 突入方法が何も思い浮かばず、静夜は言い淀む。


 萌依や萌枝なら、以前京天門邸に幽閉された京都支部の仲間、水野みずの勝兵しょうへいを救出した時と同じように、結界の隙を見つけ出してそこをすり抜け、侵入することが出来たのだろうが、静夜たちにそこまでの忍術は扱えない。


 だからと言って、結界を破っての強行突入というのは無謀すぎる。

 内部の情報を何も持たずに踏み込むというのは自殺行為であるし、結界を壊しての侵入となると迎撃する京天門の術師たちも容赦しないだろう。


 たった三人で、屋敷の中に待機しているであろう陰陽師を相手にするのは、とても勝ち目があるように思えなかった。


「……だったら、ここは正々堂々、真摯に真正面から行くのがいいんじゃないかな?」


「ちょッ! 正気ですか? 陸翔さん!」


 車椅子を自ら押して、紅庵寺こうあんじ家の長男はゆっくりと門の前へと進み出る。

 接近者を知らせる結界も遠慮なく踏み越えて、陸翔は正門が開かれるのを待った。


「危険です、陸翔さん! 下がってください!」


 後ろから追いかけ、静夜が叫ぶ。結界のフロントラインを超えた以上、いつ警告もなしに攻撃されてもおかしくないのだ。

 車椅子を引っ張って強引に連れ戻そうとすると、陸翔はそれよりもさらに強い力でタイヤを押さえつけ頑なにその場を離れまいとした。


「な、何してるんですか? 陸翔さん!」


「……俺は、椿を取り戻すためにここに来たんじゃない。……俺は、椿のご両親にちゃんとご挨拶をして、娘さんを俺にくださいってお願いするために、ここに来たんだ! ……だから離してくれ、月宮君。大人らしく筋を通せと言ったのは、君だろう?」


「……」


 彼のその覚悟を決めた言葉と、背中越しに向けられた眼光に射抜かれて、静夜は言われた通りに手を離し、素直に引き下がった。

 すると、陸翔の熱意が伝わったのか、頑丈に閉ざされていた屋敷の門がゆっくりと開き始める。

 痛烈な突風が門の内側から吹き抜け、静夜は腕で顔を覆って後退った。陸翔は泰然自若と構えたまま顔を背けることなく前を向いている。


「――……殊勝で立派な心掛けだと褒めてあげたいところですけど、こんな夜更けに約束もなく訪ねてくるのはさすがに非常識だと思いませんか? それともこれが紅庵寺流の挨拶とでも……?」


 出迎えたのは一人。夜に溶けていくような濃紺の着物を身に纏い、玄関上の屋根から客人を見下ろすその様はまさに女王の如く尊大で、閉ざされたままの双眸を向けられれば、睨まれたわけでもないのに足がすくむ。


 京天門きょうてんもん絹江きぬえ。『鉄壁の巫女』と評される結界術の名手にして、京天門家の次期当主、京天門政継まさつぐの妻。つまり、――椿の、花嫁の母が花婿の前に立ちはだかった。

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