理想の結婚

「……理想の結婚って、何なのかな?」


「おいおいどうしたんだよ急に」


 いきなり宙を見上げておぼろげに『理想の結婚』などという、一介の大学生の口からは決して出て来ないような単語を呟いた静夜を見て、康介は笑いを噴き出しそうになった。


「いや、別に……。……ただ、あの二人をあのまま駆け落ちさせてもいいのかなって、ちょっと迷ってるだけ……」


 静夜も何だか恥ずかしくなって逃げるように顔を背ける。


「迷ってるって、それがクライアントからの要望だろ? 顧客がそう言ってんだから、こっちは素直にそれを叶えてやればいいんだよ」


 康介の回答は、いかにもビジネスマンらしくてある意味では誠実な主張だ。

 だが静夜には、素直にその考え方を支持することが出来ない。


「確かにそうなんだけど、家族の反対を押し切って、生まれ育った家も故郷すら捨てて、好きな人と二人だけで生きていくって、それで本当に椿つばきさんと陸翔りくとさんは幸せになれるのかな?」


「親の言いなりになって好きでもない奴と結婚させられるよりはよっぽどマシじゃね? 別に駆け落ちって手段を肯定するつもりもねぇけど、本当にそれしか選択肢がないなら、それもワンチャンありかなとは思うぜ?」


「でも、誰からも祝福してもらえない結婚なんて、たとえ本人たちがそれでよかったとしても、やっぱり寂しいし、悲しいよ」


「……」


 康介の意見は現実的で、だからこそ正しく聞こえる。

 しかし、自分たちよりももっと悪い例を世間から探して来て、現状に妥協を許して諦めてしまうのは、どこか間違っているようにも感じるのだ。


 思い描いた通りにはならないかもしれないけれど、逃げ出してしまうには早すぎる。目指すべき理想があって、それが最善だと思うのであれば、もっと貪欲になってもいいのではないか、と静夜は思うのだ。


「……つまり静夜君は、二人のご実家に結婚を認めてもらって、駆け落ちをやめさせたいって考えなん?」


「うん、まあ……、出来ることならそっちの方がいいんじゃないかなって……」


 昨夜、竜道院りんどういん羽衣はごろもから、二人の結婚には手を出さないと言質を取った時から希望は見えていた。


 元々は京天門きょうてんもん家と蒼炎寺そうえんじ家が二人の仲を認めて推し進めようとした縁談だ。

 竜道院家が妨害しないのであれば、両家が二人の結婚を反対する理由はなくなり、椿と陸翔が駆け落ちを強行する必要もなくなる。


「あの竜道院羽衣が約束してくれたんだ。あとは二人の覚悟が本物だってことを親御さんたちにちゃんと伝えれば、もしかしたら分かってくれるかもしれない」


 一筋縄ではいかないだろうが、根気強く説得を試みれば可能性はある。いくら由緒ある陰陽師の一族の責任ある大人たちといっても、子どものことを大切に想う人の親なら、彼女たちの望む結婚を無下には出来ないはずだ。


「……結婚は、親兄弟、親戚、友達みんなから祝福されて、おめでとうって言葉を貰って、自分が認めた相手と結ばれる。……そんな人生の幸せを体現するようなものであって欲しいと僕は思う。だから、駆け落ちを前提に考えて計画を練るのは、なんか違うかなって……」



「――へぇ……。意外とロマンチストなのね、月宮君は」



 三人が座るテーブルの横に突如現れた気配に驚き、静夜はぎょっと目を見開いて背筋を伸ばした。


 大学構内で気を抜いていたとはいえ、声を掛けられるまで気が付かないなんて考えられない。

 それも、車いすに乗った長身痩躯の男性と、両眼を閉じたままそれを押す女性の二人組を見落とすなんてあまりにもお粗末な状況だった。


「……つ、椿さんと、陸翔さん?」


 静夜に名前を呼ばれた噂のカップルは、呆気に取られたままの大学生三人を見回すと、お互いに顔を見合わせて悪戯の成功を喜ぶような意地の悪い微笑みを見せる。


「初めまして。月宮君から話は聞いていると思うけど、私が京天門家の長女、京天門椿です」


紅庵寺こうあんじ家の長男、紅庵寺陸翔です」


「ど、どうも……、俺は――」


「――坂上康介君、よね? 以前、妹が迷惑をかけたみたいで……。ごめんなさい。それと先日お邪魔したクラブ、とてもいい雰囲気だったわ。まだ学生なのにお店の経営をしているなんて、すごいわね」


「あ、はい、……どうも、ありがとうございます」


 自己紹介を椿に阻まれた康介は、言葉を失って軽い会釈だけで返礼している。彼が女性に押されるなんて珍しい。


「そして月宮君の隣にいる君が、三葉栞さんだね。陰陽師以上に霊感が鋭いらしいと、俺たちの界隈ではちょっとした噂になっているよ」


「そ、そうなんですか……?」


「ああ。陰陽師の家系でもない人が、陰陽師以上の霊感を持つなんて滅多にないことだからね……」


「そ、そうなんですか……」


「そんなことより、いきなり大学に来るなんて、どういうつもりですか?」


 強引に話を戻した静夜は、事前の連絡もなしに現れた来客に警戒心と怒りを向ける。


「いきなりも何も、『どこかで会って話が出来ませんか』と連絡をくれたのは、君の方じゃないか?」


「た、確かにメールを差し上げましたけど、返事はまだ頂いてませんでしたよね?」


 陸翔の言う通り、今日の朝に静夜は彼らへメールを送っている。昨夜の竜道院羽衣とのやり取りを報告し、それを踏まえた上で今後の計画について話し合いがしたいと考えたからだ。

 だがそのメールの返信もないまま、直接大学にまでやって来て、友人たちとの食事中に尋ねて来るなんて非常識だ。


「ごめんなさい。最初は私たちも気配を絶ったまま通り過ぎようとしたのだけれど、ちょうどあなたたちが私たちの話をしていたから、つい……」


「……え? ……あれ? 声を掛けるつもりがあらへんかったなら、どうしてこないなところに来はったんですか? 二人っきりですよね……?」


 栞の質問に、静夜も康介もうんうんと頷く。

 この大学の教員でも職員でもなく、またこの大学の卒業生というわけでもない彼らに、静夜以外の縁や用事があるとは思えない。


 それに静夜たちの通うキャンパスは階段が多く、バリアフリーが行き届いているとはとても言えない場所だ。学生の数も多いため、ハンディキャップを持った人間が歩き回るのに優しい環境ではない。

 それ以前に、両目が見えないはずの椿が陸翔の車椅子を押しているというのはかなり異様だった。


 椿と陸翔は、どちらも由緒ある家の長女と長男なのだから、外に出れば付き添いの人間が一人か二人はついて来るのがむしろ普通であるし、陸翔の車椅子を押すのは本来そういう人たちの役目である。椿も同様に、付き添いの人間に手を引かれているか、白杖を手に持っているか、あるいは盲導犬を連れている方が自然と言えるだろう。


 それが何故か二人きりで、盲目の彼女が歩けない彼氏の車椅子を押して、大学のキャンパスをデートしている。


 よく考えるまでもなく、おかしな光景だった。


 二人はまた顔を見合わせて、今度は照れたような控えめな笑みを浮かべる。


「これは、俺たちが二人だけで生きていくための訓練なんだ」

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