暴君、降臨
それは確かに
たとえば、
「――
天から降って来たのは、大仰な物言いとそれに似合わない幼い声。
上賀茂神社にたむろしていた陰陽師たちは一斉に夜空を見上げて息を呑む。
「……己の〈存在の定義〉すら
「……り、竜道院、羽衣……ッ!」
誰かが叫び、その名を口にする。
夜空に浮かぶ梅雨雲を黄金の輝きで消し飛ばし、竜の背に乗る童女は絹のような黒髪と着物の袖を靡かせて、有象無象の陰陽師たちを
「……逃げろ……、――逃げろー!」
また別の誰かが叫ぶと同時に、我に返った陰陽師たちは蜘蛛の子を散らすように駆け出して黄金の竜とそれを操る童女に背を向ける。
「……妾から逃げられると思うのか?」
羽衣は狼狽する大人たちを鼻で笑った。両手で印を結ぶと上賀茂神社の敷地には広範囲に及ぶ結界が展開され、全ての陰陽師が閉じ込められる。
逃げ場を失った彼らは青ざめた顔で愕然と膝を着き、崩れ落ちた。
「この程度で諦めるとは素直じゃのぉ。……金のためにせよ、一族のためにせよ、妾の母を狙ったことに変わりはない。弁明は聞かぬぞ? 命乞いすら無駄と思え……!」
羽衣は頭上に右手を翳し、黄金の法陣を広げて地上を照らす。昼間のように明るくなったかと思えば次の瞬間、世界は再び月明かりを遮る巨大な影に包まれた。
「――〈
法陣より現れたのは視界を覆い尽くすほどの巨大な岩石。しかも羽衣の唱えた術の名は、春先の一件にて青龍の眷属が最後に全てを押し潰さんと放った一撃と同じものだった。
「お、おい、静夜! アレは不味いぞ! 私たちまでぺしゃんこにされる!」
「見れば分かるよ! でも、どうすれば……⁉」
羽衣の母親に手を出しておいて、娘が自ら母を助けにやってくるとは考えなかったのか。竜道院家の先祖返りなら、今世の産みの母に義理を立てることはないだろうと高を括っていたのかもしれない。
静夜たちはもちろんこれを予想していた。というよりも、羽衣の到着は千鶴女史の星詠みによって事前に知っていた。
当初の予定では彼女と黄竜が乱入してくる前に襲撃者の撃退を済ませ、羽衣に恩を売る手筈となっていた。
しかし黄金の竜に乗って現れた童女は、静夜たちも含めて敵を丸ごと結界に閉じ込めて、隕石によって一網打尽にしようとしている。これではとんだとばっちりだ。
周囲を見渡しても逃げ場は既になく、空を見上げれば強固で巨大な隕石が視界を覆い尽くして浮かぶのみ。絶望も止む無しの状況に、あの竜道院羽衣が制止の言葉を聞くとも思えない。
「……少々、加減を忘れそうじゃ」
童女は滅びゆく世界を空から笑い、隕石は無慈悲に落下を始める。
「――やめなさい、羽衣。お母さんまで一緒に潰すつもりですか?」
途方もない体積と質量を持つ岩石が、大気を押しのけて落下する轟音の最中、凛と張り詰めた女性の声が終焉を迎える世界を斬り裂いた。
直後にピタリと、隕石の落下が止まる。
羽衣を含めた全員が声のした方を見ると、社務所から続く道を抜け、御朱印受付の影から私服姿の千羽千鶴がゆっくりと隕石の下へと歩み出て来た。
「げッ! 千鶴……」
「母親に向かってげッ! とは何ですか? それにお母さん、前にちゃんと言いましたよね? 無暗に人を傷付けてはいけません、って。力を使う時はそれが本当に必要なことかどうかを自分で考えてから決めなさい」
子どもを叱って諭そうとする、母親の厳しくも優しい声。
それに一瞬怯んで口を噤んだ羽衣は、きまりの悪い顔を見せた後、駄々をこねるように言い返した。
「な、何を言うておる、千鶴! こやつらは悪党! お主を襲いに来た賊であろう? 悪者を懲らしめてやることの何が悪いというのか⁉」
「懲らしめるにしてもその術はやりすぎです。相手が死んでしまったらどうするつもりですか?」
「そんなこと、妾の知ったことでは――」
「――いい加減にしなさい! いつまでも責任を放棄できると思っていたら大間違いです!」
千鶴女史の激しい怒声が娘の戯言を遮った。比喩ではなく、まさに雷が落ちたのだ。
澄ました顔をしていた羽衣も、母親の鬼の形相に見上げられると返す言葉を失くして委縮してしまい、先程までの勢いはすっかりどこかへ消え去ってしまった。
あの竜道院羽衣の怯んだ様子はあまりにも珍しく、静夜や舞桜、襲撃者の将暉たちまでもが呆気に取られている。
「……ほら、分かったら早くその物騒な隕石を仕舞いなさい。それから、お母さんを助けてくれた静夜お兄さんや舞桜お姉さんにちゃんと謝りなさい」
千鶴女史が慈愛のこもった柔らかい声で娘を説得すると、羽衣は黙ったままこくりと頷いて法陣ごと巨大な岩石を消し去り、静夜たちの元へ降りて来た。
上空に浮かんでいた黄竜の影が次第に大きくなる。月明かりに輝く黄金の鱗が眩しくて思わず目を細めた。
「……黄竜、もうよい」
眼下にある上賀茂神社の社を潰さないところで羽衣が呟くと竜の体は光の粒子となって夜の暗闇に溶けて消え、残された童女は当たり前のように〈
「……」「……」
手を伸ばせば握手の出来そうな距離で、あの竜道院羽衣と対峙する。
静夜は彼女を前にしてどうすればいいのか分からず混乱してしまい、舞桜はその後ろで身構えている。髪は桜色のままで警戒を限界近くまで高めていた。
すぐそばにいたはずの
周囲を取り囲んだ襲撃者たちが固唾を飲んで見守る中、竜道院羽衣は、
「……す、すまなかった。……それと、千鶴を助けてくれたことには感謝する。た、……大義であった」
母に言われた通り素直に謝罪し、さらには千鶴女史を助けたお礼まで口にした。
あの竜道院羽衣が母とは言え人の言うことを大人しく聞き入れたことに静夜は驚き、舞桜もまた言葉を失ってしまう。
静夜たちの反応を前に、羽衣はどうしていいのか分からず、母親の千鶴女史に助けを求めるような視線を向けた。
「……はい、よく出来ました。今度はもっと普通に『ごめんなさい』と『ありがとう』を言えるようになりましょうね」
千鶴女史が羽衣の頭を優しく撫でて褒めると、娘はまんざらでもない表情でされるがままになっている。少し嬉しそうな童女はまるで普通の小学六年生だ。《平安会》の総会の高座で仰々しくふんぞり返っていた竜道院家の先祖返りの迫力はどこにもない。
仲睦まじい母娘の様子を見ていると、千鶴女史の話もあながち間違っていないのではないかと思えてきてしまう。
初夏の湿った夜風が雨雲を払い、月はほのかに微笑み合う親子を照らし出していた。血を分け合った二人の顔は、誰がどこから見ても親子と分かるくらいにそっくりだった。
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