牧原大智の覚悟①
『クラブ・ブルーサファイア』における
広いテーブルを独占し、次々と新しい酒を注文しては端から飲み干していく。周りに座る女の子たちにも酒を飲ませ、大声で騒いでゲームに興じ、店全体に響くような高笑いを上げて、周囲を威圧している。
他の客が彼に忌々しそうな視線を向けようものなら、その客のテーブルで飲んでいた女の子を指名して自分のテーブルに呼びつけ、チップと称して何枚もの万札をドレスの内側に押し込みながら、女性の身体を乱暴にまさぐる。
横取りされたことをまざまざと見せつけられた客は逃げるように店を去っていき、高嶋はその背中を指差して笑い転げた。
「テメェらみてぇなカスゴミどもが、この俺に勝てるわけねぇんだよ! 立場ってもんを弁えろ!」
彼の陣取るテーブルは、俺たちの座る場所からもよく見える位置(きっと葵さんがそうなるように仕向けて案内したのだろう)になっていて、大声で喋る内容は丸聞こえだった。
「全く! 身の程知らずが! この俺を誰だと思ってんだ? ついこの間まで、日本の裏社会を支配する一大組織の理事代理を務めていた男だぞ? ちょっと金を持て余してるだけのハゲたおっさんとは、扱える力の格が違うんだよ。格が!」
弾力のあるソファにドカッと座り直して何度か身体を弾ませた高嶋は空いたグラスを手に取り、隣に座るカオリさん、――
高級そうな赤ワインを上品に注ぎながら、先輩はキャバ嬢のカオリとして、うっとりと恋慕するような視線をもてなす客へと送っていた。
「本当に高嶋様は素敵です。力強くて頼り甲斐があって、いつも自信に満ち溢れていて、私のようなか弱い女は、一眼見ただけで身の程の違いを悟り、思わずかしずいて足の甲にキスしたくなってしまいます」
「ふん! お前はお世辞で媚を売るのがうまいな。そこまで言うからには、実際にやってもらおうか?」
嗜虐心をうっすらと声音に滲ませつつ、高嶋は見せつけるように足を組み直す。
カオリさんは一切の躊躇なく「はい、喜んで」と笑顔を見せ、ソファから降りて跪き、黒い光沢を放つ革靴に唇をつけた。
「フハハハハ! いいな! 悪くない! 女を跪かせるのはやはり気分がいい!」
着ている服に見合わない、下品な哄笑が響き渡る。
すると次の瞬間、高嶋は眉間にしわを寄せ、急に足を組み直してカオリさんの脇腹を蹴飛ばした。
「おい、淫売女! お前の汚いよだれで靴が汚れたぞ! これはテメェの身体で支払い切れるほど安い靴じゃねぇんだよ!」
「も、申し訳ございません!」
後ろに飛ばされ脇腹を押さえたカオリさんは、すぐに土下座して額を床に擦り付ける。
「ほら、お前を蹴ったこっちの靴も汚れたじゃねぇか。舐めて綺麗にしろ」
「……は、はい……」
そして差し出された逆の足に擦り寄って、今度は唇をつけるだけでなく、舌を這わせて革靴を舐め始めた。
「フハハハハ! やはりいいものだなぁ、他人の権利を踏み躙るってのは! それに人権ってのは、最初から全ての人間に平等に与えられているものじゃねぇ! 法律によって保障されているだけの建前に過ぎないんだよ! 俺みたいな法律の外に生きる人間にとってはゴミクズとおんなじだ! ……よく覚えておけ! テメェらみてぇなメスは、男の性欲と支配欲と征服欲を満たすためのおもちゃなんだ! それでもチップを払ってやるだけ寛大だと思って感謝しろよ!」
高嶋は自身の力を声にして誇示し、店全体に喧伝する。
その間も休むことなく靴を舐め続けるカオリさんを見下ろして男は愉悦に満ちた笑みを浮かべた。
「お前、気に入った。……オーナー! 今夜はこの娘にする。奥の部屋を使わせてもらうぞ!」
「はい。お買い上げありがとうございます!」
ここからの展開は容易に予想できる。先程から人の出入りが激しくなっているお店の奥の扉の向こうで、高嶋が指名したカオリさんに何をさせようとしているのかも。
だから、それが始まってしまう前に、俺は声を上げなくてはならなかった。
「――待ってください」
誰も邪魔する者がいないと思われた空間に水を差す。
店中の全ての視線が、支配者の前に立ちはだかった若い男子学生に注がれた。
「彼女は、俺が最初に指名していた女性です。勝手に連れていかれては困ります。返して下さい」
「……は? いきなり出てきて、なんだテメェは? かなり若い、――っていうかガキだな。学生か?」
「……」
答えないし、名乗らない。何一つ譲歩するつもりがないことを暗示する。
「なるほど。つまりはこの俺に逆らうと……? 怖いもの知らずで、世間知らずだな、クソガキ。テメェが何を言おうと喚こうと、この女は今晩俺が買うんだ。子供はおとなしく家に帰ってママのおっぱいでも吸ってろ」
大して面白くもない皮肉に、周りのスタッフたちからはどっと笑いが起こった。
「……お前は、その女性に相応しくない」
当然俺は笑うことなく、毅然とした態度を保つ。これには高嶋も表情を歪めた。
「……相応しくないだと? 当たり前だろ? この俺が、こんな薄汚れた風俗嬢と釣り合うわけねぇだろ⁉︎ 舐めてんのか⁉︎」
「逆です。彼女はあなたみたいな低俗な男が触っていいような人じゃない。今すぐ離れて消え失せて下さいと言ったんです」
分かりやすく喧嘩を売った途端、高嶋は「なんだとッ!」と激昂し、ガラス板のテーブルをガタンと叩いて立ち上がる。そのあまりの迫力とワイングラスや瓶が倒れる音に驚いて、彼を取り囲んでいた女性たちは「キャッ!」と身体をびくつかせた。
そこですかさず、オーナーの葵さんが高嶋の背後に駆け寄って何やら耳打ちを始める。すると高嶋は、徐々に攻撃的な笑みを深めて腕を組んだ。
「ふ〜ん、なるほど、大学の後輩か……。つまりお前は、この女に気があるわけだな? 愛しの先輩が男に媚を売って身体を差し出す様を見てショックだったか? それとも、俺のような強い男に取られてしまうのが怖くなったか? ……安心しろ、俺が飽きるまで遊び倒したらお前にくれてやる。もっとも? その頃にはこの女の方が、身も心も俺から離れられなくなってるかもしれないけどな! フハハハハ!」
葵さんが俺たちの関係性を吹き込んだことで、高嶋はさらに優越感に浸っている。俺の目の前で先輩を力づくで手に入れる様を見せつけることがよほど楽しいのだろう。
「いい機会だから教えてやろう、学生君。欲しいものを手に入れるために必要なのは力だ。権力、財力、武力、なんでもいい。力のある強い人間が全てを手に入れ、権利を声高に主張することしか出来ない弱い人間は全てを奪われる。弱肉強食。人間の社会制度がどれだけ発展したところで、この世界のルールは何一つ変わらねぇんだよ!」
「……あなたはいったい、どこの世界の話をしているんですか? ここは日本。法治国家です。そんな野蛮なルールがまかり通るところじゃありません。……どうやら僕たちとあなたとでは住んでいる世界が違うようですね。人の皮を被った
圧倒的強者の咆哮に怯むことなく、俺は男をさらに煽る。
一歩も引かず、揺るぎなく、目を逸らすこともなく堂々と。
決して屈しない姿勢を維持すれば、弱い者にしか威張れない卑怯者は必ずキレる。
自分よりも年下で格下の学生にバカにされたとなれば、なおさらに。
全ては、坂上先輩のアドバイス通りだった。
「このクソガキ! 言わせておけば……ッ!」
男がスーツの内から取り出したのは、――拳銃。
それが偽物ではないということは、なんとなく分かった。
――火薬の炸裂した発砲音と女性の甲高い悲鳴が響き渡るのは、ほぼ同時。
俺は即座に身を低くして走り出す。
銃弾は頭上に大きく外れ、何故か、天井に吊るされたシャンデリアの照明を掠めて、ガラス片がキラキラと飛び散った。――直後、店内の照明が全て消える。
暗闇の中で、幾つもの悲鳴が重なって反響した。
客もスタッフも逃げ惑う。群衆が揉み合う只中でさらに二つの銃声とマズルフラッシュが明滅する。パニックはさらに加速した。
――十数秒後。
再び明かりの灯った店内には、オーナーの葵さんと数名のボーイ。そして、店の天井に二つの穴を開け、拳銃を片手に握った
客も女の子たちも誰もいない、閑散とした店内。割れた瓶やグラス、シャンデリアの破片が散乱し、溢れたウィスキーやワインがテーブルに広がって床に滴り落ちている。
「……おい、いないぞ? 女も、あのクソ生意気な学生も、誰も!」
状況を飲み込み始めた男が、未だに呆けたままでいるオーナーに向けて吠えた。
「追いかけろ! 探し出して、俺の目の前に引きずり出せ! あのクソガキの目の前で、あの女を犯して辱めてやる!」
「か、かしこまりました!」
殺意をみなぎらせる男の剣幕に気圧されて、
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