閑話 牧原大智の大学生活

牧原大智の受難①

 俺はその日、最近入会したばかりのサークルが企画する合同コンパに参加していた。


「――あれ? 牧原まきはら君ってもしかして、毎日黒塗りの高級車に乗って大学に来るって噂の、どこかの大企業の御曹司じゃない?」


 正面に座る双子の片割れが突然声を大きく張り上げて俺のことを指さした。


「え⁉ いや、えーっと、それは……――」


「そ、そうなんだよ! コイツが独り暮らししてるマンションの部屋もすっげぇ広くて綺麗でさぁ、こいつの家って絶対に金持ちなんだぜ!」


 慌てて否定しようとした俺を遮って隣に座った友人の山本が馬鹿みたいに騒ぎ立てる。周りのテーブルから他の先輩たちの視線まで集まって来たので、俺は仕方なく話に乗っかって誤魔化すことにする。


「……ま、まあ、ね……? ちょっと事情があって、もう車の送迎はしてもらえなくなったけど、部屋はホントに広くてすごいよ? ……いろいろな意味で……」


 愛想笑いを作って目を逸らす。どうやら俺のことは、学内でちょっとした噂になっているらしい。


 俺、牧原まきはら大智だいちは、大学近くにある1LDKのマンションで独り暮らしをしながら京都市内にある大学に通っている、1回生だ。


 本当はお金持ちでもなんでもない田舎育ちの学生に過ぎないのだが、そんな俺が身の丈に合わないマンションの一室を下宿として借りられているのは、そこが曰く付きの事故物件だったからだ。

 幽霊や妖怪なんているわけがないと思っていた俺は、甘い考えでその部屋に引っ越して大変な目に遭った。

 一時期は夜も眠れないほど恐怖に怯える日々を過ごすハメになったのだが、事故物件に現れた本物の幽霊はこの京都の街に住むという本物の陰陽師によって退治され、今は真夜中の心霊現象に悩まされることもなく、普通の大学生活を送っている。


 本音を言えばあともう少しだけ、あの陰陽師の名門だという一族のお屋敷でお世話になっていたかったけれど、いつまでも贅沢はしていられない。

 俺もちゃんと地に足を付けて、大学生らしく今を楽しむんだ!


 ――と思って、こうしてサークルのイベントに参加しているわけなんだけど……――


「……おい山本! これのどこが合コンなんだよ! 人数めちゃくちゃ多いし、これじゃあ普通にただの飲み会だろ?」


「何言ってんだよ牧原! これは俺たち映画研究会と演劇サークルの合同コンパ、略して合コンだろ? 男女比だってほとんど一対一だし、何も間違ってねぇじゃんか!」


 俺は声を潜めて、自分をこの飲み会に連れて来た詐欺師に抗議した。犯人は容疑を否認しているが、そんなのは詭弁だ。

 なにが「サークルの先輩が合コン組んでくれたからお前も来いよ!」だよ。すっかり騙された!


 聞いた話によると、この合コン、もとい二つのサークルの交流会は新入生の歓迎会も兼ねて毎年この時期に行われている恒例行事らしい。


「なんでも、俺たちの映画研究会とここの演劇サークルは毎年合同で映画を作って、なんかのコンクールに出展してるらしいんだわ。それ以外にも、映研が照明やら音響やらで演劇の舞台を手伝ったり、劇団が演出やら脚本やらで映画作りに協力してくれたりと、お互い持ちつ持たれつの関係性なんだと」


「へぇ……」


「それに向こうのサークルには可愛い女の子だって多いし、来てよかっただろ?」


「そ、それは、まあ、確かに?」


 山本の言うことにも一理ある気がして、俺は見事に言いくるめられた。

 特に、俺たちの向かい側に座った双子の姉妹は、瓜二つの容姿と無邪気な笑顔が可愛らしくて、コンパが始まった時から男の先輩たちになにかとちょっかいを掛けられている。


「……えっと、どっちがお姉さんで、どっちが妹だっけ?」


「おいおい、ちゃんと初めに自己紹介してくれただろ? 緑のヘアピンを付けてるのが姉の萌依めいちゃんで、ピンクのイヤリングをしてるのが妹の萌枝もえちゃんだ。どっちも文学部の一回生で、姉の萌依ちゃんの方が演劇サークルに入ったんだと。妹の萌枝ちゃんは今日だけの特別参加だって」


「って、見分ける方法、ヘアピンとイアリングだけかよ。他にないのか?」


「ねぇよ! てかあっても分かんねぇよ! 初対面の女の子の顔をそんなにまじまじと凝視できるか! 変態だと思われたらどうする!」


「……ごめん、そりゃそうだわ」


 とすると、さっき俺にお金持ちだ何だと言ってきたのは、姉の方か。どうやら周りの男たちがずっと声を掛けて来るから、どうにかして他に注目を移したかったんだろうけど、残念ながら目論見は失敗に終わって、姉妹は相変わらず周りの先輩たち絡まれ続けている。

 ま、双子の姉妹でこれだけ可愛ければ、無理もないか。


 イケメンでもない凡庸な一般学生である俺は、姉妹に少しの同情を抱きつつ、先程テーブルに運ばれて来た揚げたての唐揚げを頂こうと箸を伸ばした。

 香ばしい油と衣の香りが食欲をそそる。唐揚げは大好物だ。塩を付けるだけでご飯が何杯でも食べられる。


 本能と欲望に逆らうことなく、俺は皿に盛られた唐揚げの中で一番大きい肉塊を箸でつかんだ、――その時、


 ――プシュ。


 あり得ない、少なくとも、俺にとっては理解の出来ない事件が起こった。


 ……俺の唐揚げに、レモンの汁がかけられたのだ。


「……」


 箸で唐揚げをつまんだままフリーズする。

 どうしていいか分からず、驚きに見開いた目をゆっくりと瞬きさせて状況の認識に勤めた。


「……あれ? もしかして、レモン、ダメやった?」


 固まったままの俺を見て、レモンを絞った犯人が戸惑いの声を上げる。

 レモンを持つ手を辿って声の主の方を見ると、それは俺の左向かい、双子の姉の隣に座った女性からだった。


 綺麗な人だ。確か、演劇サークルの一つ上の先輩で、名前は……――


「あ、斎間さいま先輩、ダメじゃないッスか! 唐揚げに勝手にレモンの汁をかけたら! 下手したら戦争勃発ッスよ?」


「え? ……あ、ごめんなさい! どこか別のテーブルのものと交換してもらって……」


「あ、ああ! いや、大丈夫ですよ! 俺、レモン掛かってるやつも結構好きですから!」


 嘘である。が、ここでムキになって怒るのはさすがに子供っぽい。

 俺は苦笑いがばれないように手を振って、レモンのかかった唐揚げをえいやっと口に運んだ。


「(もぐもぐもぐ)……」


 うん、美味しい。

 別に俺だって唐揚げにレモンの組み合わせを全否定するつもりは毛頭ない。レモンの風味が唐揚げの味を引き立てくれるのは十分に分かっている。


 しかし、誰に何の断りもなく、大皿に乗せられた唐揚げの全てにレモン汁を吹きかけるとは何事か。

 俺は心の中でそんな怒りを燃やしながら、無言で唐揚げを咀嚼した。


「ほんまにごめんなさい。唐揚げにはみんなレモンをかけるもんやと思って、つい……」


 関西弁らしいイントネーションが少し混ざった柔らかい言葉遣いで、斎間先輩は未だに申し訳なさそうにしている。

 そのしおれた様子を見て、俺の右隣の山本からは優しいフォローが入った。


「大丈夫ですよ、先輩は間違ってません! だって、唐揚げの皿にレモンがついて来たってことは、お店側がうちの唐揚げにはレモンが合いますよって、暗にオススメしてくれてるってことですから! だから、この店の唐揚げにはレモンをつけて食べるのが正解ってことですよ!」


 おっと? こんなところに思わぬ伏兵がいたようだ。

 山本は、斎間先輩がレモンを掛けた上からさらに追加でレモンを絞り、それを美味しそうに頬張っている。君とは気の合う友達になれそうだと思っていたのに、残念だよ。


「でもぉ、やっぱりこういう時は、事前に確認を取るか、自分の分にだけかけるのがマナーだと思うッス」


「ううう……」


「ちょっと萌枝もえ! 先輩をあまりいじめないでよ! 夏帆かほちゃん先輩はちょっと天然が入ってるだけなんだから!」


 同じサークルの後輩である姉の萌依さんが妹を窘める。

 歯に衣着せぬ妹と、それを咎めて𠮟る姉。顔がそっくりな双子でもやっぱり姉妹で性格は違うんだなと俺は思った。

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