京都支部総動員

「……ずるいな。それはお前が、その立場に立っているからこそ言える台詞だ」


 皮肉のつもりで勝兵しょうへいは答える。

 この青年が持っているのは肩書きだけ。力のない凡夫ぼんぷがいくら尊大に語ったところで、ご立派な綺麗事はただの虚しい理想論にしかならない。

 下手に出ればいいというわけではないのだ。


 それは静夜も承知の上。分かった上で語っている。


「こういう立場にいる人間は、こうやってちゃんと筋を通すのが最低限の義務だと、僕は考えています」


「ふん、その偽善者の仮面がいつまで続くか見ものだな。真面目な奴ほど息苦しいぞ? この世の中は」


「……そんな世界は、間違っています」


 おくすることなく、静夜は口にする。


「そんな世界、僕は納得できません」


 それはいつか、とある少女が貫いた言葉だった。


 桜の花が、咲いている。


「確かに、僕の力はちっぽけで、出来ることなんてたかが知れていますけど、せめて僕の手が届く範囲だけは、そんな理不尽な世界にしたくないと思っています」


 舞い散る桜の花弁はなびらを、今宵こよいの満月はほのかに淡く照らしていた。


 円山まるやま公園に植えられた、種類もさまざまな桜の木々は、それぞれの桜色で今年の春を染め上げている。

 その中で、少女が見上げているのは、一本の大きな枝垂しだれ桜。


祇園ぎおんの夜桜』ともうたわれる、圧巻の一重白彼岸枝垂桜ひとえしろひがんしだれざくらだ。


 聞けば、その桜の樹は二代目なのだという。


 朽ちて天命を遂げた先代にかわり、今世の夜桜はこの春も堂々と咲き誇り、いさぎよくその花弁を散らしていく。


 花をさらう春の夜風が、一片の花弁と共に優しく頬を撫でて吹き抜けていった。舞い上がる桜は夜空に溶けて、消えていく。


 静夜は、旅立つ桜の行き先を決して見失わないように、その目を見張って花の残像を追っていた。


「……まったく学生らしい」


 その様子を勝兵は呆れたように嘲笑う。それは無知蒙昧むちもうまいな絵空事だ。そのうち壁にぶつかって、その壁の高さと分厚さに打ちひしがれて、やがて膝を折り諦める。代わり映えのしない毎日に嫌気が差して、目まぐるしい忙しさの中では周りを見渡す余裕すらも失って、そのうち何も思わなくなる。そしてそれを当たり前として受け入れる。


 本当は、負けたくなんかなかったのに。


 目の前に立つこの学生は、そのことをちゃんと分かっているだろうか。知識としてではなく、実感として。


 分かっているのかもしれない。

 その瞳はただ愚かな夢を盲信しているだけではなく、現実を知った上でなお、固く決意しているように見えた。


 なぜなら、彼の夜色の瞳は、桜のように純潔ではなかったから。鈍くくすんで、ぼやけている。

 まるで一度は汚れ切ってしまったガラス戸を力任せに拭って、かろうじて外が見えるようにしたみたいに。


 青年の過去に何があったかなど、勝兵は知らない。けれどもその瞳は、彼の覚悟を悠然ゆうぜんと物語っていた。


「……学生とこれ以上話を続けるのは時間の無駄だ。そろそろ、仕事の話をしよう。……月宮つきみや支部長しぶちょう


 その一言で、風が変わった。

 冷たさを残した空気がほぐれて軽くなる。


 初めて名前を呼ばれた。

 それに支部長という敬称を付けて呼ばれたのは、誰に対してからでもこれが初めてだった。


 萌依めい萌枝もえはいつでもどこでも静夜のことを「先輩」としか呼ばないし、舞桜に至っては「おい」とか「お前」とかだ。静夜の上司にあたる妖花も兄のことをわざわざ役職では呼ばない。


 だから、勝兵が誰を呼んだのか、静夜は一瞬分からず呆然となり、それが自分のことだと自覚した時は、改めて自分が背負うこととなった責任の重さに身の引き締まる思いがした。


 今夜のこの戦いは、京都支部にとっての初陣だ。彼らをまとめ、作戦の指揮を取るのは、支部長の静夜。


 失敗するわけにはいかない。誰も死なせるわけにはいかない。

 その重圧を、プレッシャーを、月宮静夜は真正面から受け止める。


 双肩にのしかかるその感覚がどこか懐かしくて、どういうわけか心地いい。


「……何か考えはあるのか?」


 試されるような問いを受けると、静夜は控えめに頷いた。


「……はい。……と言っても、ものは相談なんですけど……、舞桜!」


 呼ばれた少女は、意識を枝垂れ桜から現実へと戻して、静夜たちの方へと歩み寄る。


「話はまとまったのか?」


「……うん、まぁ一応ね。……で、頼んでいたアレなんだけど、やっぱりお願いしてもいいかな?」


「……分かった。だが、うまくいく保証は出来ないぞ?」


「構わない。こっちでも出来る限りのフォローはするから」


「……少し時間がかかる。それまでに準備しろ」


「うん。よろしく」


 枝垂れ桜の方へと戻る少女の背中を見送って、静夜は残る三人の方へと向き直った。


「これから、舞桜の霊媒体質れいばいたいしつを利用して、周辺にいる妖をすべてこの円山公園に引き寄せます。……担当地域が広すぎることと、こちらの戦力が五人であることを考慮すると、敷地内の妖を各個撃破していくより、狙った場所に誘導して全員で一気に叩くやり方の方が確実で安全です。何よりも戦力の分散だけは避けたいと考えています」


 ある程度の人数がいれば、いくつかの班に分かれて担当地域のすべてを網羅もうらし、警戒することも出来たのだが、この人数で更なる細分化は望むべきでない。


 さらに今は、京都中の妖が活性化しており、一体一体が強くて大きな妖力を持っている。いくら手練れの陰陽師でも、一対一で妖と対峙するのは危険だ。

 以上のことを踏まえた上で静夜はこの作戦を提案した。


「……基本的な考えは悪くないが、妖が大量に押し寄せて来て対処し切れなくなったらどうする?」


 話を吟味した勝兵が賛成を示しつつ懸念材料を指摘する。


「そこは、僕が広域に結界を展開させて、周辺一帯を迷宮化します。うまく入場制限をかけることで可能な限りこちらの数的不利を作らないようにします。欲を言えばさらにいくつかトラップを仕掛けたり、デコイを飛ばしたりして結界内に誘い込んだ妖を散らせればいいんですけど……」


「簡単なものでいいならデコイはいくつか用意できる。罠を仕掛けるなら、俺よりこっちの忍者に任せる方がいいだろう」


「おッ! 分かってんじゃん!」

「先輩! 罠ならあたしたちに任せて欲しいッス!」


「じゃあ頼む。陸路は僕が塞ぐから、対空トラップを少し多めにしてくれるとありがたい」


「了解ッス! 今からちゃっちゃっと行って仕掛けて来るッス!」


 意気揚々と敬礼し、今にも駆けだそうとする双子のくノ一。


 静夜は他に反対意見がないことを暗黙の内に確認すると、二人に出動の許可を出した。


「時間はあまりない。十分以内で戻って来て欲しい」


「「了解ッ!」」


 気持ちのいい返事した双子は、二手に分かれて夜の闇に紛れて消える。


「俺も準備に行く。デコイは散らした方が効果的だからな……」


「はい、お願いします」


 振り返った勝兵の背に向かい、静夜は協力の感謝も含めて言葉を掛ける。

 勝兵はチラリとそれを一瞥し、思い出したかのように口を開いた。

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