怪しげな新入生

 昼休みは、そろそろ終わりの時間に差し掛かっていた。

 学食や芝生の中庭などで昼食を済ませた新入生たちは次のガイダンスが開かれる会場を目指して大移動を始め、多くの学生が静夜たちのブースの前を通り過ぎていく。


 舞桜は昼食を取るために人の減り始めた中庭へ向かい、康介は用事があるからとブースを離れて行き、再び静夜と栞の二人だけがブースに残されていた。


 相変わらず、『霊感のある人大募集』の張り紙はインパクトがあるようで、道行く新入生たちはそれを面白がったり、冷ややかに見つめたりと、注目を集めている。

 しかし、立ち止まってブースに座ってくれる人はおらず、皆、慣れない大学のキャンパスに戸惑って、時間に遅れないように足を急がせているようだった。


 この喧噪が収まって構内を歩き回る人の数が減って来たら、ようやく静夜たちも昼食を食べに行くことが出来る。今更空腹感を思い出して、久々に食べる学食のささみチーズカツに思いをはせていた、そんな時だった。


「――へぇ! 先輩って、プロの陰陽師なんスか?」


 張り紙に釣られたのか、一人の女子学生が静夜たちに声をかけてきた。

 下はホットパンツに黒タイツ。上はTシャツにパーカーを羽織って、リュックサックを背負い、ラフで動きやすい装いをしている。髪はかなり明るく染めており、耳にはピアスをつけていて、少し垢抜けている印象もあった。一見ちぐはぐなように見えて実はまとまっている、不思議な雰囲気を持つ新入生だった。


 栞は、興味を示してくれた新入部員候補を逃すまいと、すかさずサークルへの勧誘を始める。


「ふふん、せやで? この人は《陰陽師協会》っていう、全国の陰陽師を束ねる組織から仕事を依頼されて、悪い妖怪や悪霊を退治する、正真正銘、本物の陰陽師なんやで!」


 正確には「依頼されて」ではなく「命令されて」だが、栞は少し脚色した言い回しで、新入生の気を引こうとした。


「えぇ? ホントッスか? そういう『設定』とかじゃないんスか?」


 語尾の丁寧語を略すのは、彼女の口癖だろうか。静夜たちを明らかに疑っている心中が透けて見える。


「ほんまやで? ウチも霊感があるさかい、この人が妖を退治したところを実際に見たこともあるんやから!」


「へぇ、じゃあお姉さんは、人の背後霊とか、その辺を彷徨ってる亡霊とかが見えたりするんスか?」


「う〜ん、よくそういうことを訊かれたりするんやけど、みんなが想像するような、うらめしや〜ってする幽霊はあんまりおらんくて、よく見かけるんは、動物によく似た妖怪とかやなぁ……。 まあ、ウチは見えるだけで、退治するとかはできへんのやけど……」


 栞も負けじと事実を並べて対抗する。でもこの説明は、妖を見たことがない人からすればピンとこないものだろう。


「へぇ、じゃあお姉さんは、その妖に襲われて危ないところを、この先輩に助けてもらったりとかしたんスか?」


「えっ⁉︎ えっと、うん、まあ、そういうこともあった、かな?」


「へぇ、かっこいいッスね! もしかして、お二人はお付き合いとかしてるんスか?」


「えっ⁉︎ い、いや、そんなことはあらへんけど……」


「えぇ、そうなんッスかぁ……? お似合いだと思うっスけどねぇ? 陰陽師の彼氏とか、頼り甲斐があってステキじゃないッスか!」


「え、えぇ……、そんなことを言われても……」


「まぁ、それも? この先輩が本当に本物の陰陽師だったら、の話っスけどねぇ?」


「ん! それやったらほんまにほんまやで? ほんまモンの陰陽術だって使える、すごい人なんやから!」


 完全に押されていた栞が、女子学生の挑発で息を吹き返す。

 馬鹿にされたような言い方が悔しいのか、二十歳はたちの先輩は静夜の肩を力強く叩いた。


「へぇ。じゃあ、そこまで言うんなら、何か術を見せてくださいよ、先輩ッ」


 挑戦するような声と視線。女子学生はそこまで言ってようやく、ブースのパイプ椅子に腰掛けた。話していた栞の方ではなく、静夜の方を真っ直ぐに見つめてくる。


「ほな、静夜君、いつも通りにやったって!」


 ギャフンと言わせてやれ、とでも言わんばかりに、栞が静夜の背中をまたバシンと叩く。

 言いたいように言われて、対抗意識を燃やしたのか、栞は見ているだけのはずなのに、何故か拳に力を込めている。

 それに静夜もここまで分かりやすく挑発されて、何も思わないわけではなかった。


「……うん、分かった。……では、拳を握って机の上において下さい」


「はいッス!」


 女子学生が指示に応じると、静夜は先程もやったように持ち合わせの呪符を一枚取り出して、そこに相手を拘束するための念を込め始める。

 ゆっくり、じっくり、丁寧に法力を練り上げて、術の完成度を高める。


「……」「……」

「……なんか、さっきより長ない?」


 それだけ気合を入れているということだ。

 力を可能な限り全て術に変換しきった刹那を逃さず、静夜は刮目し、唱えた。


「――〈鉄鎖呪縛符〉、急々如律令!」


 差し出された拳に呪符を貼り付ける。これで、術にかかった彼女の右手は指の一本も動かせなくなったはずだ。


「……手を、開いてみて下さい」


 術が問題なく発動したのを確認してから促してみる。

 何もなければ、女子学生は異変に気付いて困惑の表情を浮かべるところだ。その後は、これはすごい、と驚嘆するか、何か種や仕掛けがあるはずだ、と疑って来るかのどちらかだ。


 しかし、彼女の場合はそのどちらでもなかった。


「あれ? あれれぇ? おかしいっスねぇ、普通に開きましたッスけどぉ?」


 女子学生は、術にかかったはずの右手の拳を、何事もなかったかのように開いて、手の平を見せたのだ。


「え? 嘘やろ?」


 予想を裏切られた栞が逆に驚いて目を見開く。


「あ〜あ、やっぱり嘘っぱちだったんッスねぇ。ここで拳が開かなかったら面白かったんッスけど、残念ッした!」


 得意気にニタニタと笑いながら、新入生は席を立つ。


「それでは先輩ッ、私は次のオリエンテーションがあるので失礼するッス。勧誘活動、頑張って下さいッ!」


 静夜に向けて手を振った彼女は、軽やかなステップを踏んで、意気揚々と人混みの中へ消えていった。


「え? 今、何が起こったん? 静夜君が術を失敗したとか?」


 呆気に取られていた栞が、我に返って静夜に問いかける。

 一方で静夜は、驚くわけでも、困惑するわけでもなく、何故か苦々しい表情で、顔をしかめ、「チ」と舌打ちを声に出して発した。


「失敗したんじゃない。抜けられたんだ」


「ぬ、抜けられた?」


「うん。躱されたって言い換えてもいい。僕の術の隙を掻い潜って、あの子は自分で術の拘束から逃れたんだ」


「そ、そんなことが出来るやねんて、もしかして、あの子も陰陽師なん?」


 強い霊感を持つ栞にも見えない、術者同士の攻防。

 それを演じられるのは、静夜と同じ陰陽師に違いないと、栞は思わず前のめりになった。

 静夜はさっきの女子学生が去って行った方をじっと見つめて、険しく目を細めている。


「いや、あれは陰陽師の芸当じゃない。確かにこちら側ではあるけれど、僕たちとは似て非なる技術の持ち主だよ」


「うん、……え?」


 静夜が何を言っているのかよく分からない。もう少し詳しく説明してほしいと言いかけたところで、今度は彼が何かを探すように周囲を警戒し始めているのに気付いた。


「大丈夫。チャンスはもう一回ある」


「えっと、……それはいったいどういうこと?」


 栞が首を傾げた、その時、


「――へぇ! 先輩って、プロの陰陽師なんスか?」

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