第4話 狐の魔法

妖の住まう雪山

『ほら! さっさと起きて帰らないと、姫に怒られるぞ?』


(……え?)


 聞き覚えのある声に呼ばれた気がした。


 頬に熱い水滴が落ちる。目を醒ますと耳に届いたのは激しく揺れる鈴の音だった。


「静夜君! 静夜君!」


「……し、栞、さん?」


「良かったぁ……。ほんまに、ほんまに良かった!」


 いきなり身体が締め付けられる。思いのほかその力が強くて意識がはっきり覚醒すると、栞が横たわる自分に抱き着いているのだと分かった。胸のあたりにとても柔らかくて温かい感触もある。一瞬で意識が現実に引き戻された。


「し、栞さん、苦しいから……」


(でも、もうちょっとこのままでもいいかも)


 なんて、静夜がそんなよこしまな事を考えた矢先、視界の端に忌々しい男の爽やかに整った顔が映り込んだ。


「おはよう、静夜君。無事で何よりだよ」


「せ、星明……」


 思わず呼び捨てにしてしまう。

 なんとなく、彼が栞と一緒にいるところを見るのが気に入らなかった。


「……これは、いったいどういう状況なんですか?」


 栞が離れたところで静夜が上体を起こす。見渡すと、そこは雪の降り積もった森の中。雪を枝に乗せ白く染まった木々に囲まれた辺りは、スキー場とは全く別の場所のようだ。


「どうやら、雪崩に巻き込まれてこの辺りにまで落ちてきてしまったみたいだね」


「他のみんなは?」


「たぶん大丈夫だ。少なくとも、僕の周辺探索の術に引っかかった人間の生体反応はここにいる君たち二人だけだ。それより、君はまず自分の心配をするべきじゃないかな? 怪我とか、どこか痛む場所とかはないかい?」


 親切にそう訊かれて逆に静夜は不機嫌そうな顔をする。一応全身の感覚を確かめ、外傷の有無を確認した。


「……大丈夫です。栞さんは?」


「ウチも大丈夫。雪崩に巻き込まれた時、星明さんが結界張って守ってくれはったから」


「あ、そ」


 不貞腐れて目を逸らす。ますます気に入らなかった。


 静夜は生身のまま落ちて、気を失っていたというのに。


(でもまあ、妖花がここにいないってことは、ギリギリ何とか助けられたってことなのかな?)


 それなら少しは無茶をした甲斐があったというもの。

 静夜はスキーウェアに掛かった雪を落として立ち上がった。


「で、これからどうしますか?」


 星明に問う。不本意だが、分は弁えているつもりだ。


「君が問題なく歩けるようなら、やはりホテルを目指すべきだと思うけど、現在位置も方角も分からないようじゃ、どうしようもないね。それに、大分天気も怪しくなってきた」


 山の天気は変わりやすい。昼前はあんなに晴れ渡っていた空も、今は分厚い雲で覆われている。薄暗い森に陽の光は乏しく、不安を煽る。雪を舞い上げた凍てつく風は頬を斬り裂いて痛かった。


「とりあえず、近くに何か洞窟でも山小屋でも、寒さを凌げそうな場所がないか探してみよう」


「……分かりました」


 自然とリーダーシップを取る星明に、静夜は素直に頷く。


「……あかん」


 しかし、歩き出そうとした男二人を、栞がスキーウェアの端を摘まんで引き留めた。


「どうかした?」


 星明は首を傾げるが、静夜は険しい顔つきになって、俯く彼女の顔を覗き込む。


「栞さん、確かさっきも雪崩が起こる直前にそれを察知してたよね? 何か分かるの?」


「うん。……静夜君たちは聞こえへん? 何かがこの辺を走り回るような足音とか、女の人の悲鳴みたいな声とか……」


 陰陽師二人が互いに顔を見合わせる。耳を澄ませ、感覚を研ぎ澄ませてみても、彼らには何も分からなかった。


「雪崩が起きた時も、女の人の断末魔の叫び声みたいな、キーンってする嫌な音が聞こえて来て、その後になんや背筋にぞわっと寒気がして、咄嗟に叫んだら、妖花ちゃんのところの地面の雪が崩れて……」


「……霊感が強いとは聞いていたけど」


「馬鹿にしない方がいいですよ。彼女がそう言うなら間違いありません」


 困惑気味に苦笑を漏らす星明に、静夜は警告する。


「栞さん、今周辺はどんな感じ? 近くに妖は居る?」


 さすがに妖が近付いてくれば、静夜たちくらいの陰陽師なら誰でもその気配に気付くだろう。とはいえ、今は雪山での遭難という非常事態。出来ることなら確実に安全な道を選択したい。


 栞は瞼を固く閉じると、外へ向けて意識を集中させた。


「……うん、おる。たぶん、このままここに居ったら囲まれてまう。でもそっちの方向はもっとあかん。行くならこっちやけど、結構な数が動きまわっとるさかいに、見つからずに行くのは難しいかもしれん」


 先程、星明が進もうとした側と反対の方角を指さした栞は、確信を持った口調で敵情を分析する。

 どのみち、ホテルはもちろん、洞窟や山小屋などといった場所がどこにあるかもさっぱり分からない状況なのだ。進むべき方角に当てはない。


 星明は栞の言うことを信じ、足先の向きを変えた。


「分かった。じゃあ僕が先導するから、栞さんは妖の気配を元に最も安全そうなルートを教えてくれ。静夜君は後ろを頼むよ?」


「はいはい。分かりましたよ」


 静夜はスキーウェアの内から脇のホルスターに納められた自動拳銃を抜き、スライドを引いて薬室に.357マグナムの弾丸を送り込んだ。


 以前は、45口径の自動拳銃をメインで使用していたが、大晦日の決闘で、星明に愛銃を破壊されてしまったため、新調したのだ。


 採用したのは、《陰陽師協会》が独自に開発した.357マグナム弾を使用する複列式の自動拳銃。複列式であるため、弾倉に込められる弾丸の数は15発。口径は以前の銃より小さいものの、弾は威力の高いマグナム弾を使用するため火力に不足はない。さらにこのマグナム弾は、薬莢に梵字を刻み、特殊な加工と呪詛を取り入れて対妖用に威力を向上させている。

 また、静夜には高火力をメインに使用する大口径の回転式拳銃があるため、今回は威力を落とさずに装填数を増やせる拳銃を、という観点からこの複列式のオートマチックを選んだのだ。


 黒い光沢の美しい銃を覗き見て、星明は不敵な笑みを潜める。彼はウェアのポケットから収納用の呪符を取り出すと、術を解いて中に納められていた愛用の錫杖を手に取った。


 スキー旅行の最中とは言え、彼らは陰陽師として自覚と責任を片時も忘れてはいない。

 三人は一列に並び、周囲を警戒しながら雪山の中を歩き始めた。

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