遭難事件

 妖花は、《スノーフォックス》と《陰陽師協会》の関係を知っているのだろうか。

 正直に言って、静夜は聞くのが怖かった。


 組織内での立場上、静夜が知り得ない事でも、妖花が知っていることは多くあるだろう。妖花はもしかしたら知っているのかもしれない。知っていて、今まで敢えて静夜には隠していたのかもしれない。もしそうであれば、安易に踏み込むことは躊躇われる。


 口を噤んだ静夜を見て、カレーを食べ終えた舞桜は、スプーンを乱暴に皿に投げ、大きなため息をついた。


「はあぁあ。……美しい兄妹愛を演じているつもりかもしれないが、傍から見ているこっちはイライラするだけだ。……妖花! お前は《スノーフォックス》が《陰陽師協会》の協力を得て『フォックスマジック』の運用と研究をしているという話を知っているのか?」


「え?」


 鋭い視線を向けられ、驚きに顔を上げる妖花。舞桜の言葉が耳から染みて、頭の中にじんわりと広がっていくように、その表情はゆっくりと青ざめていった。


「……は、初耳です」


「ど、どういうこと?」


 栞は慌てた様子で静夜に説明を求める。未だに戸惑っている彼を置き去りにして舞桜が淡々と続けた。


「兄上から聞いた。私たちがこのホテルから厚遇を受けているのを見て、《スノーフォックス》と協会が結びついているという噂話を真実だと早とちりして、静夜に礼を言いに来たんだ。お前たち兄妹が知らないということは本当にただの噂話かもしれないが、件の『フォックスマジック』が『果て無き夢幻むげんを誘う悠久の彼方』のを利用した術であることを踏まえると、協会が力を貸している可能性は高いと私は考える」


「舞桜さん! いったい、誰からそれを!」


 妖花が机をたたいて立ち上がる。糾弾するような険しい双眸を、舞桜は受け流すようにして静夜を示した。


「ごめん。二人には事情を知っておいてもらった方がいいと思って……」


「あ、いえ、……私の方こそすみません。兄さんが気を回して下さったんですね……」


 安堵と自己嫌悪が混ざったような、複雑な表情で椅子に座り直す。静夜も気まずそうに顔を背けた。


「……確かに、協会が《スノーフォックス》に手を貸している可能性は高いと思います。私たちが何も知らなかったのはおそらく、協会が巧みに情報を操作しているからです。特に、雪ノ森冬樹の実子である私には何も知られたくなかったんだと思います」


 協会は、妖花に父の会社を取り戻そうという考えを起こされたくないのだろう。

 もしも妖花が本気になれば、いくら《陰陽師協会》と言えども無事では済まされない。協会が、今の《スノーフォックス》と共同で『フォックスマジック』の研究を行っていることが知られれば、妖花は《スノーフォックス》の正当な後継者として名乗りを上げ、『フォックスマジック』を取り返すべく、協会に反旗を翻すかもしれないからだ。

 月宮妖花の本当の力を知っている協会としては、それはどうしても回避したい、最悪のシナリオの一つに違いない。


「それに、《スノーフォックス》が協会と繋がっているのであれば、ここで起きたという遭難事件がニュースなどで報道されないことも、協会が裏から手を回してもみ消していると考えれば、説明が付きます」


 自らの推測を語る妖花は俯いたままで表情から内心を推し量ることは出来ない。

 彼女が席に着いてから一切手を付けていないきつねうどんは、麺が徐々に若干伸びて、立ち込めていた湯気は既に消えてしまっている。


「……遭難事件の噂話を聞いた時、私は、もしかしたら《陰陽師協会》が『フォックスマジック』の秘密に気付いて探りを入れに来ているのかもしれない、と勝手にそう思っていました。ですが、どうやらこの予想は的外れだったみたいですね」


 また、何かを誤魔化すように妖花は苦しそうな笑顔を作る。思い出したように箸を手に取り、冷めかけたうどんを食べようとする。

 舞桜はそれを逃がすまい、と鋭く切り込んだ。


「それで、お前はどうするんだ?」


 こしのある麺が箸から滑り落ちて、出汁が跳ねる。心臓が止まったかのように、妖花は固まってしまった。


「……どうする? と言われましても……」


「まさか、このまま見て見ぬふりをするつもりか?」


「……遭難事件のことでしたら、既に協会が何らかの対策を取っているはずです。私が出しゃばってもいいことは何もありません」


「だが、お前の父が立ち上げた会社だ。それに、狙われている『フォックスマジック』は、お前の実の両親の形見そのものだ。お前はそれでいいのか? 母親の遺骸を、自分を捨てた親戚や協会なんかに弄ばれて、何とも思わないのか⁉」


「舞桜、それは言いすぎだ!」


 思わず静夜も声を荒げる。熱くなった舞桜はまた少し咳込んで、今度は静夜の方を睨んだ。お前もそれでいいのか、と問いかけるように、澄んだ朱色の瞳の鋭い眼光が刺さる。


 静夜は、その真っ直ぐな眼差しから目を逸らした。残念ながら、こればっかりは、彼に口出しが許される問題ではない。栞も、何か言いたそうではあったが、妖花の翠色の瞳が悲し気に揺れているのを見て、言葉をしまい込む。


「……本当なら、そうした方がいいのかもしれません。ですが、……出来ないんです。そうするわけにはいかなんです」


 今にも泣き出しそうな顔で、妖花は語る。

 舞桜と栞は黙ってその続きを待ち、静夜は心の中で耳を塞いだ。


 協会は、もしかしたらこの事実を知らないのかもしれない。知らないから、必要以上に妖花を《スノーフォックス》に関する情報から遠ざけているのかもしれない。

 もし知っていたのなら、『フォックスマジック』を取り返すことの出来ない妖花を、ここまで警戒することはないはずだから……。


「……父の、遺言なんです。……《スノーフォックス》と『フォックスマジック』、そして、母の遺した『悠久の宝玉』の運用は、父の親族と彼らが経営する親会社の《スノーフォレスト》に全て任せる、と。……それが、私の実の父、雪ノ森冬樹の残した最後の意志なんです」




「――おい、誰か! 誰か来てくれ! 人が、……人が雪山の中で、裸で倒れてるんだ!」




 その声はまさに青天の霹靂の如く、暖房の利きすぎた休憩所の中に雷を堕とし、外の冷たく張り詰めた風を呼び込んだ。


 血相を変えてホテルに飛び込んで来たのは、無精髭の似合う壮年の男性。スノーボードが趣味なのか、着ているウェアはどれも《スノーフォックス》のレンタル品ではなく、市場に流通している他社のメーカーのものだった。

 おそらく、一人でこのスキー場に来ているのだろう。「誰か! 誰か!」と助力を乞う彼の表情は切迫していて、休憩所で身体を休めていた他のスキー客は怖がって誰も彼に近付こうとしない。周りの人と顔を見合わせ、関わり合いになるのを避けようとしていた。


「どうしましたか?」


 そんな状況で、一人の青年が勇敢な声を上げた。

 竜道院星明だ。


「僕でよければ力になります。その人が倒れているところに案内して下さい」


 彼の声は芯が通って、頼りがいに溢れていた。見た目はただの学生だが、ただの若者には収まらない迫力と貫禄が、堂に入った立ち振る舞いからは滲み出ている。

 飛び込んで来た男性は、心強い男の登場に感激し、感謝の言葉を繰り返しながら、「こっちです!」と星明を促して休憩所を出て行こうとした。


「あっちの山の裏手で、男性が三人も倒れているんです!」


「さ、三人もですか⁉」


 二人の会話は少し離れたところの静夜たちにも届く。

 事態の詳細を聞いた星明は、すぐに振り返って静夜たちの方を凝視してきた。


「……何あれ? 僕たちも来いってこと?」


 何だか一方的な命令を受けたみたいで釈然としない。

 反感を抱く静夜の対面では、舞桜が既に立ち上がり羽織っていたウェアのファスナーを締め、ニット帽を手に取っている。


「何してる静夜、早くしろ」


「静夜君、ウチも行く!」


「栞さんは残った方がいい。妖花も、」


「いえ、私も行きます。雪山で男性が三人も裸で倒れているなんて、普通の遭難とは思えません」


 舞桜はもちろん、あとの二人も説得が効くような様子ではなかった。

 さらに別のところからは康介も迷わず飛び出して来る。


「静夜! 今、吉田さんに言ってスノーモービル出してもらうからちょっと待って! 星明さんも、AIDとか準備するんで、ちょっと待って下さい!」


 あまりにも初動が迅速で、全く頼もしい学生救助隊だと、静夜はため息を呑み込んだ。

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