次男の想い
「……なんだ、突然呼び出して」
舞桜の目の前には、竜道院
京天門邸の庭先を冷たい北風が吹き抜ける。
昼食も終わり、そろそろ総会も再開されるという頃合いに、舞桜は兄からの合図を受けて、一人席を立ち、会場の離れを抜け出して来たのだ。
話がある。それも、とても大事な話が。紫安の真剣な表情からは、それだけが切実に伝わって来た。
舞桜は身構えたまま、立派な庭園へと躍り出る。警戒心は捨てない。いくら兄とは言え、今は自分を破門にした一門の息子。長男の星明ほどではないにしても、その実力は確かなものだ。
今朝、静夜に対し、シスコンを暴走させて槍で斬りかかった時とは違い、彼の身に纏う雰囲気は、落ち着いていて隙が無かった。
鹿威しが、コトンと音を響かせる。
「……舞桜、こっちに戻ってこい」
単刀直入に示された言葉。舞桜はやはりそれか、と落胆のため息をつく。
「……私が戻ったら、どうなるというんだ?」
「そんなこと、言わなくても分かるだろう? 協会はお前を保護しているから、それを口実にして、京都に切り込もうとしているんだ。お前が協会を離れれば、アイツ等はうちに口出しする大義名分を失って、京都支部なんて滅茶苦茶な話も立ち消えになる」
「また私を、取引の道具にしようと言うのか?」
「違う! そうじゃない! ……いや、確かに大人たちはそう考えてるかもしれないけど、少なくとも俺はそうじゃない! 俺はお前のことがただ心配なんだ。……いいか、舞桜。協会の奴らだってお前のことはただの道具としてしか見ていないんだぞ? このまま協会に身を預けたら、そのうちあの半妖の子と同じように、ただ命令に従って戦うだけの駒人形にされるか、霊媒体質や憑霊術の研究のために使われる実験動物にされてしまうぞ? お前は、そこら辺のことをちゃんと分かっているのか?」
怒りと焦りを言葉に乗せて、紫安は叫ぶ。それを聞く舞桜の表情は相変わらず冷えていた。
「……私は既に破門されている。伯父上も父上も私を庇うつもりはないんだろう? そんな家に、今更どうやって戻ると言うんだ?」
「破門のことなら、俺から父上に掛け合う! お前の待遇についても見直してもらえるように頼むから!」
「そんなのは無駄だ。私が憑霊術を暴走させたことは、今や《平安会》全体に知れ渡っているはず。仮に私が協会を離れて《平安会》の処罰を受けたとしても、完全に危険だと判断された私は打ち首になる。良くてもあの離れに逆戻りだろう。……あんなところに閉じ込められたまま朽ち果てるなんて、私は御免だ」
「お前は勘違いをしている! あの離れはお前を守るためだった。もう二度とお前の身体を妖に乗っ取らせないために、強力な結界でお前を守っていたんだ!」
「違う。アレは私を守るためじゃない。兄上たちや他の人たちを守るためだった。妖に愛されたこの身体はいずれ災いを呼ぶと、大人たちはそう決めつけて、私を隔離していた。……妖に憑依されたのは、あの三歳の時の一度きり。小学校に上がってからは妖を呼び寄せることも少なかったのに、外出や学校への登校まで制限するのは、明らかに過剰だった」
「そんなことはない! 妖の多い京都では、何が起こるか分からないんだ。あれくらいの措置は仕方がなかった。それでも少しの幸運があったから、今まで無事でいられたんだ。……お前はあの屋敷の中で、大人しくしていた方が安全に生きられる」
「……今までずっと大人しくしていた。私は兄上たちの言う事をちゃんと聞いて、我慢してきたつもりだ。……それなのに、その対価として与えられたのは、望んでもいない結婚だった」
先に言葉に詰まりたじろいだのは、兄の紫安の方だった。舞桜はその朱色の瞳で兄を睨み、彼の説得を断固として拒否する。
紫安の反論は急に勢いが衰え、罰の悪そうな顔で目を背けた。
「あ、あれは、母上が勝手に決めたことであって、俺はもちろん反対したんだけど、でも、母上はお前の幸せを願って、決断をしたんだ」
「……私には、そうは思えない」
確信を持って少女は告げる。紫安の否定の言葉は次第に小さくなって、吹き荒ぶ北風に攫われた。
舞桜はあの夜、確かに聞いたのだ。母からの最期の言葉を。
「父上も、星明兄上も、私には最初から興味がない。それを向こうに紫安兄上だけがいくら反対しても、あの時の母上は止められなかった」
もう一度、とどめを刺すように断言する。
「……」紫安は遂に、言葉を無くして俯いた。
「じゃあ、……母上はずっとあのままなのか?」
苦しそうな声が彼の口から零れ出た。
「母上は、あれからずっと眠ったままだ。息はなく、心臓も止まって血も巡っていないのに、身体は温かいままで、中に潜んでいる妖も動かない。ずっと、母上の時間はあの状態のままで止まっている。……舞桜、あれはお前がやったんだろう? いったい、どんな術を母上に掛けたんだ?」
「…………」
「答えられないのか?」
舞桜は困ったように目を逸らす。
「……少なくとも、今のままではどうしようもない。禊の儀式をやろうにもあの状態では、母上の身体は儀式の負荷に耐えられない。術を解けばすぐにでも中にいる妖が母上を喰い殺してしまう。だから、しばらくはあのままにして別の方法を探すしかない」
「あんな封印術は、初めて見た。父上も兄上も知らない、蔵の文献を探しても分からない代物だ。アレはお前に憑依した妖の力なのか? 母上は、本当にあのままにして大丈夫なのか?」
「……」舞桜は沈黙を貫く。
鹿威しがまた落ちる。静寂が際立って、我慢できずに紫安がまた口を開いた。
「母上だけじゃない。お前だってそうだ。舞桜、その憑霊術は、……憑依を許しているその妖は、本当に安全なのか? 今度また暴走が起こったらお前は無事でいられるのか? 次は抑えられないかもしれない。取り返しのつかないことになるかもしれない。……お兄ちゃんは、妹にそんな危ない真似はして欲しくない」
優しく諭すように、兄は言う。
「……舞桜、お前はまだ中学生なんだ。だから、もう少しだけ待ったらどうだ? もう少し経てば、俺も星明兄上も大人になる。そしたら、絶対にお前の扱いだって変わる。変えてみせる。……だから、戻ってこないか?」
手を差し伸べる。甘い言葉。舞桜は、朱色の瞳で兄を睨み返した。
「私はもう、子供じゃない」
「……十分子供だ。大人に守られるべき、弱い存在だ」
兄の穏やかな口調がむしろ気に入らない。その視線はさらに険しくなる。
それでも兄はその手を引かなかった。
「……舞桜、今ここで、お前に憑依する妖の名前を明かせ」
紫安は意を決して、核心に踏み込んだ。
妖にとって名前とは〈存在の定義〉そのもの。その妖が現世に存在する意味や理由、力のあり方を指し示した、それは所謂、存在の証明。
妖とは元来、曖昧模糊で荒唐無稽な存在だ。存在するかどうかも怪しいそれらの影は、この現世において頼りなく揺らめく幻に過ぎない。
しかし、時に強い力を持った妖は、その存在を人々に認められ、信仰にも近い念を向けられる。すると、その妖は人々の〈念〉に拠り所を見つけ、その存在を唯一無二のものとして確立することが出来るのだ。
その境地に至った妖は、現世に留まり続けるだけの姿と力を手に入れ、名前を持つことを許される。妖にとって名とは誉れであり、己の存在の全てを示すものだ。
よって、妖の名前を明かすということは、その妖の全てを明かすということ。
妖の由来、力の根源となる〈念〉、妖力の強さや特徴、あるいは弱点。
そしておそらく舞桜の場合は、憑霊術そのものの秘密を暴露することにも繋がるだろう。
だから、そろそろ止めた方がいいと、近くで息を潜めていた静夜は声をあげた。
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