年内最後の講義

 クリスマスの朝とは言え、年内最後の授業を受けるために、キャンパスに集まった学生は多い。さらに、出席が重視される授業ともなれば、大講義室は人で溢れ返り、蒸し暑くなるほどだ。


 その中心で、月宮妖花は案の定、注目の的となっていた。


「お、おい静夜、これはいったいどういうことだ⁉」


 二限目の講義が始まる少し前の時刻。普段は気だるげに教授の到着を待っているだけの学生たちは、その銀髪の少女に熱視線を送っている。特に、目を丸くした坂上康介はとにかくうるさかった。


「妹がいるってのは最近知ったけど、それがまさかこんな銀髪ハーフの美少女で、しかも血の繋がらない義理の妹だったなんて、俺聞いてねぇぞ!」


「そりゃあ言わなかったし、説明するのも面倒だったし……」


 収拾のつかなくなった惨状に、静夜は対応を完全に放棄している。


 この授業には静夜の知り合いも多く出席するため、妖花を見て集まって来た彼らにいちいち事情を説明するのは骨が折れるのだ。それに、きちんと説明すると、それはそれで康介のように騒ぎ出す男子学生が続出する。何を言っても、静夜に対する僻みの視線や、からかい交じりのやっかみが無くなることはないだろうから、無視を決め込むのが一番だ。


 一方で、人の眼を惹くことに慣れ切っている妖花は、可憐な笑顔を周囲に振り撒いている。


「皆さん、初めまして。兄がいつもお世話になっております。妹の月宮妖花と申します。高校二年生で、冬休みを利用して、兄のいる京都に遊びに来ました。今日は大学を見学したいとお願いして連れて来てもらったのですが、皆さんの勉学のお邪魔にならないよう気を付けますので、どうぞよろしくお願い致します」


 礼儀正しい挨拶に、男性たちは揃ってたじろぐ。《陰陽師協会》の中で培ってきた処世術の笑顔に彼らはころっと簡単にやられていた。


「それにしても、大学はすごいですね。兄から話だけは聞いていましたが、人の数も敷地の広さも、建物の造りも高校とは全然違って、とても新鮮です!」


 翠色の瞳を輝かせる妖花は、大学に来てからさらに気持ちが昂ったのか、人の眼もはばからずに広い講義室を踊るように見回し、感嘆の声を上げている。


 そんな彼女とは対照的に、二人について来た竜道院舞桜は、静夜の陰に隠れるように座って、冷ややかな視線を窓の外へ向けていた。


「……そんなに大した大学じゃないだろう? ……前に来たときは夜だったからそんなにはっきりと分からなかったが、何というか普通だな。新しく出来た図書館や中庭は綺麗だが、古いものはとことん古くて薄汚い。敷地は隣の大学の方がずっと広いし、ここは立地も良くない。これで桜の花でも咲いていれば、少しは見栄えもいいのかもしれないが、季節が悪いな」


 ボソッと呟かれた身も蓋もない感想に、静夜は困って頬を掻く。


「舞桜、そんな水を差すようなこと言わなくても……」


「事実を言ったまでだ。それより、お前は妹のあのテンションを何とかしろ。陰陽師のくせに目立ち過ぎだ」


「そんなこと言われても、妖花は黙っていても目立つし、本人は慣れているから気にしないし、……それに僕の妹ってことで、彼らも当分は飽きないと思うよ?」


「アイツやお前が気にならなくても、私が気になるから何とかしろと言っているんだ! さっきからずっと視線を感じて、どうにも落ち着かない!」


 舞桜が鋭く視線を周囲に走らせると、不躾に舞桜のことを見ていた男子学生が数名見つかり、慌てて舞桜から目を逸らした。

 どうやら、注目の的になっているのは妖花だけではなさそうだ。


 妖花は、自分なりに言い寄って来る男性たちのあしらい方を心得ている。今も多くの男子学生が彼女に対して、


「ねぇ君、彼氏いるの?」「番号教えて?」「LINE交換しよう?」「この後お昼一緒にどうかな?」


 などと、熱烈なアプローチを続けているが、当の本人は笑顔を絶やすことなく、丁寧な受け答えでそれらを一つ一つ捌いていく。

 一見するとその対応は優しく慈悲深いものに思えるが、妖花は決して「また機会があれば、」とか、「大変心苦しいのですが、」とか、男が少しでも勘違いしてしまうような発言を一切しない。

 加えて、妖花の笑顔は、誰に対しても等しく変わらない、マニュアル通りの無味乾燥として冷淡な微笑みのため、その顔で、


「番号は無闇に人に教えないようしていますので」とか、


「私は兄と一緒にお昼を食べるので、丁重にお断りします」とか、


 付け入る隙も無い回答をされてしまうと、男性諸君は「あなたに興味はありません」と、暗に告げられる彼女の本心を自然と察し、誰もが心をポッキリと折って、何も言わなくなってしまうのだ。


 それに比べて舞桜は、人の視線に耐性がないため、自分に向けられる好奇の視線を片っ端から睨み返して迎撃していく。おそらく、それしか手段を知らないのだろう。相手に取り付く島を与えない、という意味では、妖花の対応と同等に有効な方法なのかもしれないが、少女の足は机の下で微かに震えている。


 意地と見栄を頑なに張り続けるところは、舞桜の美点であると同時に、惜しいところでもある。

 ずっと眉間にしわが寄っていては、せっかくの美しい朱色の瞳が恐ろしく見えてしまって、もったいないから。


 たまには正直に怖いと言ってくれてもいいのに、と静夜は思った。


「……まあ、この騒ぎは栞さんが来るまでの辛抱かな。女子同士で話し始めたら、男は入っていけないからね……」


「何⁉ 栞もここに来るのか?」


 静夜がそう言うと、舞桜は驚いた様子で飛び跳ねる。


「え? うん、……妖花の事を話したら、すぐに行くって返信があったけど?」


「馬鹿! お前、そういうことは先に教えろ!」


「何か不味いの?」


「……ついて来るんじゃなかった…………」


 難しい顔をして肩を落とす舞桜を見て、静夜は思わず苦笑いを浮かべた。


 実はつい先日、静夜と舞桜は先の妖犬の一件で栞に大怪我をさせてしまったことを改めて謝罪するため、三人で食事をしたのだ。


 平安神宮での戦いが終わった後も、舞桜は陰陽師でもない栞を巻き込んでしまったことをずっと気にしており、同時に栞も自身が庇った舞桜の事をずっと気に掛けていた。

 静夜は静夜で、栞が怪我をした責任を譲るつもりはなかったが、このままでは二人の気が晴れないと考え、舞桜と栞を引き合わせた。

 ちなみに一緒に食事をしようというのは栞の提案で、大学近くの回転寿司に入り、代金はすべて静夜が支払った。


 その時に、舞桜が受けた三葉栞という女性の印象は、かなり強烈だったようだ。


「怪我をさせた相手に対してこう言うのは良くないと思うが、正直に言って私はアイツが苦手だ。命が助かって、何事もなく無事だったとはいえ、致命傷を受ける原因を作った私に、どうしてあそこまで友好的な態度が取れる? アイツが何を考えているのか私にはさっぱり分からない……」


「ま、まあまあ。悪い人じゃないんだから……」


 しかし、舞桜のいうことも確かにその通りだ。

 あの日の栞は、とにかく笑顔で優しかった。謝罪をするために身構えていた舞桜は、あっさりと許されて茫然自失になったほどだ。その後も栞は舞桜のことを必要以上に可愛がり、甘やかし、舞桜は肩透かしを食らった気分で終始辟易としていた。


 さらに栞は、《陰陽師協会》のことや《平安陰陽学会》のこと、舞桜の操る憑霊術やその他の陰陽術について様々な質問をぶつけて来て、静夜を困らせた。

 以前までの彼女なら、陰陽師の世界や妖の事についてあまり深く訊かれることはなかったのだが、妖犬に襲われた一件をきっかけに、栞の中で何か心境の変化があったのかもしれない。


 そんなことを考えていると、チリンチリンと、喧騒の中でよく響く鈴の音が軽やかな足取りで近付いて来た。


「静夜君!」


 と、講義室に駆け込んだ三葉栞は、真っ先に静夜を見つけて手を振り上げる。妖花と舞桜に集まっていた視線は一斉に彼女へと移った。


 舞桜は「げっ」と失礼な声を漏らして静夜の影に隠れるが、栞には「あ、舞桜ちゃん!」とすぐに見つかり絡まれる。


 このやり取りだけで周りの男性たちは舞桜と栞が顔見知りであることを悟り、その関係を訝しむ。確かに、事情を知らない人からすれば接点がなさそうに見える二人だ。自然と男たちの視線は二人の方に集まった。


 すると、視線の檻から解放された妖花が、周囲の騒ぎに首を傾げる。


「……兄さん、栞さんがいらっしゃったんですか?」


「え?」


 訊かれた静夜は目を丸くした。


「栞さんなら、すぐ横に居るけど?」


「……え?」


「え?」


 栞の方を二人して見てからさらにまた顔を見合わせる兄妹。妖花のすぐ横には、嫌がる舞桜に満面の笑みで抱き着く栞が確かにいる。

 それなのに、妖花は、


「……栞さんは、どこにいらっしゃるんですか?」


 と、至って真面目な様子で栞を探して周囲を見回していた。


「ま、まさか……」


 脳裏に嫌な予感が走る。その時、栞の方が妖花に気付いた。


「もしかして、あなたが妖花ちゃん?」


「え? あ、はい! ……え?」


 名前を呼ばれて初めて、妖花は栞の存在を認識した。それは冗談を言っているわけではなく、彼女は心底驚いたようで一歩後退る。


「……し、失礼ですが、いつからそこに?」


「え? いつからって言うか、さっき来たばっかりやけど?」


 妖花の脈略のない問いに、無自覚な栞はキョトンとした顔で答える。簪に付いた鈴が頷くようにチリンと鳴いた。


「……な、なるほど、これが〈厄除けの鈴〉の力、なんですね……」


 今起きた現象の理屈を理解し、妖花は思わず息を呑んだ。

〈厄除けの鈴〉。栞が簪に付けているその鈴は、生まれながらに強い霊感を持つ彼女を守るための呪具である。幼い頃に見知らぬ陰陽師に貰ったというその品には、彼女を害そうとする危険な妖や事件から三葉栞という存在を隠す、という効果がある。

 おそらく鈴の持つその特殊な力によって、妖花は栞を見つけることが出来なかったのだろう。


 化かされた妖花はもちろん、これには静夜も驚きを禁じ得なかった。

 確かに、妖花は妖として強い力を持っているが、普段はその力をいくつかの要因によって抑えており、何よりも月宮妖花は半人半妖、半分は人間なのである。

 そんな妖花にも鈴の力が有効だとは、正直に言って想定外だった。


「初めまして。私が三葉栞です。こんなにはよう会えるやなんて、嬉しいわ!」


「は、はい。こちらこそ、お会いできて嬉しいです。……改めまして、妹の月宮妖花と申します。先日は本当に、兄妹揃ってご迷惑をおかけしました」


 妖花は少し気を引き締めた笑顔を作って、栞と真っ直ぐ向き合い握手を交わす。


 これだから京都は油断できない、と妖花の表情は凛として張り詰めていた。

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