暴走
「……母上、あなたは、どうしてそこまで……?」
舞桜は、母親から目を逸らすことなく、湧き上がる感情を言葉にして、一つの問いを投げる。ただ、何故、と。
「そんなにも私が嫌いですか? そんなにも私が憎いですか?」
「ええ」
無味乾燥な声音が、舞桜の胸に突き刺さる。
「……あと少しだけ、待っては頂けないのですか?」
「無理よ。もうあなたは終わりなの。何をしても無駄なの」
「……」
取り付く島もなく、言葉に詰まって押し黙る。
美春はそれでも容赦なく続けた。
「《平安会》の首席になる、だったかしら? 静夜様から聞いたわ。……ふふっ、思わず笑ってしまいそうだった。本当に、あなたはいったい何を考えているのかしら。昔からずっとそうだったけれど……。いいかしら、舞桜? あなたが今更その忌々しい力を使って何を成したところで、本家はあなたを認めはしないわ。そして、《平安会》の理念が覆るという未来もあり得ないの。それは、長い歴史と伝統によって築き上げられた、この世界の摂理なの。強くて固い、この社会のルールなの。たとえあなたがこれからどんな生き恥を晒しても、あるいはこの場で無様に死んでも、あなたごときが覆すことなんて出来ないの!」
「……は、母上!」
舞桜はそれでも何かを訴えたくて、声を張り上げる。
何かを言い返したいはずなのに、しかし言葉は浮かばず、ただ母を呼ぶその悲鳴だけが、夜の闇に溶けて行く。
虚空に手を伸ばす虚しさが、手を伸ばしても届かない悲しみが、怒りが、惨めさが、無力感が、少女を苛み、心を覆う。
無意味だと、無価値だと、全ては無駄なのだ、と他でもない、自分に命と名前をくれた母にそう言われ、少女は力なく立ち尽くす。
そして、美春は穏やかな笑顔を浮かべて娘に告げた。
「もうあなたには、何も期待してないわ」
それは、侮蔑と嘲笑と失望に満ちた、別れの言葉。
妖犬たちは唸って牙をむき、陰陽師たちは手に持つ法具を一斉に構えた。静夜も態勢を整える。
張り詰めた戦場の真ん中で、桜色に染まった少女は、その時、
――手を伸ばすことをやめてしまった。
舞桜に残された最後の願いは、今この瞬間に打ち砕かれた。
『――我らの姫を、愚弄するか』
その声は、天から降るように聞こえて来た。
突然背筋を駆け上がった強烈な悪寒に、静夜は心臓を潰されたような錯覚に陥る。
声の主を探して夜空を見上げると、天に浮かぶ満月が、淡い桜色の光を放って、こちらを見下ろしていた。
「――あ、あ、あ、あ。ああ、」
すると、今度は舞桜の口から呻き声が溢れ出す。自身の肩を強く抱いて、何かを抑え込むように悶えている。
「や、や、やめ、やめろ、まて、お前たちッ!」
『――許さぬ』『――許せぬ』『――それは万死に値する』
複数の声が続けて月から降って来る。
舞桜は必死に抵抗しようとするが、やがて、
「舞桜、どうし」た、と静夜が声を掛けようとしたその瞬間、舞桜が纏う桜色の妖気は、爆発的に膨張した。
「あ、あ、ああッ! あああああああああ――ッ!」
「ま、舞桜! ウッ!」
悲鳴の直後、彼女から放たれた衝撃波によって、静夜も含めたすべての陰陽師と妖犬が後方へと吹き飛ばされる。力の奔流はうねりを上げ、しばらく暴れると、巨大な球体の形にまとまり、舞桜を包んで浮遊を始めた。
「……あは、あは、きゃはははは!」
誰もが唖然とし、しばらくの静寂が続いた後、二匹の妖犬を盾にしていた美春は、妖力に呑まれた娘を仰ぎ見て、腹を抱えて笑い転げた。
「は、始まった! 始まったわ! これが、憑霊術の暴走よ!」
暴走。それを聞いて、静夜も改めて舞桜を見上げる。妖力の塊は桜色に染まった水のようで、その表面は小波を立て、中心では気を失った舞桜が穏やかに目を閉じて浮かんでいる。
先程の様子を考えても、これを舞桜が狙ってやったとは思えない。紛れもなく、この現象は彼女に憑依していた妖の暴走だ。
「まさか、こうなることを狙って、舞桜のことを?」
「ええ、こんなにうまくいくとは思っていなかったけど、どうやら、あの子の心を折ったのは正解だったようね」
歓喜の笑顔で美春は答える。
平安神宮の中央に浮かぶその得体の知れない球体を、陰陽師たちは茫然としたまま見上げていた。
『――姫の御前である』『――頭が高い』
また声がすると、球体の表面上の小波がさらに揺れ始める。嫌な気配をその場にいる全員が察した。
「さ、下がれ――!」と陰陽師のうちの誰かが叫ぶ。直後、球体から妖力の塊が砲弾のように撃ち出され、大地の有象無象目掛けて降り注いだ。むき出しの破壊力を前に妖犬たちは逃げまどい、陰陽師たちは包囲網を乱す。
「何をしているの! 速くあの化け物を祓いなさい! 中の小娘ごと殺してしまえばいいのだから、遠慮はいらないわ! さあ、やりなさい!」
美春は妖犬たちを下がらせ、陰陽師たちに檄を飛ばす。
それだけですぐに冷静さを取り戻すのが、竜道院一門の精鋭たち。彼らは陰陽師であるその矜持を見せて、素早く球体を囲み、陣を敷く。
「合わせなさい! 詠唱、開始!」
美春の号令で、球体を取り囲んだ四人の陰陽師が同時に声を張り上げる。
「「「「――青龍・白虎・朱雀・玄武!」」」」
四方の呪符は光で繋がり、法陣が膨大な法力を伴って広がっていく。
「「「「――天高く舞い、地を猛く蹴り、数多の心憂きを赦し給え。」」」」
それは以前、舞桜が失敗させた四神法陣。
彼らは、舞桜を妖として清め、滅し、殺すつもりだ。
「「「「彼の御心は鬼神に通じ、其の御魂を天地に納め給え。……〈
詠唱が完成し、四神法陣の極光が桜色の球体を包み込む。だが、
「……ダメかしら?」
光が収まり、術の発動が完了してもなお、妖力の塊は健在だった。中の舞桜にも変化は見られない。
『――我らを清めようとは愚かな』
静夜の耳に響く声。球体はそのまま攻撃を再開し、陰陽師たちは次の法陣の準備を始める。
このままでは埒が明かない。静夜は眠っている舞桜に向かって呼びかけた。
「舞桜! 目を醒ませ! 起きてその妖から制御を取り戻すんだ! 舞桜!」
「無駄です。今のあの娘には、誰の声は届きません」
静夜の試みを、美春は無駄な足掻きと嘲笑う。
「もし仮に、あの子が意識を取り戻したとしても、暴走を止めることは不可能でしょう。あの妖は、娘の心が折れたこの隙に、魂と身体を乗っ取ろうとしているのですから。あの娘がどんなに足掻いたところで、あれほどの力を持った妖に勝てるわけがありませんわ」
「え?」
美春の言葉に静夜は違和感を覚えた。美春と静夜では、現状に対する認識に何か決定的なズレがあるような気がする。
その時、陰陽師たちの中からどよめきが起きた。反射的に上空の球体に目を向ける。
妖力の中で浮遊する舞桜が、ゆっくりと目を開け、意識を取り戻したのだ。
「ま、まさか、本当に静夜様のお声が届いたというの?」
静夜も目を疑った。
舞桜は首を動かして周囲を見渡すと、状況は察したのか、慌てた様子でもがき始める。どうやら彼女の意思や意識ははっきりと保たれているようだ。
そこで静夜の中にあった直感は確信に変わる。
「舞桜! 妖の暴走を抑えるんだ! もしくは、その球体から脱出しろ! 今のままだと、妖と一緒に殺される!」
「チッ! 静夜様の口を塞ぎなさい!」
再び訴えかけると、その声に危機感を持った美春が指示を飛ばし、一部の陰陽師が静夜を抑えるべく動き出す。
取り囲まれた静夜は応戦を余儀なくされる。殺気は薄いが、将暉との勝負で消耗してしまった静夜では、この物量と波状攻撃を前に、行動と発言を封じられてしまう。
舞桜は妖力の塊の中で必死に何かを叫び、暴れ回っているが、彼女の声が球体の外に漏れ出ることはなく、彼女が解放される気配もなかった。
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