【3本目】第9地区(2009年・米)
【あらすじ】
ニューヨークでもワシントンでもなく、南アフリカ共和国のヨハネスブルク上空に謎の宇宙船が現れた。中にいたのは、難民となり、健康状態もひどい100万単位のエイリアンたちであった。
対策を迫られた南アフリカ政府は、エイリアンの管理を超国家組織【MNU】(Multi-National United)に委託し、宇宙船の真下のエリアを隔離した【第9地区】と呼ばれる場所に作られたキャンプでエイリアンを住まわせることになった。
だがエイリアンが武器を隠していたことなどを理由に現地住民の反発が強まり、結果新たな隔離地域である【第10地区】に彼らを移送する計画がMNUによって決定される。
MNUの職員、ヴィカス・ファン・デ・メルヴェが第9地区のエイリアン相手に立ち退き勧告に向かった日、事件は起こった……
【感想】
2009年の映画を対象とした、第82回アカデミー賞にて、作品賞ほか4部門にノミネートされたSF映画です。この年のアカデミー賞で特に注目されていたのは、同年に公開されたジェームズ・キャメロンの大作【アバター】が、作品賞を受賞するか否か、ということでした(結局、キャスリン・ビグロー監督の【ハート・ロッカー】に敗れましたが)。
両作品を見た方ならわかってくれると思いますが、同年に公開されたというだけではなく、この【第9地区】と【アバター】は多くの共通点を持っています。【人と出会ってしまった異種族】、【武力行使で異種族に干渉する人類】、【人ならざる存在に変化する主人公】などの点です。(あと男子大好きパワードスーツw)
しかし映像で見ている分には、両作で味わう映像体験は似ても似つかないです。【第9地区】では【アバター】で見られたような壮大な自然美は見られませんし、代わりに映るのは砂塵とゴミ溜めです。アクションもめまぐるしくアングルが移動するド派手な空中戦というわけではなく、平気で人体が破裂し、血がそこら中に飛び散るような血なまぐさい戦いです。
しかし両作の最大の違いは、【アバター】の主人公が最終的には(他映画のネタバレにつき自粛)なのに対して、【第9地区】の主人公が、望まぬ形でなってしまった自らの異質な姿を、最後まで肯定することはなかった、という点にあると思います。
ヴィカスはある事件によってエイリアンと同類の存在へと変貌してしまいますが、この映画の後半で彼の目標となるのは「母船を起動させて医療機器で人間の体に戻る」ことでした。クライマックスでの戦闘でも、一度はエイリアンの一人、クリスを見捨ててまで司令船に乗り込み、母船を起動させようとします。彼にとって【人ならざる者の体】というのは、後半のギリギリの部分まで【除去されるべき呪い】でしかありませんでした。
そしてヴィカスは後半でクリスと友情とも呼べる奇妙な関係を結び、結果としてその関係が最終的に「クリスとその坊やだけを母船に乗せる」という決断に誘ったわけですが、彼が友情を結んだのはクリスと坊やだけであり、エイリアン全体というわけではありません。そして彼がその決断をしたのは子供を持つクリスに情が回った結果であり、ヴィカスがその決断で一生エイリアンの体でもいいという覚悟が決まった、というわけでもありません。
ラストシーンでは、完全にエイリアンとなってしまったヴィカス(妻に贈ったのと同じ造花っぽいのをいじってるので多分そう)は、一人孤独に隔離地区でたたずんでおり、他のエイリアンと交流している様子は見られないです。
【アバター】のラストシーンの(他映画のネタバレのため自粛)という大団円とは一線を画す、切なくてビターな後味の残る終わり方と言えるでしょう。上述の通り【第9地区】と【アバター】は両作とも、【地球人とエイリアンの交流】【人ならざる存在になった主人公】という共通点を持っています。しかしながら【アバター】と異なり、この【第9地区】では、エイリアンは主人公にとって対話が可能な存在としては描かれませんし、主人公の人ならざる姿は最後まで呪いであり、恩恵にはなりえません。
【アバター】はSF映画史に残る傑作として公開から10年以上過した現在でも愛されている映画ですが、上述した点で、【第9地区】という作品は、【アバター】の陰ともいえる存在なのではないでしょうか。
【好きなシーン】
後半の最終決戦パートで、傭兵部隊とギャング団の銃撃戦に囲まれて絶体絶命の主人公が、目の前のコックピットを開いたパワードスーツを前に一瞬躊躇するシーンですかね。
僕は仮面ライダーシリーズが好きなので、必然的に「戦える力・人ならざる姿」というシチュエーションには結構遺伝子レベルで反応するところがあります(エイリアンたちも真仮面ライダーに似てなくもないなーって思ってみてました)。特に1号ライダーやBLACKなどでは、本人が望まない形で改造人間になってしまったという現実に戸惑いを覚えるシーンが最序盤で挿入されます。
あのパワードスーツが目の前にある状況でヴィカスは、頭では状況打破のためにはそれを利用するしかないと理解していたのにもかかわらず躊躇していました。、パワードスーツ(スーツを含めたエイリアン製の武器はエイリアンしか使えない)に乗り込むと、少しの間だけでもエイリアンとしての自分を肯定してしまうことになるからです。考える余裕もなくエイリアンの武器を使った中盤のMNUからの脱走時と違い、エイリアンとしての能力を利用することに躊躇を感じる場面は、人ならざる存在へと変わってしまった一人間の、あまりにもリアルな心境を描写するシーンでした。
似たような意味でクリスを殺せ、と命令する傭兵の電子音声がスーツ内で再生された結果、ヴィカスが葛藤の後救出に向かうシーンも好きです。あの場面はいうなればヴィカスが【力を自分のために使う怪人】から【力を他人のために使うヒーロー】への変貌を遂げる瞬間をとらえた場面なので。
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