第96話 こんな記憶はございません……。
「よしよし、いい子じゃの」
レイニーの優しい声が、心に響きます。腕のなかは温かく、柔らかく、思わずうっとりしました。
神鏡の効果によって、走馬灯を見させられている私。どうやらこれは赤ん坊の頃の記憶みたいです。
さて、どうしたものでしょう。走馬灯と言うくらいですから、もっと慌ただしく過去をたどっていくのかと思いましたが……、時間の流れはやたら緩やか。
赤ちゃんだからなのか、それとも記憶の中だからなのかはわかりませんが、しゃべることも、動くこともできません。ただ、レイニーにあやされるがまま。
うーん。でも、これはこれであり……?
なんだか最近忙しかったですし、こういうゆっくりとした時間を過ごすのも悪くないような。
なにより記憶のなかとはいえ、レイニーと再会できたのです。アスピスにはちょっと感謝したいくらいです。
……まあしかし、そうも言ってられないですかね。
記憶のなかの時間が現実とリンクしているのかは不明ですが、きっとアスピスは意識を失っている私にトドメを刺そうとしてくるでしょう。
意識を失うギリギリ前に鈍器スキルで周囲を頑強な壁で覆いましたが、それも大した時間稼ぎにはならないはず。アスピスが本気を出せば、壁を壊して私の身体に到達するのに、十分もかからないです。
であれば、一刻も早く意識を取り戻さなくては。
しかし、その手段はさっぱり思いつきません。大体、赤ちゃんの身体で一体なにができると言うのでしょう?
ふんっ! ふんふんふんっ!
……ダメです。気張ってみてもなにも変わりません。
八方塞がりに苦しんでいると、家の扉がふいに開きました。ノックもなしに、です。
外は吹雪。冷たい空気が、暖炉で温められていた室内にびゅうと入り込みます。
玄関に立っていたのは、大剣を担いだひとりの戦士でした。
「久しぶりだな、レイニー……」
体格はいいのに、げっそりとこけた頬のせいでひどく病的に見えます。
けれど、無精髭を生やしたその男の顔を、私はよく知っていました。
「バゼル、か……?」
セシルの父にして、冒険者学園の理事長だった男。十五年前ですから、ちょうど冒険者を引退した頃、でしょうか。
「しばらく見ないうちにやつれた、そう言いたいんだろう?」
バゼルは頭や肩に積もった雪を払うと、ドカッと椅子に座ります。他人の家だというのに……、無遠慮で不遜な態度は、今と全然変わりません。
「まあ、そうじゃな。冒険者ギルドはそなたを行方不明扱いしておったぞ。【魔の大地】を離れてから、どこへ行っておった」
「レーゲンベルグ」
そっけないバゼルの言葉に、レイニーの眉がピクリと反応しました。
「……セシリアの故郷、か。話は聞いておる。そなたらが王国へ戻ろうとした際に起きた出来事も」
冒険者学園の生徒だった者なら、誰でも知っている悲劇。そして冒険者バゼル・ソルトラークを讃える冒険譚の、最後の一幕。
【青の聖女】セシリアがバゼルの子であるセシルを産み、子育てのため魔の大地から離れようとしたとき、邪神四天王の一角である【黒煙竜】フュリアードが襲撃してきたのです。
バゼルやスラッドさん達、レイニーのかつての仲間達は抗戦しましたが、を追い払うのがやっと。その過程において【青の聖女】は命を落としました。バゼルは失意のなか、セシルを抱いてティアレットへと戻った、とされています。
が、見たところ彼は赤ん坊なんか抱いてなんかいません。吹雪のなか、連れてこられるはずもないのですが……。
誰かに預けてきた? いいえ、おそらく違います。
セシルは本当の娘ではなかった。
つまり、子供は生まれてなどいなかったのです。おそらく、奥さんとともに亡くなって――
「前からウマは合わなんだが、わらわはそなたをそれなりに認めておる。もう三ヶ月、そろそろ立ち直ってもよい頃じゃろう? 過去を見てばかりではどうしようもあるまい」
うわ、レイニーってばなかなかきついこと言いますね!
奥さんを失ったばかりの人に、そんな言葉投げかけられないですよ、普通……。
何百年も生きてきた年の功、でしょうか。きっと、彼女は想像もつかないほどの死別を繰り返し、それに慣れてきたんでしょうね。だから達観した目線で物を言えるんです。
でも、三ヶ月は心の傷を癒やすには短すぎじゃないですか? 私だったら、レイニーが死んだなんて聞かされたら五年、十年は引きずると思うんですけど。
「はっ。馬鹿を言うな。俺様は見ているのはあくまで未来。邪神共に復讐する未来だ!」
バゼルは落ちくぼんだ瞳をギラギラと輝かせました。獲物を狙う、鷹のような目つきです。
「方法を教えてくれたのは、他ならぬセシリアだ。水の都レーゲンベルグの下に沈む
レイニーの顔は、みるみるうちに冷淡なものへと変わっていきます。
「やはり驚かないか。貴様も知っていたわけだ」
「無論。
「黒歴史? どうしてそうなる。神に対抗しうる、唯一の手段だぞ。邪神は剣では殺せん! 悔しいことにな……!」
バゼルは血が出そうなほどに唇を噛みました。四天王、フュリアードとの戦いで、彼は思い知ったのでしょう。戦士としての自分の限界を。
けれど、それは人の力では邪神に太刀打ちできないと認めるようなもの。だって、バゼルはレイニーと並んで、最強の剣士に数えられるひとりなのですから。
それでも一矢報いようとすれば、手段は選んでいられません。封印された魔導兵器でもなんでも、使おうとするのはわかります。
「得心いった。わらわのところに来たのも、それが目当てか」
「当然だ。わざわざ旧交を温めに来たとでも思ったか。魔導兵器を動かすには、三種の神器を扱う【
レイニーは【至剣の姫】の異名を持つ、女剣士の頂点。確かに彼女なら、剣の神ゾーディアの意思を継ぐ救世主にふさわしいです。
が、レイニーにはその提案を受けるつもりは全くないみたいです。まあ、魔導兵器の存在を元々知っていたんですから、その気があるなら最初から自分が【剣の巫女】を目指してますよね。
「断る。【剣の巫女】になどなるつもりはない」
なぜかはわかりませんが、レイニーは話に出てくる魔導兵器をまるで快く思っていません。嫌悪の対象として見ているような雰囲気さえあります。
「心が折れたまま戦おうとするな、バゼルよ。今のそなたに必要なのは、その身を焦がすような炎ではない。心を休められる、優しき泉じゃ」
「知ったような口を聞くな!」
バン、とバゼルはテーブルを叩き、立ち上がりました。
「そんなものはとうに亡くしている! わかっているのか。貴様がいれば、セシリアは死なずに済んだかもしれないんだぞ……。貴様さえいてくれればな……!」
バゼルの剣幕にビックリして、私は泣き出しました。あ、赤ちゃんの私がですよ? 赤ちゃんだったら泣いても仕方がありません。というか、今のは普通泣きます。
「ああ、いかんいかん。怖くないぞ。べろべろばー」
優しい声色であやしだしたレイニーに毒気を抜かれ、バゼルは再び椅子に腰を下ろしました。
「……滅んだ村で拾った不気味な双子か。本当に人間かもわからんのに、よく育てられるものだ」
ひどい言われようです。そりゃ、壺のなかにぴったり収まってたのを見れば、気味悪くもなるかもですが。
……ん、
今、双子って言いましたか?
「双子かどうかはわからんぞ。一緒に見つかっただけで、二人は全然似とらんからな。瞳の色も、髪の色も、顔つきも、全部違う」
そこで私は気づきました。部屋のなかに置かれたゆりかご。そのなかに眠る、もうひとりの赤ん坊に。
私の家にもうひとり、赤ん坊がいた? しかも滅びた村で、一緒に見つかった?
そんなの初耳です。スラッドさんもそんなこと言ってませんでした。
物心ついたときから私の家族はレイニーだけでした。姉妹、といっていいのかはわかりませんが、その存在をレイニーから聞かされたこともありません。
じゃあ、この記憶は一体なんですか?
「……なあ、バゼルよ。そなた、この子を育ててみる気はないか?」
レイニーから飛び出した、仰天の提案。
ちょ、ちょっとちょっと、この子って、まさか私のことじゃないですよね。
絶対嫌ですよ、バゼルに育てられるなんて!
「くだらん。貴様には、俺様が赤子を抱いてあやすような男に見えているのか?」
そうそう、断ってください! あなたに子供を育てる資格はありません!
今のセシルがその証拠です!
「そなたより何百年も生きた先輩として言うぞ。バゼルよ、憎しみを育てるな。どうせ育てるなら愛じゃ。でなければ邪神を倒すことなど不可能じゃ」
食い下がりますね、レイニー。まさかとは思いますが、私と一緒にいたくないわけじゃないですよね……。
いやいや、大丈夫。だってこれ、記憶なんです。
私がレイニーに育てられたという過去は変わりません。
……てことは、バゼルに預けられるのは、私じゃなく、もうひとりの赤ちゃん?
むくむくと湧いてくる疑問。
そしてレイニーの視線は腕のなかにいる、泣きやんだ私にむけられました。
「この子はセシル。我が友、セシリアにちなんだ名前じゃ」
えっ、セシル……って? しかも今、こっちを見て言いました?
………………ええええええええええ!?
私、セシルと一緒に暮らしてた時期あるんですか!? 嘘でしょ!?
しかも、じゃあこの視点って、私のじゃなくセシルのじゃないですか!!
うわー、ショックすぎる。まさかとは思いますが、セシルと姉妹……なんてことないですよね。
……いやいやないない。拾われたタイミングが同じだっただけで、容姿も性格も全然違うんですもん。才能だって真逆ですし。
だって私が鈍器しか使えないのに対して、セシルはなんでも使えるんですよ。
……ん? これは真逆と言うのか……?
いや、神様のえこひいきがひどい!
それにしても……、一体全体どういうことですか。詐欺ですよ、説明詐欺。
神鏡は、本人の記憶を見せるんじゃなかったんですか?
けれど私がどんなに驚いても、疑問を抱いても、レイニーやバゼルには伝わりません。質問することもできないのです。だってこれ、あくまで回想ですからね……。
「セシル、か……。奇遇だな。それは俺とセシリアが、生まれてくる子につけようと思っていた名だ。男でも、女でも、そう名付けるつもりだった」
「それは運命的じゃな、悲しいほどに……。【剣闘王】バゼル、そなたならこの子を強く、美しく育てられるはずじゃ」
バゼルはそれを聞き、フン、と鼻を鳴らします。
「……思ってもいないことを」
「いいや、そなたならできる。もし、そなたがセシルを立派に育て上げ、それでもなお復讐を望むというのなら、わらわも協力しよう。【剣の巫女】にでもなんにでも、なってやろうではないか」
レイニーは、まあまあ――いいえ、相当にバゼルを信頼していたようです。じゃなきゃ、娘として育てようとしていた赤ちゃんを、託したりなんかしません。
彼女は喧嘩を売るような言い方をしながらも、バゼルへの労りを表情ににじませていました。
本来、奥さん、そして生まれてきた本当の娘と幸せになるはずだったバゼル――
哀れな彼に、自分の手にした幸せを少しでも分けてあげたいと思ったのでしょうか。もしかしたら、自分がパーティを離れてしまった贖罪の意味も込められていたのかもしれません。
「本当にこの子を育てたら、協力するんだな」
「ああ。約束じゃ」
レイニーから赤ちゃんを受け取ったバゼルは、驚いたことにほんの少し、頬を緩めたのでした。
「セシル……」
気難しくも優しい父性を、わずかに感じさせるような表情。
そこにいたのは私の知らない人でした。自己中心的で尊大な態度は今と同じですが、性根が腐っていたり、意地悪で狡猾だったりといった印象はありません。
誰がレイニーを責められるでしょう。きっと、彼の顔を見たら誰でも思うはずです。この選択が正解だって。
レイニーは確信していたはずです。自分が協力を求められる日は、きっと訪れない。セシルの成長こそが、これからのバゼルの人生を支えてくれるはずだと。
けれど私は知っています――この親子の結末を。
きっとこの後、なにかが起きたのです。バゼル・ソルトラークの根底を捻じ曲げてしまうような、恐ろしいなにかが……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます