第267話 巣立ち

 そうして最後は、ユウの結末である。

 ユウはその夜、ひと気の絶えた水源地で、ひとり、水の流れを聞いていた。

 からくりを照らす、ライトアップの反射光を受けたその手もとには、革と鋼でできた神官章。カジャディールから再び授けられた准神官のそれである。

 その凹凸を指でなで、重さを何度も確かめながら、ユウは旅の間に考えた『自分自身の身の振りかた』を、もう一度、あらためて思い出していた。

 アレサンドロの旅に最後まで付き合う……。

 神殿に上がり、神にお仕えする……。

 ララと、知らない世界を見てまわる……。

「……知らない世界、か」

 ユウは神官章を目の高さに持ち上げた。

「魔人の世界」

 それこそが、新たに踏み出しはじめた世界の名であった。

「そうだ……」

 戦いの中で、オオカミは言っていた。

 魔人と人間が養子の縁を結んだ場合、多くは魔人側が子になると。

 その理由が、いまはよくわかる気がする。

「親のほうが先に死ぬものだからだ」

 子は親を送り、生きていくものだからだ。

 先に死ななければならない人間と、見送らなければならない魔人。自然の摂理という言葉の力は、きっと、どちらの心もなぐさめてくれる。

 だが……。

 ユウはため息をついた。

 ララは、親じゃない。

「……ララ、遅いな」

 ユウはあたりを見まわした。

 昼の戴冠式が終わった直後、

「ね、今夜時間ある? 話があるんだけど」

 と、声をかけてきたのはララなのだ。

 ……話って、なんだろう。

 ユウは、そわそわが止まらない。

 自分が魔人であることはもちろん話した。

 ララは、

「ホント?」

 と、驚いて、最初の数日は気にもとめていないようだったが、そのうち自分で気づいたか、誰かに言われたのだろう。

「あたしのほうが先におばさんかぁ」

 と言い出した。

 それからはまた、

「若い」

 とか、

「いまだけ」

 という言葉を自虐的に使ったり、スキンケアに興味を持つようになったりした以外は大きな変化もなく、ごくごくいつものララであったのだ。

 それが……。

 ユウは神官章をなでさすった。

 こんなに意気地のない男だっただろうかと、心底なさけなくなった。

 魔人と人間は住む世界が違う。ジャッカルは言った。

 なんの、上手くやれるとアレサンドロは言った。

 カラスは恐れることなく結婚の道を選び、クジャクは……モチは……マンタは……ヤマカガシは……。

「お待たせぇ」

「あ……」

「ゴメンゴメン。なんか出がけにサリエリのやつに捕まっちゃってさ。これからどうするんだ、帝国に戻って来るならベンギをはからなくもないぞ、とか、わけわからないこと言われちゃって」

「……」

「あんたには関係ないでしょって言ったら、アハッ、あの顔」

 ララはひとりでケタケタと笑うと、あれ、という顔をして、ユウをのぞきこんだ。

「どうしたの?」

「あ、いや」

 とりあえずはよかった。別れ話ではないようだ。

「わかった、エッチなこと考えてたんでしょ」

「違う」

「なんだ、違うのかぁ……」

「え……」

「冗談。ね、ほら座ろ。お菓子も持ってきちゃった」

「ああ」

 夜空に白く浮かび上がったからくりを正面にして座ると、ララの表情がよく見えた。

 出会ったころよりも少し大人びた顔が、ユウの胸にちくりときた。

「……ユウはさ、これからどうするとか、考えてる?」

「え?」

「あ、今日のことじゃなくてね。えと、これからって言うか」

「将来」

「そう。国もできたし、アレサンドロは上手くいったし」

「さっき、それを考えてた」

「ホント? それで?」

「俺は……ララと一緒にいたい」

 ララはまた、うれしげにケタケタと笑った。

「ユウのそういうとこ、ホント好き」

「そ、そうか?」

「うん。ね、だったらさ、一緒にエド・ジャハン行こ」

「エド・ジャハン?」

 ジョーブレイカーに会いに行くのだろうか。

「ハサンに聞いたの。エド・ジャハンにはねぇ、フローフシノセンヤクがあるんだって!」

「不老不死の……仙薬?」

「そ。あと……」

 シュワブには、食べれば永遠の命を授かるという果物がある。

 南海の底には龍の住処があり、その数万匹の龍の中の数億の青い鱗の中で、唯一の赤い鱗にさわることができたならば、その者には永遠の命が与えられる。

「それと……」

「その話を、全部ハサンが?」

「うん」

 ララはクッキーを口から離して、にっこりした。

「あたしもね、考えたの、いろいろ。ユウとずっと一緒にいるためには、どうすればいいのかって」

「ララ……」

「ね、ユウはさ。魔人になる動物って、どうやって選ばれてるか知ってる?」

「え、いや」

「そうなの! 誰も知らないの! だったらさ、人間が魔人に選ばれることもあるんじゃない?」

「ハハ、なるほど」

「ハサンもそうやって笑ったぁ。『その膨大な数の人間の中からララ・アービングが選ばれる確率も、君にかかれば百パーセントになるのだろうな』って」

「言いそうだ」

「でも、あたし、ずっと一緒に行くって決めたから。方法を探すの。魔法でも、魔人でも」

 だがまさか、本気で仙薬だの果物だのを信じているわけではないだろう。

 ララはただ、なにかを待っているのが嫌なのだ。

 老いからくるあきらめや、技術の進歩や、時代の変化。そういうものを待っているのが嫌なのだ。

 それに比べて自分ときたら……と、ユウは思った。

 それに比べて自分ときたら、いつかララが老いてしまうことばかり考えていた。

 達観顔で、いつか一緒に逝くことばかり考えていた。

「……よし、いまから行こう!」

 ユウはひざを叩いて立ち上がった。

「ええ? いま?」

「じゃあ明日だ。明日の朝に出よう!」

「アハハッ、バッカ!」


 ララはいつも答えを知っていたんだ。

『悩んだら動け、悩む前に動け』

 目の前にあるのが壁なのかハリボテなのか、調べてみなければわからない。

 なにもないように見える道だって、なにか落ちているかもわからない。

 ユウはここに至るまでの旅の様々な出来事を、また頭の中で思い返してみた。

『手の届かない過去に、いくらうらみを持っても仕方ない。それぐらいならば、いまを一生懸命生きたい』

『ああしてやろう、こうしてやろうなんて段取りは、大概、そのとおりにはいかんもんだ』

『おもむくままに、ゆけ、カウフマン』

 様々な言葉が、記憶の中には輝いていた。

 いつか飛べそうな気がする、と、根拠もなく信じていたころのように、なにやらすべてがなんとかなるさという心持ちがした。

「あたし、会ったときから、ずうっと言ってない? ユウと一緒に行くぅって」

「ああ、確かに、言ってる」

「ねー、おっかしいの!」

 

 そうして、ユウとララは旅立った。

 セレンとメイは古巣のキンバリー研究所へと戻り、テリーはその後、将軍位と超光砲のメラクを継いだ。

 ジョーブレイカーとシュナイデはいつまでたっても便りをよこさず、クジャクとモチはアレサンドロのそばにいることを選んだ。

 アレサンドロとハサンは城がわりに、大診療所を建設した。


 もし、そこへ行く機会があれば、見てみるといい。

 その建物の一階、玄関ホールには、握りこぶし大の風景瑪瑙(ランドスケープ・アゲート)が展示されている。

 海と大地をそのまま閉じこめたような世にふたつとないそれは、最大の協力者であった、メイサ神殿カジャディール大祭主から贈られたものである。

 魔人と人間。人と人。

 いくつかの鉱物が協力して創り上げるこの宝石のように、様々な命が共生できる国となるように。

 様々な命の奮闘によって勝ち得た国であることを、ゆめゆめ忘れてしまわぬように。

『神のご加護があらんことを』

 風景瑪瑙の台座に刻まれた文句はありきたりなものであったが、獅子大公生涯の盟友となるユルブレヒト四世の揮毫した一文だということは、知る人ぞ知るところである。



ランドスケープ・アゲート『完』

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ランドスケープ・アゲート 紅亜真探 @masaguri

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