第246話 少年皇帝(2)
正直、マリア・レオーネは、少年皇帝がここまで剣をつかうとは思っていなかった。
相手はササ・メス。紋章官最強とうたわれる男である。
子どもだろうが傷病者だろうが、ひとたび剣を取って向かってきたからには容赦なく叩きふせる、騎士道とは無縁のエド・ジャハン人である。
そればかりか、いまこの男は主人を穢されかけた怒りのために一種の興奮状態にあるのだから、それを受けて一歩も退かない皇帝の剣技には舌を巻かざるを得ない。
打突の刃風に金の前髪を乱れさせながら、一歩二歩、皇帝は余裕ぶってあとずさり、きゅっと唇の両端を吊り上げた。
マリア・レオーネは、冷水を浴びせかけられたような心地がした。
「どうした、ササ・メス。早く余を斬ってみよ!」
「……」
「斬らねば斬る!」
「あ……ササ・メス!」
頬を浅く傷つけられたササ・メスの横顔が、後方に下がったマリア・レオーネからもわずかにうかがえた。
む……?
なんだろう。
ササ・メスは、亡霊を見たような顔をしている。
「さあ、こい!」
子どもの挑発にあわてたように、ナギナタが、ぎらりと振り上がった。
斬りおろし、突き、なぎ払い。皇帝は重そうに剣を振りまわしながらも、それらをことごとくいなしてみせた。
必殺の旋風斬。皇帝はさすがに形勢不利となったが、先ほど落ちた女人像の首を刃嵐の中に投げこんで逃げた。
「ア、ハ、ハ、ハ」
ササ・メスの顔色はいよいよ悪くなった。
「さあどうする、ササ・メス。逃げるか。逃がさぬぞ」
「あ……!」
マリア・レオーネは振り返って息を呑んだ。
いつの間にやら、女人像の人垣が幾重にもできている。引きずっているケーブルのために足の踏み場もないほどだ。
これはもう本気で斬るしかない。
そう思ったかどうかはわからないが、ササ・メスは再び、穂先を前に突き出してナギナタを振りかぶった。
ぶうんとひとつ、薪を割るように素振りして、皇帝の顔から、笑みが消えた。
……ああ。
息ができない。
マリア・レオーネは両手を握りしめて祈った。
どうにか、決着をつけずに決着をつけられないものだろうか。
陛下……!
ササ・メス……!
「……ッ!」
先に動いたのはナギナタだ。
少年の細首を狙って光芒が走る。それを受け流さんとして剣が軌道に入る。
「ぬ……!」
次の刹那。ナギナタの穂先が消えていた。
いや、左頚動脈をかき切ろうとしていたはずの刃が、空間を飛び越えて皇帝の真正面にあった。
これは……!
インパクトの瞬間に柄をたぐりこみ、間髪入れず突きに転じたものか。
面白い!
皇帝はこぼれ落ちんばかりに目をむき出して笑った。
ササ・メス、やはり、面白い!
黒い影がネズミのように地を走り、少年の喉に立ちかけたナギナタの刃をぴんと跳ね上げたのは、まさにこのときであった。
「!」
「貴様は?」
ジョーブレイカー。
「やめよ、ササ・メス。陛下のお身体を傷つけてはならぬ」
「カジャディール……!」
皇帝は、現れた大祭主とふたりの従者をくさいものを見るような顔つきで迎えたが、それとは対照的に飛び上がって喜んだのが、マリア・レオーネであった。
「猊下、ああ猊下!」
「うむ、うむ、無事でなにより」
「あ、あの女人像は?」
「おお」
カジャディールとマリア・レオーネは振り返って見た。
女人像の人垣は、いまでも楚々と立っている。……が、
「電線を引きずらせておるのはいかがなものであろうな」
カジャディールの言うように、うしろにまわってみればよくわかる。
ケーブルは、ことごとく、断ち切られているのであった。
「さて……陛下。うむ、まさに陛下じゃ。いまの立ち合い、剣のあつかいようで、この年寄りとササ・メスには、はっきりとわかり申したぞ」
「……フン」
「なぜ素直に神の御許へ行かれませなんだ。ユルブレヒト……三世陛下」
マリア・レオーネがなにか言いかけたのを手のひらで制して、いやしかし、と、カジャディールは静かに続けた。
「いや、しかし、それもいまにして思えば得心のいくこと。陛下は長年、若返りの法を求めておられた。不老不死の法を求めておられた」
……フフ。
皇帝が笑う。
これだから下々の者は、とでも言うように。
「陛下、お孫様をお解き放ちなされ。これでは非道のそしりはまぬがれませぬぞ」
「フ、クク……たわけめ、カジャディール。それをする余だと思うたか」
「では」
「断る。もとの身体も、とっくのとうに腐れはてておるわ」
「ならば……致しかたなし」
これといったアイコンタクトもなしに、ジョーブレイカーとササ・メス、ふたりの腕が伸ばされたのと、皇帝が華麗な後転を決めてその範囲から逃れ出たのとは、ほぼ同時であった。
ごろん、回転の勢いで立ち上がった皇帝は、
「わあ、怖い!」
小馬鹿にしたように叫んで走り出す。
「待て!」
ジョーブレイカーと、神官衣を脱ぎ捨てたクジャク、ジャッカルがそれに続いていく中で、カジャディールはササ・メスの腕をつかんで引き戻した。
「そなたは、リドラーと後宮を出よ。そして、陛下は安全な場所でお休みじゃとでも、何食わぬ顔で皆に言うておけ」
「し、しかし、猊下!」
マリア・レオーネには、まだなにも理解できていない。
「いったいなにが起こっているのでございますか。陛下は、いったい……」
「それはいずれ、陛下ご自身のお口から説明していただけよう」
「しかし!」
「あれは四世陛下であって四世陛下にあらざる者。三世陛下であって、また三世陛下でもあらざる者。いわば妄念執念の塊よ。とにかく、ここはわしを信じ、ひとつ見て見ぬふりをしてはくれぬか。きっと、悪いようにはせぬからの」
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