第241話 ハサンを探して(3)

 そして、モチはやってきた。

 水源地だ。

 居住区の中心に、それはある。

 直径二十メートルほどの人工池の中央に太い石造りの角柱が四本立ち、その先端から清水がわき出ているのだが、この水が池面に落ちるまでの間に仕掛けられたギミックが、なんとも言えず面白かった。

 螺旋状のパイプあり、渡り水路あり、大小の水車あり。下へ落ちたかと思うと空中でくみ取られ、ポンプに押し出されたかと思うと、その水圧で岩球を転がしたりする。

 ララだけでなく、多くの子どもたちがこのからくりに夢中になり、常ににぎやかな笑い声に包まれている場所であった。

「来たな、フクロウ君」

 と、ハサンは水源地まわりに移植された木立の一本に、寄りかかるようにして立っていた。

「ホ……髪の色が」

 真っ先に目についた。ここを発ったときは白髪まじりであったものが、黒く染まっている。

「どうだ、いい男になったろう」

 と、キザったらしく言うのへ、

「あなたはいつでもいい男です」

「ンッフフフ、これはこれは」

 ハサンは、枝葉の影を受けた顔をほころばせた。

 テリーの言う疲れなど、どこにもないようであった。

「ま、とにかく、あなたが無事でよかった」

「なあに、交渉役というのが一番安全なのだ。それよりも、君のほうがご苦労だったな」

「と、言うと?」

「あれだ」

 ハサンはあごをしゃくって、それを示した。

 水源地のすぐそばにぽこぽこと生えている、キノコのような石の台。そこに腰かけた、ユウとララ。

 遊んでいる少年少女たちも気をつかっているようで、そこには優しい隔離空間ができあがっている。まるで温かな透明フィルムによって、ふんわり包まれているようだ。

「君はあれを見守ってくれていたのだろう?」

「いえ、ただ、近くにいたにすぎません」

「それがなかなかできんことなのだ」

 ハサンはなぜだか、すねたような声を出して、なめらかな木の肌に後頭部を当てた。

「そう、ここから見える景色が、すべてだろうな。ユウとララの他には誰もいない。育ての親たる者が戻ったというのに、それを知らせる者さえいない」

「ホ……!」

「よく言えば、皆の心づかいだが」

「悪く言えば、皆に、割り切られてしまった……」

「あるいは、見放されてしまったと言ってもいい」

 ……どうぞ、勝手にお傷つきなさい。もうあなたに頼ることはありませんから。

 想像して、モチは、ぞっとなった。

「ただ近くにいただけという君の行動は、つまりそれだけ尊かったのだと私は思う。ユウの周辺に君の姿を認めただけで、皆はわずかにでもこう感じたことだろう。ああ、リーダーたちはまだ、彼のことをあきらめていないのか。だったらもう少し期待してみようかな、とな」

「しかし……」

「本当の意味で見放された場合、ユウの指に指輪はない。それがあるかないかの差は非常に大きいと思わんかね」

「ム……確かに」

「君はよくやってくれた。感謝している」

 モチは尻の羽根がむずむずとなった。

 なにも知らない恋人たちはもたれ合い、くるくると展開する水のダンスをながめながら言葉をかわす様子もなかったが、時折、思い出したように互いの指先を愛撫しては、微笑んだり、不思議な苦悶の表情を浮かべたりしていた。

「……ハサン」

「ン?」

「私は、わからなくなってしまいました。少なくともここへ来るまでは、彼らをこのまま自然にまかせておくべきだと思っていたのです。あの幸せを、乱すべきではないと」

 ハサンは目顔で、続けろと言った。

「しかし彼ら、いいえ、ユウの居場所を守るためには、このままでいいとも……」

「思えんな。アレサンドロもそう言っていた」

「アレサンドロも?」

 いつそのような話を、と思ったが、そういえば、セレンが言っていた。

 戻ってきたハサンを出迎えたのはアレサンドロで、ふたりはそれから、こそこそと話し合っていたようだったと。

 そのときに、ユウの話題が出たに違いない。

「ユウが心を病んでしまったのは間違いないが、それを治療するべきかどうか迷っている、と、あれは言った。理由はおおむね、君がいま言ったとおりだ。医者は医者なりの根拠を持っていたが」

 今度はモチが、目顔でうながした。

「アレサンドロはおそらく治療できまい。治療には踏みきれまい。なぜなら、医者が思いつくだろう即効性のある治療薬といえば、ただひとつしかないからだ」

「それは?」

「病の原因となった失敗を自らの手で取り戻させる。すなわち、仇討ちの再現だ。メッツァー・ランゴバルトの息の根を、次こそ、止めさせる」

「ウ、ム、ムウ」

 モチは息を呑んだ。

「しかしハサン、メッツァー・ランゴバルトは」

「そうだ、すでに死んでいる」

「アレサンドロはそれを?」

「まだ知らん。だがそれを知らなくとも、アレサンドロがユウを白鳥城へ送ることはない。劇薬は使いかたをあやまれば毒になる」

 再びの失敗による廃人化のリスク。怪我のリスク。死亡のリスク。

「アレサンドロにはできん。少なくとも、この戦が終わるまでは」

 モチは、ただでさえせまかった部屋がさらに窮屈になってしまったような気持ちがしたが、同時に、ほっと安堵もしたのだった。

「ではそうなると、やはり、放っておくしかないということですか」

「いまのところはな」

 ハサンは、あごの先でちょいとうなずいた。

「次にチャンスがめぐってくるとすれば、それは戦の最中、ララが危機におちいった、そのときだ」

「た……確かに、そうかもしれません」

「男は女を守ろうとする」

「ユウは、N・Sに乗ろうとするはずです」

「鍵となるのは、まさにそのN・Sだ。その現実の翼と、ユウの飛びたい守りたいという欲求が見事合致したとき」

「彼は飛ぶ!」

「と……思いたいな」

 モチは、尾羽がぶるぶると震えはじめたのを感じた。

 武者震いかもしれなかった。

「だがそのためには当然、彼女を死地へと追いこまねばならん」

 モチの尾羽は、しゅん、と、しぼんだ。

「これはなんとも、ままならないものです」

「そうしたものだ。結局、目の前の物事をひとつひとつ片づけていくしかない」

 ユウに関して言えば、ここから先は運だ、と、ハサンは結論づけた。

「このままどうにもならんようなら、いずれは、はっきりとした形で手を貸してやらねばならんだろうがな。とにかくいまは戦だ。戦がせまっている。どうか友よ。フクロウ君。たったひとことでいい、私もはげましてくれ。きっと勝てる、これで終わると、そう言ってくれ」


 鉄機兵団の先遣隊が姿を見せはじめたのは、その二日後。

 本隊の到着と布陣の完了は、そこからさらに一ヶ月ほどたった晩春のことであった。

 上空からその、四千余のL・Jの散らばりを見たララは、

「わ、絨毯みたい。ほら高級なやつ」

 と、笑いながら手を叩き、ユウは、まるで緑のタオル地の上に金箔銀箔をまいたようだ、と、それを表現した。

「ユウ、心配してる?」

「心配。なにを」

「あたしが死んじゃうかも、とか。そういうの、いろいろ」

「……考えたくない」

「そっか。じゃあ……」

 ララの小さなため息は、どのようなものよりも、ユウに罪悪感をいだかせた。

「あたし、なにがあっても帰ってこないとね。ユウのために」

「ララ……!」

 いまだまったく進歩のない、唇の柔らかさを確かめることだけに必死になるような長いキスをして、

「イタ、タ」

 ユウは思わずのけぞった。

「また頭?」

「いや……背中だ」

 肩甲骨のあたりが激しく痛む。

 まるで、内側からノックをされているように。

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