第236話 紋章官(2)
たとえばわかりやすいところで言うと、魔人の奴隷。
亡国の残党。
カール・クローゼを御輿にかつぎ、ひと山当てようという輩。
シュワブ。
ざっと挙げただけでもこれだけある。
覇道を極めたユルブレヒト三世には、敵が多かった。
「暴帝に天誅を!」
「国家に平和を!」
常に誰かが、人目にふれないどこかで叫んでいた。
抑える力をわずかにゆるめただけで、即座に、たやすく落ちかかってくる、といえばギロチンだが、国家自体がこの首台に置かれ続けているような、そんな緊張感と息苦しさが、当時の帝都にはただよっていた。
「違うかな」
コッセルは、どうとも取れる曖昧な微笑を口の端に浮かべた。
「ではそんなとき、皇帝がなにがしかの一派によってクーデター的に殺害されたとしたら、どうか」
「国内の混乱と、分裂は必至です」
「そこで、あなたが目をつけたのが、私だった」
じり、と、ハサンは半歩寄る。
「あの日、私が捕らえられたことは、あなたにとっても予想外だったはずだ。だが、この男ならば上手く自然死させられると考えたのだろう。警備の手をそれとわからぬ程度にゆるめ、私を誘導した。先んじて皇帝を葬ってしまうことで、国家の危機を、回避した」
「……なるほど」
「違うかな」
「さて」
コッセルの微笑は、動かなかった。
「そう、なんと申しますか。自らの罪を告白されるのは構いませんが、いまさらそれに、なんの意味が?」
「……意味」
「いまのお話は、聞かなかったことにいたしましょう」
……まったく、なんという人だ。
ハサンは静かに胸を開き、肺に詰めこめるだけの空気を取り入れた。長い盗人生活の中でも、潜入先で一服やりたいと思ったのははじめてであった。
まあ、確かに、そうだ。
意味などない。
皇帝は病死。いまではそれが歴史的な事実だ。自分がやった、おまえがやらせた、などという話は滑稽なだけだろう。
しかし、
「ただ確かめたかった、と、言えば、おかしいかな」
あの日の自分の行動に、望まぬ、まざりものがあったのかどうかを……。
「フフン」
「これは、どちらへ?」
「出直そう。今夜はどうもいけないようだ。次はあなたの言うとおり、ラッツィンガー将軍閣下にお目にかかろうかな」
ハサンは軽く会釈して、薄闇の廊下をさっさと歩き出した。
例の神聖画に目がとまり、思わず右目が細まったのは、やはり、少しばかりくやしい気持ちがあるのだ。と、これも負け惜しみ的に自己分析をした。
やれやれ、相手が悪かったな。
次はジークベルト・ラッツィンガーだが、これはこれで、気が、重い……。
「それにはおよびません」
「……ン?」
「あなたの話に乗りましょう、ローズベリ殿」
「!」
「元、北方アルデン聖王国、一角獣騎士団副長、オズワルド・イズラ・ローズベリ殿」
ハサンは、くるり、振り向いた。
やはり……!
「その名で呼ばれるのは、実に三十年ぶりだぞ、ご老体」
「白状いたします。確かに私は、あなたの正体をつかんでおりました」
「認めるのか」
「いいえ、それとこれとはまた別のこと。皇帝暗殺の手引きなど、まさかまさか」
「フン、よく言う」
「ですがこれは、まことのことなのです。皇帝暗殺の夜に警備の手をゆるめさせた、などという足跡を、あなたならば残されますか?」
「フム」
「傍観こそすれ」
「傍観こそすれ、な。なるほど」
「もちろん、三世陛下はご病死でいらっしゃいますが」
「それそれ」
もうそれで結構。
「滅多なことは口にすまい」
ハサンは自分の仇討ちの、とりあえずの美しさが保たれていただけで満足であった。
「ところで……」
「は」
「私の話に乗る、と言われたな」
「はい」
「なぜ」
「と、言われるほどのことでもありますまい。将軍に会われると言われた時点で、もう勝負はついているのです。こう申してはなんですが……」
と、コッセルは苦笑いして、
「閣下に、あなたを退けるほどの話術があるとはとても思われません。まず十中八九、レッドアンバーに協力されることになるでしょう」
そして、
「私は閣下が引き受けられたことならば、一も二もないのです」
「……ふむ」
「ですから先に申し上げたでしょう、閣下に会われませんかと。はじめからそうされればいいものを……」
「ハア、ハア、ハア」
「なかなかの笑い話だろう」
「ンー、面白い」
ひょろりとバングは立ち上がり、上等なウイスキーを引っ張り出してきた。
「話してみて思ったが、あの人はあれだな、ラッツィンガーのために皇帝を見殺しにしたのだ」
「ハァン」
「戦、戦、戦だっただろう、三世という男は」
半島統一が成ったかと思えば、残党の掃討、反乱分子の粛清、魔人の奴隷。
さらに野心は果てしなく、シュワブ、エド・ジャハン、そして世界。
「挙げ句の果てには魔人化計画だ。不老の肉体を得てまで戦がしたいかと、ラッツィンガーは、そら恐ろしくなったのに違いない」
「スウィーティ」
「ン」
ハサンは半分ほどに短くなった葉巻を置き、グラスを受け取った。
「読めたぞ、スウィーティ。皇帝殺しをまずたくらんだのは、ラッツィンガー……か」
「どうかな。あの忠義の塊のような男に、それができたか、どうか。むしろあの男は愚痴ひとつ言わず、ただ大義大道、君主と国家、勝利と疲弊の狭間で苦しんだのではないかな。それをエルンスト・コッセルが察した。そんなところではないかと思う」
「フゥン……」
「君、君たらざれば、臣、臣たらず。先人は、なかなか深い言葉を遺したな」
皇帝を想う忠義の騎士。
その騎士を想う忠義の紋章官。
その紋章官に裏切られた皇帝……。
「結果的にラッツィンガーが救われてよかった、か。おい、スウィーティ、俺の前で、ひいきをするなよ」
「……ン?」
「知っているぞ。おまえの親父の首を取ったのは、地方騎士時代のラッツィンガーだとな」
「……フン」
「その功績を買われ、やつは帝国騎士団に入った」
「……」
「ラッツィンガーは、誰だかにこう言ったそうじゃないか」
多くの言葉をかわしたわけではないが、わかる。
ローズベリ将軍こそ真の騎士。最後の騎士だった。
私を似たような言葉でほめ讃える者もいるが、私は将軍の踏み固められた道を、ただ、たどっているにすぎんのだ。
「バーングー」
「ハア、ハア、ハア」
「そこまでだ。ラッツィンガーの首が飛ぶぞ」
「だったら、俺の前で、ひいきはやめろ」
「なにがひいきだ。私はただ」
「ラッツィンガーの中に、親父を見ている」
「馬鹿」
「馬鹿じゃあない。正直に言えよ、図星だろう。ンー?」
「もういいもういい。とにかく、それを外で言わんでくれ。あれの立場が悪くなるのは困る」
「ハァン」
「いい子だな、バング」
あごの下をちょちょいとなでられ、バングは満足げに、
「アア……」
酒くさい吐息を振りまいた。
「なあ、スウィーティ……これから、どうする」
「そうだな、まずこの毛染めを落とす」
「まだ早い」
「まだ? そうか、ならば仕方ない。染まるまで、もうしばらくやっかいになろうか」
「ああ、そうしろ、それがいい」
「フフン、こちらの見込みどおりいくか、見届けて帰らねばならんしな。もしも上手くいかん場合は……バング、もう少し力を貸してくれ」
「ああ……いいとも……」
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