第229話 ある日、空の中で

 ……ふんふん。

 童謡の一節を鼻歌に乗せる。

 ユウはちらりと、手もとの盆を見た。

 ジュースのパックがふたつと、人差し指大のフィンガークッキーがふたつ。

 本当はもっともっと用意したかったのだが、いまの状況では仕方がない。まだ、食料確保のめどがついていないのだ。

 運び屋デンティッソと、帝都の吸血鬼、ザ・バングが、帝国の目のある中でどこまで動けるか。

 ハサンは特に悲観せず、節約する必要もないと通達していたが、人々の思考と行動は、自然とそのように動いていた。

 ……ふんふん。

 今度は盆を片手で支え、前髪を少しいじってから、壁の表示を見る。カウントされていくのは古代の魔人数字だが、見慣れてしまえば不便はない。もうすぐコルベルカウダの最下層に出る。

 数字がまたひとつ変わり、ユウを乗せたシースルーのカプセルエレベーターは、すい、と、暗闇を抜けた。

 実に、壮観なながめである。

 コルベルカウダの底にあたる部分を、壁ぶち抜きですべて使っている空間なのだから、広さは推して知るべしだ。そこへ来て、さらにぐるりの壁まで無色透明、空が見えているとくれば、これはもう遠近感などあったものではない。

 天井から床面までおよそ百メートルあるが、これが少し低く感じられるほどだ。

 あ、いい天気だな。

 ユウはぐんぐん降下しながら、のんきにそんなことを思った。映像ではない現実の空をひさしぶりに見たので、なにやらうれしくなったのだ。

 青い空と、コルベルカウダの周囲に浮かぶ、あの金のリングをながめて、そのリングにまつわる様々なエピソード、たとえば、環の上によく渡り鳥の群れがとまっているとか、光の反射を抑えて熱の放射もない、特殊な素材でできているらしいとか、そうしたことを思い返しているうちに、

 ……チン。

 エレベーターが止まった。

 ドアが開いた。

 

 港。

 ここは、そう呼ばれている。ユウたちが名づけたのではない、獅子王が設計図にそう書きこんだのだ。

 誰の船をここへ呼ぶつもりだったのか、そしてまた、自分の船をどこへやろうとしていたのか。それはジャッカルたちにもわからない。

 だが、その交易の相手に人間たちも含まれていたかもしれないと考えると、これはなかなかロマンのある話になる。

 ユウは、こつこつと靴を鳴らし、どんどん先へ進んでいった。

 人間が空を飛びはじめる日。

 魔人と貿易をはじめる日。

 獅子王は、それをいつだと考えていたのだろうか。

 二千年たった、いまのこの世界を見て、感心するのだろうか。あざ笑うのだろうか。

 間隔を空けて並べられた、N・Sコウモリ、N・Sオオカミ、N・Sクジャクの前を通りすぎ、ユウはN・S獅子王の前で立ち止まった。ジャッカルたちも存在を知らなかったこのN・Sが、プロトタイプ、すなわち現在存在するすべてのN・Sの原版なのだろうと、セレンは言った。

 ……面白いな。

 ユウは獅子王をながめ、二千年後の世界を空想した。

 それは、悪くない世界だった。

『あれ、ユウ?』

「……あ」

『どうしたの? あ、オヤツ? ちょっと待ってて、データ出したら行くから!』

 獅子王の隣には、L・Jシューティング・スター。

 そしてその隣には、L・JサンセットⅡ。

 ユウが、その巨大なつま先の前までやってくると、

『よし、終わり』

 と、ハッチが重々しく開き、数字で埋めつくされたメモ紙が大量に降ってきた。中には太い赤ペンで、マルやバツがつけられているものもある。

「ゴメン! ちょっと拾って!」

 と言うのでそのとおりにしていると、ケーブル式昇降機につかまったララが、足から、するすると視界に入ってきた。

「ゴメンゴメン」

「いや……」

「あ、あとは、あたしが拾うから大丈夫。そこ座ってて」

 ララはそう言ったが、

「いや、そういうわけにはいかないだろ」

「……なんで?」

「なんで?」

「あたしが好きだから?」

「……好きだから」

「バッカ!」

「先に言い出したのはララだろ」

「もう、いいってばぁ。ほら、じゃあそっちの拾ってよ。ほらほら!」

「いや、盆を置かないと」

「や、こっち見ないでぇ!」

 ユウはつい、にやにやとなってしまった。

 真っ赤になったララが、かわいい。

 なでて抱きしめてやりたくなる。

 見るな見るなと騒ぎ続けるララに盆を預けて、結局すべてのメモを拾ってやったところで、

「じゃあ……オヤツ?」

「食べよう」

 と、いうことになった。

「あーあ、早く、デンティッソ来ないかなぁ」

「ん、そうだな。はい」

「え、くれるの?」

「ああ」

「じゃあ……食べさせて!」

「アーン」

「ちょ、ま、待ってぇ!」

「だから、照れるなら言うなよ」

「だ、だって……!」

「食べる?」

「食べる! ちょっと……深呼吸させて!」

 固く目をつむって、ララはクッキーを食べた。

 サクサク、サクサク。

「ン? ……どうしたの?」

「いや……ひとりで、特訓やってたのかと思って」

「うん。さっきまでアレサンドロがいて、ほらN・Sに乗る練習してたんだけど、気分転換してくるって、どっか行っちゃった」

「ああ」

「なんかすごいみたい。オオカミは大きい服を着てる感じだったけど、シシオウに乗ってると、まるで海の中にいるみたいなんだって。いいじゃないって言ったら、おぼれてるだけだ、って。汗びっしょりで」

「ふうん」

「ね、ユウもそうだった? カラスに乗ってるとき」

「さあ、どうだったかな。忘れた」

「ふぅん」

 ララは、自分の分のクッキーを半分にして、ひとつをユウの手のひらに乗せた。

 ふたりで共有する味、場所、時間。

 幸せ……。

 すると、ララが、

「ねぇ、ユウ。ハサンからね、伝えておいて欲しいって言われてる言葉があるんだけど、聞きたい?」

「……え?」

 なんだろう。

「ハサンからっていうより、あたしが自分で考えたみたいに言ってやってくれって言われてたんだけど……」

「聞きたい」

「うん、あのね……」

 ララはすり寄ってきて、

「『いざというときは、助けにきてよね』って」

「……それだけ?」

「うん、それだけ」

「当たり前だ」

「うん、あたしもそう言ったんだけどね、こういうのって自分の頭だけで納得するんじゃなくて、耳からも入れなきゃダメなんだって。頑張ろうって、ひとりで思うよりも、頑張ってって言われたほうが力が出るだろうって。ホントにそうだなぁって、あたし思っちゃった」

「ああ、そうか……そうだな」

「だから、いざというときには助けにきてよね」

「ああ、わかった。絶対行く」

 えへへ、と、ララは、はにかんだ。

「ね、じゃあちょっと、カラスのとこに行ってみようよ。乗れるかもしれないし」

「あの研究室に?」

「研究室? カラスなら、あそこにあるじゃない」

「え……?」

 ユウはそのとき、ぎょっとなった。

 ララの指さした先に、確かにそれはあったのだ。

 N・Sコウモリと、N・Sオオカミの間。

 自分がいま通ってきた、その道の途中に。

 見ていたはずなのに、気づかなかった……?

 ララがパックのジュースを、ずご、と、飲みきった。



「……よう、ブルーノ。どうした」

「ん、おう……アレサンドロか」

「なにを見てた?」

「いや、なにも。ただ……この畑になにを植えりゃいいかってな、そんなことだ。小麦を植えるのもいい時期だし、とうもろこしも悪くねえ。ほれ、あそこで動いてるプラウズの野郎。あっちは米をやるんだってよ。そんなジメジメしたもんを隣でやるんじゃねえと言ったら、水なんてもれやしねえ、魔人の技術をなめんなときたもんだ。へっ、自分の手柄でもねえのにえらそうに」

「ハ、ハ」

「笑いごとかよ。だいたい、こういうのは家を割り振る前に聞いとくもんだぜ、リーダーさんよ」

「あ?」

「農家だのなんだの、仕事別で分けときゃいいってもんじゃねえってことよ。まあ、希望を聞き出しゃきりがねえけどな」

 そう言ってブルーノは尻をずらし、シンプルだが実に形よく組み立てられたベンチの座板をぱんぱんと叩いた。平均よりも上背のある男ふたりが座るには、少し窮屈な空間だった。

 どこかで、子どもたちが騒いでいる。水をはねて、きゃいきゃいと笑い転げている。

 小魚でも見つけたかな、と、アレサンドロは思ったが、そうだ、まだ小動物はいないのだった。

 この青い空に鳥はいない。

 勤勉に働く虫もいない。

 まずは木だ。森がねえとな……。

 むしろそれさえあれば、すぐにこのカプセルの世界は、そうした生き物たちの命の闊歩でいっぱいになるだろう。そんな気がした。

 ふともれたため息が、ブルーノの深いそれと重なった。

「なあ、アレサンドロ、いつ、やるんだ?」

「いつ……ってのは?」

「戦だよ」

「……」

「やるんだろ。いや、やらずにはいられねえはずだ。あいつらがこのまま黙っているはずがねえ」

「……」

「俺はな、アレサンドロ、命を惜しんで、ビビってるわけじゃねえぞ。ただ……ただな、畑に、ものが植えられねえんだ」

 ブルーノはその太い指を眉間に押し当てて、しわをぐいぐいと揉みだした。

「あのプライズ、本当のところ、なにしてると思う。ずっとずっとああやってな、石を拾ってやがるんだ。石はねえほうがいいんだって、この畑にゃ、拾わなけりゃならねえ石なんてまじってねえのによ。そんなことを言って時間をかせいでやがる。いや、みんなそうだ。俺だって似たようなもんだ。要するに俺らは……」

「戦に負ければ、また畑を捨てることになる。それぐれえなら完全に落ち着くまで待ったほうがいいじゃねえか。そう思ってんだろ?」

「げ……!」

「家があるのが怖え。工房があるのが怖え。畑があるのが怖え。失うのが怖えって、そういうまわりの声はな、聞こうとしなくても耳に入ってくる。ただやみくもに逃げてたほうが気が楽だったってよ。わかるぜ。本当に、よくわかる」

「こうして自分の畑を見るのはうれしいんだぜ?」

「ああ、わかってる。あんたたちはこれまでずっと、必死の思いで手に入れてきたもんを奪われ続けてきたんだもんな。慎重になるなってほうが、どうかしてるぜ」

 このときブルーノは眉尻を下げてなにかを言いかけたが、下唇を突き出して黙ってしまった。それはまるで、餌を逃した川底のカジカのようだった。

 アレサンドロは笑顔を作ってやって、

「なあ、ブルーノ。戦はやるがいまじゃねえ。あっちもまずは、俺たちを逃したゴタゴタの後始末をして、このコルベルカウダがどういうもんか、その見極めをつけてから来るはずだ。夏の頭になるかもしれねえな」

「夏? 夏ってな、あの夏か」

「おう。もうちょいと、早いかもしれねえが」

「へ、へえ……」

「ブルーノ?」

「あ、いや、意外に、時間があるもんだなあってよ。そうか、夏か……」

「ああ。たぶん、そんなもんだ」

「それまでどうする?」

「やれることをやるさ。いまはハサンの手がちょいとふさがってて動けねえが、それが終わればすぐ会議だ。きっと、最後の作戦会議だ」

「へ、へへ……おまえ本当に、リーダーらしくなりやがったなあ」

 そこでブルーノはようやっと、白い歯を見せて、にかっとした。

「誇らしいぜ。立場が人を作るってのは、ありゃ本当だな。どっしりとした貫禄があらあ。負けるなんてことは、はなから考えてねえって感じだ」

 アレサンドロは髪の先をもてあそびながら、そうか? と、苦笑いした。

 負けを意識していないという点に関しては、確かに、そうかもしれなかった。

 仲間のために獅子王に乗り、仲間のために戦う。

 そう決めたアレサンドロにもいま、本当に、ささやかな望みがあるのだ。

 それは……、

『勝って、もう一度、カラスに会いたい』

 ……ああ、そうだ。次こそ、負けてたまるか!

 アレサンドロはベンチの木目を、こりっと引っかいた。

「あ、鳥だ」

「鳥? そんなわけ……」

 アレサンドロが目をやると、

「あ」

 本当に飛んでいる。

 南から北へ、編隊を組んで、まっすぐ、迷うことなく飛んでいく。

 それが、天井に映された像だと気づいたのはずっとあとのことで、いまはそれらの姿を追ううちに、ブルーノが鼻をすすって泣きはじめた。

「大丈夫。心配いらねえよ、ブルーノ」

 アレサンドロがその広い背中をこすってやると、顔を覆ったブルーノは、何度も何度もうなずいた。

 


「……大将。ねぇ、大将ぉ!」

「……」

「たーいしょ!」

「……テリー。私がいまなにをしているかわかっているか?」

「……寝てる」

「おお、賢いなぁ、テリー坊や。賢いついでに出ていってくれるととてもうれしい。おじさんは頭の復旧中で、坊やの相手をしておれんのだ」

「復旧? ああ、ちょっと待ってよ大将。俺、会議の前にさ、ちょっと言っときたいことがあんのよ」

「……」

「ケンベル将軍、超光砲のメラクは俺が倒したい」

「……フン」

「次は勝たなきゃいけない戦だってわかってるし、そのために、それぞれの因縁とか無視していこうって話になんのはわかってるけどさ、メラクだけはゆずれない。勝つ自信だってある。俺はできる」

「……」

「聞いてる?」

「聞いてない」

「だと思ったよ……」

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