第227話 魔人か人か

 夜になった。

 満天の星が照らす農道を、足音もなく、ハサンが歩いている。

 風が吹いた。

 農地はまだ裸だったので、土のにおいが強くした。

 先ほど、ざっと降った春の雨が、まだ水たまりとなって残っていた。

「ふうむ、まだ信じられん……」

 ハサンは足もとの小石をひとつ取って、指の間で転がした。

 そう、なにも変わらない。

 人並はずれた自分の五感をもってしても、外の世界との違いを見つけられない。

 しかしここは間違いなく、コルベルカウダの中、屋内なのだ。

「ふうむ……」

 ハサンは石を投げ捨てて、いつものように、口ひげをついとなでた。ここが外とあまり変わらないと言っても、それは見かけだけの話だ……と、思いなおしたのであった。

 コルベルカウダは大きく、上下二層に分かれている。『創る』ための下半球の研究区と、『試す』ための上半球の居住区だ。つまり、いまハサンが目にしている居住区のものすべてが、魔人たちの手による『作品』であると言える。

 たとえば、遠くに見えるあの家々はどうだろう。

 形こそ驚くほどのものではないが、内部がすごい。電気、気体燃料を使った調理台、上下水道。それらが全世帯で整備されている。貴族の館でもこうはいかない。

 そしてこの農地だ。土がいい。種さえ植えればなんでも実るらしい。

 気候もまた自由自在になるというのだから、これはもう完全な自給自足が期待できる。

 いまの我々にとって、これ以上の城はない!

 ハサンは自信を新たにしたが、

「……まったく」

 と、口から出るのはため息ばかりで、ちっとも心楽しくはなれなかった。

 原因は、今日の昼間、北の白鳥城から戻ってきたユウにある。

 もともと嫌な予感はしていたのだ。

 ユウがカラスではなく、サンセットⅡに乗って帰ってくる以前から。

 しかし、それにしても、

「N・Sに乗れなくなっただと?」

 ハサンは天に声をあびせかけた。神を責めたつもりだったが、それがドームスクリーンに映った星空だったことを思い出して、なんとも嫌な気分になった。

 答えを返すように星がひとつ流れたが……わかっている、皆まで言うな。そう、あり得ない話ではないのだ。

 事は、乗り手の肉体を精神ごとデータ化し、それを注入することで動かすN・Sだ。特に正式な持ち主でない場合、身長が一ミリ伸びただけでも適合率に影響が出る。精神の変化でも出る可能性がある。

 これは十二分に、予想できた事態なのだ。

「……チ」

 と、再び踏み出した足は重かった。

 仇討ちを押しとどめるべきだったのか。行かせて正解だったのか。

 行くなら殺せと強く命じてやるべきだったのか。相手を生かしたことが、いずれなんらかの形で返ってくるのか。

 これからどうしようかというよりも、どこで間違いを犯したのかと、そればかり考えている自分がいるのだった。

 つくづく罪深いものだな、仇討ちというやつは。

 成功しようが失敗しようが、いつまでもつきまとう。死ぬまで。永遠に。

 ハサンの脳裏に、ひとつの死顔が浮かんだ。

 自分の知っている顔はこれひとつではないかと思えるほど、それは鮮明だった。

 ああ……やはり、行かせるべきではなかったな。あれは駄目だったとしか言わなかったが、それがかえって哀れでならん。

 もっと、もっと、上手くできたのではないか。

 もっと、傷を残さん方法が……。

「……ハサン」

「!」

 ハサンはどきりとなったが、もとよりこの程度のことで顔色を変えるような素人ではない。

 ゆったりと周囲を見まわし、そこが待ち合わせ場所の中央電波塔であることがわかると、あとはもう切りかえもひと呼吸であった。

 相手は、自分をここへ呼び出したモチである。

 天を突くような鉄柱は管理棟の屋根から立ち上がっていたが、その平坦な屋根のへりから、真摯な目で見下ろしていた。

「やあ、フクロウ君。待たせたかな」

「いえ……」

「どうだ、なかなかいい夜空だと思わんか。さすがは魔人の技術といったところだな」

「え、まあ、確かに」

 ハサンは、モチが煮え切らない返事ばかりするのに、まず安心をした。

 ここで、なにか悩んでいるのですか、などと聞かれるようなことがあれば言い訳のひとつも考えなければならなかったが、幸い、こちらの心をのぞき見るような余裕はなかったらしい。

「それで、話とは?」

 と、問うと、モチはしばらく言いにくそうにしていたが、

「あれの仇討ちの件だな。君は見ていたのか」

「え、まあ、おおむねは」

「フン……で?」

「実は……」

 と、語りはじめた。

 メッツァー・ランゴバルトの死と、そこへ至るまでの顛末。

 特に断末魔の一場面は、当然、このハサンの胸をも騒がせたのだった。

「魔人、ユウが魔人だと?」

「え、ランゴバルトは確かにそう言いました。もっとも、かなりの錯乱状態ではありましたが」

「それでも君は聞き流せなかった」

「え……まあ」

「ふうむ」

 ハサンは少し考え、モチの顔色を、非常に読みにくくはあったがうかがった。モチは次の言葉を待って、目を見開いていた。

「君はなんと言ってもらいたい」

「ホ?」

「肯定か、否定か」

「いえ、それは、わかりません。私はただあなたに知らせなければと、それだけを考えて戻ってきたのです」

「ンッフフフ、それはなかなかズルい答えだな、フクロウ君。だが私は、君の意見こそ聞きたい。ユウは魔人か人間か」

「ですから、わからないのです。私はあなたほど、判断できる材料を持っていないのですから」

「では、材料があれば判断できるのか」

「ホ?」

「今日はよく驚くな」

 そして、ハサンは地面にどっかと腰を下ろし、マントの内側からパイプを探り出した。

 城の中で吸う趣味はなかったが、それを忘れるほど、ここはよくできた世界であった。

 ハサンはひと口、ぷかりとやって、

「ではまず、人間説に有利な材料を提供しようか」

 と、指を一本立てて見せた。

「私とあれがはじめて会ったとき、もちろんあれは人間だった。人間の、子どもだった。それから十数年の時間をかけて、身も心もよく成長したな」

 というのが、それだった。

「それだけですか?」

「そう、それだけだ。人間性を排除して一個の生物として見たとき、人間は人間に対して『普通』と言う以上の感想は持てんのだ。たとえば君にも親兄弟がいるだろうが、それはどんなフクロウたちだった。君はこう答えるはずだ。『普通です』と」

「フム」

「あれの成長は実に普通だった。これが第一の材料だ」

 ハサンは二本目の指を立てた。

「次に魔人説を裏づける情報だが、これはまあ、いろいろあるな。これもはじめて会ったときの話になるが、あれは墓穴を掘っていた。父親と、兄弟と、村人たちの墓だ。それ自体に問題はないが、素っ裸の少年がひとりでそれをしていたとなれば、少々奇妙な絵面だったと言えんこともないだろう。それに私は、あたり一帯にカラスの羽根が散らばっているのも見た。ユウを魔人だと仮定するならば、転生は、ランゴバルトの襲撃から私が訪れるまでのわずかな間におこなわれたはずだ。あの羽根は確かに、かなり新しいものだった」

「ホ……」

「加えて、あの知能の高さだ」

「高いですか」

「高い。はたからはわかりにくいがすこぶる高い。メイサの神文神歌をすべてそらんじることのできる幼児など私は見たことがない。しかもラーゼ、アブル、カドール、フーン、マハ、メーテル、それらの神の神文神歌も十歳までにほぼ吸収した。この盗人のもとで修行しながらだ。実に、賢い」

「……」

「と、まあ、こんなところだな。ここからどう判断する、フクロウ君?」

 モチは、前のめりになっていた身体を揺するように戻し、低く低く鳴きながらしばらく考えていた。

 ハサンは、ぷかぷかと答えを待った。

「彼は人間です」

 と、回答は、意外にもはっきりと返ってきた。

「たとえば裸であったということですが、直前に水浴びをしていたとしたらどうでしょう。メッツァー・ランゴバルトの軍は突然やってきたはずです。服を着せる暇などなかったのでは?」

「ンン、なるほど」

「カラスの羽も、ただ単に一羽、殺されただけかもしれません」

「知能は」

「それこそ珍しくはないでしょう。私はあなたの子ども時代を知りませんが、並の大人より賢かっただろうことは容易に想像できます。しかし……」

 モチは言葉を区切って、

「成長してきたという事実は、どう考えても魔人ではあり得ません」

「魔人は歳を取らない」

「そのとおりです」

「それが擬態であったとしたらどうだ」

「擬態……?」

 これは想像外の言葉であったとみえて、モチは足踏みして不思議がった。

「どういうことです」

「言葉のとおりだ。ユウは視覚からの情報をもとに、自らの姿を無意識のうちに変えている」

「まさか。なぜ。根拠は」

「ない」

「ホ、あなたらしくもない」

「だが君たちにはあの習性があるではないか」

「あの……?」

「すりこみだ」

「ホ……!」

「知識や経験のない人間に育てられたカラスが、たとえば十歳の少年を兄だと、芯から錯覚していたとしよう。そのカラスが人間に転生したとして、はたして二十歳の肉体になるだろうか。そして肉体が変化したことについて大きな疑問を持つだろうか」

「いえ、待ってください。それは擬態の根拠にはなりません。それどころか実に、その、乱暴な話です。そうまでして、あなたは私に魔人だと思わせたいのですか。あなたは彼が、本当に魔人だと思うのですか」


 ……そうだ。

 それに関してはもう、答えが出ているではないか。フンと鼻を鳴らして、ハサンは思った。

 ユウは、ランゴバルトの目を傷つけたのは自分だと言った。

 ランゴバルトはその言葉ひとつだけで、一羽のカラスを想起した。

 加害者しか知り得ない情報。被害者しか知り得ない情報。

 もうこれだけでふたつはつながる。

 ユウはカラス。カラスはユウだ。

 自分を人間だと勘違いしたカラスが、その勘違いをかかえたまま人間になった。

「……待てよ」

「ホ?」

 こう考えてみてはどうだろう。

 ユウの中には、ふたりのユウがいる。

 人間のユウと、カラスのユウ。

 人間であることを疑わない表層のユウと、人間を装っている深層のユウだ。

 とにかくそう考えることで、腑に落ちることがひとつある。

 最近のユウの、情緒の不安定さだ。

「……ハサン?」

 あれは親兄弟の仇を非常にうらんでいた。

 そしてそれをかなえるだろう度胸と勇気も持ち合わせていた。

 それが仇が見つかった途端に、行きたくないとおびえはじめた。

 ウスコでは、むしろそれを忘れたように平然としていたというし、ランゴバルトの前では、もうなにもないと剣を引いた。おかしい。おかしいとしか言いようがない。

 これはやはり、カラスのユウが無意識下から手をまわし、感情の足し引きをおこなってきたと見るほうがしっくりくるのではないか。

 おびえさせ、興味を失わせ、憎しみを消す。

 なんのためかと問われれば、それは……、

「フ、フフ」

 なんだ。

 わかってみればなんということもない、単純な話ではないか。

「フクロウ君。君がそうかたくなに否定するのは、ララを悲しませたくないからだな」

「……ム」

「人間と魔人では命の長さが違う。恋をするのは難しい」

 ユウが深層でおそれているのもそれだ。

 魔人にはなりたくない。人間のままララのそばにいたい。

 様々な手をつくして、『ランゴバルトの目をつぶしたのはカラス』、という覚醒のキーワードから自分を遠ざけようとした……。


「あーあ」

 ハサンは大の字になった。

 なんとはなしに面倒になったのであった。

 競う相手がいるのならば頭を使うのも面白い。だがいまの状況は、ひとり延々とブロックを積み上げているようなものだ。

 とりあえず確定と言えるのは、ユウがカラスの魔人であるということだけか……。

 果てなく広がる螺鈿色の空から、ひらりひらりと、黒鳥の羽根が落ちてきたような気がしたが、伸ばした指をすり抜けたのは、

「ああ……」

 風だった。

 そうか、カラスか。

 あの子はカラスか……。

 いまさらながらハサンの胸に、それがしみてきた。

 カラス、カラス、カラス。

 なんと意味深く、重い響きであることか。

 縁(えにし)だな。まさに因縁だ。

 かつて、カラスに救われた私に、神が与えたもうた、めぐり合わせ。

 だから最後まで面倒を見ろと、そうおっしゃるのだな。メーテルよ。

 ここで、ふわと頬に吹きかかったのは、モチの起こした着地の羽風だった。

「フクロウ君」

「はい」

「ここはコルベルカウダ。人間と魔人が共存の可能性を探る都だな」

「ええ」

「あの子は……」

「え。魔人かもしれません」

 ちらちら、ちらちら、星がまたたいた。

「ユウの言葉、メッツァー・ランゴバルトの言葉。すべてを聞いて、あの城を発ったとき、私は、とてもつらかった。聞いてはいけないものを聞いたような気がした。それはきっと、彼らの言葉が真実であると理解できていたからです」

「……」

「こうした思いを、紋章官であるあなたはいくつかかえてきたのでしょう。敬服に値します。あなたのようになりたいと、恥ずかしながら思っていた時期もありましたが、私にはとても、とても無理です」

「だが君は、自分の存在を認めてきたではないか。魔人でもフクロウでもない。不確定な自分自身の真実を。だからこそ思う。あの子の秘密を知ったのが君でよかったと」

「……ホ」

「なあ、フクロウ君。あの子にも、魔人でもいいのだと教えてやりたいな」

 モチは、こちらを見もしないハサンの横顔をながめているうちに、随分と昔のことを思い出した。

 あるものはあるように。なったものは、なったように。

「ララには、なんと?」

「それはアレサンドロが示してくれる」

「ここはコルベルカウダ」

「そういうことだ。……さて!」

 ハサンは半身を起こし、

「なにがあった?」

 と、電波塔のかげへ声を投げた。

 そこへにじみ出た影は、おなじみの黒装束だ。

「リーダー君がお呼びかな?」

「うむ」

「悪い話ではないようだが、まあ、君の口から聞くよりも向こうへ行って確認しようか。どこへ行けばいい」

「トキの研究ブロック。一号」

「すぐに行く。先に戻っていてくれ」

 ふ……と、影は消えた。

「彼は聞いていたのでしょうか」

 モチは心配がったが、聞いていたところでなにをする男でもない。ハサンがそう言ってやるとモチはフムフム言い、

「それは、ま、確かに」

 と、納得の顔である。

「それで、ユウのことは……」

「もう少し様子を見たほうがいいな、フクロウ君。心というのは実にデリケートだ。ああしろこうしろと、あせって尻を叩いても、きっと上手くはいかんだろう」

 それに……と、ハサンは立ち上がり、ぱっぱと砂を払い落としてモチを抱き上げた。

「トキの一号研究室にあるのはN・Sカラスだ。まずはそこでなにが起こったか、確認するのが先だろうな」


 ……途中。音も振動もない小さなエレベーターの箱の中で、にぎやかに上へと流れていく光の列をながめながら、

「君の懐の深さこそうらやましい。近ごろは頭が固くなったよ」

 と、ハサンはなげいて見せたが、モチは、ホホ、と、笑っただけで、取り合ってくれなかった。

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