第213話 協力者たち(1)
この一件は、馬車から降りなかった面々にはふせておこう、ということになった。
鉄機兵団の待ちぶせにあったがしりぞけた。ハサンとジョーブレイカーについては、鉄機兵団の追っ手に対して策を講じてから来る。これがクジャクのした報告だ。
すると女性陣もテリーも、
「大丈夫?」
と言った。
離脱したふたりではなく、離脱されたこちらを心配したのである。
ふたりの才能は、仲間の中でも特に得がたいものであるだけに、大仕事を前にして心細くなったのだろう。
「気持ちはわかるが、やつらも俺たちのために残ったのだ。俺たちも、やつらのために力をつくそう。心配はいらん。そう時間はかけんはずだ」
このクジャクのひとことで、とりあえず場は落ち着いた。
逃げた御者のかわりに手綱を握ることになったユウもアレサンドロが気にかかってならなかったものの、幌の外で、ほ、と、息をついた。
「それはそうと、モチ、どうしておまえに、やつがオオカミだとわかった」
「ホ?」
「顔は知らなかったはずだ。なにか根拠があるのではないのか」
「え、まあ」
「それは?」
「ジャッカルが教えてくれました」
「ジャッカル?」
そこでモチは、自分が離脱後、アレサンドロの師である魔人、ジャッカルに助けを求めたこと。その場にいた魔人ヤマカガシの協力も得て、鳥やヘビたちによる襲撃を計画、手配したこと。帝都には一昨日の朝、入ったこと。そして、その足で処刑場の様子を確認に行ったところ、ちょうどクラウディウスの下検分と鉢合わせたことなどを語った。
「ジャッカルが、あれはオオカミだと言うので、大方のことは理解できました。やはり、我々の中に裏切り者はいなかったのです」
「そのジャッカルはどうした」
「事が起これば外門は封鎖されます。その前に外へ出ておくよう頼みました」
「賢明だな」
しかし、当のジャッカル、ヤマカガシはその頼みを聞かず、犬車で、帝都中心部を走りまわっている。結局、アレサンドロかわいさのこの行為が、アレサンドロのみならず、ハサンやユウ、全員を救うことになったとは好運であった。
いや……。
もしかしたらこの運は、敵味方問わずに作用したのかもしれないが。
「ねぇ、クラウディウスって、ホントに魔人なの? 魔人オオカミ?」
「そうだ」
「ふぅん」
ララたち、いままで蚊帳の外だった面々がオオカミについてした質問は、あとにも先にもこれだけだった。
これだけで十分、口出し無用の、事の重大さが理解できたのである。
「……アレサンドロは?」
「あとだ。居場所はわかっている」
「ふぅん」
それきり、口をきく者はいなかった。
ユウたちは、城壁のすぐ外にある帝都メイサ神殿の地下から、帝城敷地内へと侵入した。
これが、いざというときのための皇族脱出路であることは言うまでもない。行き着く先は例にもれず地下墓所だが、途中、横道へそれて、鉄機兵団詰め所の近くまで行くことができる。
年齢を感じさせない足取りとスピードで駆けていくカジャディールを、必死に追いかけるユウたち。
待ちぶせか鉢合わせがあるかと思われたが、一兵にも出くわさないまま豪奢な構えの詰め所前を通過し、そこからL・J専用の大整備工場まではすぐだった。
「やはり、ナーデルバウムがありません。他はすべてそろっています。奥です」
モチの偵察結果を受けて、ユウとクジャクが斬りこんだ。
マンタと、カジャディールまでもが、そこに加わった。
「なぁんだ、楽勝ぉ」
ララが言うほどあっけなく、L・J、N・Sが手もとに返ってきた。
無血であった。
「ねぇ、これもう乗れる? 乗っちゃう?」
「待った。チェックするよ、メイ」
「はい、セレン様!」
「テリー、あんたも手伝いなっての!」
「あいあい」
「なにさ、腰抜け」
「いやいや、俺、剣はからきしなのよ」
女たちの軽い笑い声が、ドーム天井に反響する。
「これで上手くゆくな、カウフマン」
「はい、必ず」
「ああ、くたびれた」
空いたL・Jベッドの台座に腰を下ろし、剣と足を投げ出したカジャディールもまた大笑いをした。
それにしても不思議な人物である。
このカジャディールという大祭主がだ。
生まれは自由区、エド・ジャハンだというが、そこからどのような経緯で帝国に入り、神殿に入ったのか、ユウは知らない。
以前は刀を腰に差し、いまはジョーブレイカーを配下に持ち……と、それしか知らない。
しかし今回の一件によってユウの思うカジャディール像の中に、『熱い血のかよった、心身ともに剛勇の剣士』という顔が加わったのは確かであった。
「お、来よったか」
「え……?」
「ヌッツォじゃ。扉を開けてやらずばなるまい」
「でも……これは、タイヤの音です、大祭主様」
「タイヤ?」
「随身官様が運転を?」
「まさか」
「では神兵のかたが」
「いや、血の気の多いのは、もう国許へ返したはずじゃが」
舗装路を来る車輪の音が止まり、
「猊下、猊下……」
まるで指先でつつくように、鉄の大扉がノックされた。
ユウと目を見かわして苦い顔をしたカジャディールが、すっく、と、立ち上がった。
「ヌッツォか」
「ああ猊下、ご無事で!」
「無論よ」
「カウフマン殿は? ああいえ、その前にこちらを開けてはいただけませぬか」
「おぬし、ひとりか」
「は?」
「いつわりなく答えよ。おぬしはひとりか」
「あ、ああの、その……」
「ディアナか」
「あと、そのう、ハイゼンベルグ閣下がご一緒で……」
「たわけ!」
「ひえッ」
がたがた、と、扉が鳴った。
「誰の手を借りおるか!」
「お、お許し……!」
「たわけ! とにかく入れ。続きはそれからじゃ!」
その光炉自動車は、兵站用の小型・幌つきで、ペイントされた軍章はパールピンク。
鉄機兵団施設に神殿の車両が入ってはあやしまれる。だからこの車を用意したのだと、運転席から駆け降りてきてクローゼは言った。これは自分が無理やり承諾させたのだ、と。
クローゼは軍章と同色のベストに、シャツを腕まくりして、長い髪をひとつにまとめている。続けて顔を見せたディアナは、純白のフードつきローブだ。
そのディアナも、
「私もそれに賛成いたしました」
と、言い出たので、どうにかヌッツォは、小突かれただけで許された。
とはいえカジャディールは、この半泣きの随身官が荷台へのぼり、ユウの刀やテリーのライフルなどを降ろすのをながめながら、さらに、ぐちぐちとうらみごとを言った。
「よりにもよって、クローゼを……」
特に事情を知らない者が聞けば、敵側の、それも将軍を考えなしに引き入れるとは何事かという意味の文句としてこれを受け取ったことだろう。しかし、違う。もしもこれがラッツィンガーであれば、おそらく、ほいほいと恩を着た。
ではいったい、どういうことか。
カジャディールは、クローゼの立場を思いやったのである。
先帝の子として生まれながら、それに見合った周囲の敬意を得られず、才能のあるなしよりもまず、七光りとの評価を受ける。それでありながら本人は清流のようで、常に澄んで美しい。
カジャディールはそうしたクローゼを愛し、政治の外に身を置く者として純粋に、その栄達を願っていた。
だからこそ、このような目立つ行動、それも個人での行動は避けてもらいたかったのであった。
「猊下」
クローゼは、友の役に立てていることが、うれしくてしょうがないといったふうに笑った。
「ご心配にはおよびません。他の将軍も、警備の配置などでかげながら彼らに協力しているのです。皆様のことを告げ口するような、馬鹿な真似はいたしません」
「そなた、陛下のご意向にそむいておること、わかっておろうな」
「無論です」
「死罪もあろう」
「はい。しかしいずれは、誰かのために死ぬのです」
ふぅむ。
カジャディールは腹の底でうなりながら、もしそうなったとき、自分はどうするかを考えた。
この年寄りの首ひとつ……。
若いクローゼを救うために差し出してみようか、というのが、その答えだった。
クローゼとカジャディールが語り合うわきに、降ろされた荷物が積み上がっていく。
武器だけでなく、衣類やポーチ、その中身まであるので、ここにいる人数分だけでもかなりの量だ。
その荷をはさんで少し離れた場所に、つつしみ深い距離をおいて向かい合う、ユウとディアナの姿があった。
立ち並んだ柱のかげで、作業中の仲間たちからは見えにくい場所だった。
「カウフマン」
ディアナはフードを下ろし、ユウの胸のあたりに視線をさまよわせたまま、まず無事でよかったと、それを喜んだ。
清らかで美しい聖女の頬は、いま、ほんのりと染まっていた。
「大祭主様の、お怪我は」
「もう、問題ありません。まったく」
「そう、ですか」
「はい……」
ディアナは唇を噛みしめた。
言いたいことが言えないことにもどかしさを感じているようにも、聞きたい言葉が聞けなかったことに切なさを感じているようにも見える。
……恋だ。
と、かつて、大河聖ドルフに面する町、バーテにおいてモチは言ったが、それを確かめる手段はユウにはない。確かめることが正しいとも思われない。
ただ、胸の前で固く握り合わされたディアナの手袋に、深いしわが幾すじも入って、それがユウの心に針を刺した。
「カウフマン」
次にディアナが顔を上げたとき、その唇には微笑みがあり、目にはあきらめと、涙がたまっていた。
これでいいんだ、と、ユウは思った。
「あれを」
と、目顔で示されたものを見ると、それはついいましがた、ヌッツォが重そうに降ろしていった布包みである。
人の頭部ほどもある角張った塊で、おそらく考えなしに持とうとすれば包みが裂けてしまうだろう。
ユウは慎重に抱き上げて、ディアナの足もとまで移動させた。
「あなたに、これを預けます」
布が払われて、その正体が明らかとなった。
「……これは?」
岩だった。
自然そのままのものではなく、裏面はふれたとおりに荒削りだったが、表の面は美しく、平らに研磨がされていた。
不思議だったのは、その研磨面の中央に、さほど大きくもない鍵穴が彫られていたことである。
鍵穴があるということは、当然それによって操作される仕掛けがこの中になければならない。見たところ継ぎ目のない岩を使って、はたして、そのようなことができるだろうか。
できるとすれば……。
「魔人?」
ディアナはうなずいた。
「去年の、そう、帝都に雪が積もりはじめたころです。陛下が私をお召しになって、これを調べるようお命じになったのです」
つまり、この岩にまつわる過去を知りたがったということだ。
「魔人の道具ゆえ多言無用。そのようにも、つけ加えられて」
「それで……?」
「調べました。ですが随分と長い間、土に埋もれていたとしか。陛下は続けて調査せよと、私にこれを預けられました」
「それを自分に?」
「はい」
ディアナは困ったように笑い、神へ祈る仕草をした。
「役に立つものかはわかりません。ですが、この時期に陛下がお調べになっているというのが気にかかるのです。なにか、嫌な予感がするのです」
ユウは再び、岩へ目をやった。
たとえばこれを解錠したとして、いったいなにが起こるのだろう。
どこかが開くのだろうか。なにかが起動するのだろうか。
それとも、そもそも、どこかの岩壁に、これの、ぴたりとはまる場所があるのだろうか。
「大祭主様が、とがめられます」
「いいのです。この国のためにも、陛下のためにも、これが最善だと信じます。陛下の御手にあって危険なものでも、あなたならばきっと、正しくあつかってくれる、そう信じます」
「大祭主様……」
「はい」
「なにかあったときは、必ず駆けつけます」
「カウフマン……!」
岩を見るためひざまずいていたユウの腿の上に、柔らかい指がすがるように置かれた。
「あなたの、その、言葉だけで……」
うっとりと酔ったような瞳に、自分の姿が映っている。ユウはふと、その熱っぽい頬に、唇に、ふれてみたくなった。目の前の白髪乙女の容貌は、いつの間にか、いつも隣にいた赤毛の少女の顔に置きかわっていた。
もうしばらくララと話をしていない。肩を並べて腰かけて、他愛ない話をしながら菓子をつまむ。そんな日が早く戻ってくればいいのに……。
「カウフマン?」
「あ……いえ」
ユウは失礼にならないよう注意してひざをにじり、距離を取った。ディアナがどのような顔をしたかはわからない。見られなかった。
「将軍」
と、クローゼを呼んだその声は、少し弾んでいた。
「こちらの話は終わりました」
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