第154話 錆びた思考機械
マンムートを失ったことは、あえて言うまでもなくかなりの痛手だった。
まずなによりも、二号車が前に進まない。
敵の位置がつかめない。
L・Jの整備も満足にはおこなえず、もちろん、地中にもぐることもできない。
そうした中で数少ない朗報と言ってよかったのが、
『オルカーン進軍停止』
のニュースだったが、これについても、
「マンムート撃破を知り、我々への対応を協議しなおしているのだろう」
と、ハサンが言ったそのとおりならば、長く続く平和ではないわけだ。
「おまけにエディンだ。あいつはどこへ行った?」
「さて……」
「ケンベルはどうだ」
「アーレサンドロー」
「なあ、ハサン。俺はあんたから、これはって言葉が聞きてえ。なにかねえのか、こう、気分の上がるやつがよ」
窓際に立ったハサンは、しばしパイプを陽にかざし、
「まあ、ないでもない」
と、それを唇にはさんだ。
「私が思うに、これでひとまず、戦は回避できたはずだ」
「戦? 魔人が立つかもしれねえって言ってた、あれか?」
「そうだ」
なにを言っている、と、疑問を含んだクジャクの視線が、ハサンを見る。
「我々にとってそうであったように、他の者、帝国中に散らばった入れ墨の者たちにとっても、マンムートは希望だった。それの亡きいま、反帝国運動は、いったん下火になる」
魔人にしても一度辛酸をなめているだけに、
「なら俺がやってやる」
と、後先考えず立ち上がることもないだろう、と言うのだ。
「慎重。我々はその時期に来ている」
「しかしハサン。いつまでもそれでは埒が明かん」
クジャクが言った。
「このまま、あの戦艦が来るのを待つというのか」
「そうは言わん」
「いや、同じことだ。この車も捨て、足で逃げる。俺たちにはその道しかない。そうではないのか、アレサンドロ」
「そう、だな……」
今回のことに関しては、アレサンドロもクジャクが正しいと感じた。
ハサンは口をつぐみ、幅のせまい窓から外をながめている。
「……よし。このあたりは、あの雪山よりか雪は少ねえ。行けるところまで……」
「おうい、アレサンドロ君! アレサンドロくぅん!」
「ああ?」
「ここか! ……がははは、これはすまん。アレサンドロ君を知らんかな? ……む、そうか。よしよし。アレサンドロくぅん!」
「……やれやれ、元気のいいオッサンだぜ」
アレサンドロはブリーフィングルームがわりの一室、これは本当に、ずらりと並んだ居室の中のひとつなのだが、そこから顔を出して手招きした。
「おい、マンタ!」
「おお、アレサンドロ君。絶好のスキー日和だな!」
「俺を誘うつもりなら、悪ぃが、いまは取りこみ中だ」
「そうか、それは残念!」
マンタは小走りで立ち去りかけ、
「ナイン、ナイン、ナイン(いや、いや、いや)」
遊び歌の一節を歌いながら、また、うしろ走りで戻ってきた。
「ランニングのお誘いもなしだぜ」
「そうではないぞ。うむ、そうではないはずだ!」
「じゃあ?」
「我輩はこれからN・Sを掘り出しに行こうと思うのだが、君もどうかな?」
「ああ……それがあったか」
アレサンドロは頭をかかえてしまった。
土砂崩れの下敷きとなったN・Sマンタのことを、このときまで、すっかり失念してしまっていたのである。
「外はいいぞ。まぶしい太陽! すがすがしい大気! スキーを走らせれば気分爽快! 退屈の虫もどこへやら!」
「かもしれねえな」
「よし、では待っているぞ。玄関集合だ!」
「おいおい、待て待て待て」
「む?」
「まあ、入ってくれ。ほら」
マンタはなぜか鼻歌まじりのうきうきとした足取りで、男四人では少々手狭な、仮ブリーフィングルームのドアをくぐった。
「おう、クジャクにハサン君か。君たちも行くかな」
などと、やはりマンタは、のんきに過ぎる。
クジャクは馬鹿も休み休み言えと、この気のいい冒険家をしかりつけたが、
「それもいいかもしれんな。いや、むしろ、結構な話だ」
「ハサン、おまえはまたなにを言い出す」
クジャクはあきれ返って、眉間を押さえた。
「くだらん先送りだ。おまえはただ、負けを認められんだけではないのか」
「かもしれん」
「貴様……!」
「おい、クジャク、やめねえか」
ベッドの端からいらだたしげに立ち上がったクジャクを、アレサンドロは身体を張って押しとどめた。
「ハサン、俺はあんたを信じてるぜ。そいつがただの気まぐれじゃねえってな」
「いや、それがわからんのだ」
「なに?」
「私はすっかり、おかしくなってしまった。これは憶測でも、推理などというものでもない。ただの勘だ。勘が、この車を見捨てるなと言っている。彼についてゆけと言っている」
アレサンドロとクジャクは、顔を見合わせた。
ハサンらしからぬとはこのことだ。
しかし、目の前のハサンは、確かにどこか覇気がない。ぼんやりとした視線を、なにを見るでもなく窓の外に送っている。
これが演技であっても驚きはしないだろうが、いつもと違う、とだけは確実に言えた。
「ケンベルにだまされたのは、なにもあんただけのせいじゃねえぜ」
「フフン、そうだろうな。しかし、それはそれだ」
「む……」
「無論アレサンドロ、おまえの判断には従う。おまえが逃亡を選ぶのならばそれもいい。だが、どうだ……すべてのものを捨てるには、我々は多くのものを持ちすぎた。我々にはまだ、別の選択肢が残されているのではないか」
仮ブリーフィングルームは、沈黙に包まれた。
あのマンタでさえ、場の空気に押されたかして、黙ってひげをいじりまわしている。
自分が結論を出さなければ先へ進めない。
アレサンドロは、ハサンの言葉、クジャクの言葉を反芻し、口を開いた。
「ハサンに乗るか」
クジャクの、小さなため息が聞こえた。
「マンタのN・Sが手に入りゃあ、またなにか、いい思いつきが出るかもしれねえ」
「その間、ここの者たちはどうする」
「いまのところ将軍で動いてんのは、オルカーンのホークだけだ。それもまだ、どう出るかわからねえときてる」
「運に賭けると言うのか」
「そう、なっちまうのかもしれねえな。……そうだ。よしんば逃げるにしても、準備の時間が必要だぜ。その間に、ちょっくら行ってくるってのはどうだ?」
「どう言い訳を重ねようと同じことだ」
「う……」
「フ、フ、まあいい。リーダーはおまえだ。この車は俺が守る」
クジャクは苦笑いしながらも、頼もしく、それを請け負った。
「そうしてくれるか?」
「ああ。あとはテリー・ロックウッドに、ジョーブレイカー」
「シュナイデも居残りだな」
「ララ・シュトラウスはどうする」
「サンセットか、連れ歩くには目立つな」
「だが……」
「ああ、N・S一機にしても、掘り出すのは力仕事だ。サンセットは欲しいな」
アレサンドロの脳裏に、あるひとつの記憶が思い出されたのはそのときだった。
「そうだ、あいつのL・Jは離れてても呼べたはずだ。ここの、胸飾りのところに細工がしてあってよ」
「そうか、好都合だな」
「これで決まりだ。ハサンも構わねえな」
「ンン、もちろんだ」
「ならマンタ、あんたと一緒に行くぜ」
「うむ、そうだろうとも!」
さて。
この話をユウのもとへ持ちこんだのは、例によってララだった。
「ね、ね、聞いた?」
ララが外へ飛び出すと、ユウとテリーはそれぞれの機体に乗りこんで、二号車の屋根から雪をかぶせている。
このように全体を覆っておけば、内側は暗くなるが、上空からの偵察と熱源探知の目はごまかせるのではないか。
二号車に住む、メカニック経験のある北部出身者からの提案であった。
『ララ、危ないから、早くサンセットに』
『そうそう。おトイレ終わってスッキリしたなら、早くこっちに戻ってよ』
「ト……最ッ低!」
ララは顔を真っ赤にして、地団太を踏んだ。
「バカ! おたんこなす! とうへんぼく!」
ユウの前で、なんということを。
『そんなこと言ったって、ねぇ。俺結構オブラートに包んでなかった? ……って、待った待った、彼氏さん! わかった、謝るよ。ごめんね、ララちゃん。デリカシーなかったよね』
「うるっさい! テリーなんか腹壊せ!」
『俺もそう思う』
「ね、ユウもそう思うよね! わぁん、テリーのバカ! バカぁ!」
まったく、好きな男の前で恥をかかせる行為は、どのような罪より重いのだ。
結局、ララはテリーに一発食らわせるまで、承知しなかった。
『うう……イテテ』
テリーの左頬には、見るも痛々しいあざができた。
『それで、なにを聞いてるかって?』
『あ、うん、あのね……』
サンセットⅡを起動させたララは、中で耳にした、マンタのN・S探しのことをユウに話した。
『そう、か。俺はどっちに?』
『ユウはあたしと一緒で、探しに行くほう。あのバカテリーは居残り』
『そうか。……ん、よかった』
ユウは、実際に選抜したのがアレサンドロ本人だとは露知らず。ハサンが自分を見限ることなくアレサンドロのそばに置いてくれたのだとばかり思いこみ、それをうれしく思った。
今度こそ、しっかり守らなくては。
そして一方。
ララもまた、ユウのその言葉が、ふたり一緒にいられてうれしい、という意味だと大いに勘違いしていた。
ユウのために、頑張らなきゃ。
『ね!』
『ああ』
カラスとサンセットⅡは拳を突き合わせて、互いの健闘を誓い合った。
『そうだ。テリーも、ここでしっかりやんなきゃダメだからね』
『わかってるよ』
『ホントに?』
『あんねぇ。ララちゃんはそうやって、彼氏さんだけ見てりゃいいの』
『また、そんなこと言ってさ』
『だって、昨日も言ったでしょ。撃ち損ねたのは悪いと思ってるけど、別に落ちこんじゃいないって』
『う、ぅん』
『次はね、決めるよ。あの人もその気だろうから』
そう言ってテリーは、胸の弾帯に収まった、青い頭の銃弾にふれた。
『まだ……すごく怖いけどね』
『……テリー』
『……なんてね』
『もぉ、真面目にやりなっての』
『アッハハ。ま、とにかく旦那を頼むよ』
しかし、アレサンドロたちが二号車を離れることについては、やはり人々の中から反対意見も出た。
鉄機兵団が来たときはどうするのか。と、多くはそれだ。
クジャクは自らが残ることや、いつでも離れられるよう、荷物をまとめる作業もまた同時におこなうことを説き、不安をやわらげるべく立ち働いた。
出発までの一昼夜の間に、二号車の雪カムフラージュも、出入り口以外は完璧にほどこされた。
「セレンは、無理さえしなきゃ動かしてもかまわねえ。痛み止めは渡してある」
「そうか」
「なにかあったら、すぐ連絡をな」
「わかった」
「あとは……」
「フ、フ。アレサンドロ、日が暮れてしまうぞ」
「あ、ああ、そうか。じゃあ、まかせたぜ」
「うむ。皆、油断せずにいけよ」
「いってらっしゃい」
そうして一行は、クジャクとテリーに見送られて旅立った。
街道に出るまでの獣道には、ジョーブレイカーとシュナイデがつけたらしい赤いリボンの目印が、点々と続いていた。
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