第148話 盾

 アー。

 アー。

 朝日の中、カラスたちが催促している。

 ユウはかついだ麻の布袋を降ろし、その口を縛る縄をほどいた。

 中身を手探りにあさり、指にふれた冷たいカップを掘り出しざま、パッと、雪面にばらまいたのは、粒のままの乾燥とうもろこしだ。

 マンムートの一防衛線となったカラスたちへの、これが報酬というわけである。

 実際、その活躍は目覚ましく、この小さな戦士たちがマンムート周辺をテリトリーとしてからというもの、赤い三日月戦線による工作活動は、目に見えて減少している。

 カラスたちは飛び跳ね飛び跳ね、さも美味そうに、硬い粒をついばんだ。

「ユウ」

「アレサンドロ、ひとりで出てもいいのか?」

 ユウは、アレサンドロが、クジャクもハサンも連れずに現れたことに、わずかながら戸惑った。

 先のスナイパーたちの例もある。

 自分だけでは荷が重い。そう思わざるを得ない。

「おう。なにかありゃあ、こいつらが騒いでくれるさ」

「でも……」

「なあに、構わねえさ。ほら、貸してみな」

「あ、ああ」

 カップを取ったアレサンドロは、一心不乱に首を動かす群れのうしろへも、とうもろこしの粒を放ってやった。

 ユウは、カラスたちの様子がまったく変わらないのを見て、ようやく、ここは安全なのだと思えたのだった。

「そういや、おまえ、知ってるか?」

 アレサンドロが、微笑を浮かべて言った。

「こいつらの中には、俺たちの言葉がわかるやつもいるんだぜ」

「へえ、いや、そうじゃないかと思ってた。頭がいいんだ」

 それと言うのも、ユウは昨日も同じようにこの場へ立ったのだが、そのことをカラスたちは忘れずにいてくれたのだ。

 こうして、とうもろこしを直接手に乗せて差し出しても、まったく警戒をしない。頭を突き合わせてつついてくる。

「かわいいな」

 一羽の頭をなでてやると、そのユウの指先を、カラスはくちばしの先で甘くくわえてきた。

 ユウはなぜだかどきりとして、思わず手を引いていた。

「あいつが焼きもちを焼くぜ。カラス相手になにさ、ってな」

「べ、別に、それこそ、カラスじゃないか」

「まあ、そいつだって男かもしれねえしな」

 くっくと笑ったアレサンドロもまた、ひとすくいのとうもろこしを手のひらに乗せて腰をかがめた。

 カラスたちは、すぐについばみはじめたが、ユウのものほど、すぐに飲みこみはしなかった。

「ん? 悪ぃな、薬くせえか」

 粒を雪にこすりつけるような動作をしていた一羽が、アー、と鳴く。

「手を洗えってか」

 苦笑したアレサンドロは、結局、すべてを雪上にばらまいた。

「しかしよく食うな、おまえら」

 ……。

「冬だからな。普段はなに食ってんだ?」

 ……。

「俺の知ってるカラスは、そんなに無愛想でも、大食いでもなかったぜ」

 ……。

「うるせえ、邪魔すんな、ってところか」

 それまで楽しげに細められていた目が、ふ、と、かげりを帯びた。

「なあ……」

 と、その声色の変化に気づいてか。先ほどのカラスが、ひょいと顔を上げる。

 その小さな目は哲学的であり、無邪気でもあり。アレサンドロの胸に否応なく、在りし日のあの面影を思い起こさせた。

「なあ……おまえらの中からまた魔人が生まれたら……俺に、会いに来てくれるか?」

「アレサンドロ……」

「……ハ」

 アレサンドロは、静かに目頭を押さえた。

「これだから、俺ってやつは駄目なんだ。泣くならひとりで泣けってんだ、なあ?」

 アー、アー。

「そうだ、そのとおりだ? 冷てえな」

 ……いや、違う。

 これは……。

「アレサンドロ!」

「うん? ……う、お!」

 カラスたちが、いっせいに飛び立った。

「L・Jだ!」

「なんだと?」

 アレサンドロは、ユウの指さした方角を、飛び起きるように見やった。

 それは、ありえないことだった。

 カラスたちや、この周辺に隠れひそんでいるだろうジョーブレイカーならばまだしも、遠距離からやってくるL・Jの存在を、マンムートのレーダーセンサーが見逃すはずがない。

 しかし現実問題、L・Jはそこにいた。

 遠く山かげに隠れたその姿はいまだ小さなものだったが、確かにふたりの肉眼で確認することができた。

 所属を表す肩のペイントはどうか。赤いペンキで、べったりと塗りつぶされていた。

「どういうことだ? どんな魔法を使いやがった」

「とにかく、アレサンドロはブリッジに戻ってくれ。ここは俺がどうにかする」

「いや……相手は三機か。俺も出るぜ」

「駄目だ。やつらはオオカミを狙ってるんだろ」

 ユウの不安が、ただ単にN・Sに対するものだけでないことは、アレサンドロも理解していた。

 だがいまは、それをふたりで言い合っている暇はない。

 敵L・Jは、そうしている間にも近づいているのだ。

「いいかユウ。俺が出りゃあ、エディンを挑発できる。こっちから仕掛けることができねえなら、あいつから仕掛けさせりゃいいんだ」

 アレサンドロの指輪が、閃光を放つ。

『俺はもう、こんなくだらねえ屁のかまし合いはごめんだ。手遅れになる前に、あの野郎を黙らせてやる!』

 

 アレサンドロの乗るオオカミが駆け出し、ユウのN・Sカラスも、遅れまいと一歩踏み出しかけたとき、ようやく、マンムートの警報が高らかに鳴り響いた。

 と、同時に、走るカラスの肩へ降り立った影が、ひとつ。

「カウフマン」

 ジョーブレイカーである。

『ジョー、なんで警報が鳴らなかったんだ?』

「カラスだ」

『カラス?』

 驚いたユウの足が、つい止まった。

「双角の内部に、巣を作った者がいる」

『それでレーダーが壊れたのか?』

「そうだ」

『修理は?』

「これから詳細を確認する。やつらを近づけるなとの指示だ」

『わかった。もし出られるようなら、テリーも出して欲しい』

「承知した」

 ノミのように飛び跳ねたジョーブレイカーが、足もとの岩場を実に素早く走り抜けていくのを見送り、ユウもまた、離されてしまったオオカミのあとを追って駆け出した。

 オオカミは、敵機まであと数十メートルといったところで立ち止まり、なぜだろう、ぶるぶると、拳を震わせていた。

『アレサンドロ?』

『ちく、しょう……』

『え……?』

『ちくしょう、あの野郎……そこまで堕ちてやがるのか!』

 いまこの場景を目にすれば、おそらくハサンでも言葉をなくしたことだろう。

 赤い三日月戦線が奪ったという、三機の六〇〇系L・Jが目の前にいる。

 そして、それぞれのその手には、陸戦型L・Jの拠点守備用装備である、全身を覆い隠すほどの大シールド。

 その大盾の前面に……人間だ。

 盾一枚につき二十人からの人間が、ずらりと、ぶら下げられている。

 極寒の冷気の中、電気でも当てられたかのように全身を震わせているそれらの多くはまるで半裸に近い格好だったが、その中の、片手で数えられる程度の人数は鎧を着ていた。

 つまり、どこかの騎士たちなのであった。

『なんてことを……』

 ユウは一時、茫然となった。

 大義という裏づけがあれば、人はここまで残忍になれるものなのか。

 いや……しかし、そうだ。

 なれるのだ。

 自分の生まれた村が、まさに、その残忍さの犠牲となった。

 ……瞬間。

 目蓋を走る蹂躙の残像。

 まざまざと思い返される血のにおい。

『痛……うッ!』

 こらえようのない痛みが、ユウの頭蓋を走る。

 そのユウを置き去りに、

『エディン、ナイデル!』

 激昂したアレサンドロは、猛然とL・Jへ踊りかかっていった。

『アレサンドロ、駄目だ!』

 こんな戦いはするべきではない。必ず、後味によくないものを残す。

 そんな無駄な死を背負うべきではない。

『アレサンドロ!』

 しかし、白銀のオオカミは聞く耳を持たず、突きつけられた人の盾を前に細かなステップを踏んだかと思うと、横合いを転がるように位置を変えていた。

 一機の背後にまわりこんだオオカミの腕が、がっちりと、羽交い締めに決まった。

『さあ、あいつのところへ連れていってもらうぜ!』

 残りの二機を、こちらも『盾』でけん制しつつ、アレサンドロが言う。

『あの野郎も、それを望んでやがるんだろうが!』

 アレサンドロはもちろん、これでエディンが現れるものだと信じていた。

 ところが、アレサンドロの耳へ返ってきたのは、なんと嘲笑だ。

『う……』

 目の前の二機が、じわり、間合いを詰めてくるではないか。

『止まれ。てめえらはそのまま、L・Jを降りろ!』

 言いながらアレサンドロは、自分の声が震えるのをどうしようもない。

『止まれ、止まらねえか!』

 相手L・Jの手にある、凶悪な棘つきの棍棒が持ち上がった。

『や、めろ……』

 それが数秒後に叩きつぶすだろうこちらの盾と、そこに描かれるだろう惨状を想像し、アレサンドロは、強くかぶりを振った。

『やめろぉぉッ!』

 

 ガン。

 ブリキ同士をはたき合わせたような、鈍い金属音が響いた。

 二十メートルも向こうへ落ちたのは、ひじから飛ばされた機械の右腕。その手にはまだ、棍棒が握られている。

 ガン、ガン、と。

 さらに六〇〇系L・Jの特徴である、天を指す二本角を生やした頭部とふたつの腕が宙を舞った。

『テリー!』

 まさに、テリーのシューティング・スターである。撃ち下ろしの射撃体勢を取ったそれが、マンムートの屋根から銃口を向けている。

 状況をつかめずに右往左往した半壊のL・Jたちが、カラスの視線を追ってマンムートへ身体を向けた、そのとき。

 放たれた二発の銃弾が、それぞれのコクピットを貫いた。

 二歩、三歩と、力なくあとずさったL・J二機が、ゆっくりと、天を仰いでのけぞった。

『あ……!』

 まずい。

 L・Jの手を離れた盾が、表を下に倒れかかっている。

 ユウは頭痛を振り払い、二枚の盾の下へ、無理やり身体をねじ入れた。

 腕を突っ張り、地を踏みしめて、

『……ふう』

 どうにか、騎士たちの命を、鉄板の下敷きにすることだけはまぬがれたようだ。

 テリーの弾丸は、それ以上飛んでは来なかった。

『アレサンドロ?』

『う……』

『アレサンドロ』

『あ……!』

 一体の、これは無傷のL・Jをかかえたまま、そのかげに隠れるようにして身をすくませていたオオカミは、ユウの呼びかけで、はっと身構えた。

 そして、声をかけてきた相手がカラスとわかると、おびえたように周囲を見まわし、

『おまえが……やったのか?』

『え……?』

『ああ、畜生……畜生』

 と、嗚咽にも似た声をもらした。

 自身を拘束する腕がゆるんだことを察知したL・Jは、ここぞとばかりにオオカミを突き飛ばし、バーニアを噴かして逃れたが、そこを、テリーの銃弾が襲う。

 最後のL・Jもまた、盾を残して倒れた。

『アレサンドロ! 大丈夫か?』

『う……あ、ああ』

『立てるか?』

『いや、構うな。大丈夫だ』

 尻もちをついたオオカミの手は、弱々しく、カラスのそれを払った。

 ユウの心に、不安と心配がよぎる。アレサンドロは、震えているようだ。

『すまねえ。先に、戻らせてもらうぜ』

『あ、アレサンドロ……!』

『頼む。ちょいと、気分が悪ぃんだ』

『……わかった』

 ユウは、頼りなげな足取りで戻っていくオオカミの背を、なぜだか、ただただ見送ることしかできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る