第140話 父の心臓
翌日は、よく晴れた。
白い太陽。澄んだ空。
きりりと冷えた大気は、雪かきの習慣が染みついた北部出身者をベッドから起き出させ、南部出身者をベッドに縛りつける。
おはよう、と言いかわされる声が、いただきますに変わり、明るい笑い声を立てはじめた人々がふと外を見て、
「今日は、いい一日になりそうだ」
そう思えるような、素晴らしい日和であった。
日の光を浴びた氷化粧の樹木が、きらきらとその身を輝かせているのを、クジャクは目を細めてながめやった。
「クジャク様」
「……ああ」
この日も、マンムートは昨日と同様、様々に姿かたちを変えた買い出し班が、アールシティへくり出す予定でいる。
それに先立ち、遊山中の貴族の従者、といったふうに扮装した男ふたりが、例の三億フォンスの一部を馬そりに積み、マンムートを出発した。使いやすくするために、両替しに行くのである。
クジャクはその警護役として、ついていくことになっていたのであった。
さて、それからしばらくして。
ユウとララは昨夜の睡眠不足を補うためにそれぞれの部屋へ戻り、アレサンドロ、ハサン、セレン、ジョーブレイカー、そしてシュナイデが、ブリーフィングルームに集まった。
常のとおりコーヒーが出され、その目の前でスクリーンに映し出されたのは、かつてジョーブレイカーが堂々と奪い出した、シュナイデの身体データだ。
「なに……」
身を乗り出したアレサンドロとセレンの、目の色が変わった。
「こいつは、真面目な話だろうな」
「うむ」
「信じられねえ……」
「心臓サイズの……光炉」
先にもふれたが、現在の技術力で可能な光炉の大きさは、最低でも一メートル立方。人の胸に収まるサイズではない。
それがデータ上は、シュナイデの心臓として埋めこまれているという。
おまけにアレサンドロは、シュナイデの骨組織、筋組織が、N・Sのそれに酷似していることを知っている。
「つまりなにか。こいつは……生きた人間の脳を使った、小型N・Sだってのか」
「そうだ」
「ありえねえ。あるわけがねえ!」
アレサンドロの手が、激しく机を打った。
「こんなものを帝国が作ったってんなら、いまごろ小型L・Jがうようよしてるはずじゃねえか!」
「アーレサンドロー」
「うるせえ! 間違っちゃいねえはずだ!」
「だが、事実だ」
静かに、しかし断定的に告げられたジョーブレイカーのひとことに、アレサンドロは、ぐっと言葉を詰まらせた。
「だがよ……」
「そうだ。これを作り上げたのは、宮廷博士スダレフではない」
「なに……?」
「東方の博士、ジン・バルザール。……私の、父だ」
ジョーブレイカーの告白は、その後、昼前に目覚めたユウへも伝えられた。
「ジン・バルザール?」
「ああ」
ユウを、パーソナルスペースとも言える医務室併設の薬品庫へ連れこんだアレサンドロは、椅子をすすめつつ、うなずいた。
「俺もまだ、全部を納得できたわけじゃねえが、聞いたままを話すぜ」
「ああ」
「あいつの親父、ジン・バルザールは、確かに、小型N・Sの研究をしてたそうだ。十五年前、あの戦がはじまるずっと前からな」
「そのころから、N・Sは……?」
「あったぜ。数自体は少なかったって話だが、歴史は古い。そう、聞いたことがある。ほら、マンタがよ……」
「ああ」
そういえば、二百年前に、N・Sで川をのぼろうとした、と言っていたのだったか。
ただ、それをどうして『小型』にする必要があったのか。
息子であり、武芸を磨くかたわら手伝いをすることもあったジョーブレイカーでさえ、その目的はわからなかったという。
研究者としての興味か、不死の命へのあこがれか。
とにかく事実として存在しているのは、博士がそうした研究をしていた、という一事のみであった。
しかし……。
夢の実現に目鼻がつきはじめたころから、父のふさぎこむ姿をよく見るようになったとも、ジョーブレイカーは語った。
原因は、先駆者ならば誰もが経験する、倫理と追求の板ばさみ。
特に、超小型光炉は人類の発展にもつながる大発明ではあるが、同時に、最悪の兵器をも生み出しかねない。その想いに、博士は足を取られたのだ。
結局、博士はもがき、苦しみながらもN・Sの組成構造を解明し、そして、光炉を完成させた。
「それが、シュナイデの……」
「いや……まあ、最後まで聞いてくれ」
アレサンドロは、渋い顔を崩さずに、あごをかいた。
それは、三日と空けずにかよっていた、剣術道場からの帰り道。ジョーブレイカーが父の研究所へ立ち寄ったときのことだ。
乾燥帯のエド・ジャハンではなによりも大切にされる裏の井戸で行水を使い、母屋の隠し扉から地下研究室へ下りると、むっと、生臭いにおいがこもっている。
「ち、父上!」
当時はこれも貴重だった大光炉の前に、赤く染まった父がうずくまっていた。
「父上、お怪我を!」
駆け寄ったジョーブレイカーが胸に抱き起こすと、まだ息がある。
「お気を確かに! 父上!」
そこで、はっとした。
そこは剣術を習っているだけに、父の衣服に残った刺し跡が、刃物によるものだとすぐにわかったのだ。
ひと声うめいたジン博士は苦しげに目蓋を開け、
「あ、あ……」
必死の形相で、息子の肩をつかんだ。
「あ、あれが……あれが、奪われた……ッ!」
「あれ? まさか……光炉が?」
この日をさかのぼること三日前。超小型光炉の改良型が完成している。
今日はそのテストをすると、無論、ジョーブレイカーは知っていた。
「いかん、あれを……あれを……う、うう!」
「どうかそのまま。いま、医者を呼びます」
ジョーブレイカーは手早く衣を裂き、腹の傷所へ押し当てた。
そうして、立ち上がりかけたところで……、
「うッ……!」
背から腹にかけて、熱い金棒を突き入れられたかのような感触を覚え、視線を落とした。
それは、エド・ジャハンのものではない、手入れの悪い西方の剣だった。
「何者……だ」
と、言ったものの振り向くことかなわず、ジョーブレイカーは目をむいて驚愕する父の胸へ、そのまま崩れ落ちた。
「……次に目覚めたとき、私は別のものになっていた」
ジョーブレイカーは言った。
どこがどう、ということではない。
作業台らしきものに乗せられた身体が硬くこわばり、指先一本も思うように動かせなかったことは事実だ。しかし、そんなことではない。
「死にながら生きている」
そう感じたと、ジョーブレイカーは語った。
そして。
その後に気づいた、全身の縫合跡。
ふれただけで鋼鉄をねじ曲げる、制御不能の力。
台の下に倒れ伏した、父の亡骸。
血で書かれた、謝罪の言葉。
「私は知った。この身体こそが、父の研究成果、そのものなのだと」
ジン博士が、それこそかきむしる想いで作り上げた超小型光炉の初号機はいま、ジョーブレイカーの胸に収められているのであった。
それから……およそ二十年。
歳を取ることを忘れたジョーブレイカーが、遠まわりに遠まわりを重ねてたどり着いた父の仇こそスダレフであり、奪われた改良光炉は、疑いようもなく、シュナイデの心臓となっている。
「仇は取る」
そう、きっぱりと宣言したジョーブレイカーだが、シュナイデの身の振りかたへ話がおよぶと、わずかに、思い惑う素振りを見せた。
「……この娘に罪はない」
「それは、君の手もとに置きたいということか」
「そうだ」
問うたハサンは、フフンと笑った。
何事もまかせます、といった様子で身じろぎもしないシュナイデを、ジョーブレイカーの目はどこまでも優しく、どこまでも哀しく見つめていたそうだ。
「あいつも、魔人と同じなのかもしれねえな」
「え……?」
「先生が言ってたぜ。好きや嫌いは別として、『自分と同じもの』は特別なんだ、ってな」
「……そうか」
「その、スダレフって野郎をヤるのは簡単だろうが、そのあとのことを考えると……あいつにはやっぱり、あの女が必要だぜ」
「ああ、俺もそう思う」
ユウにはもちろん、否やはなかった。
「いまは一応、L・J込みで発信機やらのチェックをさせてるが、それが問題ねえようなら、あとは全部ジョーにまかせる」
「他のメンバーには?」
「まあ、モチやクジャクはともかく、それ以外の連中には、わざわざ聞かせてやる必要はねえんじゃねえか? もちろん、おまえが話してえって言うなら、そりゃ構わねえけどな」
「俺は、別に……」
失言だったな、と、ユウは頭をかいた。
「おまえ、また街に行くんだろ?」
「え、あ、ああ」
「今日は楽しんでこいよ」
「ア、アレサンドロ!」
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