第133話 アービング
吹きこんできた粉雪が、床に風紋を描いている。
マンムートがその町、西部領アールシティ近郊へ停車したのは、新年祭も間近にせまった、雪の日のことだった。
ジョーブレイカーの調達してきた、毛足の長い、ずんぐりとした荷馬にそりを引かせ、
「気をつけて行けよ」
と、送り出したのは、行商経験のある、ひと組の親子である。
父親と息子。ふたりはこのあと何食わぬ顔でアールシティへ入り、食料や生活物資を買い集めてくる予定でいる。
すでにこの組で六組目の派遣となり、開け放しにされた格納庫は、塊肉の燻製やチーズ、根菜類、織物や糸で、さながら市場のようになっていた。
「アレサンドロ」
「うん?」
呼ばれて目をやると、そこには、大きめのコートをぶかぶかと着こんだララが、えらそうに立っている。
「あのさ、あたしも、ちょっと買い物行きたいんだけど」
と言うその手には、なにやらびっしりと書きこまれた、メモのようなものを持っていた。
「なんだ、早く言やあ、いまのふたりに言づけたのによ」
「あのねぇ、女の子には女の子の買い物があるの。でしょ?」
「う、あ、まあ、そうかもしれねえな」
アレサンドロは、柄にもなく頬が熱くなるのを感じた。
こうしたところは、我ながら幼い。
「で……なんだ、ひとりで行く気か?」
「うん、ほら、いまの人たちにもジョーがついていったんでしょ? だったら、それでもいいかなぁって」
「ユウをつけるか?」
「バ、バッカ! こんな買い物に連れていけるわけないし!」
「だよな。しかし、それにしてもひとりってのは感心しねえぜ。ディディにでも……」
「ま、待って!」
「うん?」
「や、やっぱり、その……ユウと……」
そのとき、うつむきがちに視線を泳がせ、人差し指を揉むようにして、もじもじとしたララのいじらしさ。
これはアレサンドロでなくとも、
「ユウの野郎……」
と思わずにはいられない。
それとはわからぬ程度に苦笑したアレサンドロは、ひとつため息をはき、
「わかった。ユウには、俺から声をかけておく」
「え、あ、あの、でも……」
「わかってる。これは、おまえから言い出たことじゃねえ。俺が決めた。それでいいな」
「う、うんうんうん!」
ララは、まだ松葉杖を手放せないアレサンドロの胸へ飛びつき、うれしげに足を踏み鳴らした。
「アレサンドロ大好き!」
そうして、ユウとララがマンムートを出発したころには、陽は南中をすぎ、雪は小降りになっていた。
防寒のしっかりとしたコートではなく、あえて古い布をつぎ合わせたフード付きのローブを羽織り、ふたりが乗る馬そりにも、先ほどまではなかった、土鈴をつけている。
はたから見れば、いかにも近くの地方神殿から買出しに来た兄妹。ララとしては不本意だろうが、そういった雰囲気に見えただろう。
「出るぞ」
「あ、うん。了解」
ララは、いやが上にも目立つ、その赤髪の上からフードを目深にかぶり、
「どう?」
「ああ、大丈夫だ」
そりは斜面をすべり降り、ちょうど人通りの途絶えた本街道へと走り出た。
ユウが鞭を打つたびに鈴がゴロンゴロンと鳴り、疲れはてた馬はしめっぽい息をはいた。
「それで、なに買うんだ?」
「あれ、聞いてない?」
「ああ」
「じゃあ秘密」
「なんでだ」
「いいじゃない。ユウはお店の前で待っててくれればいいし」
「……嫌な予感がする」
「アハッ、大丈夫だって。ちょっとアレなだけだから」
「なに?」
「なんでもなぁい」
ララはいつものように、アハハと笑った。
……それにしても。
こうして話していても不思議だが、ユウはアレサンドロに今回のこと、つまりララの買い物に付き合えと言われても、特別不快感を感じなかった。
むしろ当然のように、す、と胸に収まり、その気持ちは、いまこの瞬間にも変わらない。
ララは鼻歌を歌っている。
目が合うと、今度は照れくさそうに、笑った。
「寒いね」
「……寒いな」
馬そりは、もう一台と余裕を持ってすれ違えるほどの街道道を、旅人や巡礼者を追い越しながら走った。
小山をひとつ、まわりこむように過ぎると、すぐに、背後の山を支えるようにして建つ、場違いなほど巨大なアールシティの外門と市壁が見えてきた。
「わぁ!」
この季節限定の絶景。
頑強な鋼鉄製の門も壁も、新年祭用の飾りつけで、目もくらむばかりに輝いている。
しかも来年は太陽神の年であるだけに、その象徴とされる光石の採掘でうるおうこの街は、祝賀ムード並々ならぬところがあるようだ。
ちなみに。
その翌年は土女神。さらに火神、月女神、風神、海女神、鋼神と続き、『太陽神の馬車』の年をへて、太陽神へと戻る。この、太陽神の馬車年こそが、かつては獣神トガの年であったものだ。
信ずることをやめ、その名を書物から消したとしても、神が消えることはない。
それを誰もが理解しているわけではないが、誰もが、実はわかっている。
ユウが敬愛してやまない、メイサ神殿大祭主カジャディールは、そう説いて、ユウを感服させたものだ。
ふたりを乗せた馬そりは、東西の街道から合流した人々の流れに乗り、大都市ならばどこにでもあるL・J駐機場を抜け、そうした巨大兵器もたやすく通ることができるだろう跳ね上げ門をくぐり、街へ入った。
メインストリートに立ち並ぶ商店は、どこもかしこも新年の祝い菓子や飾りであふれ、ララの目をさらに輝かせた。
「ね、ね、あれも買っていこ! マンムート飾りつけるの!」
「しっ……名前を出すな」
「いいから買ってぇ」
「……そうだな。太陽神殿に寄って、御札をいただいてこよう。そのあとで」
「約束だからね」
「ああ。まずは買い物しよう」
「あ、じゃあ、あたし場所聞いてくる!」
ララはそりを飛び降りると、黄色い砂糖で色づけされた、丸い揚げ菓子を積み並べた店へ、跳ねるように駆けていった。
さあ。
それから、やや日が暮れかけるまで。
ふたりは街のあちこちをまわり、こまごまと必要品を買い集めていった。
『女の子の買い物』とララが言ったように、男のユウにしてみれば、
「こんなものまで?」
という品物まで荷ぞりへ乗せられていく。中には、思わず赤面してしまうようなものまでだ。
「あ、変なこと考えてたでしょ」
「か、考えてないさ」
「ホント?」
「あ、ああ。袋の中も、見てないし……」
「ユウのエッチ」
「ち、違う!」
「あ、神殿あったよ」
「え……!」
ユウは、なにか、親にやましいものを見つけられてしまった気分になった。
「じゃ、じゃあ、御札、もらってくる」
「あ、ユウ!」
「荷物、頼む!」
そそくさと駆けていくユウの背を、ララは笑い声を立てて見送った。
「……はぁ」
そして出るのは、熱いため息である。
なんと素晴らしい一日だったのだろう。
ふたりで買い物をして、目についた砂糖たっぷりの焼き菓子を、ふたりで分け合って。
身体は寒いはずなのに、心はこんなにも、ぽかぽかと温かい。
本当は、ゆっくりと見つめ合い、互いの手と手をぬくめ合わせるような出来事が起こるとなおいいのだが……、
「きゃっ、無理ぃ」
ララは顔を覆って、にやけた口もとをローブに隠した。
なぜということはない。
以前のように目を合わせても、こちらのほうが恥ずかしくて、いたたまれなくなってしまう。
以前は軽く言えた、
「好き」
の言葉が、胸につかえて出てこない。
それどころか、普段の会話さえ、無駄におどけてしまったり、はしゃいでしまったり……。
この上、手など握られたら、自分は蒸発してなくなってしまうのではないだろうか。
「ユウ……」
ララは、御者席に残ったユウのぬくもりにふれ、再び、幸せな胸の痛みを抱きしめた。
……と、そのときだ。
足音をひそませて、そりに忍び寄った男がひとり。ララの背に向けてこう言った。
「アービング」
ララは目をむき出して男を見た。
「ジョッシュ……!」
「ひさしぶりだなあ、おい」
「あんた……どうしてここに」
「俺はいまも昔もおんなじさ。ただちょっと、えらくなった」
「あ、そ。……じゃあ、そのえらい人に悪いけど、帰ってよ。あたし……か、彼氏を、待ってるんだから」
「そう言うなよ。ちょっと、おまえに相談したいことがあるんだ」
「あんたとあたしは、もう他人同士でしょ」
「おいおい、いまの男の前で話してもいいんだぜ」
「……ッ」
「便所だなんだと理由をつけて、東裏通り三番地、小熊亭って酒場の裏に来な。なに、時間はとらせないさ」
「ジョッシュ!」
「シィー、静かに。いいな、待ってるぜ」
そう言い残すと男は、コートのすそをひるがえして、人々の笑顔の中に消えていった。
手すりを、指先が白くなるほど握りしめたララの手に、ぽつんとひとつ、冷たさが広がる。
また少し、雪が降りはじめたようだ。
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