第114話 蝙蝠と海鼠のワルツ

 コウモリの中でも、特に肉食性で小型のものは、超音波を発して障害物との距離を感知する。これはよく知られていることだろう。

 さらに音波に関して言えば、水の中でもよく響く。つまりソナーだ。

 暗夜の海、前後不明の黒水の中に沈みつつあるハサンも、左手の指を弾き続けるという、まさにそれに近い感覚で、二十本の首が近づきつつあることを察知した。

 乗れはしてもN・Sの能力を百パーセント引き出しきれない人間が多い中で、コウモリの鋭敏なそれと見事に合致した、ハサンの超人的な聴覚のみがなし得た業だと言っていい。

『ふむ』

 満足げに鼻を鳴らしたハサンは、カラスから奪い取ってきた右手の太刀を、す、と、ひと振りした。

 すると……どうしたことだろう。

 コウモリのすぐわきを通り抜けた水流が、泡と砕けた感覚が広がった。

 ハサンが太刀で探ってみると、返ってきたのは、なにか硬いものにふれた感触と、金属の反響音。

『フフン』

 もしこの場をライトで照らしたならば、上あごと下あごとを切り離されたサーペントの死体が、その金属の断面をさらしながら海中をただよう姿が見えたに違いない。

 そしてそこには、操縦席のようなものが一切見当たらないはずだ。

 本体はひとつ。そう言ったハサンの読みどおりに……。

 ひと呼吸ののち。甲板に現れたものと同様、その首もリールを巻くように引き戻されていった。

『ンーンンーンーン』

 す、す、すす、と。

 鼻歌まじりに、ハサンの刃が再び振るわれた。

 飛びかかってきたのは、同時に三本。

 しかし、切り落とされたパーツの一部を残したまま、それらもまた戻っていく。

 ……おや。

 どうも当初の予想より、首の数は多かったようだ。

『まあ、構わん』

 いまさら、二十が三十になったところで大差ない。

 サーペントたちは、いよいよコウモリを目下の標的と定めたか。戦艦を追うのをやめ、その周囲を取りかこみはじめる。

『フン』

 海中のそこここに灯し出される、無数の赤い点。サーペントの目。

『まるで火の粉だな』

 と、つぶやいたコウモリの身体が、水の中で、まるで風のように動いた。


 三十対一。

 それがすぐに、二十対一。十対一。

 嘘のようだが、ハサンは確かに、ひとりでそれをやった。

 なんのことはない。この多頭竜は、それこそ千頭の象は食い散らせるだろうが、一匹の戦い慣れした賢いコウモリを相手にするには、巨大で、脳が鈍すぎたのである。

 そう、なまじ機械であるがゆえに、互いがからまり合わないように、接触しないように、などとプログラミングされていては、このような状況で力を発揮しきれないのは当然であった。

 その点、ハサンは嫌味なまでにしたたかで。

 サーペントの動きが手動操作ではないと確信するや否や、常に首の一本と密着する。危険と見ると、すぐにその密集地帯へ逃げる。というようなことを臆面もなくやった。

 結果、ほぼすべてのサーペントが一対一の状況に持ちこまれ、壊滅の憂き目を見ることになったのである。

『さて』

 どれほどの愚か者であろうと、そろそろプログラムを解除しての無差別破壊に持ちこみそうだと踏んだハサンは、このつまらない遊びを切り上げることにした。

 目の前にせまったサーペントのくちばしを切り払い、間髪入れず、その首すじへ太刀を突き立てる。

『さあ、連れていってもらおうか』

 機械の肌を持つサーペントは首に張りついたコウモリの存在に気づかぬまま、ものすさまじい勢いで水中を走りはじめた。

 泡を引き、すべるように水深を下げていくサーペントの首。

 もし、生身の人間がこれだけの距離を一気にもぐれば、肺臓は押しつぶされ、ふた目と見られない有様となったことだろう。そうならなかったのは、やはりN・Sという超高性能な鎧あればこそだ。

 しかしそれでも、全身を締めつける圧力が少々わずらわしく思えるようになり、海水の冷たさも肌を刺すようになった、そのとき。

『……フフン』

 サーペントの本体が、姿を現した。

 暗い水底に、ぼんやりとした光を放ちながら、重々しく横たわる巨体。

 百メートルをゆうに超えようかという楕円形のその機体のへりには、海亀のそれのようなヒレが、それこそ何十と水をかいている。

 ハサンから見て右側に首が固まっているところをみると、そちらが『前』に違いない。損傷した首が寄り集まってうごめくさまは、まるでミミズを団子にしたようだ。

『醜いな』

 ハサンはそこへ加わろうとする首から太刀を抜き、あとは惰性で、海底へと沈んでいった。

 それにしても、サーペントの乗組員は、ハサンを仕留めたと思っているのだろうか。あたりは驚くほど静かだ。

 ゆっくりと降下していくコウモリの周囲には、わずかな海流の動きさえもない。

 市場では見ることのできない深海の珍魚たちが、巨大な目玉とあごを振りかざして悠々とわきを通り抜けていく……。

『ああ……素晴らしい』

 N・Sの機械じみたフェイスマスクのために表には出なかったが、ハサンはサーペントを観察する一方、滅多に見ることのできない深海世界をもじっくりと堪能し、少年のように目を輝かせた。

 まだまだ、この世には自分の知らない世界がある。

 数多くの物事を見聞きし、知識として取りこんできたハサンだからこそ、それに気づかされた瞬間の喜び、興奮も、人一倍大きい。

 ハサンは陶然となった。未知でありすぎて、見慣れたはずの闇にさえ恐怖心を覚える。それがまた新鮮だった。

 と……。

 その感動を邪魔するがごとく。

 ズ、と。大きな水の塊が動く気配がした。

 やっと来たかと目をやると、サーペント本体がこちらへ正対し、様々な箇所を損傷した首が三十本、束となってコウモリを見上げている。

 それらの鼻先で、破壊をまぬがれたサーチライトが、いっせいに点灯した。

『やれやれ、無粋なことだ』

 並のL・J操縦者であれば、あわてふためくところだろうが、もちろんハサンはびくともしない。むしろ両手を広げ、スポットライトの輝きの中、旧時代の宮廷風に、優雅な礼をしてみせる。

 それがまた、貴族的な外観のN・Sコウモリによく似合った。

 すると。

 サーペントの首一本一本が、ゆっくりと、百合の花弁のように開きはじめ……ついに、この巨大L・Jが本性をあらわにしたのである。

 円形に配置された首の中心に隠されていたのは、巨大な吸いこみ口。

 ミキサーのような、ミルのような。獲物を粉砕するためのスクリューを何重にもそなえた、まさに化け物の大口だったのである。

『ンッフフフ、竜のひげを持つナマコか。センスを疑うが、サロンのネタにはいい』

 ハサンが太刀を収めるのと同時に、スクリューの回転がはじまった。

 はじめはゆっくりと。そして徐々に速く。目にもとまらぬ速さまで。

 吸引もはじまった。

 こちらは逃げて逃げられないこともなさそうではあったが、無様な抵抗は主義に反する。ハサンはリズムよく指を打ち鳴らしながら、されるがままに引き寄せられていった。

『ンーフッフー、ンーフッフー……』

 と、鼻歌はワルツのリズム。

 先に呑みこまれた岩が、一瞬のうちに砂となる。

『ンーンンーンーンー……』

 最も手前のスクリューは右回転。

 コウモリの翼膜が、ひらり、ひるがえった。

 砕かれた。いや、通り抜けたのだ。

 直後の左回転。

 これも抜けた。

 コウモリは、くるりくるりと目にも美しいターンで、なんと七重のスクリューをすべてくぐり抜けた。かすり傷ひとつ負わずに。

 そして、最後にたどり着いた集積場の床へ手を広げて降り立つと、再び、深々と礼をした。

 そこに観客はいなかったが、床に並んだ、水と残骸を排出するためのスリットが、拍手するように弁の上下をくり返した。

『ありがとう、諸君』

 幾度もアンコールに応えるハサン。

 弁の喝采はやまない。

『おや、サイン? いいとも』

 ハサンは、姿の見えない淑女相手に気前よくうなずき、適当な壁に向かって、カラスの太刀を大きく振りまわした。

 シャー、ハサン、アル、ファルド。

『ンンン、上手く書けた』


 その、はるか上方。

 サーペントとの遭遇地点から約一キロ北の海上では、ユウの葛藤が続いている。

『……モチ』

『はい』

『やっぱり、ハサンを置いていけない』

 モチは答えなかった。答えなかったが、カラスを介して身体を同じくするユウには、モチの肯定が伝わった。

 言葉にしなかったのは、迷いがあるのだ。

 鉄機兵団からは逃げなければならない。しかし、ハサンも救いたい。

 ならば助けに行けばいいのか。この船はどうするのか。

『私には、わかりません』

 今度はユウの肯定を、モチが感じ取った。

『ひとつ言えるのは、それを決められるのがアレサンドロだけだということです。ただ……』

 選択をゆだねることが、アレサンドロの精神に負担をかける。

 どちらの仲間の命を取るか、など、ユウもモチも問いたくはなかった。

『皮肉なものです。こうしたときこそ、ハサンの力が欲しい』

『……ああ』

『せめて私に、彼の万分の一でも知恵があれば……』

「船を止めろ!」

『ホ……!』

 モチは口をつぐんだ。

「クジャク、モチ、ユウ! 船を止めろ!」

『この声は……』

『アレサンドロだ!』

 船体の側面にへばりついていたN・Sカラスは、すぐに、声のする甲板へと上がった。

 そこには、ブリッジにいたはずのアレサンドロと、光石サーチライトをかついで、せわしなく動きまわる男たちの姿があった。

『旦那ぁ、なにやってんの』

 あきれたように言うシューティング・スターの足もとから、格納庫と直結したエレベーターがせり上がってくる。乗っているのは、二機のL・Jだ。

『大将も言ったじゃない。自分を待つなって』

 アレサンドロは、テリーを無視した。

 そうだ。そんなことはわかっているのだ。

 この結論に至るまで、アレサンドロも悩んだ。ユウやモチと同じように。

 だが、背を押してくれたのは、ブリッジで進路や通信の管理を手伝ってくれた、男たちの言葉。

 あの人を助けに戻りましょう。

 みんなで戦いましょう。

 ……撃たれても構うものか。アレサンドロは、その意気で立ち上がったのだ。

「ユウ、モチ。ハサンを迎えにいけ。その蛇が追いかけてくるようなら、構わねえ。こっちで相手をするから連れてこい」

『ああ!』

『了解です。私は、あなたの選択を支持します』

 ユウとモチは、飛び上がるほどうれしかった。

「クジャク!」

『ああ』

 答えたN・Sクジャクは、甲板のすぐ上を飛んでいる。おそらく、なにがあってもいいようにとの心構えだろう。

「これから俺たちで、どうにかスクリューをなおせねえかやってみる。あんたはそれまで、この船を守ってくれ」

 クジャクも、フフ、と、笑い、快諾した。

「私は?」

「うん?」

「私はなにをすればいい?」

 アレサンドロは、ぎょっとした。

 いや、全員がそうなった。

 おそるおそる、とでも言おうか。まるで、幽霊の気配を確かめるように、その一点を見る。

「ハ、ハサン……!」

 なんということだろう。

 サーペントと死闘を演じているはずのハサンが、甲板の上で手すりにもたれ、悠々とパイプをくゆらせているではないか。

「あんた、なんで……!」

「なんで? 妙なことを聞くものだな」

「いや、でも、その蛇ってやつは……」

「……フフン」

 嫌な笑いだった。

 言葉にするならば、待ってました、だ。

 思わせぶりに持ち上がった左手がアレサンドロの目の前に止まり、ぱちん、と、ひとつ鳴らされる。

 直後。

 水平線の彼方、ドォッと、天を突くばかりに噴き上がった水柱が、顔を見せたばかりの月を覆い隠した。

 オベリスク、あるいは水に浮かぶ城のようにも見えたそれが崩れ、余波が船を揺らすのに、なお数十秒の時がかかった。

「す、すげえ……」

 サーペントの他に類を見ない異様な姿と、凶悪なまでの力を見せつけられていた若者たちは、あんぐりと絶句する。

 だが、もしも彼らがサーペント本体を目撃していれば、驚きはこの程度ではすまされなかっただろう。それが、ハサンにとっては残念であった。

「おまえたちは幸運だ。このシャー・ハサン・アル・ファルドが、同じ船に乗っていたのだからな」

『で、でも、どうやって……』

 ハサンは、ちらりとカラスを見た。

「古人いわく、大は小を兼ねると言うが、大きなネズミは、小さな穴には入れない」

『え、な、なに……?』

「フフン。……おまえの太刀は、船の腹に刺してきた。さっさと回収しに行くがいい」

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