第111話 燐火
一方。
スダレフもまた、シュナイデの行動に驚きを隠せずにいた。
「どうしたことだ、これは……?」
と、様々な数値・波形が表示されるディスプレイに向かい、どこか不機嫌めいた指さばきでキーボードを叩く。
ジジジとはき出された紙へ目を走らせ、やはり納得いかない面持ちで、それを丸めつぶした。
「……おかしい」
その様子に首をかしげ合ったのは、技術士たちである。
それもそのはず。得られているナーデルバウムの戦闘データは、どれもスダレフの想定どおりの数値を示しているはずなのだ。
口にこそしないものの、誰もが、『あの』セレン・ノーノの造り上げたオリジナル機に対して、試作機が太刀打ちできるとは思っていない。あくまでこれは、テストの一環であった。
人家を倒壊から救ったことにしても、自らの心身を守ろうという、ある種の回避行動だろう。
「違う、違う、違う!」
スダレフは骨のような指をわななかせ、嘘を映すなとばかりに、ディスプレイへ向かって声を荒らげた。
「あれが人間を助けた! それが当然のように、『人間』のように! 見ろ! 倒れる瞬間、脳波まで乱れた! なぜ!」
「それは、ですから……」
「あの娘が、人間だからだ」
ひょう、と、分厚いカーゴハッチから流れこんだ風雪が、手もとの紙をすべて、天井まで巻き上げた。
と、同時に、
「う!」
「ぐっ!」
くぐもったうめき声が聞こえ、視界のきかなくなった車内に、なにか重量のあるものが五つ、落ちる音がする。
金属同士が噛み合う音を最後に風がゆるみ、スダレフが顔を覆った腕を下ろすと……。
「むう?」
はらはらと舞い落ちる紙吹雪の中、床には重なり合い気絶した、技術士たちの身体。
ハッチのそばには、見知らぬ白装束の男が直立していたのである。
「なんだ、おまえは」
その白装束の男は、深緑の瞳の奥底に、なんとも言葉では言い表せない燐火のようなものを宿している。
「ジョーブレイカー」
「ジョーブレイカー? さて、どこかで……あーあ、やつらの仲間か」
ようやく食指を動かされたらしいスダレフの視線を全身に受け、ジョーブレイカーは珍しく、その唯一のぞく目もとに嫌悪感を表した。
「おまえがスダレフだな」
「ふん、そんなことはどうでもいい。それよりも……ふぅむ、なかなかいい身体をしている」
「……」
「多少は持ちがよさそうだわい」
スダレフは、にたりと笑った。
「さて、おまえはどんな情報をくれる?」
「……」
「ヒヒ、好きなだけ口を閉じておけ。その舌、嫌でも動くようになるわ!」
言うが早いか、天井の四隅に仕掛けられた鉄製の管が、ジョーブレイカーへ向け、なにかを発射した。
投網。捕り縄。いや、それは噴出した直後こそ直径三、四センチのロープ状をしていたが、ジョーブレイカーが背にした忍刀を引き抜くや否や、幾億条にも分裂し、その五体へと襲いかかってきた。
「む……」
まず封じられたのは刀。そして腕、足、頭部。
見れば髪の毛よりも細く、一切の重さを感じさせないそれだが、まるで何本もの鋼糸をより合わせたかのような頑強さと、恐るべき粘着性でからみつき、ものの数秒のうちに五感と自由を奪っていく。
ぐらりと揺れ、折り重なった騎士たちの上へ倒れこんだ塊は、もはやジョーブレイカーではなく、ひとつの巨大な繭だった。
そう、剣を握ったこともない年寄りが、得体の知れない侵入者を前にしながら、護衛の状態を気にするどころか懇願や虚勢を張る様子さえ見せなかった理由は、この万全のそなえがあったからなのである。
「ヒ、ヒヒヒヒヒ」
スダレフは、ぴくりともしないジョーブレイカーの前へかがみこみ、肩を震わせて笑った。
「愚かなやつ。おかげで、いいみやげができたわ」
「……」
「さぁあ、どうしてくれようか」
スダレフは、いそいそとした手つきで、デスクの下から、くたびれたカバンを引き出した。
取り出したのは、黄色い液体を満たした、細く長い針を持つ注射器だ。
「情報をもらすたび、身もとろけるほどの快楽が走る薬がいいか。それとも……そうだ、あいつに足先から食わせてみせようか。麻酔を打って、少しずつな。ヒヒ、そうだ、それがいい。こりこり、こりこり……ヒッヒヒヒ」
その情景を思い描いたスダレフの、身の毛もよだつ笑い声が響き渡る中。針の先が、す、と白い繊維の隙間へ吸いこまれた。
するすると、哀れな獲物目がけて進む針先。
ジョーブレイカーは、やはり身じろぎひとつせず、その強力な昏睡剤を受け入れようとしている。
……が。
それがぴたり、動きを止めたとき、針はまだ、半分ほど外に出たままだった。
「おや?」
スダレフははじめ、針が衣服の金具か、忍刀にでも当たってしまったのかと思った。
いや、それにしては感触がなかったようだったが……。
そこで、とにかくも針先をねじってすり抜けようとしたが、これまたどうにも上手くいかない。
「むう」
ひと声うなり、スダレフは一度、注射器を抜くことにした。
「……や?」
今度は抜けない。
繭にまたがり両手でぐいぐいと引いたが、老骨が痛むばかりでびくともしない。
「なんだ……?」
スダレフはここにきて、なにか異様な、背すじの寒くなるものを感じた。
注射器から手を離して額に手をやると、そこはべったり、脂汗にぬれていた。
「む……うう」
これは、どうしたものか。
この力の正体を確かめてみたかったが、中をのぞいてみる勇気はない。
いや、この蜘蛛の糸の数倍の強度を誇る『スダレフウェブ』に包んだまま帝都に運べば……と、ひとりうなずいたのも束の間。スダレフの目の前で、さらに驚愕の出来事が起こった。
なんと、そのスダレフウェブが、ぼこぼこと形を変えはじめたのである。
「あ、あ……!」
スダレフは驚きに目をむき出し、またがった繭から身を引こうとした。
が、それより早く、
「ヒィッ!」
繭を押し破って現れた手のひらが、スダレフの左腕を捕らえる。
その裂け目を力ずくで押し広げ、注射針の先端を左手の指二本ではさみこんだジョーブレイカーが上体を見せたとき、スダレフは死人さながらの顔色となり、なかば意識を失いかけた。
「……ジン博士を知っているな」
「ヒェ……!」
「知っているようだな」
「し、知らん……知らん!」
狼狽するスダレフの目が、激しく揺れ動いた。
「……そうか。これでわかった」
「な、なな……」
「おまえの罪、いずれその身へ返ると思え……!」
「ぎゃ、あああ!」
耳をつんざく絶叫とともに、肉のない細腕が、ジョーブレイカーのたくましい指のひと握りで、だらりとたれ下がった。
いや、おそらくそれだけではすまされないだろう怒りと憎しみを感じ取り、スダレフはなおも震え上がった。
「貴様……貴様いったい、何者……!」
口走るスダレフの腕を放り捨て、ジョーブレイカーは、ディスプレイへと向かう。
「やめろ! さわるなぁ……!」
スダレフは足首にすがりついて叫んだが、コトコトという、小気味よいタッチ音ののちに引き出されたデータを、ジョーブレイカーは左手甲の端末へと転送しはじめた。
「う、うぅ……痛い、痛いィ……う、う?」
ここでふと、スダレフは、遠い記憶を呼び覚まされる思いがした。
はるか上に見る、淡い光に照らされた緑の目。その、力強さにあふれた鼻すじ……。
どこかで見た覚えがある。
いくつもの面影がその横顔に重なっては消え、あるひとつのイメージが、ぼんやりと浮かび上がったとき。
気配に反応したジョーブレイカーが、スダレフを見返した。
「あ!」
瞬間、スダレフは思い出した。
あいつだ。
自分が殺したはずの、あの男だ!
「いや、馬鹿な……そんなはずはない!」
「……」
「おまえは……おまえはあのとき……うぅ!」
砕かれた腕に激痛が走り、スダレフは床へ突っ伏した。
うなり声を上げ、床をかきむしるその頬へ、ふわ、と冷気が吹きかかり、驚きあわてて顔を上げたときにはもう……そこにはなにもない。
ハッチだけが、いかにもここから出たぞ、とばかりに、十センチほど開いている。
「馬鹿な……あれは……」
スダレフは、視点の定まらぬ目でつぶやいた。
「あれは……」
ナーデルバウムの開けた奇妙な足跡を縫うようにして、ジョーブレイカーは雪原を疾走している。
覆面に隠された表情をうかがい見ることはできないが、細められたその目は、必死に感情を押さえつけているかのようだ。
と……。
驚異的な速さで躍動するジョーブレイカーの足が止まった。
雪にかすむ視線の彼方から、なにか巨体が駆けてきたのである。
「シュナイデ……」
おそらく帰還命令を受けたのだろうシュナイデの乗るナーデルバウムは、その遂行の代償か、両腕を失っている。
雪景にまぎれた白装束のジョーブレイカーに気づかぬまま、水色のL・Jは、そのすぐわきを走り抜けていった。
「……シュナイデ」
『……?』
コマンド・カーゴに収集されたシュナイデの脳波グラフに、このとき、わずかな揺れが記録された。
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