第93話 スピードスター・ホーク

「おそれるな。自分をカラスだと思え」

「ああ、わかった」

 ユウとモチ、そしてクジャクは、同時に飛んだ。

 同じ空を見る、本日二度目の降下。

 だが、気分はまったく違う。頬に、耳に、全身に当たる風は、刃のように鋭い。

 右腕におさまったモチの身体だけが温かく、ユウはその温度を、あたかも自分の心臓であるかのように抱きしめた。

 強烈な風圧に押し戻されそうになりながらも左腕を突き出し……。

 空の真ん中に閃光が走った。

 風をつかんだ背の翼が、ぐ、と、身体を引き上げるのを感じて、ユウは、ああ成功したか、と、神に感謝した。

 対して、クジャクはどうか。

 クジャクには、N・Sカラスの出現をその視界におさめて、やや感傷的な表情を浮かべるだけの余裕があった。

 降伏をうながすために放たれたオルカーンの砲弾が、地上で爆風を巻き上げるのにも構わず。静かにふせた目蓋を、再び開く。

 直後。

 瑠璃色の装甲も鮮やかに、この世で最も美しいとたたえられたN・Sが、光の中から姿を現した。

 その最大の特徴は、なんといってもその長大かつ美麗な飾り尾羽で、短い本物の尾羽の上に、まるで、白い絹糸に金紗を散らしたような細羽が重なっている。

 さらにその上には、金環を鎖状に連ねた極彩色の飾りが四房、これも長々と風に揺らぎ……もし、クジャクという鳥たちが王をいただく社会を築いたならば、間違いなくこれこそがその君主の姿だろうと、見る者すべてに思わせた。

 クジャクは手にした金色の六角鉄棍を回転させて、モチと同様、上手く揚力をあやつることで高度を上げた。

『クジャク!』

『ああ。……十五年ぶりだ。期待はするな』

 モチは、なにがおかしかったのか、ホホ、と、笑った。

 さて……。

 マンムートの周囲を旋回する鉄機兵団は、積みかえが間に合わなかったらしく、三個小隊九機。背部スラスターとウイングブーストバインダーの併用により高高度での戦闘をも自在にこなす、一二〇〇系L・Jである。

 が、カラスとクジャクが登場するや否や、それらのL・Jはくるりと向きを変え、オルカーンへと戻っていってしまった。

 なぜ、と、ユウは思ったが、口に出すまでもない。答えはすぐにわかった。

 撤退したL・Jと入れかわりに、右舷ハッチから別の機体が飛び出してくるのが見えたのだ。

 白をベースにオレンジのラインを入れた、一種独特な直線的シルエット。腰にも手にも武器を持たず、高速で空を駆けまわるそれこそ、将軍デューイ・ホーキンスのあやつる『神速のベネトナシュ』だ。

 巨大なウイングを背負ったベネトナシュは、足裏に埋めこまれたスラスターの勢いも盛大に、ぴたり、ユウたちの真横へつくと、

『よう!』

 指を立てて挨拶した。

『俺がデューイ・ホーキンス。スピードスター・ホークだ』

 先の大戦でも血と泥をなめた、三十六歳。将軍としては、最も職歴の短い男である。

 だが、逆に言えば叩き上げで、下級騎士の事情や下情にもよく通じているところから、民間出身者や、貴族でも若い騎士たちの間で人気が高い。飲む打つ買うの遊び癖がいまだ抜けないことも、おおむね好意的に受け取られている庶民派将軍だ。

 時折オルカーンを飛び出しては近場の町で遊び倒すため、重要でない仕事などでは『病欠』することも多いのだが、ユウたちが折よくその病中に遭遇し、聖石を奪えたことを考えると、あながち悪癖でもないのかもしれない。

『やってくれるな』

 と、いかにも兵卒上がりらしい気安さで、ホーク将軍は笑った。

 親戚の子どもと接するような、さっぱりとした笑い声であった。

『よし、とりあえず、そっちの名も聞いておこうか』

『……』

『言えんか。それもそうだ』

 と、ここでも、ホークは笑う。

『だがまあ、そいつはちょいと、卑怯じゃあないか』

『え……?』

『おまえさんがたの仲間は、みんな名前を出して戦ってる。ララも、テリーも、セレンも。なあ、そうだろう?』

 ユウは、そのとおりだ、と、思った。先の手配でも、自分とアレサンドロだけが偽った名のままで公表されている。

 そしてこれは、ユウの長所とも言えるだろうが、一度そういう思いに至ると、敵の前だというのに申し訳ない気持ちで胸が詰まってしまった。

『……ユウだ。ヒュー・カウフマン』

 モチとクジャクも、ユウにならった。

『そうか……どうやら、話の通じる相手らしいな』

 ベネトナシュは、ドッとスラスターを噴かして、カラスとクジャクの前に立ちふさがった。

 と、そうなると、頭上を飛ぶオルカーンは低速とはいえ前進を続けているため、宙吊りのマンムート共々、距離が離れていく。

 ならどうだい、と、ホークが本題の口火を切った。

『どうだい、おまえさんがた。ここは素直に、石を返しちゃあもらえんかな』

 ベネトナシュが手を合わせた。

『おまえさんがたの言い分も、そりゃあわかる。N・Sなんてものを手に入れりゃあ、ちょっとした悪ふざけもしたくなるってもんだ。気もでかくなって、いざ人助け! ってな』

 ひとり、ウンウン、と、うなずく。

『だがなあ、世の中には、やっていいことと悪いことってのがある。おまえさんがたも子どもじゃないんだ、わかるだろう?』

『……じゃあ』

『ん?』

『あんたたちのやってることは、悪じゃないのか』

 ユウの言葉に、ホークは押し黙った。

『聖石は、月の神徒にとってかけがえのないものだ。もとの場所から動かして、それは悪じゃないのか』

『……』

『でっち上げて、もみ消して、また同じような戦争を起こそうとする。それは悪じゃないのか』

『随分と、難しいことを言うんだな』

 コクピットのホークは操縦桿から手を離し、ユウが思うより、はるかに理知的な眼差しを手もとに落とした。

 その指先では、あご先にたくわえたひげを無造作に引き抜くような仕草をしている。

『そうだな……善か悪かで言うなら、そりゃあ善とは言えんだろう。だが、良し悪しで言うなら良いほうだ。国ってのは、そういうところで動いてる。……戦もな』

 ホウ、と、モチがつぶやいた。

『俺は、政治のことはわからん。ときには、まあ、嫌な戦もある。だから、こうして頭を下げることもあるが……どちらにせよ、一度こうと決められれば動く。これは良し悪しというよりは、軍人だからだ』

『それが、あなたの正義ということですか』

『いや、仕事だ。それで食ってる以上、やることはやらにゃならんだろう。大義正義を口にして、それで成るなら結構な話だが、そんなもんじゃあない。だったら、やるべきことをまずやる。やってから、道楽で正義をやる。そういうもんじゃあないか? なあ』

『……なるほど』

『ふ、ふ、まあ、なにが言いたいか、よくわからなくなっちまったが、そういうことだ。……で、どうだい。石を置いていってくれる気にはなったかい?』

『……断る』

 ユウには納得できなかった。

『そうか』

 と、ホークは操縦桿を握りこみ、

『それじゃあ……いっちょやるか!』

 フットペダルを踏むと同時に、右手親指で、グリップの先端カバーを開いた。

 現れたのは、スライド式のスイッチ。入れると、ベネトナシュのデュアルアイが、まばゆく光る。

『む……!』

 とっさにカラスの腕を引き、しりぞいたクジャクの目の前で、背のウイングは両肩へ、両脚は九十度回転しつつ、折りたたまれた胴体のそのうしろへと、ベネトナシュは、まるで立体パズルでも組み立てるように変化していく。

 時間は一瞬。

 最終的な形態は、人型さえもしていなかった。

『鳥? ……いや』

 機首と両翼、そして尾翼をして巨大な矢じりのようにも見える神速のベネトナシュは、矢柄との接合部にあたる一辺に、先ほどまでは足裏にあった大型スラスターを四基、横一列に連ねている。

 雲を引き、上空高くまで駆けのぼったそれは、メインスラスターのカットとエアブレーキの併用によって減速し……、

『お。こいつは、いいながめだな』

 機首を直下へ返すや否や、ゴウッと、陽炎を噴射した。


 それは、実に恐るべき速さであった。

 ベネトナシュが、翼を広げたカラスとクジャクの間を通過した、と思う間に、竜巻にも似た猛烈な衝撃波、雷鳴のごとき爆音が続く。

『ム……!』

 きりもみするカラスの体勢を、モチはどうにか整えたが、かすりもしなかったはずの右翼の羽根数枚が散り落ちた。

 これも、いまだかつてなかったことだ。

『モチ』

『いえ、問題ありません』

 モチは、つとめて冷静を装った。

『しかし……なるほど』

 ふれれば、五体確実に四散する。それが強烈に印象づいたのは間違いない。

『クジャクは? 彼はどうしました』

『ここだ』

 クジャクは、ふたりの真上にいた。


 一方。

『く、う、う! たまらんぜ!』

 スピードスター・ホークの最大の楽しみは、この疾走感、そして、全身をがんじがらめにする重力である。

 それは、飲む打つ買うの一時的な喜びはもちろんのこと、空の青さや、この星の美しさなどという一種形骸化した美をも超越した魔力をもってホークを魅了し続けており、これはもう、中毒と言ってよかった。

 全身を駆けめぐる強烈なアドレナリンの渦に気を高ぶらせたホークは、同じ遊具に何度も乗りたがる子どものような心境でスポイラーを展開し、ベネトナシュの体勢を整えた。

『大将』

『おう、どうした』

 メインモニターに映し出されたのは、オルカーンをまかされた、あのひげづらの年寄り、紋章官ヨーゼフ・グレゴリオ。

 オルカーン初代艦長である先代将軍の時分から、その右腕、紋章官として仕えてきた人物で、現将軍ホークにあっても、『とっつぁん』などと頼りにされる大黒柱である。

 もっとも、それをいいことに将軍が遊びまわるものだから、グレゴリオとしては頭が痛い。

『L・J、いつでも出せます。敵戦車制圧の許可を』

 と、型どおりの提案をしつつも、はなからホークの性分など承知の上。

『おいおい、つまらんことを言うな』

『……と、言われると思いましたわい』

 グレゴリオは苦笑いした。

『ギュンターの坊主から、また通信が入っとりますが、こちらは?』

『なんだって?』

『早く地面に下ろせ。N・Sはこっちでやる、とかなんとか……』

 すると、ホークは即座に、

『故障だ!』

『はあ?』

『オルカーンの通信機器は、たったいまから故障だ!』

 それと聞いたグレゴリオは大いに笑い、威勢のいい敬礼を返して、通信を切った。

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