第58話 風見鶏
「おまえはここだ」
ヒッポの手下どもから、散々に制裁を受けてきたユウは、足をもつれさせ、
「う……」
倒れた。
ユウが押しこまれたのは、じめじめとした独房である。
不ぞろいな石積みの壁には水がしみ出し、いたるところに苔がむしている。無論、窓もない。
鍵を閉めた手下は、こいつもつばを吐きかけ、去っていった。
「カウフマン! 大丈夫か!」
隣の房から響く、クローゼの呼びかけに、
「あ、あ……」
それだけの声を振り絞り、ユウは這いずるように身を起こして、壁へもたれかかった。
血の味がするのは、殴られたときに切れたもので、内臓には損傷ない。
指か腕の一本でも折られるかと思ったが、それもなかった。
俺も、身代金の種か……。
ユウは深く、息をはいた。
会話を盗み聞いた様子では、クローゼが将軍本人であると、ヒッポたちも確認できたらしい。これで、大祭主を含む三人の命は、一応保障されたわけだ。
それにしても、ハサンに身代金など……、
「フ……」
払うわけがない。
自力で逃げろ。ハサンならばそう言う。
奪われてしまったふたつの指輪と太刀も、取り戻さなくてはならない。
ユウは、ぐ、と、拳を握った。
「将軍……ハイゼンベルグ将軍」
「ああ、ここにいる! どうした? 痛むか?」
壁越しに聞こえるクローゼの声は、将軍とも思えないほどに、うろたえている。
「怪我は……?」
「いや、私は大丈夫だ。君には本当にすまないことをした。すっかり巻きこんでしまったな」
「いいん、です。俺が、望んだ……痛ッ」
「もう少し我慢してくれ。きっと、アルバー……」
「将軍! ……誰かが、聞いてるかもしれない……」
「あ……そ、そうだな……すまない」
落ちこむクローゼの姿が目に浮かび、ユウは思わず失笑した。
「カウフマン……」
「ユウで、いいです。ヒューのユウ……」
「では、私のこともクローゼと呼んでくれ。敬語もいい。歳も近いようだし、こうなってしまっては、将軍もなにもない。そうだろう?」
「……わかった。それで……?」
「その……これだけは確認しておきたい。君はヒッポに、ハサンの弟子だと言われていた。それはあの、シャー・ハサン・アル・ファルドのことだろうか」
おそらく、今回の容疑者を絞りこむ際、ハサンにも行き当たったのだろう。
「ああ……」
ユウは正直に答えた。
「大祭主様……カジャディール大祭主様も……それはご存知なのか?」
「……いや。……でも、俺が盗人上がりなのは、お話しした」
「その上で、准神官の位をいただいた、ということだな?」
「ああ……」
「そう、か……。うむ、それならばいいのだ」
おそらくクローゼは、カジャディールがユウにだまされ、神官の位を与えてしまったのではないか、と思ったのだろう。
たとえ、最も格の低い准神官であっても、信仰心のあついこの世の中では、神に近い者として、畏敬の念を持って接せられる。中には、神官からは金を取らない、という宿屋や食堂もあるくらいだ。
となると、その地位を利用した詐欺や押しこみ強盗などが多くなるのは必定で、手下の多い盗賊一家の中には、必ず、神官や神官もどきが含まれているのである。
クローゼは、それを心配したのだ。
「悪く思わないでくれ。これも、仕事なのだ」
「いや、いいんだ」
ユウは、手にふれた床の苔をむしり、正面の壁に向かい、投げつけた。
短い沈黙……。
「うん? ……ではなぜ、神官に?」
さらに、クローゼが問いかけてきた。
「父が、神官だった」
「ならばなぜ、盗人に……」
質問の多い男だな。ユウは思った。
正直、静かに回復させてもらいたい。
わざと、わずらわしげに、
「父が亡くなって、ハサンに……拾われたんだ」
と、答えたが、
「跡を継ごうとは考えなかったのか?」
クローゼは気づかなかった。
「どちらの神殿でも、ある程度の世襲は認められているだろう?」
ああ……うるさい。
「年齢的に無理でも、神学校という手も……」
うるさい。
うるさい。
「うるさい!」
「!」
クローゼが、息を呑む気配がした。
「……すまない」
「いや、謝るのは私のほうだ。君のことは詮索しないと言っておきながら……。このとおり、謝罪する」
壁の向こうで、頭を下げたらしい。
ユウはガンガン鳴る頭に眉をひそめ、両腕でひざをかき抱くようにして、うずくまった。
丁重に、と言っただけあって、捕虜としての待遇は悪くはなかった。
質のよい食事が、日に三度。
泥にまみれた服はともかく、身体をぬぐうための水も与えられる。
時折、憂さ晴らしに殴られる以外はユウにも同様のあつかいがなされ、それなりに快適であった。
ただ、心配なのはクローゼである。
あれ以来、向こうから話しかけてくることはほとんどなかったが、盛大なため息や、太陽神に祈る声が、よく、ユウの耳にも入ってくる。
慣れない投獄生活に重なり、安否のわからないディアナ大祭主、動きのないヒッポ、鉄機兵団。精神的にかなりまいっている様子だった。
ちなみに……。
ユウはまだ、いつ逃げ出そうとは考えていない。
いまではない、と思うだけだ。
なぜとは言えないが、こういうときは自分の勘が生き死にを左右する。
だからこそ、いざそのときを逃さぬように、精神と肉体を研ぎ澄ませる努力だけはおこたってはいなかった。
そしていまも床へ端座し、瞑想していたのだが、
「……?」
ふとユウは、胸にざわつくものを覚えたのである。
「……モチ?」
ふたりでN・Sに乗っているときの感覚に近いが、
「……違う……」
それよりも、もっと嫌な、うごめき。
寂々として暗い、深い水底の窒息感が心臓を握る。
「誰だ……」
背すじを走る悪寒は、幻ではない。
「誰だ……」
……そこで、ざわめきは消えた。
「……クローゼ」
「な、なんだ!」
あるいは、とも思ったが、飛び立つように食いついてきた声には、いまの何事かに気づいた様子はない。
「いや……なんでもない」
クローゼは、明らかにがっかりとしたため息をついた。
「気分は?」
「悪くはない。少し、暇を持てあましているが……あ! い、いや、そういう意味ではないのだ! 君が悪いのではない! もとはといえば私が悪い!」
「……ッハハ。いや、俺も悪かったんだ。あのときは、気が立ってて……」
「だとしても、やはり私が悪い。……よく言われるのだ、くちばしだけの風見鶏だ、と」
「風見鶏……?」
「私の場合は、風を読むのにたけている、というよりも、風に流されて生きている、ということだが……。そんな男が、こうも話したがりの聞きたがりだと、ありがたくもない異名のひとつも、奉られるというものだろう?」
自嘲気味の言葉だが、不思議とさっぱりとした語り口である。
「……理由を」
「うん?」
「理由を聞いてもいいのか? 将軍が、そんなふうに言われる理由を……」
すると、
「ああそうか! これからは、まずそう聞けばいいのだな。それなら波風も立たない」
クローゼはひざを打ち、屈託なげに笑った。
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