遠慮は却って
一
夏休みも終わり通常授業となって二週間がたつ。
いままでのところ、校長先生や教頭先生を始め、逢坂先生も根津先生もいつも通りでいる。あのボランティアの一件はまだバレていないようだ。
そっちの心配もありつつ僕は違うことにも悩んでいた。
あの日から、逢坂先生がずっと素っ気ないのだ。
もともと愛想のいい人ではなかった。
これまでなら、素気ないぐらいじゃどうとも思わないんだけど、キャバクラでの、気さくな雰囲気の逢坂さんにも触れたから、僕は悶々としているのだ。学校のときと違って、すべての壁を取っ払ったって感じの物腰。その柔らかさをここでも出してくれたら、後輩としても接しやすくて、もっといい関係になりそうな気がするのにな。
やっぱりラーメンを断ったのがまずかったのかもしれない。
僕はため息を一つ吐いた。
なにはともあれ、いまは仕事の時間。よしと椅子を立ち上がると、朝のホームルームに備え、佐々木先生のデスクへと向かった。
そこへ、職員室に逢坂先生が入ってきた。
相変わらずのボサボサ頭で、Tシャツにジャージ、よれよれのサンダルだ。眼鏡の向こうの目は表情もなく、淡々とカバンの中身を広げている。
あのしっとりキャラメルも、レンズを介さない黒目勝ちな瞳も、ギャルソン風な出で立ちも、一夜限りの仮の姿だ。もはやこの携帯でしか見れないのである。
佐々木先生のとなりのデスクから僕は椅子を借り、腰を下ろした。
逢坂先生のところも同じように副担任の先生がやっきてきて打ち合わせが始まる。
あの目も表情も、メモを取る指先までもが真剣そのものだ。
「教師なんざ、いつでも辞めてやる」
逢坂先生は、本気でそう思っているのだろうか。
根津先生だって、逢坂先生につき合ってボランティアをしたのだから、必ずしも教職に思い入れがあるというわけじゃないんだ。冗談で、危ない橋を渡るとも思えないし。
しかしながら、二人は教職に対して不真面目かというと、決してそうじゃない。
きっちり生徒と向き合うし、授業はわかりやすいと定評がある。受け持つクラスは大抵成績がいい。
僕の目指す教師そのものなのだ。まあ、その他の生活態度はさて置いて。
教師は、だれもが簡単にできる職じゃない。
就くまでにも、就いてからでもそれなりの努力をしなければだめだ。
「──渡辺先生、聞いてますか?」
と、佐々木先生の声が突如として耳へ入ってきて、僕は慌てて体を向き直した。
「す、すみませんっ」
「そんなに逢坂先生が気になりますか」
佐々木先生にばっちり指摘され、僕はなにも言えなくなってしまった。耳の先にまで湧き上がる恥ずかしさに耐えながら、何度も頭を下げる。
佐々木先生は怒るどころか笑いを交えて僕の肩を叩くと、ホームルームの打ち合わせに話を戻した。
お昼前の授業も終わり、お腹ぺこぺこで職員室へ帰る。自分のデスクへついてなにげにとなりを見やると、赤色の携帯電話が置いてあるのに気づいた。
空の悲鳴を上げ、僕は素早く携帯を取った。
このあいだ逢坂先生に睨まれたばかりなんだ。そのそばからこれなんて、今度はどんな嫌味を言われるか、わかったもんじゃない。
やれやれと、ため息を吐く。
完全に自分のデスクへ戻ったとき、なにかが変だと首を傾げた。そのまま、もう一度となりへ視線をやると、気になるものが目に入った。
引き出しに携帯をしまい、一枚のプリントを手にする。印刷もなにもされてない裏側の端に、とてもきれいな字で、「土曜の夜、あいてる?」と書かれてあった。
僕は目だけをきょろきょろさせた。
……見ちゃいけないものを見てしまったかもしれない。
焦りつつも僕は、だれが書いたのか、そこも気になった。
しかし、土曜の夜に逢坂先生を誘うような若い女性の先生は、うちの学校にはいない。女性の先生はいることにはいるけれど、二人とも五十代で、しかも結婚されている。子供さんもいる。
僕は首をひねった。
それにしたって、こんなやりとりをするならメールのほうがいいに決まっているのに。こそこそメッセージを渡し合うなんてめんどくさい。
まあ、でも、メールは残るし、紙はすぐに捨てられるからこういうのにはいいのかもしれない。
ていうか、ていうか。不倫はキャバクラよりヤバいでしょ!
僕は、プリントから目を離さず、自分のデスクの椅子に腰を下ろした。
プリントを表にする。それは、来年度の文化祭で、実行委員の指導担当になる先生の初会合のお知らせだった。
ということは、このメッセージを書いた人は、プリントを渡すついでに逢坂先生に……。
だとすると、指導担当の先生の中にその人はいるのかもしれない。
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