三
「あはは。おもしろい顔ー。写メっちゃおっかなあ」
「メグミ」
逢坂先生は僕から離れると、スマホを向けている女の子の手首を取った。
その女の子は、髪の毛からヒールのつま先まで、とにかくキラキラしていた。特別な照明が当てられているんじゃないかと思えてしまうくらいに。胸の開いたピンクのドレスを着て、肌という肌までもが輝いている。
「ああん。なんかいい感じだったのにぃ」
「あのな。俺たちは見せもんじゃねえんだよ」
「継臣ー! 店開いた。早く頼むって」
いつの間にか見えなくなっていた根津先生がロッカールームの入り口から顔を覗かせた。
「わかった。すぐ行く」
メグミさんという女の子を先に行かせてから逢坂先生は僕を振り返った。
「チクりたければチクればいいさ。教師なんざ、いつでも辞めてやるよ」
捨て台詞を吐き、逢坂先生は通路の奥へ消えた。
──いつでも辞めてやる。
まさかそんなことを言われると思ってなかったから、僕は茫然となるしかなかった。一人、キャバクラのロッカールームで立ち尽くす。
「帰ろう……」
ここは僕のいるべきところじゃない。弾き者にされた気持ちが拭えず、最初に入ってきたドアへのそのそと向かった。
ところが、なにを誤ったのか、僕は店内へと通ずるほうの入り口をくぐっていた。
見知らぬ「セカイ」が目に飛び込んでくる。慌ててバックヤードへ後ずさった。幸いにも、あちらとの境界線までは踏み込んでいなかった。
それでもちらっと見えた調度品の数々、それを引き立たせる内装は、僕の豪奢の範疇をはるかに越えていた。場違い余りある空間だった。
僕は生まれてこの方、ああいうお店へ行ったことがない。何度か誘われたけれど、身の置きどころに完全に迷いそうで遠慮していた。
僕は今度、物陰からそのセカイを見てみた。
すぐに、逢坂先生と根津先生の姿を見つけられた。二人とも、あれが本職と言っていいくらいの笑顔で、きびきびと動き回っている。
僕は、自分も教師だというのを忘れるほど見とれてしまっていた。
いけない、と頭を振り、また通路へ戻る。ロッカールームのベンチシートへ腰を下ろしてため息を吐く。
そのとき、一人の生徒の顔が浮かんだ。前に、逢坂先生のデスクへとやってきて、いないとわかるや思いきり肩を落としていた彼を──。
この僕にこれ以上なにが言えるわけもない。
ただ、このまますごすご帰っては、あのボランティアを認めてしまう意味になり、降参という意思表示にもなる。
こうなってしまったのは、もう仕方がないことなのかもしれない。だからといって教師を辞めるとは、簡単に口にしてほしくなかった。
夢か現実かわからないぼんやりした中で賑やかな声を聞いた。
少し酔っているような女の子の声と、いつもよく聞いている二人の声もある。
あとはさまざま。何人くらいいるんだろう。
「ねね、起きないよ」
「それにしてもすごいねえ。あのロッカールームで寝ちゃうなんて」
「逢坂さんがここまで運んだんでしょ。だったらさあ、王子さまのちゅうで起きるんじゃない?」
「おおっ。メグミちゃん、それいいね」
そのあとは、手拍子つきで「キッス、キッス」の合唱。
夢うつつの中で、だれがだれに「ちゅう」するんだと思っていたら、逢坂先生の声が聞こえた。
「なんで俺が渡辺にキスしなきゃなんねえんだよ」
僕は、がばっと起き上がった。
周囲のきらびやかな服装が目に入り、キャバクラにいたことをすぐに思い出した。
書類やファイルの並ぶ事務机がいくつか見える。ロッカールームにいたはずなのに、革張りのこのソファーで寝ていたことにもびっくりした。
僕のいるソファーの端には逢坂先生も座っている。煙草をくわえたまま、急に起き上がった僕をじっと見ている。
テーブルを挟んで向かいのソファーには、あのメグミさんという女の子と根津先生がいた。立っている女の子たちもホステスホステスした格好で、蝶ネクタイにベストという男の人もいた。
そのみんなが息を呑んだあと、またキスコールが始まった。
僕は目をパチパチさせながら辺りを見回し、最後にとなりを見た。その逢坂先生は、しばし視線だけを僕に向けていたけど、上半身をゆっくり動かしてきて、ソファーの背もたれに左手を乗せた。
……これがキャバクラのノリってやつなのか。だれかれ構わずキスコールって。
ていうか、逢坂先生からも、「しないとこの場は収まらん」空気がひしひしなんですけど!
「あ、あの、僕っ。煙草がだめなんで……すみませんっ」
僕は顔の前でとっさに手をクロスさせ、勢いよくバッテンを作った。
示し合わせたような沈黙のあと、根津先生がまず大笑いする。
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